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むつの花  作者: 野口 ゆき
29/77

三つの花 『五.人材』

慶応(けいおう)二年(1866年) 皐月(さつき)(5月)


菖蒲(しょうぶ)の花が咲く頃、私はお祖母様の作った『笹団子(ささだんご)』と『三角粽(さんかくちまき)』を持って(つぎ)兄さんの許を訪れた。


『笹団子』は、子供達の健やかな成長を願って『ハレの日』に食べる。

蒸し上げた(よもぎ)団子を数枚の笹で包み、藺草(いぐさ)で両端と中央を縛ったお菓子の事である。


『三角粽』は、上杉謙信(うえすぎけんしん)公が(いくさ)に備えて考案したと言われている(諸説あり)。

餅米を笹の葉で三角に巻き、それをお湯で茹で、甘くしたきな粉をまぶして食べる。


私はこの二種類のお菓子をすが様にお渡しし、継兄さんの部屋へ向かった。


「継兄さん。

失礼致します」

障子を開けると、其処には『上席家老(じょうせきがろう)山本帯刀(やまもとたてわき)様と山本様の家臣・渡辺豹吉(わたなべひょうきち)様がいらっしゃった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


山本帯刀様は、『筆頭家老(ひっとうがろう)稲垣平助(いながきへいすけ)様に次ぐ山本家(千三百石)の当主である。

山本家は、元々武田信玄(たけだしんげん)公の軍師(ぐんし)であった山本勘助(やまもとかんすけ)様の一族でもあり、由緒正しい家柄である。

屋敷は大手門(おおてもん)前の郭内にあり、殿町(とのまち)にある野口家とは家格にかなりの差がある。

山本様は山本家の十二代目当主ではあるが、山本様ご自身は安田家のご出身である。

養父の山本勘右衛門(やまもとかんえもん)様は継兄さんを徹底的に嫌ったが、山本様は継兄さんを尊敬していらした。

歳は二十歳を少し過ぎた位で、お若いにも拘らず、とても温和で落ち着いた方である。

肌の色は黒く、骨は太く、目は鋭く、はきはきとした話し方をされる方である。

お酒は飲むけれど沢山は飲まず、質素な生活をされていた。

九歳で『文選賦類(もんぜんぶるい)』を暗唱し、『神童(しんどう)』とも言われた。

また武芸も得意な上、水練(すいれん)を試み、銃猟を好み、暑い日も寒い日も馬を走らせるほど壮健な方でもあった。

有事の為に武器を貯えるなど、『常在戦場(じょうざいせんじょう)』を絵に描いたような方だ。

多くの人から尊敬される、素晴らしい方である。

山本様は人としても武士としても、『完璧な人』である。

継兄さんとは、大違いだ。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


渡辺豹吉様は山本帯刀様とご同年で、山本様が藩校に通われる時も随行して末席で拝聴されていた。

渡辺様は山本様のご家臣ではあるけれど、お二人は『主従』と言うよりも、まるで『兄弟』のようであった。

渡辺豹吉様の弟である渡辺廉吉(わたなべれんきち)様は十数歳で、兄上様を尊敬し、山本様への『忠義』も兄上様に負けない位であった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「失礼致しました!!」

慌てて障子を閉めようとする私を、山本様は制した。

「大丈夫です。

入って下さい。

貴方は確か・・・野口久馬(のぐちきゅうま)殿のご息女のゆきさん・・・ですね?」

私は恐縮して、答えた。

「はい・・・」

山本様はにっこり笑って、続けた。

「河井様から、貴方の話は聞いています」

「話・・・?」

私は、継兄さんが山本様に余計な事を言ったのではないかと心配になった。

そして、つい部屋に一歩入ってしまった。

山本様は微笑みながら、言った。

「頑固で、思った事をはっきりと言う娘だと。

そして、鈍感だと」

「ーーー!!!」

酷い!!

私は、継兄さんを睨んだ。

憎らしい事に、継兄さんは舌を『べろーん』と出して笑っていた。

継兄さんは、時々子供っぽい。

私は少しムカムカして、継兄さんと同じように舌を『べろーん』と出して応戦した。

山本様と渡辺様は、くすくすと笑いながら私達を見ていた。

「そう言えば、何度かお会いした事はありましたが、ゆきさんと直接お話するのは初めてですね・・・。

兄上の司郎(しろう)殿とは、話をした事がありましたが・・・。

その後、司郎殿のご体調は如何(いかが)ですか?」

私は、少し返事に躊躇した。

兄上は、以前に比べてとても細くなってしまったから。

でも、兄上は

『誰にも、言ってはいけない』

と言っている。

人に、心配させない為に・・・。

だから、私は笑顔で答えた。

「はい!!

元気に、部屋で休んでいます!」

山本様は、少し安心した様子で言った。

「そうですか・・・。

最近は仕事が忙しく、司郎殿と話す機会があまりありませんでした。

今度、見舞いに訪れたいと思っています。

その時は、宜しくお願いします。

ゆきさん」

育ちの良さが全身から溢れている山本様の態度に、私は畏まった。

私は、焦りながら答えた。

「山本様から度々お菓子やお手紙を頂いているだけでも、兄はとても喜んでおります。

その上、山本様ほどのご身分の方が私の家にいらっしゃるなど、恐れ多い事です。

かと言って兄は外に出る事も叶いませんので、山本様のお家を訪れる事も出来ません・・・。

山本様のお心遣いは大変嬉しいのですが、お見えになられる事だけは・・・。

山本様のお気持ちは、私が責任を持って兄にお伝え致します」

私の言葉に、山本様は残念そうに答えた。

「そうですか・・・。

私が訪ねては、却って気を遣わせるかも知れませんね・・・。

では、ゆきさんに頼みましょう。

また手紙も書くと、司郎殿にお伝え下さい」

そう言って山本様は、悲しそうに微笑んだ。

私は

『失礼な事を、言ってしまったかもしれない』

と反省したけれど、山本様に今の兄上の姿を見せる訳にはいかなかった。

兄上は

『人に心配させたくない』

と思うと同時に、

『痩せ細った自分の姿を、誰にも見られたくない』

とも思っているから・・・。

そして何よりも、兄上は

『人に、自分の病がうつる事』

を恐れている。

誰にも、兄上に会わせる訳にはいかなかった。

それが、兄上の『意志』だから・・・。

それにしても下の身分の者に対しても優しく接する山本様は、本当に素晴らしい方だと思った。

そう言えば、何故山本様が継兄さんの家にいらっしゃるのだろう・・・?

と私が思っていると、山本様が私の方を向きながら言った。

「今日は、河井様にこれからの藩の(まつりごと)について話をしていたのです」

私は、山本様の言葉に驚いて言った。

「え!?

何故、私が考えている事をお分かりになられたのですか!?」

今、正に私が聞こうと思っていた事に答えるなんて・・・。

山本様は、心が読めるのだろうか・・・?

山本様は、笑いながら答えて下さった。

「顔に、書いてありました。

ゆきさんは、思った事が直ぐに顔に出るのですね。

素直な方ですね。

ゆきさんは」

優しい山本様の言葉に、継兄さんが透かさず憎たらしい事を言った。

「ゆきは、単純なだけだ」

私はまた一歩部屋に入り、応戦した。

「継兄さんにだけは、言われたくありません!!」

「俺は、おみしゃんほど単純ではない」

「私も、継兄さんほど単純ではありません!!」

「何!!」

「何ですか!!」

私達のやり取りをじっと見ていた山本様が、突然笑い出した。

「はははははは。

二人とも、良く似ていますね」

その言葉に私達二人は同時に山本様の方を向き、叫んだ。

「似ていない!!」

「似ていません!!」

山本様は私達の剣幕に一瞬驚いたようだったが、再び微笑みながら言った。

「いや。

良く似ています」

私はもう一歩部屋に入り、山本様に訴えた。

「私は、継兄さんほど性格は悪くありません!!」

今度は継兄さんが、一歩前に出た。

「何!!

俺だって、おみしゃんほど性格は悪くないぞ!

そもそも本人の前で『性格が悪い』なんて、普通言わないだろう!?

そう言う風にはっきり言うところが、『性格が悪い』と言うのだ!!」

「何ですって!!」

山本様は少々困った顔をして、仲裁に入った。

「まあまあ。

落ち着いて下さい。

ゆきさんも、言い過ぎですよ。

こう見えて、河井様は傷つき易いのですよ」

「え!?」

私は、継兄さんの方を向いた。

そう言われてみると、継兄さん・・・悲しそうに見える・・・気がする・・・かも・・・?

私は、咄嗟に言った。

「ご・・・ごめんなさい・・・」

継兄さんは私が突然謝った事に驚き、少し照れながら言った。

「い・・・いや・・・。

俺も・・・言い過ぎた・・・。

済まない・・・」

私達のやり取りを見ていた山本様は、少し真面目な顔をして私に向かって言った。

「河井様は少々気性が激しいせいか、良く人を傷つけます」

『その通り』

と、私は心の中で思った。

山本様は、続けた。

「しかし河井様の良いところは、反省をするところなのです。

自分が悪い事をしたと思ったら、直ぐに相手に謝罪します。

自分の非を認める事は、とても勇気のいる事だと思います」

「・・・」

「貴方も、私が注意をしたら直ぐに謝りましたね。

貴方も河井様同様、勇気のある人ですね。

本当に・・・お二人とも良く似ていると思いました」

にっこり笑う山本様の目を、私は真っ直ぐに見る事が出来なかった。

何故なら、私はさよちゃんに

『ちゃんと謝っていない』

からだ。

だから私達は、未だに仲直りしていない・・・。

黙り込んだ私に気付き、山本様が心配そうに私の顔を覗き込みながら言った。

「どうしました・・・?」

私は心配を掛けさせてはならないと思い、話題を変えようと思った。

「先程おっしゃっていた・・・藩の政とは、何ですか?」

山本様はまだ心配そうな顔をしていたけれど、私の質問に答えてくれた。

「河井様が行われた政策を、ゆきさんもご存知でしょう?

水腐地(みずぐされち)の見直し】

社倉(しゃそう)の設置】

毛見制(けみせい)禁止】

賄賂(わいろ)の禁止】

中ノ口川(なかのぐちがわ)改修】

などの『藩政改革』を・・・」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


【水腐地の見直し】

水腐地とは、水害にあった土地の事である。

水腐地と指定を受けた土地は約五年間免税となり、時には『御手当米(おてあてまい)』も受け取る事が出来た。

『御手当米』とは災害や不作に備えて、藩が一年から五年の間、年に何回か手当を出す制度である。

民の救済の為の制度ではあったが、それが腐敗を生んだ。

『ずっと水腐地の認定を受け続ければ、税金を払わなくても良いし、『御手当米』も貰う事が出来る』

そう考えた人々は藩の重役に賄賂を渡し、偽の水腐地認定を受けるようにした。

そこで継兄さんは水腐地の実態を調べ、不正をしていた担当者を処罰した。

また、『御手当米』も廃止した。


【社倉の設置】

『御手当米』を廃止した為に設立。

各村に収穫の一部を納めさせて貯蔵し、凶作や不作の際に其処から米を供出した。

『相互扶助の制度』である。

これは『寛政(かんせい)の改革』で有名な、『白河(しらかわ)藩主(福島)』松平定信(まつだいらさだのぶ)公の政策を見本とした。


【毛見制禁止】

『毛見制度』とは米の収穫量に関わらず、年貢率を一律にした制度である。

この制度では農民は沢山米を収穫する事が出来れば、納めるべき米以外は自分のものとする事が出来た。

頑張った分、それは自分のものとなり、この制度は『長岡藩の仁政(じんせい)』とも言われた。

しかし、いつしか収穫量を裁定する『毛見(検見)役人』が賄賂を貰って年貢の軽減を決めるようになり、農民はその賄賂によって大きな負担を負う事になった。

その上、役人の腐敗も進んでしまった。

これを防ぐ為に【毛見制禁止】だけでなく、【賄賂の禁止】もした。

また【毛見制禁止】をする代わりに、継兄さんは収穫量に応じて年貢率を決めると共に、納めさせた米は備蓄倉庫である『社倉』で保管する事にした。


【賄賂の禁止】

継兄さんが、『郡奉行(こおりぶぎょう)』の時に行った政策である。

水腐地や『毛見制度』でもそうであったように、江戸時代、賄賂は慣習化していた。

良い仕事を得る為に、不正を見逃して貰う為に、大枚(たいまい)(はた)いた者もいた。

しかし賄賂を心底嫌っていた継兄さんは、自分が一切賄賂を受け取らない事を示す事によって、【賄賂の禁止】を徹底させた。

ただ、それには少々笑い話がある。

継兄さんのお知り合いの方が、お父上様にと持って来られた『米寿(べいじゅ)(八十八歳のお祝い)』のお餅まで突き返してしまったのだ。

継兄さんの家の廊下番が賄賂を決して受け取るなと厳重に注意されており、他の賄賂と同様にお祝いの品までお返しになったそうだ。

それを知った継兄さんは後で使用人に樽酒を持ってお詫びに行かせ、お餅を貰って帰らせたと言う。


【中ノ口川改修】

長岡藩は長年、信濃川(しなのがわ)の洪水に悩まされていた。

継兄さんは信濃川の洪水を防ぐ為、村上(むらかみ)藩(新潟)と協力して信濃川と合流する中ノ口川の川幅を均衡にした。

これによって水害が減り、米の収穫高を上げる事に成功した。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


山本様は、続けた。

「民を守る為、国を守る為に行ったこれらの『藩政改革』において、何が一番重要か分かりますか?

ゆきさん」

私は小林様の事を思い出し、答えた。

「『人』を、育てる事だと思います」

「そうです。

しかし長岡には、まだまだ『人』が足りません。

時間を掛けて、もっともっと『人』を育てなければなりません」

私は山本様の言葉に少し疑問を持ち、聞いた。

「私は、長岡には沢山の『人』がいらっしゃると思いますが・・・?」

山本様は、私の顔をじっと見て言った。

「ゆきさんにとって、どのような『人』が民や国を守る事が出来ると思いますか?」

私は、思ったままの事を答えた。

「沢山の教育受けた『人』。

そして受けた教育を実践する『人』が、民や国も守る事が出来ると思います」

「何故、そう思うのですか?」

「教育を受けた『人』には、多くの知識があるからです。

そして、その知識を活かして実践すれば、それは経験になります。

経験には、失敗と成功があります。

成功も勿論重要ですが、より多くの失敗を繰り返す事によって、新しい知識や知恵や有事に対処出来る能力、そして冷静に判断し決断出来る強い心を得る事が出来るからです」

山本様は私の言葉に頷きながら、答えた。

「確かに、その通りだと思います。

知識や知恵があり、経験があり、能力があり、強い心を持っている『人』が、民の為にも国の為にも必要です。

しかし、それだけでは足りないのです」

「足りない?」

「何かを成そうとする時に一番必要なのは、多くの『人の助け』です。

『人の助け』が無ければ、『人』は何も成せません。

何をするにも、必ず誰かの助けが必要となります。

『人』が『人』に助けを請う為に必要なもの、それは『人を慈しむ心』です」

「『人を慈しむ心』・・・」

「どんなに知識があり、能力のある『人』でも、その『人』に『人を慈しむ心』が無ければ、誰も助けてはくれません。

『人を慈しむ人』に対して、『人』はその人の助けになりたい、『恩』を返したいと思います」

「では、知識や知恵や経験、能力、強い心、そして『人を慈しむ心』、全てを持つ『人』こそが民の為にも国の為にも必要な『人』なのですね」

「それが望ましいのですが、そんな『完璧な人』はいません」

「え?」

「しかし、それでも良いのです」

「それでも、良い?」

「はい。

『完璧な人』など、この世に存在しません。

『完璧な人』である必要は、ありません」

「『完璧な人』で無くても、良い・・・?」

「はい。

知識が他の人より少し劣っていても、経験が他の人より少なくても良いのです。

何故なら、それを補ってくれる『人』が必ずいるからです。

その不足なところは、必ず他の『人』が助けてくれます。

しかし、その不足なところとは『人を慈しむ心』以外ですがね・・・」

「不足なところは、他の『人』が補う・・・」

「はい。

『人を慈しむ心』を持っていれば、必ず他の『人』が不足なところを補ってくれます。

しかし・・・河井様の考えは、私とは少々違います。

そうですよね?

河井様」

山本様は継兄さんに言葉を投げ掛け、私は継兄さんの方を向いた。

継兄さんが、口を開いた。

「『人』には、『五徳(ごとく)』が必要である」

「『ごとく』?」

「ああ。

『五徳』とは、即ち

(おん)

(りょう)

(きょう)

(けん)

(じょう)

である。


『温』とは、『穏やか』と言う事。

『良』とは、『素直』と言う事。

『恭』とは、『(うやうや)しい』と言う事。

『倹』とは、『(つつ)ましやか』と言う事。

『譲』とは、『謙遜(けんそん)』と言う事。


『五徳』は、『五常(ごじょう)』の

(じん)

()

(れい)

()

(しん)

の事でもある。


有才の人は、この『五徳』が無ければ『人』は服さない。

そして『五徳』を持つ者も、『才』無ければ役に立たない。

俺は『人』の上に立つような『人』には、『徳』も『才』も、両方必要だと考える。

『不足なところ』など、あってはならない」

私は、じっと継兄さんの顔を見た。

継兄さんは、怪訝そうな表情をして私に聞いた。

「何だ?

ゆき?」

私は何も考えず、思った事を言った。

「いえ。

そう言う継兄さんには、『五徳』が全て足りないように思います。

もう少し、『人を慈しむ心』があれば・・・と。

継兄さんは、知識や経験や能力の上では問題ないと思います。

多分・・・。

優しくない訳ではないけれど、あくが強くて頑固だから『人』には嫌われているし・・・。

やはり、人間性に問題があるのかな・・・。

ただ勘や人とは違う能力、閃きは、普通の『人』より秀でていると思います。

つまり継兄さんの性格を多少変えれば、継兄さんも民や国に必要な『人』に一歩近づけるのかもしれないと言う事ですね・・・」

私の素直な言葉に、継兄さんも山本様も渡辺様も黙ってしまった。

「・・・・・」

山本様は、苦笑いしながら言った。

「・・・本当に河井様の言う通り、なかなか厳しい事をはっきりと言う方ですね・・・。

ゆきさんは・・・」

継兄さんは、溜息混じりに答えた。

「もう、慣れておる・・・」


すると山本様は私の方を向き、少し厳しい顔をしながら口を開いた。


「ゆきさん。

貴方は河井様と親しい間柄だからこそ、素直に思った事を話しますね。

お互いが自分の思った事を話し合う事が出来ると言う事は、心を許し合える仲であると言う証拠です。

しかし言葉を発する時は、『人』と『時』と『場』を(わきま)えなければなりません」


「『人』と『時』と『場』を弁える?」


「はい。

少しですが私は貴方の事も、貴方と河井様がどういった関係であるのかを知っているので、貴方(がた)の会話を『とても微笑(ほほえ)ましいもの』と言う良い感情を(いだ)きました。

しかし、もし貴方の事を、貴方と河井様の関係性を知らない『誰か』が貴方方の先程の会話を聞いたら、どう思うでしょう?

貴方が何気(なにげ)なく言った言葉でも、河井様が貴方の言葉に対して何とも思っていなくとも、人によっては貴方方の会話を悪い方へ(とら)えてしまう場合があります。


郡奉行(こおりぶぎょう)に対して、何という無礼(ぶれい)な』


『郡奉行は、何故あの娘を(ばっ)しないのか?』


『あの娘は、一体どう言った教育を受けているのか?』


と」


「・・・」


「言葉の受け取られ方は、其の言葉を聞いた人によって異なります。


相手によっては、其の言葉を美しいと感じるかもしれません。

相手によっては、其の言葉を聞いて不快感(ふかいかん)を覚えるかもしれません。

相手によっては、其の言葉を素直(すなお)に受け止めるかもしれません。

相手によっては、其の言葉の意味を誤解(ごかい)するかもしれません」


「・・・私は継兄さんと親しいから、何も考えず、つい思った事を口に出してしまいました。

今回は私達の事をご存じでいらっしゃり、好意的に見て下さる山本様や渡辺様の前であったから良かったけれど、もし私の事や私と継兄さんの関係性を知らない『誰か』が継兄さんに対する先程の私の言葉を聞いたら、悪く捉える可能性があるかもしれない・・・。

だから『人』と『時』と『場』には注意しなければならないと、山本様は(おっしゃ)っているのですね・・・。

私は、軽率(けいそつ)でした・・・。

そして、もし私の発した言葉によって山本様達を不快にさせてしまったのであれば、私はお二人に謝らなければなりません・・・。

申し訳ありませんでした・・・」


「私も渡辺も、決して不快だとは思っていませんよ。

だから、謝る必要はありません。

(むし)ろ自分の本当の気持ちを言い合える貴方方の関係は、とても(うらや)ましいと思いました。

ただやはり、言葉を発する時は、十分注意する必要があります。

特に人は、立場が変われば発する『言葉の重み』も変わります。

勿論(もちろん)、どんな立場であろうとも自らの言葉には責任を持たなければなりません。

しかし多くの人に影響を与えるような立場になった『人』は、其の『言葉』がどれ程大きな力を持っているのかを自覚(じかく)し、慎重(しんちょう)に『言葉』を発しなければなりません。

『誰』が、『何時(いつ)』、『何処(どこ)』で、『何』を聞いているのか分かりません。

発した言葉が本心であろうが無かろうが、聞いた言葉を悪い方へ捉える人もいれば、其の言葉を()()()()()()()()()()()人もいます。

其れは多くの人にとっても、自分にとっても、とても危険な事であり、気を付けなければならない事なのです」


「山本様・・・。

もし・・・万が一・・・つい発してしまった自分の言葉によって相手の方や多くの人に不快感を抱かせ、誤解させてしまったら、どうすれば良いのでしょう・・・?」


「発した言葉を変える事も、消す事も出来ません。

不快にさせ、誤解させてしまった事実は、人の心に必ず残ります。

心に残ったものを消す事は、とても難しい事です。

しかし、不快感を和らげる事や誤解を()く事は出来ます」


「不快感を和らげる事や誤解を解く事は出来る・・・?」


「はい。

其の方法とは、誠実で真摯(しんし)な言葉と行動で表し、伝え続ける事です。

時間は、()かるかもしれません。

其れでも、続ければ必ず相手の方や多くの人に通じるはずです。

(あきら)めず、続ける事です。

続けていれば(いず)れ相手の方や多くの人の心も、そして自分の心も救われ、軽くなるはずです」


「はい・・・。

たとえ時間が掛かっても、相手の方の事を考え、自らの言葉と行動を(もっ)て相手の方の不快感を和らげ、誤解を解く努力をしなければならないと言う事ですね・・・。

相手の方や多くの人の為にも、そして自分の為にも・・・」


「そうです。

更に、最も注意しなければならない事があります。

其れは、発した言葉によっては()()()()()()()()()()になる時があると言う事です。

たった一言で、人の心を傷つける事があります。

たった一言で、何もかもを失う事があります。

そうならない為にも、発した言葉によって引き起こされた一つ一つの事実を受け止め、何故そうなったのか、これからどうすべきかを考えるのです。


『あの時発した言葉によって引き起こされた事実は、()()()()()()()()()()になる前に必要な経験であったのだ』


『あの時発した言葉によって引き起こされた事実は、自分の言葉の重さを(かえり)みる為に必要な経験であったのだ』


『あの時発した言葉によって引き起こされた事実は、自らを(いまし)める為に必要な経験であったのだ』


『もう二度と、あの時と同じ事は繰り返さない』


常にそう考えていれば、発した言葉によって()()()()()()()()()()を引き起こす事は無くなるでしょう。


そして此の事は、私自身も気を付けなければならない事です」


そう言って、山本様は(やわ)らかく微笑んだ。


山本様は私の為だけでなく、多くの人の為に、私に忠告して下さった。

私は、山本様の言葉を受け止めなければならない。

私は、山本様の優しさと忠言(ちゅうげん)をしっかりと心に刻まなければならない。

多くの人を、そして自分自身を傷つけない為にも。


私は、山本様の目を真っ直ぐ見つめながら言った。


「はい。

山本様の言葉を忘れず、自分の言葉に責任を持ち、人を不快にさせない言葉を、人に誤解されない言葉を発したいと思います」


私がそう言うと、山本様は私の頭を優しく()でながら嬉しそうに「うん」と仰った。

そして、続けた。


「たった一言で人の心を傷つける事もあれば、たった一言で人を、自分を幸せにする事も出来ます。

たった一言で何もかもを失う事もあれば、たった一言で()()えのないものを得る事も出来ます。

たった一言で、多くの人や自分の人生、世界をも変える事は出来るのです。

たった一言でも、大切に言葉を発しなければいけません」


そう言って、山本様は優しく微笑んだ。


私は其の微笑を見て、山本様と兄上の姿を重ねた。

私は、山本様は兄上に似ていると思った。


山本様は私の頭からゆっくりと手を離し、目を細めながら仰った。


「ゆきさん。

『人』と『時』と『場』を弁えた方が良いと言いましたが、私達の前では素直な気持ちを口に出して下さい。

其の方が、私達は嬉しいし楽しいです」


私は其の言葉が嬉しくて、大声で答えた。


「はい!!!」


そして、先程言うつもりであった事を言おうと思った。


私は、少しだけ遠慮(えんりょ)しながら言った。


「あの・・・山本様・・・。

申し上げたい事があるのですが・・・」


「何ですか?」


山本様は、興味深そうに返事をしてくれた。

私は、山本様の其の表情が嬉しかった。

私は、続けた。


「私は、優秀な人は武士でなくとも良いと思っています。

農家の生まれの人でも、博識な人は沢山います。

武士よりも、多くの経験をした『人』は沢山います。

武士よりも、人間性に優れた『人』は沢山います。

私達の知らない事を違う視点から捉え、考えている『人』は沢山います。

辛い経験を沢山しているから、人の痛みが分かる・・・。

『人を慈しむ心』を持っている『人』は、私達以外にも沢山います。

そう言った『人』も武士と同じような教育を受ければ、国にとって重要な『人』になると思います。

いえ。

本物の武士よりも、優秀な『人』になると思います!!」

そう私が言い切った後、継兄さんが私の方を向いて言った。

「その通りだ!!!

作助(さくすけ)のように、民の中にも優秀な人物に成り得る『人』は沢山いる!!

だが、今の段階ではまだ無理だ。

もう少し、待ってくれ。

もう少し経てば、男の髪はいずれ皆『じゃんぎり』になる」

「『じゃんぎり』?」

不思議に思う私を見て、継兄さんは答えてくれた。

「『散切(ざんぎ)り』の事だ。

もう少しすれば、男は皆、(まげ)を切って短髪になる。

皆、『市民』となる。

『市民』は皆、平等だ。

メリケン(アメリカ)では『市民』が国の代表者を、『市民』の中から決める。

日本のように特権階級の者の中から、特権階級の者を選ぶのではない。

同じ権利を持つ者が、同じ権利を持つ者の中から優秀な『人』を選ぶ。

身分の違いも差別もない。

平等だ。

その外国の文化を日本も取り入れれば、皆、平等になる。

武士も農民も商人もいない、平等な世界になる。

そうすれば、優秀な『人』を育てる事は今よりも容易になる。

多くの『人』を、育てる事が出来る。

日本の財産は、『人』だ。

『人』は、日本を発展させる。

それは、もう其処まで来ている」

「皆が平等になる日が、もう少しで来るのですか?」

「ああ・・・。

必ず・・・」

継兄さんは一旦言葉を切り、そして天井を見上げながら続けた。


「必ず・・・来る・・・。

もう少し・・・。

もう少しだ・・・」


そう呟く継兄さんを見つめていると、私はある人の『言葉』を思い出した。


かつて清八郎(せいはちろう)様も、同じような事を言っていた。


『日本はいつか、『男女平等』や『民主主義』を知る事になります。

そして日本は『男女平等』の国、『民主主義』の国となっていくのです。

日本は、変わるのです』


いつか日本も、皆が平等に暮らせる日が来るのかもしれない。


私は、私と同じように継兄さんを見つめる山本様と渡辺様を見た。


二人の顔は、何かを『決意』した顔をしていた。


『継兄さんの政策を、継兄さんを、これからも助け続ける』


そんな顔だった。


継兄さんには、『人を慈しむ心』がある。


だから山本様や渡辺様は、継兄さんを助けるのだ。


あと少し・・・。


あと少しで、皆が身分の事を気にしないで暮らせる日が来る・・・。


そうすれば、作助さんのように能力のある『人』が力を活かす事が出来る・・・。


三人を見て、私はその日が本当に其処まで来ているのだと思った。

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