*** 6 ***
二日後の式典はとんでもない人出だった。
超広大な式典大広場には億を超える人々が集まり、高さ二十メートルもある壇上のひかりちゃんに大歓声を送っている。
なにしろ大惨事を救った大英雄が主賓の大祭典である。
ひかりちゃんはあの天女の羽衣のように見えるガウンを着ていた。
まるで女王様が座るような豪奢な椅子に座ったひかりちゃんの左右には、正装に身を包んだ大統領閣下と、あの巨躯のゲオルギー閣下が立っていらっしゃる。
まるで二人ともひかりちゃんの臣下のような風情だ。
ソフィアーノくんは後ろの方に控えている。
十分経っても超大歓声は止まない。
先頭の方の人々は、ニュースを見て二日前から徹夜で待っていたそうだ。
そのひとたちは、直接プリンセスひかりさまを見た感激のあまりみな泣いている。
あの親切なフリマの食料品店のおばさんも、ネットビジョンの前で腰を抜かしていた。
後日、ジュサイアくんを通じてひかりちゃんの許可をもらったおばさんは、フリマの防犯カメラに映っていた映像を写真にしてお店に飾った。
それはジュサイア兄妹と一緒に微笑みながらおばさんの店の前に立つ、プリンセスひかりさまの写真だった。
その後、おばさんのお店は超大繁盛することになる。
式典会場では、ひかりちゃんが微笑んで小さく手を振り始めると、大歓声はさらに高まった。
進行の声がかすんで聞こえない。
怒涛の超大歓声は三十分も続いた。
ようやく大歓声が収まって式典が進行し始めると、ゲオルギー閣下がぼそりと言う。
「やれやれ、この大歓声はこの場だけではないの。
ワシの母惑星だけでなく、この辺りの宙域全体や、たぶん銀河全域で凄まじい大歓声が起こっていたことじゃろう。
もしプリンセスひかりが次の選挙に出馬されたら、ワシの大敗北は間違いないのう……」
ひかりちゃんはにっこりと微笑んで言った。
「わたくしまだ銀河標準年齢で十五歳ですもの。
まだ被選挙権はございませんわ、閣下」
閣下も微笑んで仰られた。
「プリンセスひかりが被選挙権を得られるまでにはワシも引退するとしようかの。
ところでプリンセス」
「はい。何でしょう閣下」
「そのお召し物じゃが……」
閣下はひかりちゃんが着ているあのガウンを興味深そうにご覧になっている。
「さすがに素晴らしい毛織物じゃのう。
まるで天使が身につけるもののようじゃ」
惑星ゴッツォの大統領閣下も仰った。
「さすがは地球産の毛織物ですな。見たこともない素晴らしい出来栄えです」
「いやですわ大統領閣下」
「と、仰いますと……」
ひかりちゃんはにんまりして言った。ちょっとドヤ顔である。
「だってこちらのガウンはこちらの惑星ゴッツォのハイランド地方産ですもの。
ゴッツォ羊の毛で、わたくしのドローンたちが作ったものですのよ」
両閣下が絶句した。
「わ、わしの母惑星の目と鼻の先に、こっ、これほどの羊毛があったとは……
わしも耄碌したもんじゃな。
やはり早めに引退するとしようかのう……」
「閣下は羊毛にお詳しいのですか?」
ゲオルギー閣下は胸を張った。
「貧乏牧場の三男から身を立て、故郷星を毛織物の一大産地にし、とうとう銀河連盟評議会の議員にまで昇りつめた立志伝中の人物とはワシのことじゃ」
「それでは閣下。わたくし後で閣下に折り入ってお願いがございますの」
「プリンセスひかりのお願い……
それはこの先短いワシの命に代えても果たさねばいかんな……」
「ありがとうございますゲオルグ・ゲオルギー閣下……」
「プリンセスひかり」
「なんでございましょうか閣下」
「も、もしよかったら、ワシをゲオルグじいちゃんと呼んではもらえんじゃろうか……」
ひかりちゃんはまたにっこりと微笑んだ。
「はいゲオルグおじいちゃん……
その代わり、わたくしをひかりちゃんって呼んで頂けますか……」
ゴッツォの大統領閣下は、ゲオルグ・ゲオルギー銀河連盟評議会議員閣下の目に涙が滲んだのに気がついた……
大式典のフィナーレは、惑星ゴッツォの銀河連盟加盟一千周年のカウントダウンの予定であった。
だがそれは急遽変更され、カウントダウンの後の、プリンセスひかりさまとその防衛AIであるソフィアーノくんへの英雄勲章の授与式になったのである。
惑星ゴッツォの大統領閣下が惑星ゴッツォ最高英雄勲章を、ゲオルグ・ゲオルギー閣下が惑星ビジュア最高英雄勲章を、プリンセスひかり殿下とソフィアーノくんの首から下げると、超絶大観衆の感激はここに極まった。
そうしてプリンセスひかり殿下が立ち上がられて大観衆に手を振ると、さらに怒涛のような大歓声が辺りに響き渡ったのである。
式典会場の一億五千万人の大観衆のほとんどが泣いた。
その後、英雄光輝のみならず、プリンセスひかりの誕生日も惑星ゴッツォの祝日になったそうである。
ゲオルグ・ゲオルギー閣下は、ひかりちゃんのおねだりに基づいて、ハイランド地方に傘下の毛織物産業の会社を設立された。
その目的は営利事業だけでは無く、ハイランド地方の毛織物産業の保護育成、とりわけ貴重なゴッツォ羊の飼育される牧場の保護を主要業務にしていた。
惑星ゴッツォの大統領閣下も、その保護を大統領府直轄にしてこれを大いに助けたという。
どうやら惑星ゴッツォに新しい特産品が出来たようだ。
地球に帰ったひかりちゃんは、すぐにおとうさんやおかあさんに抱きしめられた。
おとうさんはおんおん泣いている。
しばらく経ってから、ひかりちゃんとソフィアーノくんは、またおとうさんに呼ばれた。
別邸の大広間には、龍一おじさんや豪一郎おじさん、厳空おじさんや厳真おじさんや厳上おじさんとその奥さんたちもいた。
もちろんディラックさんとソフィアさんもいる。
ディラックさんとソフィアさんのアバターは、以前に比べて少し大人っぽくなっている。
どうやらみんな今までソフィアーノくんが豪一郎おじさんに提出していた、あのハイランド地方での一部始終を記録した映像を見ていたらしい。
目を赤くした豪一郎おじさんが、みんなを集めて「是非これを見てほしい」と言ったそうだ。
ひかりちゃんはずいぶん後になって教えてもらったが、その映像記録を見た龍一おじさんが、涙もぬぐわずに仰っていたそうだ。
「光輝くん、奈緒ちゃん。キミたちの娘さんは素晴らしい子に育ったねえ。
あの銀河連盟評議会の重鎮、ゲオルギー閣下まで完全に崇拝者にしちゃったのも当然だね。
僕も名付け親として実に嬉しいよ」
ひかりちゃんとソフィアーノくんが部屋に入ると、その場の全員が微笑んでくださった。
奥さんたちの頬は全員涙で濡れている。
きっとあの兄妹たちの様子を見たせいだろう。
ソフィアさんが立ち上がった。
「ソフィアーノさん。
本当によくやってくださいました。
見事にひかりさんをお守りしただけでなく、一千人もの方々や一つの地方まで丸々救ってくださったなんて」
そう言ったソフィアさんはソフィアーノくんを抱きしめた。
ソフィアーノくんの体がびくんと動く。
そうしてソフィアさんは、ソフィアーノくんを抱きしめたまま、その頭をやさしく撫で始めたのである。
「本当にお見事なご活躍でした……
わたくしからも心からお礼を申し上げます……」
突然ソフィアーノくんの手がだらんと垂れた。
ひざもがくんと力が抜けてずるずると体が下がって行く。
ひかりちゃんが驚いて見ていると、ソフィアさんはにっこり微笑みながらその場に座って膝の上にソフィアーノくんの頭を乗せた。
まだ優しく頭をなで続けている。
ひかりちゃんが慌てて近寄ってソフィアーノくんを覗き込んだ。
ソフィアさんが微笑んで言った。
「だいじょうぶですよ。
どうやら少し機能停止しているだけのようですから……」
ひかりちゃんの目には、ソフィアーノくんの閉じた目から一筋の涙が流れ落ちるのが見えた。
そうして……
ソフィアーノくんが小さな声で、「…… ママ ……」と言うのが聞こえたのである。
思わずひかりちゃんの目にも少し涙が滲んだ。
おとうさんが言った。
「それでひかりちゃん。
ひかりちゃんは今度の大冒険で何を思ったかな?」
なぜだかわからないけどおとうさんの雰囲気はいつもと違う。
ひかりちゃんは少しため息をついて言った。
「生きて行くのってたいへんなのね」
おとうさんは先を促すように微笑んでいる。
ひかりちゃんの脳裏には、ジュサイアとジュミー兄妹とそのおかあさんの姿が浮かんでいた。
やつれてはいても幸せそうなおかあさんの微笑みと、それからあの働き者のドローンたちも……
「でも…… 家族がいるから生きていけるのね……」
おとうさんはまた不思議な微笑みを強くした。
厳真おじさんが微かに頷いている。
後日ひかりちゃんは厳真おじさんにあのときの微笑みについて聞いてみた。
厳真おじさんは微笑みながら教えてくれた。
「ひかりさんも気づいておられましたか。
三尊さまは、極めて稀ながらああした微笑みをされることがあります。
あれはたぶん、三尊さまの後上方におわすお釈迦さまが、三尊さまのお体を借りてひかりさんに微笑んで下さったのでございましょう」
厳真おじさんは静かに合掌した。
数日後、ひかりちゃんは庭でアフタヌーンティーを頂いていた。
庭の隅の日当たりのいい場所では、園丁ドローンたちがあのゴッツォのリンゴの種を植えている。
リンゴが実ったら、ひかりちゃんはそれを弟妹たちに食べさせてあげようと思っていた。
このセカンドアースの生態系管理AIとして働いている、ディラックさんの分弟のニールスさんも監督していたが、ほとんど口は出さずにずっとにこにこしながらドローンたちの作業を見守っている。
ひかりちゃんがフト首をかしげる。
「ねえソフィアーノ」
「なんでございましょうかひかりお嬢さま」
「なんかドローンたちが鉢巻してるんだけど……」
「そ、そうでございますか……」
「なんでそんなものしてるのかしら?」
「さ、さあ、な、なぜでございましょうか……」
ひかりちゃんはおどおどしているソフィアーノくんを少し睨んだ。
「ドローンをひとり呼んで頂戴」
「そ、そそそ、それは……」
「早く呼ばないと代わりにエリザベートを呼ぶわよ!」
その声が届いたのかニールスさんがちょっとこっちを見た。
観念したソフィアーノくんはドローンを呼んだ。
ひかりちゃんはドローンに言って鉢巻を取らせた。
ドローンは嬉々として鉢巻を外している。
そしてそのおでこには、「ひかりさま命」という文字が書いてあったのである。
「なにこれ……」
「へぇ。あっしらゴッツォに残られたおカシラからいろんなもんを伝授されたんでやす。
んで、そん中にあのフリマでひかりお嬢さまに抱きしめて頂いた、おカシラの意識が強烈に残っておりやしたんでこうなりやした」
「…………」
呆れたひかりちゃんがよく見ると、ドローンの肩から腕にかけての部分にも小さな文字が見えた。
ひかりちゃんが顔を近づけてよく見ると、そこには、
「目指せ! ひかりさまのおっぱいの谷間」と書かれていたのである。
ひかりちゃんは一秒で沸騰した。
「ソフィアーノっ! ソフィアーノはどこっ!」
ソフィアーノくんはテーブルの下でまたダンゴムシになっていた……
一週間後、ひかりちゃんに、あのゴッツォのジュサイアくんから恒星間映像通信がかかってきた。
その横にはジュミーちゃんと、後ろにはゲオルグおじいちゃんの巨体と笑顔も見える。
「ええっとぉ。こ、ここに向かって喋ればいいのかな。
あ、ああ、プリンセスひかりさま」
「ひかり姉ちゃんでいいわよ」
「ああ、うん。
姉ちゃん、この前はありがとうな。
とうちゃんも無事退院したけど、ドローンたちがすげぇ勢いで猛烈に働いてくれてるんで、もうとうちゃんもあんまり無理しなくてもよくなったし……」
兄妹の後ろでは兄妹の父親らしき美形で実直そうな男性が頭を下げている。
その横では血色も良くなって、より綺麗になった兄妹たちの母親も頭を下げている。
「でもゲオルグじいちゃんが子ひつじを三百頭も連れて来たもんだから、まあ仕事もけっこうたいへんなんだけどな。
毎日ひつじたちに、じいちゃんが持ち込んだ小麦も喰わせてやらなきゃなんないし」
ひかりちゃんは微笑んだ。
閣下はジュサイアくんとジュミーちゃんにもゲオルグじいちゃんと呼ばせているらしい。
「それで、今日は姉ちゃんにお願いがあって電話したんだ。
あのピカピカの羊毛を、『プリンセスウール』って名付けて最高級ウールとして売り出したいんだけどさ。
ゲオルグのじいちゃんが姉ちゃんに頼んで許可をもらってみろって言うんだよ」
ひかりちゃんはにっこりと微笑んだ。
「もちろんいいわよ」
「ありがとな姉ちゃん。
それからさ。
あのガウンなんだけど、なんかそこいら中で大評判になっちゃっててさ。
あれ姉ちゃんの名前を付けて売り出したいんだけどいいかな」
「それももちろんいいわよ」
まあ、そのためにわざわざ式典で着ていたガウンである。
あれ以上の宣伝は無かっただろう。
ジュサイアくんはほっとしたようだ。
「ほんとうにいろいろありがとうな、姉ちゃん。
今度またリンゴが実ったら必ず送るからな」
「ありがとう! おねえちゃん!」
ジュサイアくんとジュミーちゃんに笑顔で手を振って、ひかりちゃんは通話を終えた。
ひかりちゃんの心は、またほっこりと暖かくなっていた……
それからまた一カ月後。
ソファに座って紅茶を頂きながら、ひかりちゃんは銀河宇宙のモード雑誌を見ていた。
ひかりちゃんが開けたページの記事は自動的に日本語に翻訳されている。
そうしてその中に、「あのプリンセスひかりさまのガウンが、セレブの間で大流行!」という記事を見つけたのである。
その価格はなんと一着五千クレジットもしていた。
あのフリマでの価格の百倍である。
(これでもうジュミーちゃんも毎週必ずプリンを作ってもらえるようになったわね……
それからあの最初にガウンを買って下さったご夫婦、きっと得をしたって喜んでくださっているわ)
ひかりちゃんは上機嫌でその記事を読み始めた。
そこにはあの式典でのひかりちゃんの写真も大きく掲載されている。
そうして…… モデルさんたちが着ているガウンの紹介記事のところには、
「セレブでも入手に一カ月待ちの、『プひかりガウン』」と書かれていたのであった……
ひかりちゃんは瞬間沸騰した。
もう少しで水蒸気爆発も起こしそうである。
「ソフィアーノぉっ! どこへ行ったのソフィアーノぉっ!」
そのころソフィアーノくんは、天井の隅にへばりついてまたダンゴムシになっていた……
手足の先には大きな吸盤がついている。
また、ご丁寧にその体と執事服には天井と同じ模様の光学迷彩が施されていた。
どうやらまたみょーなアバターを作っていたらしい……
(つづく)