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むつの花  作者: 野口 ゆき
33/77

三つの花 『九.塵壷』

慶応(けいおう)二年(1866年) 長月(ながつき)(9月)


「貴方。

ゆきさんが、お見えですよ」

(つぎ)兄さんの奥様すが様に、いつも通り私は継兄さんの部屋へ通された。

月に何度も伺っているので、今では何も言わなくても直ぐに継兄さんの部屋へ通される。

部屋に入ると、墨の香りがした。

墨を磨った時に香る、あの香り。

母上の大好きな香りだ。

『お香のような香りで、でも白檀(びゃくだん)伽羅(きゃら)のような香りではなく、優しく爽やかな香り』

と、母上は良く言っている。

私も好きな、墨の香りだった。


継兄さんは、黄色い菊が飾ってある文机(ふづくえ)の上で何かを書いていた。

私は、継兄さんの傍に近寄りながら聞いた。

「何か、書いていらしたのですか?」

継兄さんは筆を置き、私の方を振り向いて言った。

「ああ。

でも、もう終わった。

今日は、どうしたのだ?

ゆき」

「はい。

お借りしていた本を、返しに参りました」

「もう読んだのか?」

「はい。

また、新しい本を貸して下さい。

あ。

それと、お祖母様が作った『かぐら南蛮味噌(なんばんみそ)』も預かって来たので、先程すが様にお渡ししました。

お酒のおつまみに・・・と」

継兄さんはそれを聞き、嬉しそうに笑いながら言った。

「ああ。

有難う。

もみじ殿の『かぐら南蛮味噌』は、味がしっかりしていて美味しいからな・・・。

新米に、『かぐら南蛮味噌』か・・・。

何とも、贅沢だ・・・。

夕飯が楽しみだな・・・」

「良かった。

お祖母様に、継兄さんが喜んでいた事を伝えておきますね。

・・・あれ?」

私は、文机の上に群青(ぐんじょう)色の冊子がある事に気付いた。

「継兄さん。

それは・・・?」

「ああ・・・。

塵壷(ちりつぼ)』だ」

「『塵壷』?

『塵壷』って、紙屑壷(かみくずつぼ)の事ですよね?」

「ああ。

見たり聞いたりしたものや思い出したものを気の向くまま何でも書いたので、そう命名した」

「ふうん・・・。

継兄さんらしいですね・・・」

「褒めているのか?

貶しているのか?

ふん・・・。

まあ・・・。

良い・・・。

俺が、西国へ遊学した事は知っているだろう。

その時に書き留めた日記だ」

「それは、安政(あんせい)六年(1859年)の睦月(むつき)(1月)から師走(しわす)(12月)にかけての旅の事ですね?

拝見しても、宜しいですか?」

「ああ」

私は継兄さんから日記を受け取り、開いてみた。

そして、一頁目を見た。

一番初めの感想は、

『字が汚い』

だった。

次の頁を開いてみた。

やはり、汚い。

次の頁も、その次の頁も汚かった。

「・・・継兄さん、読めません。

字が・・・汚過ぎます。

当て字も多いし、読み難いです」

継兄さんは、溜息をつきながら言った。

「・・・相変わらず、はっきりものを言うな・・・。

仕方ないだろう、思いつくままに書いたのだから・・・」

私は継兄さんの言い訳を無視して、もう一度『塵壷』を読んだ。

それにしても、酷い・・・。

『本人も読めるのかな・・・?』

と思う位、読解が困難だ。

取り敢えず、日記を大まかに読み進めた。

すると、最後の方に聞いた事のある名前が書かれていた。

山田方谷(やまだほうこく)・・・。

もしかして、以前継兄さんが言っていらした継兄さんのお師匠様の・・・?

備中松山(びっちゅうまつやま)藩(岡山)の財政を立て直した、山田方谷様の事ですか?」

継兄さんは嬉しそうに、にやにやしながら言った。

「良く覚えていたな・・・。

以前も言ったかもしれないが、先生は藩主であり『老中(ろうじゅう)』であらせられた板倉勝静(いたくらかつきよ)様に見い出されたお方だ。

『老中』職は、自藩の財政逼迫(ひっぱく)を招く。

備中松山藩も例に漏れず、財政難に陥った。

それを救ったのが、方谷先生だ。

質素倹約令(しっそけんやくれい)』を出して、上級武士も下級武士並の生活をさせ、賄賂(わいろ)も廃止された。

備中鍬(びっちゅうぐわ)や茶、和紙などの特産品を開発し、中間手数料の掛かる大坂の商人を介さず、蒸気船(じょうきせん)で生産品を直接江戸で販売して利益を得ると共に、藩士達に航海術を学ばせた。

藩士以外の領民の教育にも、力を注がれた。

また農兵制を導入し、藩士や農民の志願者によるイギリス式軍隊を整えたりもされた。

本当に、先生の為された事はどれも素晴らしい。

学ぶべき事が、沢山あった。

長岡藩の財政建て直しや富国強兵(ふこくきょうへい)などに、必ず活かす事が出来るだろう・・・」

遠くを見つめる継兄さんは、心底、山田様を尊敬しているようだった。

「ところで、継兄さんは山田様にお会いする為だけに西国遊学をされたのですか?」

「いや。

第一の目的は先生から学ぶ為でもあったが、それだけではない。

他国を実際にこの眼で見て、知り、感じ、考え、経験したいと思った。

見聞を、広めたかった。

いや。

広める必要があった。

小さな長岡で学べる事は、限られる。

外の世界を見て『悪いもの』をなくし、『良いもの』を取り入れて発展させていく事が長岡藩の為にも、日本の為にも必要だと思った。

その為には自分の足で歩き、実際に外の世界を見る事が重要であった」

「今のままでは、駄目なのですか?」

「駄目だ。

黒船(くろふね)が来航して以来、日本は様々な思想を持つ人々が増え、まとまりを欠いた。

今こそ日本は一つになり、外国の勢力に立ち向かう事の出来る力を付けなければならない。

日本人同士が、争い合っている場合ではない。

もっと多くの事を見て、知り、最善策を見出さなければならない。

俺は実際に黒船を見たが、その時、今の日本の国力では外国に対抗出来はしないと思った。

(しん)(中国)のように外国に侵略されない為に、外国を打ち払えと言う輩が未だに多い。

そう言う奴らのほとんどは、実際に黒船を見た事もない。

もしあの船を見れば、それが馬鹿げた事だと知るだろう。

現実をこの目で見る事は、話で聞く事よりも何十倍もの利益や知識、知恵となる。

百聞(ひゃくぶん)一見(いっけん)()かず』

だ」

「そう言えば・・・松江(まつえ)様も・・・」

「何だ?」

「あ。

いえ・・・。

継兄さんは遊学を通して何を見て、何を知る事が出来たのですか?」

継兄さんは腕を組み、しばらく考えて言った。

「そうだな・・・。

当時、江戸では外国との交易がうまく進んでいないようだった。

まあ、それは貨幣市場が安定すれば、交易が盛んになるだろうと思った。

ああ。

そうだ。

多くの人間が住む江戸で、何故『品物が尽きないのか』と言う理由を、沼津(ぬまづ)(静岡)で知る事が出来た」

「どういった理由ですか?」

「道中の馬子(まご)(馬を引いて人や荷物を運ぶ人)から聞いた話だが、甲府(こうふ)(山梨)や駿河(するが)(静岡)から紙や煙草、炭、材木、他藩からも様々な物資が江戸へ送られているからだそうだ。

色々な場所から多くのものが江戸に入って来るから、江戸では品物が尽きない。

ただ、それらも限りがあるだろうから、それを続ける為に、これからは資源や技術を絶やさないようにする必要があるだろう」

「へえ・・・。

他では、何を学ばれたのですか?」

「大名達は『参勤交代(さんきんこうたい)』の際、歩くのに容易な中山道(なかせんどう)を通っていた。

だから、『川止め(川が氾濫した時に、川を渡る事を制限する事)』になる東海道(とうかいどう)の街道筋は寂れていた。

しっかり(まつりごと)を行う者がいれば、町も道も立派になるのだろうにな・・・と思ったな」

「東海道の街を整備する人がいれば、町も活気が溢れるかもしれないと言う事ですね・・・」

「ああ・・。

ただ・・・名古屋は、とても繁盛していたな。

大丸(だいまる)』などの大店(おおだな)木綿(もめん)を扱う店が数多く、まるで江戸のように賑わっていた。

一方、()藩(三重)は儲けばかりを考え、領民の心が離れつつあった」

「津藩では、どのような事がなされていたのですか?」

「地方から来た庄屋が言っていた話だが、津藩は酒や荏胡麻(えごま)菜種油(なたねあぶら))などの品物の取り扱い役所を藩内に作ってそれらを売っていたそうだが、其処で購入すると町中で購入するよりも高額なのだそうだ。

藩や役所が一緒になって、儲けを競い合っていると言う話だった。

町中で購入出来れば良いが、出来なかったそうだ。

だから、仕方なく役所で購入しなければならないと言っていた」

「藩で、そんな事を・・・」

「ああ・・・。

悲しい事だ・・・。

力を持つものが、正しく力を使わなければならぬのに・・・。

ああ。

それと、その庄屋は津の百姓達に米の代金を支払いに来たと言っていた。

だが津藩では米の代金の支払いを、(ぎん)ではなく(きん)にしていた。

だから庄屋は、持っていた銀札(ぎんさつ)(藩が発行する銀貨代用紙幣)を金に替える必要があった。

銀札を銀と交換して銀で米の支払をすれば良いのに、わざわざ金に交換させられたのだ。

しかも何かしら理由を付けて、役所は両替をなかなかしなかった。

全く、理解が出来ない。

銀札が何時でも正貨に替えられなければ、藩の信用は落ちる。

このような改革は、人心が離れる。

津では儲けだけを考えるのではなく、貨幣経済の安定化と民を思いやる改革が必要だと思った」

「藩さえ潤えば良いと言う事では、無いのですね・・・。

民も潤わなければ、意味が無いと言う事ですね・・・。

民が幸せになる改革を、考えなければならないのですね・・・。

つまり、『経世済民(けいせいさいみん)(世の中を良く治めて、人々を苦しみから救う)』と言う事ですね・・・」

「そうだ。

ただ、民の事を考える為には、()()()()()()()()()()()()()()

「民の事を知る・・・」

「そうだ。

京都の三条(さんじょう)で、俺は『枡屋(ますや)』と言う宿に泊まった。

『枡屋』には大店の娘とその娘の安全を守る為に付き添って来た者、籠担(かごかつ)ぎの者達全部で三十人程が泊まっていた。

その連中は博打(ばくち)を始めたり大声で話したり騒いだりと、俺は落ち着いて寝る事が出来なかった。

だが、そう言った連中の話は武士である俺にはなかなか聞く事も出来ないから、一体どんな世間話をし、情報を交換するのか興味があって、ずっと聞き耳を立てていた。

眠くはあったが、民の本音を聞く良い機会だと思った。

やはり実際に聞かなければ、何も知る事も気付く事も出来ない事を改めて悟った」

「確かに、きっと領民の方々は私達を恐れて、本当の気持ちや真実を言おうとしないかもしれませんね・・・」


私は、作助(さくすけ)さんの事を思い浮かべた。

作助さんは私達に、()()()()()()()()()()()()があると思っているから・・・。


継兄さんは、悲しそうに呟いた。

「どんな人間でも、自由に自分の意見を言える時代が来れば良いのだ・・・」

私は、そう呟く継兄さんを見て思った。

『継兄さんも、もしかしたら作助さんの事を思い出したのかもしれない・・・』

と。

私は作助さんの事を思いつつ、継兄さんに質問した。

「京都では・・・何を学ばれたのですか?」

すると、継兄さんは少し明るい顔をして答えた。

「京都では多くの名所を見学したが、それよりも興味深かったのは『物流の流れ』だった」

「『物流の流れ』?」

「そうだ。

蝦夷地(えぞち)(北海道)の海産物は、長岡(新潟港)を経由して京都へ運ばれる。

俺は生産者から消費者に品物がどのように渡るのか、お互いの生活状況はどうなのかを知りたかった」

それを聞き、私は京都の項目へと読み進めてみた。

「?

継兄さん。

京都の事は、あまり書かれていませんが・・・」

「此処に書かれている」

と言って、継兄さんは人差し指で自分の頭を指した。

「後で、それを実践するさ」

「ふーん」

『本当に出来るのかな・・・』

と思いつつ、私は少し頁を進めた。

すると生瀬(なまぜ)(兵庫)の項で、ある文字に気付いた。


不心切(ふしんせつ)


不親切(ふしんせつ)』では、ないのかな・・・?

私は、継兄さんに間違いを指摘した。

「継兄さん。

この文字、誤字ですよ」

「どれだ・・・?」

私が指差す文字を見る為、継兄さんは私の手の中にある『塵壺』を覗き込んだ。

「『心』ではなく、『親』ではないのですか?」

「ああ。

これは、わざとだ」

「わざと?

どうしてですか?」

「『心が無い態度』だと、思ったからだ。

生瀬で泊まった宿屋は、常連客以外の一元客(いちげんきゃく)をぞんざいに扱っていた。

しかし、客は客だ。

平等に接しなければならぬ。

人を差別する態度に頭に来て、こう書いたのだ。

()()()

と」

継兄さんは当時の事を思い出したようで、少し怒っているようだった。

その姿を見て、私はしみじみと言った。

「旅って・・・楽しい事ばかりではないのですね・・・。

不快になる事も、あるのですね・・・」

「まあ・・・。

そうだが。

それ以上に楽しい事があるのが、旅だ。

たとえば・・・兵庫。

兵庫では、有馬温泉(ありまおんせん)に入った。

『天下の有馬』と言われるだけあって、本当に名湯だった。

旅に出れば、色々な温泉に入る事も出来る」

「温泉・・・。

確かに、温泉にはそれぞれ効能が有ると聞きます。

長岡の『蓬平温泉(よもぎひらおんせん)』とは違う効能が、温泉毎に有るのでしょうね・・・。

行ってみたいです」

「おお。

今度、連れて行ってやろうか?」

私は、直ぐに答えた。

「継兄さんとは、絶対に嫌です!!」

「そんなに、思い切り拒否しなくとも良いではないか・・・。

まあ・・・。

良い・・・。

その後、俺は有馬の宿を発ち、六甲山(ろっこうさん)を目指した。

途中、水車を沢山見た。

山からの水は勢いが良く、その水を受けた水車は良く回り、その動力で酒米(さかまい)を精米していた。

また、山の水を酒造りにも使っていた。

無駄なく効率的に、自然の力やその地域の特色をうまく利用していた。

地の利を活かした産業がそれぞれの土地に一番適しており、その土地独自の産物は貿易の上でも強みになる。

俺はこのそれぞれの土地の独自性を活かせば、外国に対しても優位に貿易を進める事が出来ると確信した」

「その土地ならではの技術や生産物は、他では真似しようがありませんからね。

その土地独自のものを生産すれば、日本だけでなく外国もそれを購入したいと考えると思います。

この独自性は、その土地に住む人々の財産でもあるのですね・・・。

財産を守る為に、財産を活かしているようですね・・・」

「なかなか、うまい事を言うな・・・」

継兄さんは、にやりと笑って言った。

継兄さんは、続けた。

赤穂(あこう)では、赤穂義士(あこうぎし)達を思い出した。

俺も、彼らのように忠義と勇気を持って主君に仕えたいと思ったな・・・。

その後、俺は備中へ行き、山田方谷先生の許へ行った。

ただ先生に会う前に、俺は松山藩の改革について少し調べた。

以前、松山藩では偽札が出回った為に、藩札の信用をなくしてしまっていた。

しかし先生がそれら旧藩札を全て皆の前で焼却し、新しく藩札を発行して藩札の信用を取り戻した。

今では松山藩の藩札は、最も信用のある藩札となった。

貨幣のあり方を、考え直すきっかけとなった。

また先生の自宅に伺う途中、新しく開墾(かいこん)された土地が見えた。

これも、先生の改革の一つだった。

流石、先生だ。

『松山まで来た甲斐があった』

と思った。

そして、俺はいよいよ先生にお会いした。

俺は

『長岡藩の藩政改革について、その為の改革の理論や手法を学びたい』

『門弟にしてもらいたい』

と先生に伝えた。

そして、先生は快く受け入れて下さった。

俺はそれから二ヶ月の間、先生の下で学ぶ事になった。

『封建社会の中で藩に使われないような者は、値打ちの無い人間であると言う事』

『開墾地を作る事を、義務づける施策を行う事』

『遠隔の土地の開墾を下級武士に任せれば、禄の少ない下級武士の救済にもなり、領地防衛の為にもなると言う事』

『改革を行う者は、人とは違う素養や能力を持つ者、品位が備わっている者、素晴らしい人格の持ち主が適していると言う事』

ああ。

そうだ。

先生は松山藩が大坂に持っていた米倉屋敷を引き払い、藩内に移し替えたとも言っておられた」

「何故、大坂の米蔵屋敷を引き払ったのですか?」

「大坂に納めた藩の米を金に換える時、松山藩は大坂商人にそれを一任していた。

それでは大坂商人を肥やすだけになってしまうので、藩が直接米を管理し、売る事にした。

秋田米や庄内(しょうない)米は値段が安く、これらを買い付けて値段の高いところへ売れば利益に繋がる。

また商人の仲介をなくし、直接売り払えば更に利益が出る」

「つまり

『仲介手数料をなくして、安いものを直接自分達で仕入れて、直接自分達で高く売って利益を出す』

と言う事ですね」

「ああ。

そうだ。

ただ、先生が本当に教えたかった事は他にある」

「他・・・それは何ですか?」

誠心(せいしん)だ」

「誠心?」

「藩政改革が本当に心のこもった改革ならば、どんな事をやったかと、あれこれ説明する必要は無いと言う事だと」

「心をこめて政を行う事が、大事と言う事ですね・・・」

「そうだ。

だが、たとえ誠心のある改革でも、先生は十五年の歳月が必要だとも言っておられた」

「十五年?

随分と、時間が掛かるのですね・・・」

「古い考えや慣習を変える事は、難しい事だ。

必ず反感を買う。

納得のいく改革を、根気よく進めなければならない。

急いで改革を行ってはいけない、と。

それは、俺も十分理解している。

少しずつ時間を掛けて、改革は行うべきだと。

しかし、それが出来るのは平和な時代においてだけだ。

今は、そんな悠長な事は言っていられない。

改革は今直ぐにでも、やらなければならない!」

私は小林虎三郎(こばやしとらさぶろう)様の言葉を思い出し、継兄さんに伝えた。

「以前、小林様が継兄さんの藩政改革についておっしゃっていました。

『我が藩には、確かに早急に改革が必要だ!

あいつの言う事も、やろうとしている事も理解出来る!

あいつのやる事は、全てが強引過ぎる!

強引過ぎれば、人は反発する!

物事には、順序と言うものがある!

それを飛び越えてやれば、拒絶されるに決まっている!』

と」

「虎三郎が・・・」

継兄さんは少し考え込み、下を見つめた。

私は、継兄さんに聞いた。

「山田様や小林様がおっしゃられたように、急いで改革をする必要が本当にあるのでしょうか?」

継兄さんは下を見つめながら、確信を持って言った。

「・・・俺は、必要だと考える。

何としても、直ぐにでも、改革は進めるべきだ!!」

継兄さんは、そう言い切った。

私はその言葉を聞き、継兄さんはこの先も改革を進めるつもりなのだと思った。

継兄さんは、顔を上げた。

その顔は何か吹っ切れた、清々しい顔だった。

継兄さんは、話を続けた。

「先生から様々な事を学び、先生も江戸へ旅立たれる事になったので、俺は更に西へ向かう事にした。

讃岐(さぬき)(香川)、阿波(あわ)(徳島)、鞆津(ともつ)(広島)、安芸(あき)(広島)、宮島(みやじま)(広島)、そして長州(ちょうしゅう)(山口)。

俺は、いずれの土地でも河川や道を注意深く観察していた」

「河川や道?

何故ですか?」

「河川はその土地の生活の中での位置付けを確かめ、其処から政が正しく行われているかを判断する為だ。

また道は道幅や石ころの程度、切通(きりどお)し(山などを切り開いた道)かどうか、平坦な道であるかなどを見ていた。

ただ単に歩くのではなく、長岡で活かせる事を観察しながら歩いた」

「実際に見るだけではなく、見る姿勢も大切なのですね・・・。

注意して見る事によって、『見えなかったもの』や『気付かなかった事』を知る事が出来ますしね・・・。

『同じもの』でも、色々な見方や捉え方も出来ますし・・・」

私は、川島億次郎(かわしまおくじろう)様の言葉を思い出しながら言った。

継兄さんも、同意したように言った。

「ああ。

見る姿勢や立場によって、ものの見方は変わるからな」

「はい。

あ・・・。

それで、その後は?」

「その後、俺は船に乗って九州へ渡った。

肥前(ひぜん)(佐賀)では、『反射炉(はんしゃろ)』を見た」

「『はんしゃろ』?」

「『反射炉』とは、鉄などの金属を溶かす炉の事だ。

高さは八、九(けん)(約14メートル)で、炉は煉瓦積(れんがづ)みだった。

いやあ・・・。

圧巻だった・・・。

幸運な事に、その『反射炉』で拵えた大砲も見る事が出来た。

三十六ポンド(約16キロ)と二十四ポンド(約11キロ)の大砲が七(ちょう)あり、本当に見事であった・・・」

「『ポンド』・・・?」

「ああ・・・。

『ポンド』とは、発射する弾の重さの事だ。

一ポンドは、一(きん)(約0.6キロ)より少し軽い位のお重さだ」

「『ポンド』とは、重さの単位の事なのですね・・・。

つまり五十ポンドや六十ポンドの大砲は、それだけ重く、大きく、破壊力があると言う事ですね・・・」

「ああ。

だが、大きければ良いと言う訳でもない。

弾が大きくて重ければ、飛距離が上がらない。

また弾に応じて大砲も大きくしなければならないから、扱い辛くなる。

海戦では、使えない。

『過ぎたるは(なお)及ばざるが(ごと)し』

と言う事だ」

「へえ・・・。

大砲も、程々が良いのですね・・・」

私は継兄さんの話を聞きながら、肥前の項まで頁を進めた。

そして、また気になる文字を見つけた。


『無刀にて』


無刀・・・?


無刀とは、武士の魂である刀を差さなかったと言う事だろうか?

私は、継兄さんに無刀の真意を聞いた。

「継兄さん。

此処に、『無刀にて』と書かれていますが・・・」

継兄さんは何かを思い出したように、少し照れながら答えた。

「ああ・・・。

あまりにも大砲が珍しく、興奮し過ぎて刀を持たずに大砲に付き従って歩いていたものだから、役人が不審に思ったのだろう・・・。

役人に、

『何者か!?』

と尋ねられた。

無刀の武士らしき人間が、大砲に付いて歩くなんて不気味だったのだろう・・・。

大砲を見るのにあまりにも夢中になり過ぎて、俺は子供のようにはしゃいでしまっていた。

いや・・・。

(かえ)(がえ)すも、恥ずかしい・・・」

そう言って、継兄さんは恥ずかしそうに頭を掻いた。

でも、そんな継兄さんを私は

『継兄さんらしい』

と思った。


日記をパラパラめくると、時々ある文字が目に入った。

「継兄さん。

日記には、所々『墓参り』と言う文字が書かれていますが?」

「ああ。

そう言えば、俺は旅行中に良く『墓参り』をした。

桶狭間(おけはざま)の戦い』で織田信長(おだのぶなが)に敗れた今川義元(いまがわよしもと)源義経(みなもとのよしつね)を援護した佐藤継信(さとうつぐのぶ)忠信(ただのぶ)兄弟、南朝(なんちょう)側につき『湊川(みなとがわ)の戦い』で足利尊氏(あしかがたかうじ)に敗れた楠正成(くすのきまさしげ)

いずれも名を馳せた人物ばかりだが、死後、寂れた所に墓を建てられたり、その後(かえり)みられなかったりしていた。

俺はそれを見て、『栄枯盛衰(えいこせいすい)』や『無常(むじょう)』『世の(はかな)さ』を考えさせられた・・・」

継兄さんは少し苦しそうに、そして何処か自嘲(じちょう)的に笑みを浮かべながら言った。

そして継兄さんは一点を見つめながら、何かを考えていた。

しばらくして継兄さんは私が持つ『塵壷』に目を向け、微笑みながら話を続けた。

「俺は遊学で本当に沢山の事を学び、自分を見つめ直し、自分のやるべき事を整理する事が出来たと思う。

やはり遊学をして良かったと、心から思う・・・」

満足そうな継兄さんは、とても幸せそうだった。

継兄さんはそう言いながら、何かを思い出した。

「ああ。

そう言えば、旅の途中では良く会津(あいづ)藩士の秋月悌次郎(あきづきていじろう)殿に会ったな・・・」

「秋月様・・・?

その秋月様と言う方も、遊学されていらしたのですか?」

「秋月殿は、藩の命令で西国各藩を歴訪していたらしい。

秋月殿は生真面目な人間で、俺の『ほら話』も信じ込んでしまった」

「それは、継兄さんが悪いと思います」

「ああ。

そうだな。

はははははは」

と言って、継兄さんは豪快に笑った。

笑った後、継兄さんはいきなり真面目な顔になって話を進めた。

「長崎で秋月殿に会った時、武士の『生き方』や『死に方』について語り合った事があった」

「武士の『生き方』と『死に方』・・・」

「何時何処で死ぬか分からない武士は、常に『生き方』と『死に方』を考えなければならない。

方谷先生の言う通り、藩に使われなければ何の価値も無い人間と言うのなら、秋月殿のように藩命に従って生きている事は価値があると言う事になる。

しかし、それは(あやつ)り人形と同じではないか?

俺は、秋月殿に言った。

『言われた通りに動くのではなく、その中に自分の思想や理念、信念を持って、『何の為に』、『誰の為に』命を尽くすべきなのかを心に置きながら行動する事が、武士としての生き方ではないか』

と。

秋月殿は実直で藩主への忠義が厚い分、藩の枠から出る事は少々難しい人物だった。

だから俺の話がどれ程通じたかは分からないが、言わずにはいられなかった・・・」

継兄さんは私の手の中にある『塵壷』に再び目を落とし、続けた。

「俺の遊学も終わりに近づき、『観光丸(かんこうまる)』と言う名の、幕府がオランダから献上された船が長崎にあったので、俺はその船に乗って帰りたいと思った。

秋月殿が紹介してくれた幕府船の艦長であった矢田堀(やたぼり)殿に、その事を伝えた。

『観光丸』には二十四ポンドの『カノン砲』が装備され、その左右には『カルロンナーデ砲』が二挺、『タライッパツ砲』が二挺あった。

それを見て、俺は興奮した。

是非、これに乗って帰りたいと思った。

が、思いは遂げられなかった。

乗船出来なかった事は残念だが、矢田堀殿は俺が船に乗れるよう大変な努力をしてくれた。

絶対に、矢田堀殿への感謝の心は忘れまいと思った。

その後『観光丸』は出発してしまい、俺と秋月殿はそのまましばらく長崎に留まった」

「直ぐに帰らず?

長崎は、そんなに面白かったのですか?」

「ああ。

長崎はオランダの船が行き来していたから、まるで外国のようだった。

そのせいだけではないだろうが、長崎では貨幣価値がバラバラだった。

一分銀(いちぶぎん)の一枚が二分や三分の価値になったりと、その場その場で勝手に価値が変わってしまっていた。

等価交換(とうかこうかん)』が、出来なかったのだ」

「『とうかこうかん』?」

「例えば、(くし)を客が買い求めたとする。

その櫛は、一分銀の価値である。

一分銀でその櫛を買えば、それは『等価交換』である。

だが、もし売り手が櫛を三分で売れば、それは『不等価交換(ふとうかこうかん)』となる」

「それは、詐欺ではないのですか?」

「ああ。

そうだ。

しかし、それがまかり通っていた。

こんな事が起こるのは、貨幣の価値が統一されていなかったせいだ。

これでは、『貨幣経済』は成り立たない。

これは、長崎だけの話ではない。

日本全体の『貨幣経済』を、根本から見直す必要がある」

「日本全体の『貨幣経済』・・・」

「津藩でもそうであったが、ころころ価値が変われば信用を失う」

「ああ・・・。

なるほど・・・」

私は貨幣の価値を統一するのは、きっと大変なのだろうな・・・と思った。

津藩でさえそうなのだから、日本全体を変える事は容易ではないと思った。

継兄さんは、続けた。

「秋月殿と長崎で別れる事になり、出発当日、秋月殿はわざわざ俺を見送りに来てくれた。

世話になったのはこちらの方なのに、秋月殿は別れに一献と言う事で酒一合、卵二つを用意してくれた。

その心遣いが、たまらなく嬉しかった。

優しいお人だ・・・。

秋月殿に限らず、会津藩士は生真面目で誠実な人達が多い。

その気質は愛すべきものであり、信頼出来る人物である証だが、却ってそれが(あだ)にならなければ良いのだがとも思った・・・」

確かに私も、兄上のお知り合いの松江久兵衛(まつえきゅうべえ)様の事をそう思った。

私は、不安になった。

会津藩士の生真面目さと誠実さが・・・。

継兄さんは心配しつつも、話を続けた

「秋月殿と別れ、船に乗って肥後(ひご)(熊本)へ行こうと思ったら、台風にあって思うように行けなかった。

自然に抗う事は出来ないから、下手に動く事はやめ、船の上で兎に角寝る事にした。

船酔いも、酷かったしな・・・。

だが横になったら船酔いも少し良くなり、色々な事を考える事が出来るようになった。


『何かを成そうとする時、行おうとする『大義名分(たいぎめいぶん)』や、やらなければならないと言う確固とした理由があれば、暴風雨など大した事ではない』


『どんな事があっても、成し遂げようとする精神や信念があれば、それに打ち勝つ事が出来る』


艱難辛苦(かんなんしんく)を乗り越える心構え、気力、精神によって、状況に違いが出る』


『全て、その人物の気持ち次第だ』


『人間、死んだ気持ちで事に望めば出来ない事など無い』


そう考えていたら、力がどんどん沸き上がって来た。

やるべき事が、しっかりと見えて来た。

その後、船頭のおかげもあって、俺は無事に肥後に着く事が出来た。

肥後では加藤清正(かとうきよまさ)公が治めていたせいか、少し古風ではあったが、何処となく大国の風格が備わっていた。

道も立派で、蝋燭(ろうそく)の原料である(はぜ)の木が沢山植えられていた。

実りも多く、良い政が行われているのだろうと思った。

その時、俺は伊達政宗(だてまさむね)公の治めた仙台藩を思い出した。

仙台も、良い国であった・・・」

「良い政は、良い藩主や正しい政を行う人によって行われると言う事ですね・・・。

そして実際に見なければ、本当の国の豊かさを知る事も出来ないのですね・・・」

「そうだな。

先程言った

『百聞は一見に如かず』

だ」

「はい」

継兄さんは、満足そうな顔をして続けた。

「肥後を経て、筑後(ちくご)(福岡県南部)、筑前(ちくぜん)(福岡県北西部)へ行き、小倉(こくら)で船に乗って江戸へ戻った。

俺は六ヶ月の旅を終えて、今の長岡藩にとって急務なのは『財政再建』だと思った。

幕府や藩は、農民の作る米によって支えられている。

だが、年貢米は天候状況によって左右される。

一定の収穫を上げる事が出来なければ、幕府も藩も困窮する。

ただ、藩が財政難に陥った理由はそれだけではない。

藩の財政運営は、見込みや当て込みで進められていた。

藩は年貢米が()()()()()()()()()と言う予想から藩札を乱発し、民から金を集めた。

しかし実際には年貢米が思っていた以上に入らず、結局、藩札による借金は返せず、益々貧窮する羽目になった。

返済が滞れば先送りし、それを繰り返してまた借金が増える。

挙げ句の果てには、藩は借金を踏み倒すなどした。

それは、『貨幣経済』ではあってはならない事だ」

「では、どうすべきなのでしょうか?」

「『()るを図って、()づるを制する』

だ。

つまり、『歳入(さいにゅう)』を増やし、『歳出(さいしゅつ)』を減らすのだ」

「確かに稼いだお金をあまり使わなければお金は貯まるでしょうが、そんな簡単に出来るのでしょうか?」

「簡単・・・では無いだろうな。

だが、

()()()

ではない。

『歳入』を増やす努力が、必要となる。

その為には、先ず米を活用する。

方谷先生がなされたように、民だけでなく武士にも米を作らせ、収穫した米を高い地域で売る。

そうすれば、『歳入』を増やす事が出来る。

それと、『殖産興業(しょくさんこうぎょう)』。

農産物や生産量など長岡の現状を把握し、特産品を作る環境を整え、作り、実際に売り、安定して需給出来るようにする。

そうすれば、藩の財政は潤う。

今から約五十年前、貧窮の米沢(よねざわ)藩を立て直された上杉鷹山(うえすぎようざん)公が五加木(うこぎ)垣根(かきね)や米沢織りを奨励されたように」

「五加木の垣根は確か・・・五加木を育てて飢饉による人口減少や貧窮を防ごうとしたのですよね・・・。

五加木の葉は苦みがあるけれど食べる事も出来、根の皮は滋養強壮(じようきょうそう)にも良いからと・・・。

そうして基盤を整えながら、米沢織を広めた・・・。

以前、私は幼馴染に米沢織を見せてもらった事があります。

紅色や藍色など、とても美しい織物でした。

確か小千谷(おぢや)(新潟)から鷹山公が職人を招き、武士の婦女子に製織業を学ばせたと聞いた事があります。

ああ・・・。

そうか・・・。

それこそが、『殖産興業』なのですね・・・」

「そうだ。

『殖産興業』をして『歳入』を増やし、あとは『歳出』を減らす為に無駄をなくす。

藩士の禄高を減らすなど、減らせるものは減らす。

ただ民に負担を負わせる事だけは、絶対にしてはならぬ事だ。

今まで我ら武士が何とか生きてこられたのは、民が度重なる搾取にも耐え、一生懸命に米を作ってきてくれたからだ。

我々は、民に支えられている。

だから、我々が彼らを守らなければならないのだ。

民が平穏で無事に暮らす為に、今度は我々武士が痛みを負わなければならない」


私は継兄さんの言葉で、考えさせられた。

どうやって私達武家の人間が不自由なく(とは言わないまでも)、食べるものにもそれほど困らず(家格によってだろうが)生きてこられたか、真剣に考えた事はなかった。

お金を稼ぐ事を、武士は『汚らわしい』と考える。

でも、お金がなければ生きていく事は出来ない。

食べ物も物も、お金がなければ買う事が出来ない。

お金は、自然に湧き出て来ない。

働かなければ、お金を得る事は出来ない。

働く?

私達は、働いているのだろうか?

少なくとも私は、剣術の修行や本を読んだりするだけで、お金を稼いだ事なんて無い。

寧ろ、お金を遣っている。

父上は『祐筆(ゆうひつ)』として藩で働いて、藩からお金を頂いている。

働いてはいるけれども、民のように泥だらけになって働いている訳ではない。

藩のお金の源となる米を作っているのは、民達だ。

でも今まで私達武家の人間は民に、心から感謝した事があっただろうか?

多くの藩では財政難に陥りそうな時、民から年貢米を搾取する方法をとってきた。


『自分達は民の為に、良い政を行う為に働いている。

それが、武士の役割だ。

民の役割は、米を作る事だ。

だから財政を維持する為には民は米を納め、たとえ辛くとも自分達を犠牲にすべきだ』


そう私達武家の人間は、考えてきたのではないだろうか?

武士にとってお金を生み出す米を民から搾取する事は、自分達の痛みを伴わず、手っ取り早く財政を建て直す最善の方法だった。

今までは、それで何とか維持する事は出来た。

でも、そのやり方にはきっと限界があり、問題があり、無理があったに違いない。

だから今、継ぎ接ぎだらけの綻びが目立ち始めてきたのだ。

汗水垂らして一生懸命米を作って来た民達がいたからこそ、今まで私達が生きる事が出来たのならば、今度は私達が民の為に耐えなければならない。

民を、守らなければならない。

継兄さんは、それを私に伝えたいのだと思った。


継兄さんは私の手の中にある『塵壷』を閉じ、私の目をじっと見ながら言った。

「これから俺達は藩ではなく、日本全体の事を考えなければならない」

「日本全体の事を考える・・・」

「そうだ。

いつか藩はなくなり、日本は一つになる」

「藩が、なくなる?

日本が、一つになる?」

「そうだ。

それぞれの藩が争っていては、列強に対抗出来ない。

遅かれ早かれ、全ての藩は気付く。

『日本は、一つにならなければならない』

と。

『我々日本人は、皆で協力しなければならない』

と。

『日本を、皆で守らなければならない』

と」

私は、少し頭が混乱していた。

藩が無くなるなんて、想像もしていなかった。

それでも、何とか継兄さんに聞いた。

「日本を守る為に、一体私達は何をすべきなのですか?」

「先ず、国を潤すのだ」

「国を、潤す?

どうやって?」

「先程言った『殖産興業』を広め、生産した品物を国内だけでなく、外国へ輸出するのだ。

日本が真に潤う為には、外国との貿易が必要不可欠だ。

貿易は、お互いに産出出来ないものを融通し合う為にある。

また、相互に物資を均等に交換して国内の『需要(じゅよう)』と『供給(きょうきゅう)』の均衡を保つと言う役割もある。

そして、輸出による収入を得ると言う利点もある。

だが以前俺が長崎へ行った時、長崎では外国からの輸入は多いが、日本からの輸出は乏しかった。

それでは支出のみが増えて、国は儲ける事が出来ない。

その当時、日本の金貨も大量に外国に流出してしまっていた。

『このままでは、国が破綻してしまう』

俺は、そう思った」

「日本にお金が足りなくなれば、日本がお金を作れば良いのではありませんか?

小判(こばん)などを・・・」

「大量に金貨を作れば世の中に金貨があふれ、金貨の価値が下がり、物価が上がる。

(もん)(約35円)で買えた物が、一(りょう)(約10万円)になる可能性もある。

『もの』と金の均衡は、保たねばならない」

「では、どうすれば良いのですか?」

「収入を、増やす。

先程も言ったが、日本から日本独自のものを外国へ輸出するのだ。

そうすれば、利益を得る事が出来る。

利益は、力になる。

力を持っていれば、外国は日本を攻めて来ない。

無用の(いくさ)をしなくて済む。

また万が一、外国が攻めて来たとしても、力があればそれらに対抗する事が出来る」

「利益が力に・・・。

戦をしなくて済む・・・。

でも日本は、そんなに利益を得る事が出来ますか?」

「大丈夫だ。

横浜の塗物や加賀(かが)の漆など、日本には誇るべき技術や製品、産出品、そして人がいる。

絶対に、外国製品に負ける事はない。

良いものは、高くても必ず売れる」

継兄さんは自分の使っている筆を手に取り、優しく眺めながら続けた。

「普段使う些細なものにも、使い手への心遣いや真心、美しさが感じられる。

日本の『もの』は、機能性と美しさを兼ね備えている。

それは、職人の思いやりや誇りがあるからだ。

これが、日本の誇る日本の技術と文化だ。

それを、もっと外国に広める必要がある。

俺は、外国に日本を知ってもらいたい。

知らしめたい!!」

私は継兄さんが持つ筆を見ながら、言った。

「私は、いつも使っている『もの』を、当然のように使っていました。

長持ちする事や使い易さは素晴らしいと思ってはいても、それは『当たり前の事』だと考えていました。

でも、それには多くの職人の技術や努力があったからこそなのですね・・・。

それこそが、日本の強みなのですね・・・。

私はその事を、職人の技術や努力を少し忘れていました・・・」

私は、職人である定吉(さだきち)さん達の事を思い浮かべながら言った。

そして、続けた。

「でも、お金を稼ぐ為には大量に品物を作り、売る事が一番なのではありませんか?

職人が一生懸命作った品物は、とても質が良いです。

質が良ければ、壊れ難いです。

品物が長持ちしたら、次に買ってもらうのに時間が空いてしまいます。

それでは、儲かる事は出来ません。

多少品質に問題があっても、品物を大量に安く売った方が、お金を稼ぐ為には良いのではありませんか?」

「品物によっては大量に作る事の方が効率も良いし、必要な時もあるだろう。

しかし、日本はそれを行ってはならない。

大量に品物を作れば、その分品物は粗悪になる。

職人が一つ一つ丹誠を込めて品物を作るから良いものが出来、長持ちするのだ。

確かに、職人が作れる品物の量には限度がある。

大量には、作れない。

時間も掛かる。

しかし品質を落として大量に品物を作っても、大したものは作れはしない。

直ぐに壊れ、品物はいずれ信用されなくなる。

信用されない品物は、売れなくなる。

安さに引かれて始めは売れても、使いものにならなければ直ぐに捨てられ、二度と同じ品物は買われなくなる。

結局品物は売れなくなり、金も稼げなくなる。

折角作った品物も、無駄になる。

職人の努力も、無になる。

そもそも、大量生産は職人への冒涜でもある。

我々は皆で日本の技術と精神を大切にし、守り続けなければならない。

それが、最終的に日本を守るのだ。

何も資源の無い日本は、職人に支えられている。

職人は物の本質を熟知し、それを代々伝えてきた。

だから俺達には、その知識や知恵、経験を兼ね備えた職人を守る義務がある」

「長期的に先を見据えつつ、技術も職人も守り続けなければならない・・・。

日本は武士ではなく、職人達・・・。

いえ。

民達に、支え続けられていると言う事ですね・・・」

私は定吉さんや徳兵衛(とくべえ)さん達職人を、作助さんやはるちゃん、さよちゃん達の事を思い浮かべた。

私達日本人が、皆で皆をお互いが守らなければならないと思った。


黒船が来航して以来、本当に色々な事が変わった。

最初、私はその変化を

『恐ろしい』

と思っていた。

しかし、その気持ちは少し変わってきた。

『もしかしたら黒船来航は日本にとって()()で、()()()()()()()だったのではないか』

と、思うようになった。

そうでなければ、きっと日本は、私達は

『日本を守る為に、一つになるべきだ』

と思わなかったのかもしれない。


日本が先に進む為に、様々な事に気付く為に、黒船来航は『()()()()』だったのかもしれない・・・。


「ゆき」

継兄さんが、考え込む私の名を呼んだ。

私は、継兄さんの目を見た。

継兄さんは私の目を見つめながら、力強く言った。

「眼を開き、耳を開かなければ、何事も行われない。

自分の目と耳で真理を見極めれば、今まで見えてきたものとは違うものが見えてくる。

他人の言葉に、惑わされるな。

自分を信じろ。

様々な知識を得ろ。

辛い事も楽しい事も、沢山の経験をしろ。

経験し、知識を知恵に昇華するのだ。

そして、多くの人間に会え。

苦しみによる痛みを知れ。

それを乗り越えた時の喜びを知れ。

そうすれば、どんな事にも迅速に、正確に対応出来る。

『心眼』を開く事が出来る。

真実を見極める事が出来る。

多くのものを守る事も出来る。

自分を育てろ。

ゆき。

この事、忘れてはならないぞ」


継兄さんの眼はいつも以上に爛々と輝き、絶対の自信を持っていた。

沢山の経験をし、多くの事を見てきた継兄さんだから言える事。

私は、その信念を信じる事が出来ると思った。

だから、迷いはなかった。

自分も、そうなりたいと思った。

私は継兄さんの目に応える様に、真っ直ぐに継兄さんの目を見た。

そして、決意の如く言った。


「はい!!」


私は、自信を持って返事をした。

その時、手に一冊の本が触れた。


『かさ・・・』


『塵壷』と継兄さんの話に夢中で、その本が側にあった事に気付かなかった。

これも、日記だろうか?

表紙が下にあって、題名が分からない。

その本は、手の平に入る位の大きさの本だった。

私は、その本を持ち上げた。

「継兄さん。

これも、日記ですか?」

「あ!!

それは駄目だ!!!」

と、言われると見たくなる。

私は継兄さんの制止を無視して、その本を裏返した。


吉原細見(よしわらさいけん)


「『吉原細見』?

『吉原』って・・・もしかしてこの本は、『吉原遊郭(よしわらゆうかく)』の娼妓(しょうぎ)を紹介した本・・・ですか・・・?」

「何で、おみしゃん知っている?」

「以前、『(ます)屋』のむつ子さんに『吉原遊郭』について聞いた事があります」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


『吉原遊郭』とは江戸幕府によって公認された遊郭で、大坂には『新町(しんまち)遊郭』、京都には『島原(しまばら)遊郭』と言う遊郭があり、江戸と合わせて『三大遊郭』と呼ばれていた。

遊郭とは、男性の相手をする『遊女屋(ゆうじょや)』を集めて周囲を塀などで囲った所である。

ただ女性だけではなく、男性、特に美少年が相手をする遊郭も江戸時代には存在しており、それを『陰間茶屋(かげまぢゃや)』と言った。

衆道(しゅどう)』や『男色(だんしょく)』は、戦国の世でもあった文化。

特に薩摩(さつま)藩では門外府出の流儀である『示現流(じげんりゅう)』を守る為、また他藩との交流や女との交わりが卑しい事と考えられていた為、特に『衆道』が盛んだった。

外国では宗教の関係で男性同士の交わりはなかなか難しいようで、そう言った意味では、日本は随分寛容で、大らかで、自由な文化を持っている国と言えるかもしれない。

因みに、明治の世では『神隠(かみかく)し(何の前触れもなく、失踪してしまう事)』が異常に多発した。

政権を握った沢山の薩摩藩士が東京へ来て、子供(美少年)をさらったからだと言う噂があった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


私は『吉原細見』を開き、中を見てみた。

「あれ?

娼妓の名前の上に、印がありますが?

これは、何ですか?」

「何でも良いだろう!!

早く返せ!!」

継兄さんは無理矢理私から『吉原細見』を奪い取ろうとしたけれど、私はそれをかわしつつ中身を詳しく見てみた。

本には、◎やら〇やら△やらの印が付いていた。

私はある事に気付き、継兄さんに聞いた。

「もしかして、これは遊女の善し悪しについての印ですか?」

継兄さんは、バツが悪そうに呟いた。

「・・・ああ」

「つまり、此処に書いてある遊女全てと遊んだと言う事ですか?」

「・・・・・・・・・ああ」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「黙るな!

半目で俺を見るな!

良いか!

ゆき!

婦人におぼれると言う事は、寧ろ『英雄豪傑(えいゆうごうけつ)』であると言う証拠だぞ!!

英雄の気質を持っている者ほど、女には気を付けなければならん!!」

継兄さんは、狼狽しながら言った。

私は、沈黙を続けた。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「お・・・俺は、『吉原』の『稲本楼(いなもとろう)』でお稲と言う名の遊女に出会った!

お稲は剛胆で、度胸のある女だった!

何度か通ったある日、『稲本楼』が火事に遭った!

俺は、お稲の許へ駆けつけた!

その時、お稲は俺に金銀類を預けた!

何処の誰だか分からぬ者に預ければ、持ち逃げされる事もあるだろうにと思い、火事の後、お稲に尋ねてみた!

『何故、俺に金を預けたのか?』

と!

お稲は、こう言った!

『持ち逃げするようなお方には、お頼みせぬ』

と!

この一言で、俺はお稲に夢中になった!」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「俺は男以上に豪傑な女性に出会い、本当の英雄とは何かを知った!

英雄ほど、娼妓に溺れるものだ!!」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「だ、だから、この本は、俺がそれを悟る為の軌跡とも言える!!!」


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


    「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


          「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


「・・・・・・・・・・・・・・・」


                「・・・・・・・・・・・・・・・」


「・・・・・・・・・・」

                        「・・・・・・・・・・」


「・・・・・」

                               「・・・・・」


ずっと黙ったままの私に対してこれ以上継兄さんも言い訳出来ず、とうとう沈黙した。

痛い程の言い訳に、私は少しずつ後ずさって、継兄さんとの距離を広めていった。


継兄さんは、どんどん小さくなっていった。


継兄さんの女好きは、絶対に直らないと思った。


そして、この弱みをいつか利用しようと心に決めた。

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