*** 10 ***
空間特異点地帯の向こう側の補強作業が終了すると、エリザベートは特異点部分に鉄隕石を貫く細い穴を開けさせ、そこにやはり立方晶窒化炭素製のボルトのようなものを入れさせた。
慎重に一本ずつ穴を掘ってボルトで埋めてゆく。
しばらくすると、鉄隕石のこちら側とあちら側は数千本のボルトで補強された。
同時に中央を貫く通行用の穴も直径百メートルほどに拡大されている。
「これでもう補強は十分でございましょう。
あちら側の観測を本格化いたします」
重装甲に改造された探査用プローブドローンが再度派遣された。
すると、穴のすぐ向こう側に長さ三十メートルほどの小型宇宙艇が浮かんでいたのである。
どうやら離れたステーションから苦労して近づいて来た宇宙艇のようだった。
宇宙艇の窓からは不規則に発行する光が見えた。
「なんだいありゃあ……」
バルガーが呟く。
「あれは古代に使用されていた発光信号ですね。
『コチラへクルナ! キケン!』と言っています」
「そ、そんな原始的なもん……」
「向こう側では航法AIも生き残っていたのでございましょう。
航法AIなら知っているはずです。
ブロートーチを使ってドローンに返事をさせます」
ドローンがトーチを操作して「リョウカイ」と返事を送ると先方は安心したようだ。
まもなく発光信号が変わった。
「フネノ カクユウゴウスイシンリョクガ ナクナリ キカンフノウニナル ソノバニトドマッテクレ ユウセンデノ タイワヲ キボウ」
ただちにドローンが返事を送った。
「リョウカイ シバシマテ」
あちら側ではケーブルに繋がれたドローンが二体、旧式の化学推進剤を利用したバーニアで宇宙艇に近づいて行った。
どうやら化学反応や燃焼現象は無事起きるようだ。
こちら側の宇宙のベビーユニバースだけあって、完全に物理法則が全て異なっているというわけでもないのだろう。
まもなく先方の宇宙艇の外部端子に一体のケーブルが接続される。
そのドローンはもう一体に抱えられて無事帰って来た。
すぐにひかりちゃんの前のスクリーンに先方の宇宙艇の内部が映った。
「やあ、慎重なひとたちで助かったよ。
なまじっか宇宙艇が通れる隙間が空いてたもんだから、みんなこっち側に宇宙艇ごと来てしまって帰れなくなってたんだ」
顔中ひげ面の男はそう言って嬉しそうに微笑んだ。
エリザベートも微笑みながら答えた。
「ご無事でなによりです。
これより救助作業を開始させていただきます」
ひげ面の男は少し表情を曇らせた。
「だけど危険だよ。こちら側では核融合エンジンが使えないんだ。
旧式の化学推進剤の姿勢制御バーニアでゆっくり移動するしか方法が無いんだよ。
どうやらこちら側では物理法則が変わってるらしいんだ」
「ご安心ください。化学推進剤推進機も強力なものを持っております」
「だけど…… 実はステーションにはかなりの人数がいてね。
ほとんど全員資源節約のためにコールドスリープ中だけど。
僕ら見張り要員は数人起きてるけどね」
「ヒューマノイドの方は何人いらっしゃるんですか?
あとAIさんも……」
「ああ、ヒューマノイドだけで1280人もいるんだ。
やっぱり資源節約のために機能停止しているAIも1350体いるな」
「そ、そんなにいるんか……」
バルガーさんが仰け反っている。
「重層次元もほとんど使えなかったんだけど、幸いにも彼らAIの本体もすぐに通常空間に逃れて無事だったんだ。
中には気づくのが遅れて避難が間に合わなくて、こちら側でも次元の狭間で行方不明になっている気の毒なAIもいるんだけど……」
ひかりちゃんが叫んだ。
「そ、その中にミッシェル・サンダースさんというという方はいらっしゃいますかっ! い、一年半ほど前に遭難された……
あ、あとそのAIのご夫婦も……」
「えっ! ミッシェル・サンダースは俺だけど……
AIたちも今無事に眠ってるよ」
突然嬉し泣きに泣きだしたひかりちゃんを見て、サンダースさんはびっくりしていた……
有線回線の向こう側のサンダースさんも交えて、ひかりちゃん達は即席の会議をしている。
「ドローンを派遣してケーブルをステーションに繋いで牽引して来たらどうかしら」
「実はステーションは相当に脆弱でね。
牽引に耐えられるかどうか自信が無いんだ。
それにステーションの周りには機能停止中のAI本体もたくさん浮かんでるしね……」
「やはり化学推進剤エンジンを積んだ宇宙船を派遣して、ステーションにドッキングさせて救助した方がよろしゅうございますね」
「だ、だけどそんなに大きな宇宙船をこちら側に持ってこられるのかい?
どうやら空間特異点の周囲は補強してくれたみたいだけど。
まあ三百回ぐらいに分けたら小さい船でも大丈夫かな。
それにそちらの宇宙船にもそんなにいっぺんには乗れないだろうし」
「ご安心くださいませサンダースさま。
こちら側には、そちら様の一千倍の人数でも搭乗可能な宇宙船がございます」
サンダースさんは相当に驚いたようだ。
「ず、随分大規模な救助隊で来てくれたんだね。
な、何人ぐらいの救助隊なんだい?」
ひかりちゃんがにっこりと微笑みながら答えた。
「あら。わたくしたちだけですわ」
サンダースさんは本当に驚いていた。
「それでは今から強力な化学推進剤推進機を持つ船をご用意させていただきます。
それまで少々お待ち願えませんでしょうか」
エリザベートがそう言うと、サンダースさんは少し顔を曇らせた。
「大丈夫かなぁ。たとえそちら側からの有線駆動にしたとしても、化学推進剤機ってけっこう扱いにくいからなあ。
旧式過ぎてAIでも扱ったこと無いだろうし。
この僕も慣れるまで半年もかかったんだよ。
ましてステーションとドッキングして中のひとたちを運び出す作業なんて」
「問題無ぇ。俺が行く」
バルガーさんがそう言ったのでみんなが驚いた。
「なぁに、ガキのころバウンティーハンター見習いになって宇宙艇の操縦を習った時分にゃあ、核融合駆動なんざぁ使わせてもらえなかったのよ。
ほとんど化学推進剤推進機のボロ船で練習させられたもんだぁ。
そっちの方が早く慣れるって言われてなぁ。
そんなもんがこんなところで役に立つたぁ思わなかったぜ」
「バルガーさん。あ、ありがとうございます……」
「なぁにプリンセスひかりさま。心配ぇは要らねえ。
もし俺がしくじっても行方不明者が一人増えるだけのこった」
「プ、プリンセスひかりさまって……」
画面ではサンダースさんが盛大に仰け反っている。
バルガーさんがにやりと笑った。
「おうよ。
こちとらあのプリンセスひかりさまがお作りになられた特別救助隊よぉ。
頭数は少くねぇが、装備と言い資源といいメンツといい、銀河最高の救助隊でぇ。
大船に乗ったつもりで待ってな」
その大船は空間特異点の向こう側にある穴から姿を現した。
全長三百メートル、太さ五十メートルほどのほっそりした純白に輝く船である。
どうやら向こう側では遮蔽フィールドも使えないようなので、立方晶窒化炭素で厳重に装甲しているらしい。
通行用の通路から姿を現したその船は、周囲に無数のバーニアを展開し、併せてこちら側の超強力ウインチに繋がれた高張力ケーブルも八本も引きずっている。
その後ろには、やはりウインチにケーブルが繋がった推進剤入りタンク船が四隻、各種資源を積んだ輸送船は八隻も随伴していた。
「それにしてもまぁ、でっけえメイン推進機だぁなあ。
それに補助エンジンもやたらにあるし」
スクリーンでバルガーさんがそう言うとエリザベートが微笑んだ。
「旧式で資源効率も悪いのですが、その船は最大十Gで三カ月間航行可能です。
資源や食糧は念のため十年分積んでいます」
バルガーさんは口笛を吹いた。
「さすがぁプリンセスだ。やることがパネエ」
サンダースさんはさっきから仰け反ったままだ。
さすがは超ベテランバウンティーハンターのバルガーさんである。
扱いにくい化学推進剤推進機を見事に手動操作して、まもなくステーション近傍に無事に船を止めた。
ただちにケーブルに繋がった無数の装甲工兵ドローンが出て来て、ステーションと宇宙船の間に連絡通路を構築している。
というより、その通路は宇宙ステーション全体よりも太かった。
ステーションを丸ごと呑みこんでいる。
これならドッキング作業も必要無いだろう。
近傍宇宙空間に浮かんでいるAIの本体たちにも、無数のドローンが次々に救助に向かっている。
まもなく全員の収容作業が始まった。
サンダースさんも無事船に移乗して、バルガーさんとがっちり握手を交わしている姿がひかりちゃんの前のスクリーンに映っていた……
翌日、全員を収容し終わった船でこちら側に帰ってきたサンダースさんは、また盛大に仰け反った。
そこには十光日ほど離れたところに、全長十キロメートルに及ぶ巨大輸送船が二隻も浮かんでいたのである。
輸送船の一方は、すでにエリザベートが1280人のヒューマノイドと1350体のAIの受け入れ準備を終えていた。
ドローンたちによる収容作業が続く間、サンダースさんとそのお供のAIたちはひかりちゃんの船に招待された。
その巨大なリビングルームに通されたサンダースさんたちはまたもや盛大に仰け反っている。
とても宇宙船内とは思われない、その広大かつ豪奢な空間に落ち着くと、サンダースさんがため息をついた。
大きな窓からはバーチャルながら森の風景まで見えるため、解放感も素晴らしい。
「昨日バルガーさんも言ってたけど、とんでもない装備と資源だね。
それにしても、本当にどうもありがとう。
まさかこれほどまでの超大規模な救助隊が来てくれていたとは……
せめて僕の分の救助費用は、これから一生懸命働いて返していくよ。
何年かかるかわからないけど……」
「その必要はございませんわ。
私どもはその目的を果たすことが出来ましたのですもの」
ひかりちゃんが微笑んでそう言うと、バルガーさんもにやにやしながら言った。
「そういうこった。
お前ぇやステーションの連中は、ほんのついでに助けられたんだぜぇ。
プリンセスひかりさまの目的は別にあったのよ。
その目的も十分に果たされたぁな。
だからたぶんプリンセスさまは、びた一文請求されたりはしねぇと思うぞ」
「プ、プリンセスの目的って……」
ひかりちゃんは二人のAIに向き直り、こぼれんばかりの笑顔で言った。
「本当にご無事でなによりでした。
お二人をご救助出来てこころより嬉しく思います」
「ま、ままま、まさかこの超絶大救助隊の目的って……」
「はい。こちらにいるエリザベートの可愛い部下であり、いつもわたくしを守ってくれている大切な大切な防衛AIであるソフィアーノのご両親を発見・救助することだったのでございます。
重ねてご無事でなによりでした」
ひかりちゃんはそう言うと、完全に固まっているソフィアーノくんそっくりのAIのご夫婦アバターに向かって丁寧に頭を下げた……
急遽地球から呼び寄せられたソフィアーノくんは、ギルドステーションでご両親にしがみついて三時間も大泣きした。
ご両親も一人息子を抱きしめながら大泣きしていた。
ギルドステーションは1200人を超えるひとびとと、1300体を超えるAIのアバターとでごったがえしている……
ベビーユニバースで次元の狭間で行方不明になっていたAI本体たちも、幸いにもエリザベート指揮下のドローンたちの慎重な捜索で全員救助された。
ひかりちゃんとエリザベートはまたギルドマスターの応接室でバルガーさんと向かい合っていた。
その横にはサンダースさんもいる。
ひかりちゃんが微笑んで言う。
「本当にどうもありがとうございました。
それからおめでとうございますバルガーさん。
2600人を超える分の賞金ゲットですね。
それから特別懸賞金も」
バルガーはため息をついて言った。
「いいやプリンセス。賞金は要らねぇです」
「えっ。どうしてですか……」
「俺が助けたわけじゃあねえ。
そこにいるプリンセスのAIの姐さんと、プリンセスご自身が助けられたんだぁな。
それからあのR18号もな……
だから賞金はプリンセスのもんだ」
「いえ、わたくしが賞金をいただくわけには参りません。
それにおカネはいくらあっても邪魔にはなりませんわ」
「いやもう賞金は十分でぇ。
そんなもん頂戴してもどうせ呑んじまうだけのこった」
「でしたらバルガーさん。
故郷のビジュア星の、お気の毒な子供たちのための養育施設にご寄付なされたらいかがでしょうか。
バルガーさんの弟さんや妹さんがお世話になったというその施設に。
故郷を飛び出たバルガーさんが大成功されたおカネで養育施設が拡充されたら、きっとゲオルグおじいちゃんも大喜びされると思いますわ」
「閣下が……」
「それにわたくしからゲオルグおじいちゃんにお願いして、その養育施設にバルガーさんのお名前をつけてもらいますね」
ひかりちゃんはにっこり微笑んだ。
ゲオルグ・ゲオルギー閣下は、ひかりちゃんに協力して生涯通算で総計四千名以上もの行方不明者を発見した英雄バルガーの手を取り、涙ながらにお褒めの言葉を下さったそうだ。
二人の巨人はがっしりと抱き合ったまま三十分も泣き続けていたらしい。
その後、大幅に拡充された惑星ビジュアの養育施設の名は、「英雄バルガー記念養育施設」になったそうである。
地球に帰ったひかりちゃんは、すぐに瑞祥石材に依頼して、ひかりちゃんの部屋の外に広がる庭園の隅にR18号のお墓を建てた。
その大きな石の表面には「R18号のおはか」とある。
また、その裏面の墓碑銘には、
「その大いなる責任感と尊い犠牲により、探査プローブドローンR18号は1280名もの行方不明者と1350名もの行方不明AIを発見することとなった。
その最後の言葉は、『ありがとうございましたひかりお嬢さま。わたくしはお嬢さまのお役に立てて本望でございます……』であった。
その忠節の英雄R18号ここに眠る……」
と刻んである。
その葬儀には邸の全員と、すべてのAIとドローンが参列した。
祭主は厳真大僧正様が務めてくださった。
また、エリザベートが邸中のすべてのドローンたちに随時お参りを許可したため、その後も墓前には花や新品のオイルが絶えることは無かったそうである。
ひかりちゃんの弟妹たちが作った折り紙の置きものもたくさん置いてあったそうだ。
もちろん葬儀にはディラックさんとソフィアさんも出席していた。
そのため、葬儀の様子は「月刊ディラックさま通信」と「月刊ソフィアさま通信」を通じて全銀河のAIたちも知るところとなった。
その発売日には、全てのAIが感激の涙に暮れて仕事にならなかったせいで、銀河全域であらゆる活動が停滞したそうである。
またその後、「ディラ通」「ソフィ通」編集部は、前号へのあまりの反響の大きさから、この葬儀の発端となった捜索活動の取材を続けることとなった。
そうして、この大捜索で救助されたAIやサンダース氏への取材や、第八象限バウンティーハンターギルドへのインタビューなどを通じて、この捜索活動の全容を知るところとなったのである。
この銀河史に残る大捜索態勢は、十キロ級大型輸送・工作船二隻、三十キロ級弩級輸送・工作船三隻、さらに実に一千億個の救難信号中継装置とその敷設船一千隻がつぎ込まれていたのである。
その他にも賞金総額だけで五億クレジットを越えていたのだ。
また、その発見賞金は、ヒューマノイドもAIも同額だったとのことであった。
そうして、これらの大捜索態勢は、そもそもはなんとたった二体のAIを発見、救助することが目的だったのである。
それ以外の五千人を超えるヒューマノイドと四千体近いAIの救助は、ほんのついでの成果だったのだ。
そうしてその目的となった二体のAIとは、若干十五歳にしてこの捜索の陣頭指揮を取られた、あのプリンセスひかり殿下の専従防衛AIのご両親だったというのである。
殿下は、ご両親が行方不明になった自らの防衛AIを不憫に思われて、この驚異的な大捜索態勢を整えられただけでなく、自ら銀河最果ての地での捜索にまで参加なされていたのだ。
しかもなんと御自らが発見・救助されていたのである。
それにはもちろんあの英雄KOUKIのみならず、ディラックさまやソフィアさまも全面的にご協力されていたそうである。
この大驚愕の事実を載せた特集号は、全銀河宇宙のAIたちを壮烈に感動させた。
感激のあまりに、全銀河宙域で総計数十兆ものAIが数秒間機能停止した程である。
雑誌発売の瞬間にはすべてのAIが泣きだし、そのうちの多くが機能停止したために、周囲のヒューマノイドたちも相当に驚いていたらしい。
ある惑星防衛軍のヒューマノイドの高官は、「咄嗟に新型ウイルスによるAIへの一斉攻撃と思い、思わず警報装置を起動させてしまいました……」と語った。
そうした警報が起動された惑星は、全銀河で数十万に及んだそうである。
それらの惑星では、プリンセスひかりは、「全銀河AI一斉停止装置」もしくは「AI軍元帥」という異名で呼ばれて畏れられているらしい。
その二つ名は、その後全銀河宙域にも拡大して行くことになる。
そうして……
異例中の異例ではあったが、銀河AI組合連合は、ヒューマノイドであるプリンセスひかり殿下に感謝の称号を贈ることとなったのである。
その称号とは、「AIの守護聖人」というものであった……
ひかりちゃん自身は気づいていなかったが、これでAIにとってはますます地球の聖地としての扱いが重くなった。
また、仮にひかりちゃんがひと言発すれば、全銀河のAI300兆が動くことにもなったのである。
「AI軍元帥」という異名もあながち間違ってはいなかったようだ。
もちろんそのことを知っているディラックくんとソフィアさんとエリザベートだけが微笑んでいた……
それからの一年ほどで、第八象限ではさらに総計二万人を超える行方不明者とAIが発見・救助された。
その後は全ての装備がさらに拡充され、その大捜索態勢は第七象限から第一象限にまで順次広がって行く予定である。
この功績により、銀河連盟もプリンセスひかりに「銀河功労勲章」を贈った。
ひかりちゃんが銀河連盟から頂く初めての勲章であった……
光輝おとうさんのご機嫌はことのほか麗しかったそうである。
あの空間異常についてはすべてが銀河連盟の手に委ねられている。
先方の宇宙と交流するか、それとも永久に塞いでおくか熱心に議論が為されているらしい。
(つづく)




