扉の向こう
地下に戻る前に、テアが着替えを終えていた。
リリアが渡した予備のチュニックと上着。その上にゲルトが出した古い麻のローブ。臭いのない布で何枚も重ねて、それから下に入った。
回廊に戻ると、テアが足を止めた。
「臭いがします」
「壁硝の臭いじゃないのか」
「違います。もっと奥から」
ゲルトが袋を持ち上げた。「行けるか」
「この先に、地図にない場所があって。一人だったので引き返したんですけど」
ヴェルナーが弓を手に持つ。
ゲルトが頷いた。
◇
天井が高くなる。柱が途切れる。足音の返り方が変わった。
ゲルトが壁に手をあてた。
石の継ぎ目。隙間がない。漆喰が剥がれていない。
手を離して、天井を見る。梁の金物。錆びてはいるが、まだある。
何も言わず、また歩く。
床に、石の塊があった。
崩れている。白い粉が周りに散っている。翼のような、そうでないような形が残っていた。
ゲルトが一度だけ見た。
また歩き始めた。
◇
もう一つあった。
壁際に。柱の陰に。
これも崩れている。こちらの方が大きかった。床に食い込んだ爪の跡。長い引っ掻き傷が石床を走っていた。
ヴェルナーが立ち止まる。傷を一度見て、また歩く。
何も言わない。
もう一つ。また一つ。
奥へ進むにつれて、増えていった。
◇
階段を上がった先に、広い部屋があった。
壁硝が一面に積もっている。手つかず。テアが正しかった。
部屋の奥に、もう一つの扉があった。
閉まっている。
テアがロッドを構えた。
「いる」
◇
扉が、内側から開く。
翼がある。四肢がある。人ほどの高さ。石の肌。風化して白い。
ゲルトが荷棒を持つ。ヴェルナーが矢をつがえる。
リリアは動けなかった。石像ではなかった。目が、光っていた。
◇
テアが息を吸った。
「どいてください」
「待——」
火の玉が出た。真っ直ぐ飛んで、ほんの少しも揺れない。
ガーゴイルの、三歩右の壁に当たった。
石が焦げた。それだけだった。
テアが目を閉じる。一秒。「……なんで」
ガーゴイルが腕を振った。テアに当たった。重い音がした。テアが吹き飛んで、壁に背中をぶつける。床に落ちた。
リリアが駆け寄った。
「テア」
「……大丈夫です」
喋れた。目が開いている。ただ、立てない。
◇
ローブがずれていた。上着もずれている。
布の層が一枚多い。硬い。キルティングの格子模様。
キルテッドアーマー。モンクが打撃に備えて着る鎧だ。
あの一撃を受けて、これが助けた。
キャスターのテアがなぜ。
テアが気づいて、目を逸らした。
「捨てられなくて、ずっと着てたやつです」
袖をめくる。薄灰色の布の手甲。細い縁取り。
「最下位の印です」声が平坦だった。「ヒーラーになれなかったので、護身だけ習って」
それだけ言って、ロッドを床に置いた。
床に手をついて、立った。
足が変わった。重心が下がった。リリアが知っているキャスターの立ち方じゃない。
「こっちなら当たります」
◇
ゲルトが荷棒を叩きつける。弾かれた。ヴェルナーが射った。矢が折れた。
二人とも正面に立てない。視線を外しながら動いている。
テアが見ていた。
「なんで目を合わせないんですか」
ゲルトが答えない。
「今って教えてください」
ゲルトとヴェルナーが目を見合わせた。
「やれるか」
「当てられます」
◇
ヴェルナーが横から矢を射った。視線が動く。ゲルトが正面から荷棒を叩きつけた。ガーゴイルが振り向く。ゲルトが後退した。
視線が散った。どちらを向くか、一瞬止まった。
「今」
テアが踏み込んだ。
正面から。目を見たまま。右の拳を腰まで引いて、全体重を乗せる。
ガーゴイルの胸に、叩き込んだ。
石に当たった音がしなかった。
◇
城が、低く震えた。
ガーゴイルの足が、止まった。腕が下がる。頭が、わずかに傾いた。
静寂。
地響きが収まった。
ガーゴイルが動く。後ろに、一歩。また一歩。壁まで下がって、止まった。
テアが、一撃を入れた姿勢のまま動かない。
右腕が前に伸びている。足が踏み込んだまま。
「テア」
返事がなかった。
ガーゴイルの目が、テアを向いていた。石の目が、濡れているように見えた。




