遅すぎた告白
死者へ祈りを捧げる祭りの夜に、焼けた髪の臭いとツンとした刺激臭だけが残った。
リリアは広場の隅、汚れた石畳の上に腰を下ろしていた。
その背中は、あまりに小さい。
トーマスは、姉だったものが灰になった場所を見つめ――そして、衝動のままに叫んだ。
「リリアさんなんか、大嫌いだ!」
「もう、どっか行っちゃえ! 姉さんを燃やした、大嫌いな人だ!」
リリアの肩が、びくりと跳ねる。振り返ったその顔に、驚きも、怒りも、涙もない。
ただ、「やっぱり、こうなるのね」という、冷え切った諦念だけが張り付いていた。
トーマスは耐えきれず、背を向けた。
暗闇の中を、一心不乱に走る。
トーマスは、自分の家に走り帰った。部屋に駆け込み、扉を閉める。
激しい息。激しい鼓動。
自分の口から出た「大嫌いだ」という言葉が、耳の中で反芻される。
トーマスは、布団の中で震えていた。
目を閉じると――
昨夜の光景が蘇る。
空に昇る、ランタン。温かな光。
姉さんも、きっと見てくれる。そう思っていた。
でも――
姉さんは、戻ってきた。
アンデッドとして。腐敗した身体で。
でも、髪だけは――
ライトグリーンの美しい髪だけは、最後まで輝いていた。
そして――
炎に包まれて、灰になった。
(……姉さんは、もういない……)
トーマスは、ようやく理解した。
姉さんは死んだ。流行り病で。
そして、アンデッドとして蘇り――
もう一度、死んだ。
(……姉さんは、本当にいなくなったんだ……)
その瞬間――
トーマスの中で、何かが解けた。
リリアに姉の面影を重ねていた、幼い魔法が。
目を閉じれば、蘇る感触がある。昨夜、強く握り返してくれたあの手。
(……ちがう)
姉さんの手はもっと大きく、温かかった。
薄絹のように滑らかだった。
リリアさんの手は、驚くほど小さく、氷のように冷たかった。
そして――
洗いざらしの木綿のように、少し荒れていた。
(……あ……)
(……全然、違う……)
頻繁な手洗いを日常動作としている、ヒーラーの宿命。
子供でも使える初歩的治癒魔法で、簡単に治せるはずなのに。
でも、その分の魔力すら温存している。
(……使い古しの作業手袋の一つすら、渡せなかった……)
無配慮な自分。奥歯が歯ぎしりを立てる。
恥ずかしくてたまらない。
自分には、あの人の片手すら守れない。そんな自分が、悔しい。
(……僕は……)
(……あの人を、一人にしてはいけない……)
そして、脳裏に焼き付くのは、あの「諦めの表情」。
僕に怒鳴られても、彼女は怒らなかった。
ただ、「私なんか、いなくてもいいんだ」と、自分で決めてしまっているような顔。
その表情が、少年の胸を押し潰した。
(……大嫌いだなんて、あんなひどいこと、言っちゃったんだ)
本当は、「背が追いついたら、お嫁さんになってほしい」と、心の中で毎日願っていたのに。
このままじゃ、本当に嫌われたままになる。
トーマスは夜明けを待ちながら、決意した。
明日、一番に謝ろう。
そして、いつか、背が追いついたらお嫁さんになってほしいと、もう一度言おう。
あの諦めの顔を、僕が変えてみせるんだと。
翌朝。
広場に、白いローブの姿はない。嫌な予感が、心臓を叩く。
村外れの家へ走る。朝食の時間なのに、煙突から煙は上がっていない。
「リリアさん!」
扉を開ける。返事はない。
家の中は、家具が運び込まれる前の無垢な状態に戻されていた。
使い込まれた薬瓶も、予備の包帯も。生活の痕跡は、何一つ残されていなかった。
リリアがここに滞在していたという、証拠そのものが、完全に消去されていた。
「……うそだ」
息を切らしてギルドの扉を開ける。受付には、ギルド嬢のミーナ。
「リリアさんは……!?」
ミーナは無言で首を横に振った。
時は遡る。
あの日の早朝。リリアがギルドを訪れた。
リリアが、包みを差し出す。
シルヴィの服。ミーナは、それを受け取った。
ミーナ「……そう」
リリアは、何も言わない。
ただ、小さく頭を下げる。ミーナは、リリアの表情を見た。
いつもの、穏やかな表情。
でも――
どこか、遠い。
ミーナは、ギルド職員として、優秀なヒーラーが志半ばで引退した姿を何度も見てきた。
凄惨な現場。遺族の罵声。
そして――
自分自身への疑念。
ヒーラーは、普通なら正気を保つのも難しい凄惨な現場でも冷静さを保つ訓練をしている。
だからリリアは、自らがゾンビにあんな事をした時でも、自分のままでいられた。
失格ヒーラーと馬鹿にされるのも、慣れっこだ。
そして、命を助けられなかった時。遺族から浴びせられる「お前が殺した」という罵声。
そんな時は、ただそっと聞き入れ、相手の立場を想像し、寄り添う事で心を守る事ができた。
でも――
まだ複雑な感情を表現する言葉を持たない少年の、純粋な「大嫌いな人だ」という拒絶は、リリアさんの心を守る厳重な幾重もの壁を、いとも簡単に貫通したのではないか。
ここにいる限り、もう彼女は誰も救えない。
ミーナには、そう思えた。
ミーナは、カウンターから紹介状を取り出した。
「……海の近くの鉱山都市、ポルトマーレへの紹介状よ」
「冬でも暖かいそうよ」
リリアは、小さく頷いた。
「……ありがとうございます」
言葉は、それだけだった。
でも、ミーナには分かった気がした。リリアの、すべてが。
ミーナは何も言えなかった。ただ、リリアの背中を見送ることしか。
そして今――
ミーナはカウンターの下から一つの包みを取り出した。
「これを、預かっているわ」
渡されたのは、シルヴィの服だった。広げた瞬間、石鹸の香りがした。
血痕は洗い落とされ、解けていた糸は、新品よりも強固に縫い直されている。
完璧な修繕。リリアの最後の慈愛。トーマスはその場に崩れ落ち、服を抱きしめ慟哭する。
ミーナが、優しくトーマスの頭を撫でる。
「トーマスくん……、ほら、もう泣かないで。」
「リリアちゃん、君のそんな顔をしてほしくなくて、一人で出て行ったんだから」
トーマスがミーナの顔を見上げる。
ミーナは、トーマスが涙を拭うのを見てから、ニッと悪戯っぽくウインクした。
「でも、諦めるのはまだ早いわ」
ミーナがカウンターの中から、大仰な見た目の羊皮紙をそっと差し出した。
「これ。5年経って、大人になったら登録しなさい」
ギルド冒険者の入会申込書。
「そうすれば、いつかきっと会える」
トーマスが目を丸くする。入会金は、子供に払える額ではない。
「費用はミーナお姉ちゃんが何とかしました!」
「ほらほら、お姉ちゃんに感謝しなさい!」
「おかげで来月は、スープの具が豆だけになりそうだわ。」
ミーナの表情が、瞬、真顔になる。だが、すぐに元の笑顔に戻った。
そして、親愛を込めて囁いた。
「追いかけるなら、強くなるのよ。そして、あの小さな背中を、君の大きな背中が守ってあげないと!」
トーマスは涙を拭った。その瞳から、甘えの色が消える。
その目は「甘えたい少年」から「追いかける男」へと変わっていた。
少年は今、出発点に立った。
そして、震える手で羊皮紙を握りしめた。
ミーナは、去っていく少年の背中を見送った。
他に誰もいなくなった瞬間、その表情がふと曇る。
トーマスが冒険者になれる5年後。
それは、普通の大人にとっては短い時間かもしれない。
だが――
10歳の少年と、自身の命を顧みないヒーラーにとって、
その時間は、あまりにも遠い、永遠にも等しい隔たりかもしれない。
ギルドの統計記録が、脳裏をよぎる。
ヒーラーの5年後生存率は、全ジョブの中で最も低い。
自身を回復できぬ上に、敵から真っ先に狙われるためだ。
まして、自身の命を削るような献身を持つ者ならば――
なおさらだ。
トーマスが冒険者になれる5年後。彼が追いつくのは、希望か。
それとも――
その事を認めるまで消える事のない、憧れの幻影か…
本来この回は「リリア視点で追放される物語」としてすでに完成させていました。
ですが――
1章公開後、読者の皆さまからサブキャラを「さん」付けで呼んでくださるほど温かい感想をいただきまして……!
その反響に背中を押され、思い切ってトーマス・ミーナ視点に組み替え、作り直しました。
読んでくださった皆さまのおかげで、物語に新しい息が吹き込まれたと思っています。
次回で第2章は完結。
12/12 20時ごろ公開予定です! あとがきで3章タイトルも公開します。




