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むつの花  作者: 野口 ゆき
23/77

二つの花 『十一.躾』

慶応(けいおう)元年(1865年) 霜月(しもつき)(11月)


その日の朝は空が澄んでいて、抜けるような青い空が広がっていた。

空気は少しひんやりとしていたけれど、外から入って来る風は爽やかで気持ちが良かった。


そんな気候の中で、私達家族は朝食をとっていた。

しかし私と團一郎(だんいちろう)は、朝食を食べ始めて早々お祖母様と母上に怒られた。


「ゆき。

お箸の持ち方が違います。

中指がそこにあったら、物を挟めないでしょう?

正しく持ちなさい」

「團一郎。

くちゃくちゃ音を立てて食べてはいけません。

みっともないです」

「ゆき。

今食べた、(こう)(もの)をご覧なさい。

くっきりと、歯形がついているではありませんか。

歯形を残さないように、一口食べたら必ず両端も食べなさいと何度も言ったはずです」

「團一郎。

食べる時はしっかりと肘を脇につけ、背筋を伸ばして食べなさい。

掻き込んで食べるなど、御行儀(おぎょうぎ)が悪いですよ」

「ゆき。

好き嫌いはなりません。

全て食べなさい。

食べ物と、一生懸命作ってくれた人達に感謝をしながら食べなければなりません。

それと、一緒に食べている人の気持ちも考えなければなりません。

嫌いだからと言って食べ物をお皿に残し、それを人が見たら不快な気持ちになります」

「團一郎。

口に物を入れたまま話をしてはなりません。

口の中を見た人が、不愉快に思います」


私達は、お祖母様と母上に矢継ぎ早に叱られた。

なかなか直らない癖に私達はイライラしつつも、素直に謝った。

「はい・・・。

申し訳ありません・・・」

私達を憐れんでか、お祖父様と父上が助け船を出してくれた。

「そんなに厳しく言わなくても、良いではないか」

「その通り。

楽しく食事する事も、大事だぞ」

お祖父様と父上の言葉に、お祖母様と母上が敏感に反応した。

そして、立て続けに言った。

「貴方達は、黙っていて下さい!」

「そうです!!

うるさく言うのは、この子達の将来の為でもあるのです!

幼い頃からの(しつけ)は、子供を育てる上で何よりも大事な事です!

経典余師(きょうてんよし)』にも、

『『三つ心』『六つ躾』『九つ言葉』『十二文じゅうにふみ』『十五理(じゅうごことわり)』で末決まる』

と書かれているではありませんか!!」


『きょうてんよし』・・・?

『三つ心』・・・?


私は、初めて聞くその言葉の意味を母上に聞いた。

「『経典余師』・・・『三つ心』とは、何ですか?」

母上は真っ直ぐに私の方を向いて、答えてくれた。

「『経典余師』とは『漢文』が読めない庶民にも『論語(ろんご)』が読めるようにと、『論語』を平仮名(ひらがな)に読み下したものです。

『三つ心』とは、三歳までに『心の大切さ』を子供に教える事。

『六つ躾』とは、六歳までに『行儀作法(ぎょうぎさほう)』や『礼儀作法(れいぎさほう)』を子供に身に付けさせる事。

『九つ言葉』とは、九歳までに人に配慮した『言葉』を子供が言えるようにする事。

『十二文』とは、十二歳までにきちんとした『文章』を子供が書けるようにする事。

『十五理』とは、十五歳までに『世の理』を子供に理解させる事。

幼い頃から子供にこれら躾をしなければ、子供の一生に関わると言う事です。

子供を育てる上で、幼い頃の躾ほど大切なものは無いと言う事です」

そう言うと、母上は父上の方を見て言った。

「大人になってこの子達が恥を掻かないように、今の内に、直せる内に『行儀作法』や『礼儀作法』を身に付けさせる事が、親としての私達の『役割』であり、『義務』であり、『責任』なのです!!

甘やかす事だけが、親の仕事ではありません!!

『立派な人間』に育ってもらう事が、私達の『願い』です!!

貴方も以前、そうおっしゃっていたではありませんか!!」

母上は、言い切った。

父上は狼狽えながらも、よせば良いのに反論した。

「しかし・・・『三つ心』は、商人を育てる為の・・・」

「商人だろうと武士だろうと、子供を育てる上で良いと言うものは取り入れるべきです!!」

「いや・・・。

しかし・・・」

「『論語』や『孟子(もうし)』『史記(しき)』などは、歳をとってからも読む事は出来ます!

学ぶ事も、出来ます!

しかし日常生活に必要な、生きていく為に必要な躾は、幼い頃に身に付けなければなりません!!」

母上の剣幕に狼狽し、お祖父様も父上も素直に

『はい・・・』

としか、言えなかった。

お祖父様も父上も、言い負かされてしまった。


私は母上の言葉を聞きながら、『鍛冶職人(かじしょくにん)』の定吉(さだきち)さんの言葉を思い出した。


地金(じがね)は、熱いうちに叩かなければならない。

子供の『しつけ』もそうだ。

小さい頃からしっかりと『しつけ』、鍛えなければならない。』


確かに、定吉さんや母上達の言う通りだと思う。

幼い頃に躾られた事は、一生ものだ。

躾は、大事である。

しかし、『躾方』には色々あると思う。

『これも駄目、あれも駄目』

と言われれば、反抗だってする。

私の家では頭ごなしに叱って躾る事はないが、私には母上の『躾方』に少々納得がいかないところがあった。

私は取り敢えず、自分の意見を言ってみた。

「でも、母上」

私の声を聞き、母上は私の方を向いて言った。

「何ですか?

ゆき」

「私も、『好き嫌い』はいけないと思います。

しかし、人にはどうしても『受け入れられないもの』だってあると思います」

「『受け入れられないもの』とは?」

私は御膳の上に乗っている春菊のお浸しのお皿を持ち上げながら、説明した。

「私は、春菊が苦手です」

「知っています」

「知って・・・。

あの・・・。

だから・・・苦手なものを無理に食べさせるのは良くないと思います」

「では、

『苦手だから、無理矢理食べさせるな』

と言う事ですか?」

「違います。

苦手でも、我慢して食べるつもりです」

「ならば、それで良いではありませんか?」

「そうではないのです」

「そうではない・・・とは?

何が、言いたいのですか?」

「この春菊のお浸し・・・。

これはどう見ても、単に茹でて鰹節を乗せて『()(ざけ)(日本酒に梅干を入れ、煮詰めたもの)』を掛けただけではありませんか?」

「その通りです」

「その通り・・・。

わ・・・私はたとえ春菊が苦手でも、ちゃんと食べます。

でも、せめて食べやすく工夫をして下さい」

「工夫とは?」

「例えば小さく刻んだり、食べ易い味付けにしたり、触感を変えてみたり・・・」

「私は春菊のお浸しの、その味付けと触感が好きです」

「え?」

「だから、料理法は変えません」

母上は、断言した。

私は半ば諦めながら、母上に聞いてみた。

「・・・つまり、たとえ私が春菊が苦手でも、これからもこの春菊を、春菊そのままを食べなければならないと言う事なのですね・・・」

「そうです」

「・・・」

私は、受け入れるしかなった。

若干、母上の我儘に付き合わされているような気もしたが、食べさせてもらっている以上は文句は言えなかった。

それに、ここまで強制されれば、いつか食べられるようになるのかもしれない・・・。

かもしれない・・・。


その後、私もお祖父様も父上も團一郎も、ただただ黙って食べ続けた。

少々、雰囲気が暗くなったような気がした。

こんな時は、

『楽しく食べたいな・・・』

と思った・・・。


皆が食べ終わると、お祖母様がお茶を入れてくれた。

「さあ。

お茶を入れましたよ。

朝茶(あさちゃ)』は、『難を逃れる』と言いますからね」


お祖母様が入れて下さったお茶は少し渋みがあったけれど、爽やかですっきりとした味だった。

叱られた事も忘れるほど、美味しいお茶だった。

まあ。

忘れる事はないけれど・・・。

母上の好きな料理法で作られた春菊を、この先ずっと食べ続けなければならないし・・・。


私は暖かいお茶を飲み終え、自分の部屋に戻り、出掛ける準備をした。

『ある場所』へ、行く為に・・・。

家を出る時、

『何処へ行くのですか?』

と母上に聞かれた。

私は、

『紅葉を見るお約束があって・・・』

と答えた。

そして

『気を付けて、行ってらっしゃい』

と言う母上に見送られながら、私は家を出た。


私は、歩きながら考えた。

私達は幼い頃から、お祖母様と母上に厳しく躾られている・・・。

もっと小さい頃は、出来なくて、叱られて、良く泣いた。

『どうして、こんなにも厳しいのだろう?』

私は叱られながら、いつも悩んでいた。

でも今は、何故ここまでお祖母様達が厳しく私達を躾ているのか、『意味』も『理由』も知っている。

だから少々不満もあるけれど、受け入れる事が出来る。

それを教えて下さったのは、一年前にお会いした『あの方』だった。


_ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _



その日は、この日と同じ秋晴れだった。


私は、きよと一緒に町から少し遠い所を歩いていた。

そして、ある家の角を曲がると、目の前に真っ赤な紅葉が広がった。

あまりの美しさに私は時を忘れて、ずっと動かず紅葉を見上げていた。

目が、離せなかった。

しばらくすると家の主であろう八十歳位の女性が、門から声を掛けて下さった。

「良かったら家に入って、紅葉を眺めながらお茶を一緒に飲みませんか?」

私はその誘いに少し躊躇したけれど、紅葉とお茶に惹かれ、思わず言ってしまった。

「はい」

『その方』はにっこりと微笑み、私達を家に招いて下さった。

きよは少し困った顔をしたけれど、私はきよの手を引いて一緒に家に入って行った。

『その方』は、紅葉のあるお庭が良く見える縁側まで私達を案内して下さった。

そして『その方』は近くにあった座布団を縁側に敷き、

『此処で座って、待っていて下さい』

とおっしゃられて奥へ行かれた。

きよは最初、一緒に縁側に座る事を遠慮したけれど、

『きよが座らないのなら、私も座らない』

と言うと、きよも渋々座ってくれた。

私ときよは、庭の紅葉を見上げた。

赤ちゃんの手の平のような真っ赤な紅葉が何枚も何枚も重なって、青色の空を埋め尽くしていた。

周りの緑色の木々と一緒に見ると、紅葉の赤が一層引き立ち、より美しく見えた。

紅葉の間から漏れる、太陽の光が眩しかった。

暖かく、柔らかい光だった。

池に浮かんでいる落ちた紅葉と池に映っている紅葉で、池の水まで真っ赤だった。

「綺麗・・・」

私は、自然と声が漏れた。

私がそう言うと、後ろから優しくて穏やかな声が聞こえて来た。

「私も・・・この紅葉が好きです。

この庭の紅葉が色づくのを、毎年待ち遠しく思っているのですよ」

『その方』は、三人分のお茶と栗金団(くりきんとん)が載ったお盆を持っていらした。

私ときよは立ち上がり、『その方』のお盆を代わりに持とうとした。

「ゆきさま。

私が・・・」

と言うきよに、私は言った。

「きよ。

『年長者を敬うのは、年少者の務め』!!」

私がそう言うと、きよは少し躊躇った。

その隙に、私はきよからお盆を奪い取った。

きよは少し驚き戸惑ったけれど、優しく微笑んだ。

それを見ていた『その方』は、くすくすと笑った。

「?」

私は、『その方』の方を不思議そうに眺めた。

『その方』は

『いえ。

何も。

有難うございます。

さあ。

座って、紅葉を一緒に眺めましょう』

とおっしゃって、縁側に座られた。

私達三人は縁側に座って暖かいお茶を頂きながら、紅葉を見上げた。

どんなに見ていても、飽きる事がない。

とても、綺麗な紅葉だった。

私は紅葉を眺めながら、『その方』に言った。

「こんなに見事な紅葉を、間近で見るのは初めてです。

とても・・・綺麗です」

私の言葉を聞き、『その方』はとても嬉しそうに微笑んだ。

私達は他愛ない話をしながら、ずっと紅葉を眺め続けた。

お茶も栗金団も、勿論美味しかった。


空が紅葉と同じ色になり、私達は家に帰る事にした。

帰り際に、『その方』はおっしゃった。

「貴方のお家の方は、貴方をしっかり躾ていらっしゃるようですね。

貴方は、とても礼儀正しい方でした。

所作(しょさ)の美しさは、『人となり』を表します。

美しい『立ち居振る舞い』や『言葉遣い』は、直ぐには身に付かないもの。

貴方は良いお家に躾られ、育てられたのですね。

貴方を躾て下さったお家の方々に、感謝しなくてはいけませんよ」

目を細めながら『その方』は、おっしゃられた。

私はその言葉を聞き、少し戸惑った。

叱られる事には慣れていたけれど、自分が褒められた事など今までほとんど無かったから。

だから、余計嬉しかった。

自分が、褒められた事が。

そして、それ以上に自分を躾てくれた家族を褒められた事が。

私は嬉しくて嬉しくて、大きな声で返事をした。

「はい!

有難うございます!!」

『その方』は微笑み、

『また、いつでもいらして下さいね・・・』

と言って下さった。

私達はまた訪れる事を約束し、家路に向かった。

帰り道、ふと見ると、きよが微笑んでいた。

私は不思議に思って、きよに聞いた。

「どうしたの?

きよ」

きよは、嬉しそうに言った。

「嬉しいのです・・・。

ゆきさまが、褒められて・・・」

「私が、褒められて?」

「はい。

ゆきさまが褒められると、私も・・・嬉しいです」

そう言うと、きよはまた微笑んだ。


『私が褒められると、きよも嬉しい』


もしかしたら、きよが感じたこの『気持ち』と、私が感じた『気持ち』は一緒なのかもしれない。


私も家族が褒められて、とても嬉しかった。

私達は、お互いの事を『大切』に思っている。

だから、その『大切』な人が褒められると、『自分』の事のように嬉しい。


私は『その方』の言葉通り、しっかりと躾てくれた家族に感謝しなければならないと思った。

そして、今まで以上に『行儀作法』や『礼儀作法』に気を付けなければならないと思った。

少し気を抜くと楽な方へ逃げてしまうけれど、自然に出来るように、ちゃんと身に付けたいと思った。

それは自分の為だけではなく、他の人を不快にさせない為の『礼儀』であり、『心遣い』であり、また躾てくれた家族の為でもあるから。


その数週間後、私は家にあった紅葉の干菓子(ひがし)を小さな薄緑色の箱に入れて持ち、『その方』の家を再び訪れた。

しかし『その方』は、数日前にお亡くなりになっていた。

家は閉ざされ、中に入る事が出来なかった。

私は、茫然とした。

あの時の御礼を、お返しに来たのに・・・。

『あの方』と、もっと色々な話をしたかったのに・・・。

私は立ちすくみ、その場で泣いた。

しばらく泣き、ふと見上げると裸木(はだかぎ)が目に入った。

あの時見た、紅葉の木だった。

『あの方』が愛した紅葉は、『あの方』と一緒に散ってしまった。

私は自分の持って来た箱の中から紅葉の干菓子を一つ取り、その裸木に重ねた。

もしかしたら、再び『あの方』にお会い出来るのかもしれないと思った。

どんなに待っても『あの方』とまた会う事は出来ないと分かっていたけれど、待ちたかった。

待って・・・待って・・・待ち続けた。

勿論いつまで経っても、会えなかった。


私は、家に帰る事にした。


そして、別れ際に呟いた。


「また来年、紅葉を見に来ます・・・」


_ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _



『あの方』と紅葉を思い出していると、冷たい風に乗って一葉の紅葉が舞って来た。

紅葉はひらひらと舞い、私の足元に落ちた。

私はその紅葉を拾い上げ、駆け出した。


『待っている』


そう言っている気がした。


『あの方』の家に近づく度に、私を包む紅葉が二葉、三葉と増えていった。

早く行かないと、紅葉が散ってしまうかもしれないと思った。

私は走って走って走って走って、そして走った。

『あの家』の角を曲がると、『あの時』と同じ紅葉が目に飛び込んで来た。

私は、息を呑んだ。

真っ赤な花を、咲かせているようだった。

私は紅葉に近づき、見上げた。

空が、紅葉色だった。

美しかった。

その時、強い『山風(やまかぜ)』が吹いた。

紅葉が、舞った。

青い空が、見えた。


私は『古今和歌集』の、ある一首を思い出した。


『恋しくは 見てもしのばむ もみぢ葉を 吹きな散らしそ 山おろしの風


- 恋しくなった時、紅葉を見て偲ぼうと思っているのだから

  どうか山風よ 吹き散らさないでおくれ』


この歌は『恋の歌』だけれど、人を偲ぶ気持ちに変わりはない。


私は紅葉を見つめ、願った。


『どうか、まだ散らないで・・・』

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