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むつの花  作者: 野口 ゆき
32/77

三つの花 『八.幽霊』

慶応(けいおう)二年(1866年) 葉月(はづき)(8月)


この日、私と團一郎(だんいちろう)はお城のお堀に咲く蓮の花を見に行った。

昨日、私達二人は、きよから蓮についてこんな話を聞いたからだ。


蓮の花は、泥水の中から咲くのだと。

泥水が濃ければ濃いほど、美しく大きな花が咲くのだと。

泥水とは、人生で言うところの苦しみや悲しみの事であると。

お釈迦様が蓮の花の台座に座っているのは、これら人生の艱難辛苦(かんなんしんく)に耐える事によって、『人生の花』を咲かせる事が出来ると伝える為であると。

『人生の花』つまり悟りや幸福は、苦しみや悲しみの中から生まれて来るのだと。

たとえ辛くとも、耐えなければならないのだと。

それは、大きな花を咲かせる為に必要な事だからと。


その話を聞いて、私は少し蓮の花の見方が変わった気がした。

今までは、ただ

『蓮の花は綺麗だ』

と思っていただけだった。

しかし蓮の花には深い意味があり、蓮の花は美しく咲く事によって、私達にその生き方を教えてくれていたのだ。

美しい大輪の花を咲かせる蓮を見て、私達は思った。


『長岡のお城も多くの苦しみに耐えてきたから、この蓮のように力強く、凛と建っている事が出来るのだ』


『自分達も様々な困難に耐えれば、この蓮のように、長岡城のように、美しい花を咲かせる事が出来るのだ』


『辛い事から逃げずに立ち向かう事は、大輪の花を咲かせる為に必要な事なのだ』


私達は、きよと蓮の花、そして長岡城に教えられた。


歩きながらそう考えていると、一本だけ枯れている蓮の(つぼみ)があるのを見つけた。

其の蓮の周りには、沢山(たくさん)の大きな根が生えていた。

もしかしたら一生懸命『咲こう 咲こう』と思って根を過度(かど)に成長させた為に、土の中に酸素が入らなくなってしまって、根が酸素を沢山吸えなくなってしまったのかもしれない。

そして酸素をうまく自分の身に取り込めなくなった蓮の蕾は、息が出来なくなり枯れてしまったのだ。

一生懸命生きる事も大切だけれど、()()()()()()()()()()()()()()()()


そう思いながら私は團一郎と共にゆっくりとお城の周りを一周した後、仲良く二人で家に帰った。


私が玄関で下駄を脱いでいると、突然、團一郎が私の着物の袖を引っ張った。

そして、震える声で言った。

「姉上・・・。

此処を・・・見て下さい・・・」

私は、團一郎が恐る恐る指差す太い柱を見た。

團一郎は、怯えながら続けた。

「これ・・・女の顔に・・・見えま・・・せんか・・・?」

團一郎が指差す所には、黒い染みがあった。

私は、團一郎が言う女の顔らしき()みをじっと見てみた。

そう言われると、確かに長い髪を振り乱した女の顔のように見えない事もない・・・。

團一郎は、青白い顔をして続けた。

「確かに、此処には以前から染みがありました・・・。

しかし、このような形ではありませんでした・・・。

もしかして・・・幽・・・がこの柱に乗り移ったのでは・・・ありませんか・・・?」

團一郎は『幽霊』と言うのが怖かったのか、『幽・・・』で止めていた。

「まさか・・・」

と私は言いはしたものの、こちらを睨んでいるような目のようなものが怖くて、はっきり『違う』とは言えなかった。

最初に見た時は特に何とも思わなかったけれど、不思議な事に『女の幽霊』と言われた途端、そうとしか見えなくなってしまった。

團一郎が、ぶるぶる震えながら言った。

「『北越雪譜(ほくえつせっぷ)』に出て来る、『雪中(せっちゅう)の幽・・・』ではありませんか・・・?」

「『雪中の幽霊』・・・」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


『北越雪譜』とは、天保(てんぽう)八年(1837年)に鈴木牧之(すずきぼくし)によって江戸で出版された雪国に関する本である。


『初編』三巻、『二編』四巻の計七巻からなる。

『初編』では、

『雪の結晶』

『江戸と雪国の違い』

越後縮(えちごちぢみ)

秋山郷(あきやまごう)

越後奇習(えちごきしゅう)奇譚(きたん)

について。


『二編』では、

『越後各地』

『雪国の年中行事』

『雪国の一年(しかし、鈴木牧之の死によって夏以降の記載は無し)』

について。


『雪中の幽霊』とは、『北越雪譜初編 巻之下』に書かれている話である。


昔、越後に源教(げんきょう)と言う名の僧侶がいた。

源教はある冬の日、関山村(せきやまむら)にある魚野川(うおのがわ)に架かる橋の上である女性に出会った。

その女性は菊と言う名の、女の幽霊であった。

菊が言うには、

『夫と子を亡くし、私は一人になってしまいました。

一人では生きていけず、縁者を訪ねようとこの橋を渡りました。

しかし、途中で足を踏み外して溺死してしまいました。

成仏(じょうぶつ)したいのですが、髪の毛が邪魔をして成仏する事が出来ません。

どうか、この髪の毛を剃って頂けないでしょうか?』

と。

源教はその時剃刀を持っていなかったので、

『次の日の夜に、自分が住んでいる関谷(せきや)の庵に来るように』

と菊に言うと、菊は頷き消えた。

次の日の夜、菊は関谷の庵を訪ねて来た。

源教は、剃刀で菊の髪の毛を剃り始めた。

源教は剃った髪の毛を後々の証拠にしようと思って、剃り落とした菊の髪の毛を手に取ろうとした。

しかし剃り落とすと直ぐに、髪の毛は菊の懐にするすると入っていった。

やっとの事で、源教は菊の髪の毛を全て剃り終える事が出来た。

そして菊は手を合わせて、仏壇を拝みつつ消えていった。

菊が消えた後、源教は自分の手を見た。

その手の中には、僅かな髪の毛が残っていた。

源教はこの髪の毛を埋め、石塔を建てた。

この石塔は『関山の毛塚(けづか)』と言われ、今もぽつんと佇んでいる。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

團一郎にそう言われたせいか、私も背筋がぞくぞくして来た。

團一郎の恐怖が、私にも移ったようだった。

私も、ぶるぶる震えながら言った。

「『雪中の幽霊』は、もう成仏したはず・・・。

場所だって・・・違う・・・」

團一郎も、がくがく震えながら言った。

「実は、成仏していなかったとしたら・・・?

彷徨い続けて、この柱に取り憑いたとしたら・・・?」

「・・・」

「・・・」

私達は後ずさって柱と少し距離を置き、しばらく考えた。

しかし恐怖に怯える私達では、何の解決策も見つける事が出来なかった。

私は、兄上に助けを求める事が一番だと思った。

私は、小さな声で團一郎に提案した。

「・・・兄上に・・・聞いてみよう・・・」


私達二人は、少し足早に兄上の部屋へ向かった。

私達は兄上の部屋の前に着くと立ち止まり、深呼吸した。

そして、私は障子越しに小声で兄上に聞いた。

「兄上・・・。

起きて・・・いらっしゃいますか・・・?

入っても、宜しいですか・・・?」

すると、部屋の中から少し元気そうな兄上の声がした。

「ああ。

入っておいで」

私達は安堵の溜息をつき、急いで障子を開けた。

すると布団の上に座っている兄上の傍に、私達に背を向けた女の人が座っていた。

私達は一瞬身体が固まり、動けなくなった。

女の人が、振り返った。

その女の人は、うめ姉上だった。

私と團一郎は、ほっとして肩の力を抜いた。

しかし、新たな恐れが芽生えた。

私達は走って姉上に近づき、大声で聞いた。

「うめ姉上!?

どうして此処に!?

まさか・・・とうとう『離縁(りえん)』されたのですか!?」

すると、姉上はもの凄い形相で怒り出した。

まるで、母上が怒った時のように。

「違う!!

どうして、皆、私が家に帰って来る度に

『離縁!!

離縁!!』

と言うの!?

私は『離縁』される事など、一つもした事はない!!」

私達は姉上の怒りを見て、一瞬、幽霊の恐ろしさを忘れた。

幽霊よりも、姉上の方が『恐ろしい』と思った。

『そんな恐怖を人に与えるから、毎回帰って来る度に『離縁』だと言われるのだ』

と思ったけれど、口が裂けても言えないと思った。

私達は、急いで謝った。

「す・・・済みません・・・!!」

それでも姉上は、腕を組みながら怒り続けた。

「全く・・・どうして家族は・・・『離縁』などと・・・」

と、姉上はぶつくさ言い続けた。

私達はなかなか機嫌の直らない姉上を上目遣いで見ながら、恐る恐る聞いた。

「あの・・・。

では・・・。

どうして・・・此処に・・・?」

姉上はぶつくさを止め、大人しく座っている司郎(しろう)兄上の細い肩をばんばん敲きながら言った。

「司郎が真面目に寝ているかどうか、偶には見に来ないといけないからよ!!」

兄上は姉上の暴力に耐えながら、苦笑いして言った。

「私は姉上ほど男勝(おとこまさ)りではないので、ちゃんと真面目に寝ていますよ」

姉上は肩を敲くのを止め、両手で司郎兄上の頬をつねりながら言った。

「相変わらず、口の減らない弟ね!!」

兄上は両頬が横に伸び、変な顔になりながらも、それでも姉上の暴力に耐え続けた。

兄上の健気な態度に感じ入ったのか、姉上はぱっと両手を放して兄上を解放した。

そして、にっこり笑いながら言った。

「まあ・・・。

憎まれ口が叩けるようなら・・・安心だわ・・・」

兄上は少し赤くなった両頬を擦りながら、少し痛そうな顔をして言った。

「姉上も・・・いつも通りで、安心しました・・・」

姉上は兄上の言葉に、自信満々に答えた。

「私は、どんな事があっても変わらないから!!」

兄上は、そんな姉上を眩しそうに見つめながら答えた。

「そうですね・・・。

姉上は・・・変わらない・・・」

そう言う兄上の顔は、とても嬉しそうだった。

すると姉上はくるりと私達の方を向き、不思議そうに聞いた。

「そう言えば、ゆきと團一郎・・・どうしたの?

顔が、青白いけど・・・?」

私達はその言葉に、兄上の部屋に来た理由を思い出した。

私は前のめりになって、姉上と兄上に訴えた。

「ああ!!

そうだ!!

玄関の・・・柱に・・・女の顔が・・・!!!」

「女の顔・・・?」

姉上と兄上は、顔を見合わせた。

すると、姉上はがはがは笑いながら言った。

「そんなもの、ある訳ないじゃない!

見間違いよ!!」

兄上は、少し考えながら言った。

「柱に・・・女の顔・・・?

私は、見た事はないが・・・?」

二人とも、私の言葉を信じようとしなかった。

私と團一郎は、叫んだ。

「『百聞(ひゃくぶん)一見(いっけん)()かず』

です!!

本当かどうか、その目で見て確かめて下さい!!」

私達は二人の手を無理矢理引っ張って、玄関の柱まで連れて行った。

そして玄関に着くと、團一郎は柱を指差し、兄上達に染みを見せた。

「これです・・・」

『見るのも嫌だ』と言う感じで、團一郎は直ぐに柱から目を逸らした。

姉上と兄上は柱に近づき、じーと、その柱の染みを見つめた。

姉上は、どうと言う事もなく平然と言った。

「単なる染みでしょ?

何処が女の顔なの?」

兄上も、特に何とも無いような感じでさらりと言った。

「女の顔に見えない事もないけれど、この染みは以前からこんな形だったのではないか・・・?」

姉上も兄上も、『大した事ない』と言った感じで答えた。

團一郎は横目で染みを見ながら、必死になって訴えた。

「この染みは、以前はこのような形はしていませんでした!!

きっと、この柱に女の幽・・・が乗り移ってこんな形になったのです!!」

團一郎は、未だに幽霊と言えなかった。

言葉にするのも、怖いようだ・・・。

そんなだらしのない團一郎を見て、姉上が怒った。

「團一郎!!

これが幽霊だなんて、思っているの!?

情けないわね・・・!!

こんな事位で、怯えるなんて!!

それでも、武士の子なの!?」

姉上の怒りに違う意味で怯えながら、團一郎は反抗した。

「しかし、女の顔が突然浮かび上がって来るなんて・・・絶対に幽・・・に違いないではありませんか!?

この世ならぬ力が働いたとしか、考えられません!!」

姉上は、更に怒りながら言った。

「染みの形が変わったように見えたのは、(かび)が増えたせいよ!

黴と染みがくっついて、女の顔に見えるだけよ!

この染みが偶々女の顔に似ていて、偶々女の顔に見えて、貴方達が女の顔だって思い込んでしまったから、そう見えるだけ!!

私からすれば、この染みは烏賊(いか)よ!!

ほら!!

このくにょくにょした細い線が烏賊の足に見えるでしょう!?」

團一郎は、少し涙目で言った。

「どうやったって、烏賊には見えません・・・!!

私には、『女が恨めしそうに、髪を振り乱している姿』にしか見えません!!」

團一郎の怯えた姿に、益々イライラした姉上は叫んだ。

「ああ!!

だらしがないわね!!

ちょっと待っていなさい!!」

そう叫んで、姉上は司郎兄上の部屋へ走って行った。

そしてしばらくしてから、姉上はたっぷり墨の付いた筆を手に持って来た。

その筆を持って姉上は柱の前に立つと、染みの上に墨の付いた筆を思い切り突き立てた。

「あー!!!」

私達三人は、叫んだ。

姉上の予想外の行動に、私達は叫ばずにはいられなかった。

柱に、まさか墨を付けるとは思わなかった。

しかも、玄関の柱・・・。

家に入ったら一番始めに目に入る、目立つ柱・・・。

こんな事をしたら、母上に叱られる・・・。

私達三人はどうすれば良いのか分からず、ただただ、ぐるぐるぐるぐる頭を巡らせながら突っ立っていた。

しかし、姉上はそんな私達の心配など全く気にしていないようだった。

そして、姉上は何かを描き始めた。


『さらさらさらさらさら』


姉上の筆さばきには、一切の迷いがなかった。


『さらさらさらさらさら』


私達三人は、姉上の筆の動きを目で追った。


『さらさらさらさらさら』


そして、数分後。


「出来た!!」

姉上の言葉を聞き、私達は出来上がった絵をじっくりと見た。

姉上によって柱の女の顔は、別なものになっていた。

「何ですか・・・?

これ・・・?」

私は、姉上に恐る恐る聞いた。

私達は姉上の筆の動きをずっと見ていたけれど、誰一人姉上が何を描いているのか分からなかった。

姉上は、得意そうに答えた。

「何って、見れば分かるでしょ!?

シロの顔じゃない!?

結構うまく描けたと、思わない!?

そっくりよ!!

大作ね!!」

そう言って姉上は、自分の描いた『シロと思われる絵』を笑みを浮かべながら愛おしそうに眺めた。

私も、それ程、絵は得意ではない。

そんな私が言うのも何だけれど、その絵はとても酷かった。

目が垂れ目な上、三白眼(さんぱくがん)で、それぞれの黒眼があらぬ方向に向いていた。

鼻は大きく、舌はだらしなく垂れていた。

耳は三角形ではなく、丸くて巨大。

そもそもシロは真っ白な犬なのに、この絵の犬は真っ黒い。

そして、たっぷり墨を付けたせいか、墨が少しずつ垂れ、(よだれ)を垂らした、でっぷりとした犬になってしまっていた。

愛らしいシロとは、似ても似つかない。

と言うか、本当にこれは犬なのだろうか?

シロには、決して見せられない。

きっと、これを見たらシロは精神を病む。

姉上には、本当にこの絵がシロに見えるのだろうか・・・。

それとも、単に絵が下手なのか・・・。

満足そうな姉上を見ていると、誰も何も言えなかった。

ただ絵に問題はあったけれど、團一郎はこの絵を見て、心なしか『怖くなくなった』ようだった。

團一郎は、笑っていた。

私も、自然と笑っていた。

この絵は決してシロには見えないけれど、ある意味『怖い』けれど、何故だか自然に笑みがこぼれる絵だった。

満足した姉上は

『それじゃ、私はもう帰るから。

父上と母上がお戻りになられたら、宜しくと伝えておいてね』

と言って私に筆を託し、嬉しそうにさっさと帰ってしまった。

私達は呆然としながら、姉上を見送った。

「行って・・・しまった・・・」

姉上が帰った後には、静寂と下手な絵が残った。

私はこの下手な絵を、母上にどう説明しようかと思った。

私は思案しながら、柱の方を振り向いた。

すると兄上が柱に手を置き、姉上の描いた下手な絵を見つめていた。

「兄上・・・?」

私は、兄上に声を掛けた。

兄上はにっこり笑って、私と團一郎を見つめながら言った。

「もし先程の染みが幽霊だったとしても、怖い幽霊ではないよ・・・」

私達は不思議に思い、兄上に聞いた。

「怖い幽霊では・・・ない・・・?

どうして・・・ですか?」

「家にいる幽霊は、私達の御先祖様だからだ」

「私達の・・・御先祖様・・・?」

「ああ。

そうだ。

御先祖様が私達を呪ったり、苦しめる訳がない。

御先祖様は常に私達を守り、私達の幸せを願っている。

だから、怖がる事はない。

もし、この家で幽霊を見たら、この家を守って下さる御先祖様だ。

だから、お会いしたら恐れるのではなく、御礼を言わなければいけないよ。

『今まで守って下さって、有難うございます』

とね・・・」

と言い、兄上は優しく微笑んだ。

『家以外にいる幽霊は御先祖様ではないから、怖い幽霊なのだろうか・・・?』

と言う疑問は残ったけれど、少なくとも、家にいる(であろう)幽霊は怖くない(のかもしれない)と思った(思うようにした)。


私達に嬉しそうに話す兄上の顔は、とても穏やかだった。

病に罹っているなど、嘘のようだった。

どんな事があっても『変わらない姉上』が、兄上に元気を与えてくれたようだった。

私達はそんな兄上の姿を見て、とても嬉しくなった。

もし家で御先祖様にお会いする事が出来たら、御礼と一緒にお願いをしたいと思った。


『どうか、兄上の病を治して下さい』


と・・・。


私は、姉上の描いた下手な絵を見た。

この下手な絵は、私達から恐怖を取り除いてくれた。

兄上に、力を与えてくれた。

私は、この絵を愛おしく感じるようになった。


私達三人が柱の前で下手な絵を見ていると、母上が外出から戻って来た。

そして、柱に描かれた下手な絵を見て激怒して叫んだ。

『何故、玄関に牛の絵を描いたのですか!?』

と。

私達は、その時思った。

『姉上に絵心がないのは、母上の血のせいなのだ』

と・・・。

私達はこの下手な絵は姉上の仕業とは言わず、自分達がやったと言って謝った。

柱に絵を描く事は決して良い事ではないけれど、この絵のおかげで私達は姉上から少し元気を貰った。

私達は姉上の『気の強い優しさ』が、とても嬉しかった。

だから間違っていたのかもしれないけれど、私達は姉上の身代わりになろうと思った。

そうする事によって、姉上に『恩』を返そうと思った。

そして、この下手な絵を三人で守って残そうと思った。

何とか母上を説得して牛の絵、もといシロの絵を、ずっと柱に残したいと思った。

私達は、必死になって母上に訴えた。


兄上

『とても恐ろしい幽霊に見える染みがあったので、それを隠す為に私が描きました!!』


『あ・・・。

私も描きました!!

これは単なる牛の絵ではなく、『魔除(まよ)け』の為の絵なのです!!

えと・・・。

『魔除けの牛の絵』です!!

牛は『魔除け』になるとかならないとか、聞いた事が有るような無いような・・・』


團一郎

『え・・・と・・・。

この『魔除けの牛の絵』を消してしまっては、きっと恐ろしい事が起こります!!』


私達の訴えに納得したのか、私達の下手な嘘にうんざりしたのか分からないけれど、母上は大きな溜息をついた後、その下手な絵をそのままにしてくれると言ってくれた。

私達は喜び、何度も何度も下手な絵を擦った。

『消されなくて、良かった・・・』

そう思いながら、私達はしばらくその下手な絵を見つめ続けた。


後日、再び姉上が家に遊びに来た。

そして、柱の絵を見て言った。

『私が描いたシロの絵は、やはり良い出来ね・・・』

と。

私達が必死になって隠そうとした事実を、姉上はあっさりと暴露してしまった。

母上はそれを聞いて、特に驚いた風もなく言った。

『そうだと思った』

と。

母上は姉上が描いた事も、その理由も、私達が姉上を庇っている事も、全て知っているようだった。

知った上で、この絵を残してくれた。

私達は、


『母親とは、凄いものだ』


と思った。


何もかも、お見通しなのだ。


そして、とても


『優しい』


と。


この下手な絵は、私達が帰る度に出迎えてくれる。


この下手な絵を見ると、私達は何だか心が温かくなる。


この下手な絵に込められた思いや思い出が、私達を包んでくれる。


この下手な絵は、怖いと思っていた幽霊を少しだけ怖くないものにしてくれた。


私はもう、家にいる幽霊は怖くない。



挿絵(By みてみん)

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