激突! 魔獣と化した先輩!
ガラスを突き破る甲高い音が、閑静な住宅街に響いた。落ちながらアスラータは棒を放した。花鶏もなんとか空中で体勢を立て直し、階下の庭に着地した。
「クックック……さっきは邪魔が入ったり逃げられたりしたが……今度は逃がさん」
竹達の周囲を赤黒いオーラめいた煙が包んだかと思うと、そこには赤い鬼がいた。
『彼は竹達信三を取り込んだまま、《デモニューロ》としての本性を現したようだ。
いくら奴と竹達くんとを分離できるとはいえ、あまり手荒な真似はしない方がいいだろう』
「やれやれ、先輩をぶん殴るのはちょっと気が引けるが……」
花鶏は目を閉じ思い出した。ロクでもない思い出ばかりが残っているが、きっといいところもあったはずだ。例えば男女合同合宿で覗きの罪をたまたま居合わせただけで押し付けられたこととか。ミット打ちのトレーニングでわざと狙いを外して体を狙ったとか。休み時間の終わり、トイレから出られないように扉を細工してくれたこととか……
「……うん。ぶっ殺してやる。いままでの報いを受けやがれクソッタレが」
『待て! 今キミの中でどんな会議が行われたのかは知らないがその結論はない!』
両者の距離は10mほど。花鶏は力を込めて棒を投げつけた。二度目とあればその対処は冷静、走りながらアスラータはそれを弾いた。その時にはすでに花鶏も走り出していた。助走をつけ踏み切り、飛び前蹴りを放つ。アスラータはそれを捌く。
蹴りは不発に終わり着地。その瞬間彼の背中に鋭い衝撃が走る。打ち下ろされたアスラータの肘打ちだ。空手の公式試合ならば反則になる行為だが、ここは道場ではない。ルール無用、残虐ファイトの始まりだ!
たたらを踏みつつ、花鶏は冷静に計算し距離を取る。追撃に走って来たアスラータの拳を屈んでかわし、突きを放つ。だが浅い、アスラータの動きは彼の予測よりも速かった。ほとんどダメージを受けずに拳を腹で受け止め、逆に花鶏の体を抱え込んだ。そしてそのまま、力任せに後ろに放り投げたのだ! なんたる恐るべき膂力か!
しかし花鶏の方も投げ飛ばされながら体勢を整え空中で一回転、オリンピック競技選手にも迫るほど見事な着地を見せた! 花鶏は振り返る、しかし今度は腹に衝撃が走った! アスラータの仕掛けた高速タックルだ! 吹き飛ばされ壁にぶつかり、脆いコンクリート塀を破壊しながら彼は背中から道路に飛び出した! 更に横合いから衝撃! ダメージはないが、花鶏の体がゴムボールのように弾き飛ばされる!
「グワーッ! な、なんだぁ!?」
ゴロゴロと路面を転がり、息も絶え絶えに立ち上がると自分を打ち据えた物が見えた。すなわち、それは自動車だ。当然ながら、ここは住宅地前の車道。
田舎道であるため、細く危険の多い道であってもドライバーは制限速度違反で突っ走ってくる!
「おいコラ、この野郎! あぶねえじゃねえか、ブレーキ間に合わなきゃ死んでんぞ!」
ドライバーはクラクションを鳴らし、更に窓から顔を出して花鶏を威嚇する! なんたる言い草か! そもそもブレーキが間に合っていなかった、と花鶏は抗議しようとした。
しかし、窓から出て来たドライバーの首根っこが何者かに掴まれる!
「オイあんた……人にぶつかっておいてお詫びの一つもなしかい……?」
「……えっ?」
アスラータは腕を引く。ドライバーの身を守っていたシートベルトが、紙のように引き千切れた。ドライバーは何をされているのかも分からないまま、車の外へと猫のように持ち出された。
アスラータはそれを乱暴に投げ捨てる。地面に落ちた時彼は状況に気付いた。
「ひいぃぃぃいえええええ! ば、化け物ォーッ!?」
ドライバーは半狂乱になりながら携帯電話を探す! しかし見つからない! アスラータは彼の前で携帯をひらひらとさせているが、それにも気付かない! やがてアスラータはそれにも飽きたのか、彼の携帯を握り潰してしまった!
彼がそれに気付いたのは砕かれた瞬間だ、必死になって集めた取引先やキャバ嬢の番号がこの世から消滅した!
「ハッハッハッハ! 悪いなオッサン、こんなことでまた邪魔されちゃあたまらん!」
アスラータは花鶏に向き直った。逃げようかとも思ったが、彼の威圧感がそれを許さない。動いた瞬間には迎撃の手筈が整う、そんな未来しか花鶏には見えなかった。
「福留さん、武器はねえのか? 棒じゃダメだ、あいつに太刀打ち出来そうにねえ」
『無論、このような場合のことも考えている。アームズコール、カモーン!』
何も自分で叫ぶ必要があるのだろうか、と花鶏は思ったが黙っておくことにした。棒が出て来たのと同じようにベルトのバックルが光り輝き、光が足に集中していく。光が晴れた時、具足が一段階強化されていた。足全体が太くなり、ニッカポッカを履いたような状態になっている。相変わらず重さは感じない。足の放熱フィンが蒸気を吐いた。
『アスラータのパワーにはスピードで対抗だ! いまのキミならば、アスラータ以上のスピードで攻撃を行うことも可能だろう! 行くんだ、勇吾くん!』
「よっしゃあ! この間は不覚を取ったが、今度こそ手前には負けやしねえぜ!」
フェイスマスクの下で花鶏は笑った。自分でも、こんなに楽しんでいるのかと不思議になるような感覚だった。花鶏は一歩踏み出す、その時にはすでに違いを感じていた。体が軽い。どこまでも駆けて行けるようだ。もう、何も怖くはない!
次の瞬間にはアスラータの目の前まで来ていた。アスラータは目を見開いた。花鶏は飛び、前蹴りを放つ。蹴り足のスピードもこれまでのものとは比べ物にはならない、だがアスラータはそれを払い落とす。それでも花鶏は止まらない、逆の足で二段跳び回し蹴りを放つ。アスラータはかろうじでそれに反応、受け止めた。彼の腕にビリビリとした衝撃が走ったのを花鶏は見た。だが、まだ打てる!
二段蹴りの反動を乗せ反転、三段後ろ回し蹴りを放つ! コンマ数秒間に放たれた三連打をアスラータは受け切れない、アスラータの側頭部に踵が叩き込まれた! 砲弾の直撃かと聞き違えるような凄まじい音を立てて、アスラータの体が吹き飛んで行く!
「ッシャア! いいぜ、やれている! 俺、やれてるぞ!」
花鶏は着地して残身を決めた。アスラータの体が吹き飛び、車のボンネットに当たる。ピカピカの車体に人型のへこみが出来た。壮絶な一撃を受けてなお、アスラータは笑っていた。鼻を親指で拭い、立ち上がりながら戦意を表すように拳を振るって見せた。
「やるじゃねえか、小僧……さっきの蹴り足、凄まじい速さだったな……名付けるならば、マッハ蹴りってところかねぇ……」
「名付けるっていうか、見たまままんまじゃねえか。音速はねえと思うけどよ……」
『私をナメるなよ、勇吾くん。キミの強化された身体能力とジェットキックブーツの威力が合わされば、キミの蹴り足は軽く音速を超えるのだ!』
本当に音速を超えているのならば衝撃波はどうなっているのだろうか。まあ仮想質量物質とやらのおかげでその辺りの技術的問題はクリアされているのだろう、と花鶏は無理やり納得することにした。ともかく、あの蹴りを食らってもアスラータは元気なものだ。
「言っておくぜ、俺は今度こそ手前を逃がすつもりはねえ……!」
アスラータの闘気が可視化されたような気がした。いや、それは気のせいではなかった。圧倒的な熱エネルギーを発しているのが肉眼でも見て取れた。
『奴自身の生体エネルギーを燃料しているのだろうな……凄まじい火力だ!』
「あれにぶち当たったら、溶かされちまいそうだな!」
視界の端にインジゲーターが表示される。アスラータの周辺はすでに五百度を突破している。拳だけに限定すればもっとだ。大気が揺らめき、アスファルトが泡立つ。あんなものを放置していては明日この道路は通れなくなってしまうだろう。歩く公害を無視しておくわけにはいかない、花鶏は覚悟を決めて構えを取った。アスラータは修羅めいて笑う。
「カッカッカ……! いいぜ、手前がやる気になってくれたってんならなぁっ……!」
アスラータは腰を屈め、突撃姿勢を取る。花鶏もまたそれを迎え撃つべく、拳を握り突き出した。一瞬の静寂、そして次の瞬間辺りを風と光と音が駆け巡った。
スーパースローカメラであろうとも完全には捉えきれぬほどの超高速攻防が狭い道路の中で展開された。花鶏は蹴りを使わなかった。蹴りは掴まれる危険性があるからだ。ジェットキックブーツの加速力を利用したヒット&アウェイの攻防。そしてそれにアスラータも乗った。彼の反射神経は、超音速の機動力に対応しつつあった。
加速を乗せた拳撃を花鶏は繰り出す。踏み込みの加速を利用出来るのは最初の二、三打まで。故に花鶏は撃った衝撃を乗せて後退、再び踏み込む、それを繰り返した。もちろん、それをさせたくないのがアスラータだ。持ち前のパワーと放出熱の優位があるのはアスラータだ、クロスレンジでの打ち合いにこそ彼に勝機はある!
花鶏は一歩後退、突撃しながらの打撃を繰り出す。アスラータは右腕の上を滑らせるようにして打撃を防御。だが花鶏の狙いはこの打撃にはない、アスラータとすれ違い、前足を軸にして回転。遠心力を乗せたハンマーパンチを繰り出す!
だがアスラータはそれを読んでいた。花鶏の打撃に沿わせるように防御を繰り出し、更に防御腕を花鶏の腕に絡ませ、肘を握った。関節を取り、そのまま花鶏を回した。引き倒されるだけではない、下手な抵抗をすれば肘関節はへし折られるであろう!
花鶏は冷静にそれを受け止めた。花鶏の腕を回そうとするアスラータの力に逆らわず、そのまま流された。流されながら、花鶏は地面を蹴った。蹴り足はアスラータの側頭部に、吸い込まれるように近付いて行った。足の甲がアスラータの頭に当たる感触があった。もしこれが人体だったなら、頭蓋骨を砕き、サッカーボールのように吹き飛ばすことが出来たな、と花鶏は思った。
あまりの衝撃にアスラータは思わず花鶏の腕を放した。花鶏の腰の回転と、アスラータの力を加えられた回し蹴りはアスラータを地面に打ち倒した。花鶏も倒れ込んだが素早く立ち上がった。アスラータは立ち上がれていない、ダメージが大きいのだろう。
『今だ、勇吾くん! 《ファイナルフェーズ》でアスラータに止めを刺すのだ!』
拳を握り、弓のように引き絞った。それと同時に《ファイナルフェーズ》が発動した。ベルトのバックルから流れ出したエネルギーが、花鶏の拳に収束する。これほどの力で殴られれば、いかにアスラータと言えどもただでは済まないだろう。
千鳥足になりながら、アスラータは立ち上がった。黒目はないが、恐らくあったら目の焦点はあっていないだろう。花鶏は拳を突き出した。エネルギーがアスラータに……
注ぎ込まれなかった。花鶏の拳は、アスラータの胸の前で止まった。
『!? 何をしているんだね、花鶏くん! はやく止めを刺すんだ!』
「あんたに言われるがままに、こいつを殺せって? そりゃねえだろうよ」
花鶏はベルトのバックルを素早く操作し、変身を解除した。少しの間熱さを感じたが、すぐにそれもなくなった。アスラータが発熱を解除してくれたのだ。
「あんたには聞いておきたいことがあるんだ。話が出来るタイプみたいだからな、こんなところで、簡単に死んでもらっちゃあ困るんだよ」
『このような悪魔と話などすることはない! さっさとこいつをこの世界から追放しろ! いつか取り返しのつかない事態になった時、キミは責任を取れるのかねッ!』
ベルトと花鶏のやり取りを聞いていたアスラータだが、やがて吹き出した。彼の体から放出されるエネルギー量が、目に見えて小さくなっていくのが分かった。
「ハッハッハ! なんだ、あんたらァ……面白ぇな。何だよお前ら……」
そう言いながら、アスラータも変身を解除した。竹達信三がそこに現れた。
「それに、あのまま打ち込んでたら、やられてたのは俺の方だっただろうからな」
「ほう、最後の仕込みに気付いていたとはな。やはりお前は面白い……」
朗らかに笑いながら彼は花鶏の肩を叩いた。本物の竹達にやられていたような不快感はなかった。なんとなく、アスラータが放っている敬意のようなものを感じていた。
「花鶏ー! 大丈夫なのかー!」
その頃になって、ようやく弓狩は島津の家から出て来た。その背後で島津がほうほうのていで家から逃げ出していたが、それは気にしないことにした。
「丁度いい、弓狩。こいつ連れて一緒に逃げるぞ。こいつには聞きたいことがある」
「分かった。なら、駅前の『スワッシュ』にしよう。あそこなら私たちもよく使うから、妙な目で見られることもないだろうね」
『ちょっと待て! 私を放置して話が進んでいるが、それは止めたまえ! キミたちは大きな勘違いをしている、《デモニューロ》は我々人間の常識で測れる生物でも友好的な存在でもない! キミたちはキミたちの選択を後悔する日が来るんだぞ!』
「うん……? その声……驚いた、そんな姿になっていたのかぁ、福留ぇ!」
アスラータは笑いながら花鶏のベルト、正確には携帯に向かって話しかけて来た。
『は、放したまえ! わ、私はキミのことなんて知らないしーっ!』
「そんなことを言うな! 俺とお前の仲ではないか! ッハッハッハッハ!」
訳が分からず、花鶏と弓狩は顔を見合わせた。
「なあ、アスラータ……いったいお前、何を言っているんだ……?」
アスラータは笑いながら、とんでもないことを言いだした。
「何って。知らんのか? 福留が私たちをこの世界に呼んでくれたのだよ」




