悪魔の方が人間性が高いです
喫茶店『スワッシュ』は個人経営のこぢんまりとした店舗ながら、美味いコーヒーといつまで居座っていても怒らない大らかな店主で優嶺高校の生徒たちから大変な人気を博している店だった。
特に美味いコーヒーがどれ、とかはない。高校生の下にコーヒーの味の違いは分からない。せいぜいチェーン店のそれよりマシ、というくらいの評価だ。
店内には夕暮れ時とあってほどんど人はいない。店主もカウンター内の椅子に座りながら船を漕いでいる。壁際一番奥の席を、花鶏と弓狩、そしてアスラータこと竹達信三が陣取っていた。福留はテーブルの中央に設置されている。
「さてと、福留さん。色々疑問に思っていたことを聞かせてもらおうか……」
花鶏の言葉は静かな怒気に溢れていた。
無理もない、正体不明の存在かと思っていた《デモニューロ》の正体を、他でもない当事者である福留が知っていて、それでもなお黙っていたのだから。福留は一切言葉を発さない。花鶏は睨み続ける。
『……分かった。分かったからその目をやめてくれたまえ。分かった、混乱を招くかと思ったから説明しないでおいたがそれももう限界ということだな』
「これ以上回りくどいことを言うようなら本気で叩き割る」
花鶏は静かに言った。福留は言葉を詰まらせた。
『……分かった。事の始まりは20年前のことだ』
その時、福留功は追い詰められていた。学界からは半ば追放されていたため研究を公表する手段がなく、また研究そのものも滞っていた。学界から完全に追放されれば最新の研究を知る機会がなくなり、新たな知見を得ることが出来なくなる。そうして研究を続けることが出来なくなれば、大学側も研究室を取り上げるだろう。そうなれば予算さえもなくなり、完全に研究を続けることさえ出来なくなってしまう。焦りが支配していた。
その頃、彼はやがて焼失することになる屋敷を買った。市の郊外にある洋館、静かな場所にあり、研究に没頭するにはもってこいの場所。というのはあくまで表向きの理由。彼が実際にその屋敷を買った理由は、かつてそこが黒魔術に利用された場所だったからだ。
「……黒魔術ぅ?」
花鶏はオウム返しに言葉を返した。天才科学者から出てくる言葉とは思えない。
『いまの私がかつての私の話を聞いたのならば、同じような反応を返しただろうね。だが、かつての私はそれすら出来ないくらいに追い詰められていた。例え非科学出来であろうとも、私を救ってくれれば何でもいいと考えていたんだ』
少なくとも、屋敷の主が家と家財を残して失踪した、という噂通りに屋敷はかつての姿を保ったままになっていた。彼の期待は高まって行った。
屋敷をくまなく探し、主が遺した書物を読み解き、そしてついに彼が召喚した悪魔についての秘密を知ったのだ。
何を思ったのか、それから福留は召喚の儀式の準備を始めた。儀式に必要なそれは、幸いにも現代社会では簡単に集められるものばかりだった。トカゲの干物や人間の血に関してはそれなりの苦労を必要としたが、社会的信頼を受けていた彼が集めるのは容易だった。集めているうちに、楽しくなったのかもしれない。
「そしてあんたは……本当に悪魔を呼び出したのか?」
怪しげな呪文。秘匿された地下室。あまりにも整えられ過ぎた環境に、福留のテンションは極限まで高められた。そして雷鳴鳴り響く暗雲の日を選び、儀式を敢行した。そして、本当に悪魔は召喚されてしまったのだ。その時、たしかに。
『ルーフィス、アスラータ、アマゾア、トト。それが最初に私が呼び出した悪魔だ。電子生命体に近い性質を持つ悪魔……それを私は《デモニューロ》と名付け、彼らもそれを受け入れた。彼らは友好な存在であり、私の研究を助けてくれた……』
「なるほど、友好な関係をね……ってことはさ、あんたその協力者をいま殺そうとしてるってことなのか?」
『それには深い理由があるのだ! 彼らを放置すれば人間社会は混乱の極みに陥るということが分からないのか! 彼らは電子機器を媒介しどこにでも現れ、どこからでも消える!
警察や軍隊では、彼らの脅威に対抗することは出来ない! それほど危険な力を持った者がこうしてうろついていることが、我々にとって脅威なのだ!』
「けどよぉ、俺は別に犯罪を犯しちゃいないし、これからもする気はねえぜ?」
アスラータは反論しながらコーヒーを啜った。角砂糖を三個も四個も入れている、あれでは甘すぎて飲めたものではないのではないか、と花鶏は思うが、アスラータはとても美味そうにそれを飲んでいる。
その笑顔はこちらまで笑えて来るほどだった。
『アスラータ、たしかにキミはそうかもしれない。だが、この間現れたトカゲやクラゲの《デモニューロ》を見てみたまえ、あれでは無軌道なテロリストと一緒ではないか! 人類の潜在的脅威を排除しなければ、我々に未来はないのだぞ、勇吾くん!』
「難しい話はよく分からんが……ああ、そういえばあんたも一応、竹達の体を乗っ取ってるんだよな?
犯罪になるかは知らんけど、よくないことなのはたしかなんじゃない?」
しかしアスラータは『分かってないな』とでも言わんばかりに指を振った。
「見くびってもらっちゃ困るね。俺はこいつを助けてやっているんだぜ?」
『なんだね、下等な人間に使われるくらいなら、自分のような上位生物が使っていた方がこの肉体も本望だろうとか、そういう理屈なのかね?』
「んなわけねえだろ。っていうか、こいつ死にかけてたんだよ。本当にな」
そう言って、アスラータはぽつぽつと語り出した。それはいまから二週間前のことだ。
竹達信三は、飲んでいた。もちろんコーヒーやジュースではない、アルコールをだ。
「あー、島津のSNSに載ってた飲酒写真って、もしかしてこの時の……」
「そういうことだ。ちなみにSNSには鍵をかけて関係者以外には見れないようにしておいた。それを知ってるってことは、あんたたちってもしかしてこいつのファン?」
おどけた調子でアスラータは言った。福留に違法合法問わずインターネット上の情報を調べてもらいました、とはさすがに言えず、花鶏たちは黙った。
「急性アルコール中毒。それがこいつの症状だ。こいつの記憶を覗いてみたんだが、あの日が酒を飲むのは初めてだったようだ。
だというのに、許容量も分からず飲みよって」
むしろ、初めてだったのが災いしたのだろう。ある程度飲み慣れている人間なら自分が飲める限界を把握しているだろうが、そうでない者は周りに煽られるがままに飲んでしまう。相手の方もどれだけ飲ませられるかを把握していないので、取り返しのつかない事態に陥る場合が多い。何はともあれ、酒は適量を飲むのが一番いいのだ。
「ってことは、飲み過ぎて死にかけたそいつに憑依して生き長らえさせてやったと?」
「そういうことだ。俺も鬼や悪魔じゃねえ、れっきとした守護神の末裔だからな。死にかけている人間がいたら、放っておけねえってわけよ」
「いや待て、ちょっと聞き捨てならないことを聞いたぞ。お前が神様だって?」
目の前の男も、《デモニューロ》としての本来の姿も、どう見ても鬼か悪魔にしか花鶏には見えなかった。言うに事欠いて守護神とは何事か。花鶏は憤慨した。
「名前にも入れているだろ? 俺は阿修羅の末裔さ。仏を守り仏敵を滅ぼす」
「でもさ、福留のオッサンはあんたのことを悪魔だって呼んでいたぜ?」
「しょうがないだろ。見た目からしたら悪魔にしか見えないんだからさ。それにだ、生前の写真を見たことがあるだろう? あのオッサンが悪魔に詳しいように見えるか?」
「見えねえな。休みの日はベッドに転がって元素記号暗唱してますって方がらしい」
つまる話、アスラータが悪魔だというのは完全に福留の早とちりだということか。花鶏は再び携帯を睨んだ。スピーカーからわざとらしい口笛の音が聞こえてくる。
それに悪魔という解釈もあながち間違いではない。元々は神であったがその座を追われ、修羅道を司る存在になっていしまった、とも言われているのだから。
「ん……? ちょっと待ってくれ、阿修羅なら腕が何本もあるんじゃないのか? 俺、どう見てもお前の腕は二本だけにしか見えなかったんだが……」
「ふん、俺の腕が二本だけだと? 思っていたよりも節穴みたいな目をしているんだな。俺の六本の腕は、いまもお前の目の前にあるんだぜ?」
自信満々でそんなことを言われたが、花鶏の目には二本の腕しか見えない。
「左右に三本、合計六本。俺はその腕をまとめているのさ。二本なら二倍、三本なら更に二倍の力が得られるって寸法さ! 分かるか、この圧倒的算数が! エエ?」
まるで分からなかった。むしろ腕が分かれている方が都合がいいのではないだろうか。そんなことを聞く気にもならないくらい、アスラータは自身に満ち溢れていた。
『アスラータの善性はともかくとして、《デモニューロ》は全体的に反社会的で好戦的で傲慢な種族だ。トカゲやクラゲのような被害が、またないとは限らないのだぞ?』
「いま凄い勢いでバカにされた気がするが、まあいい。確かにこの世界にきたての《デモニューロ》はこっちの世界のルールを分かってねえからなあ。よし、こうしようぜ。俺もお前たちの、《デモニューロ》成敗に協力してやるってのは」
アスラータのあまりにもあまりな提案に、しばし彼らの時間が止まった。当然ながら福留は憤慨し、スピーカーでやかましい声を張り上げた。
『言うに事欠いて《デモニューロ》討伐に協力するだと? バカも休み休み言え! キミの同族を倒そうとしているような連中に協力しよう、などと言い出すやつを信用することが出来るわけがないだろう! ふざけているのかッ!』
「だが、新米どもが暴れ回れば俺たちだってただじゃすまない。いまはまだだが、そのうち世間にも《デモニューロ》がいることに気付く連中だって出て来るだろう。それは、俺たちにとっても都合が悪いことだ。利害は一致していると思うぜ」
福留に比べてアスラータは冷静だ。言葉が通じるのはこちらか、と花鶏は判断した。
「自分たちの存在がバレて、あんたたちにどんなデメリットがあるっていうんだい?」
「そんなの決まってるだろうが、世間体が悪くなる」
「世間体」
「なんだ、お前いまバカにしただろ? だが、案外バカにならないぞ。俺たち《デモニューロ》の多くは、この世界に根を張って生活している。中には仕事をしている連中だっているが、大部分はそうじゃない。見ているだけで楽しいからな。すると何が起こるか?」
コーヒーを飲み干し、カップを叩きつけるように置きながらアスラータは続けた。カウンターの向こう側で寝ていた店主が音に驚いて、少しの間目を覚ました。
「このまま俺たちの存在が皆に知れてみろ、世間は《デモニューロ》狩りを始めるだろう。その時ターゲットになるのは俺たちのように働いていない者たちだ」
「無職狩りが始まるとは思えないんだが……」
「分からんぞ。『向かいの田中さん《デモニューロ》なのよね、そういえば働いてなくてなんかおかしな人だったわ』、とか奥さまの井戸端会議で言われるかもしれないんだぞ。いや井戸端会議ならまだいい、ニュースのインタビューとかで全国に流れるかもしれん。するとどうなる? 無職=《デモニューロ》という式が出来上がるとは思わんか?」
「……まあな、桶屋が儲かる理論と言われればそれまでかもしれんが」
無職狩りが始まるかはともかくとして、アスラータの懸念はもっともだ。正体不明の怪物、しかも人間に擬態できる存在がこの街に潜んでいるともなれば人々の不安は大きなものになるだろう。そこに無責任なデマが流れたりしたらどうなるだろうか? 《デモニューロ》って空手家が多いんですよ、なんて噂が流れたとしたらどうなる。
……ともかく、それだけは何としても止めなければならないと思った。
「分かった、アスラータ。あんたの申し出はありがたく受け入れることにするぜ」
『勇吾くん、正気かね! こんな怪物のいうことを信じるなんてどうかしているぞ!』
「アスラータが信頼できると思っただけさ。少なくとも、俺の携帯を勝手に改造したり、訳さえも話さずこいつらを殺せ、なんてことを言ったりはしないからな。
それに」
花鶏はアスラータの肩をガシリと掴んだ。
「こいつは後輩を苛めたりしない。空手にも真面目に取り組んでいる。スキャンダルはなくなるし、大会の成績だって上がるだろう。俺たちは痛い目を見なくていいから嬉しい、こいつにとっては未来が明るくて嬉しい。ウィンウィンの関係だろう?」
『……勝手にするがいい! 私はもう知らん!』
そう言ったきり、携帯の反応はブツリと途切れた。携帯がいきなり圏外になった。これは福留がネットの海を泳いでいる証だ。通話もメールも出来ないので不便な事極まりない。ネットワークを掌握しているのはいいがもっとやりようはなかったのか。
「福留じゃねえが、俺のことを信じてしまって本当にいいのかい?」
「それを言ってくる奴なら、信じられるさ。それに、俺には福留の方が信じられねえ」
「どういうこと、福留さんがまだ何かウソをついているっていうの?」
「当たり前だろ。隠し事が一つある奴が、ただそれだけで済むとは思えない。それに俺は、こいつが悪魔を呼んでから、その先のことを聞いていないわけだからな」
友好的関係にあった悪魔を、なぜ滅ぼさなければならなくなったのか。それを知らない限り、福留功を本当の意味で信用することは出来ない。そんなことを考えながら、花鶏はすっかり温くなってしまったコーヒーを飲み干した。