名もなき人々への鎮魂歌
全長1700mにも及ぶ大艦船。それがアメリカ合衆国の誇る最強戦力、ジョーズ=ブックだ。もちろん、これは対外用のプロパガンダに過ぎない。
それでも数百名規模の精強な海兵隊員と搭載された戦闘機や戦闘ヘリ、陸上車両、多種多様な銃火器。何よりも、アメリカ軍事衛星とリンクし地球の裏側の状況ですら瞬時に把握することの出来る情報処理能力を持つこの艦は、単艦で小国を滅亡させられるとさえ言われている。
そのような圧倒的力に蹂躙されることを想像もせず、無邪気に喚き立てる市民を見て、ルーフィスは密かにそれを嘲笑った。あのような行動をとれるのは、自分が絶対に安全な場所にいると分かっているからだ。銃剣を向けられれば百八十度回頭していくだろう。ルーフィスはそう考えていた。
それも、今日までのことだが。
「お前たちの文明は、お前たちが生み出した力によって終わりを迎えることになる」
そう呟き、ルーフィスは歩き出した。両手に握られているのはタブレット端末。《デモニューロ》は電子媒体を介してどこにでも現れ、どこからも消えていく。だがネットワークから遮断されたジョーズ=ブッシュは別だ。人間も小賢しい知恵は回る、とルーフィスは思った。
そのような健気な防御が、実を結ぶことは決してないとも思ったが。
タブレットから一人、また一人と《デモニューロ》が飛び出してくる。恐ろし気なハロウィンマスクめいた顔立ち、節くれだった爪の長い手、装甲のように張り出した肩と、どれもが同じものだった。これは《デモニューロ》がこの世界に初めて顕現してくるときによく見られる姿であり、魔界礼装と呼ばれる類のものだ。《デモニューロ》はこの世界への興味によりその姿を変える、世界そのものに興味はない彼らがこの姿をしているのは、むしろ自然なことなのだ。
彼らにとって大切なことはこの世界を手に入れること……否、それすらも手段であって目的ではない。何のことはない、彼らの目的は単なる憂さ晴らしだ。そもそも無限に近い寿命を持ち、殺されない限り死なない彼らは、欲望とは無縁な存在だ。それでも、知恵を持ち、生きてきた生物が持つ本能か。あるいは向上することの出来ない彼らの情念が、歪んだ形で発露した結果か。《デモニューロ》は非常に強い憤懣を抱えている。
それは社会への不満。それは何も出来ない己自身への不満。それは変わらない世界への不満。特に若く、経験のない《デモニューロ》が抱きがちな感情であり、悪魔王の係累たるルーフィスはそれを巧みに突き、若者たちを扇動し世界征服へと乗り出した。
(さあ、始めようではないか福留功……私の復讐がいま、始まるのだ!)
ジョーズ=ブックに向かって進行していく集団を、初めは皆単なる仮装集団だと思っていた。だがそれが人々を押し退けながら進んで行き、一目散にジョーズ=ブックへと向かっているということが分かると、事態は急激に進展していった。
始めのうち、兵士たちは警告をした。愚かなことをしているな、とルーフィスは思った。手始めに何人かを打ち倒すと、兵士たちは反撃をしてきた。突然の銃声、巻き起こる悲鳴と怒号。流れ弾を受けたのか、後方では足を抱えて呻いている人間がいた。数十名の人間を虐殺するには十分なだけの火力がその場に集中したにもかかわらず、《デモニューロ》はまったくの無傷で進軍を続けた。仮想質量を物質では砕けない。
そのうち、日本国内での使用が禁止されている類の武器が使用され始めたが、結果は同じだった。死屍累々、広大な桟橋を、倒れ伏す米兵たちが埋め尽くしていった。
「……ふん、人間最強の軍隊と言っても、《デモニューロ》相手にはこの程度か」
ルーフィスは辺りを見回した。何人か欠けている。福留は仮想質量物質で構成された《デモニューロ》を人間では倒せないと言っていたが、それは大いなる誤解だ。いかに砕けない物質で肉体を構成していたとしても、その衝撃は内部に伝播する。連続して攻撃を受ければ、いかな《デモニューロ》とて戦闘を続行することは出来なくなる。とはいっても、その許容量自体は人間や人間の兵器が持つそれよりも遥かに優れているのだが。
「ついて来られない者は置いていく。覇道を進みたくば、貴様らの覚悟を見せろ!」
「人ン家の庭に土足で踏み込んでおいて、好き勝手言ってくれるじゃねえか」
かつてどこかで聞いた声が、ルーフィスの耳に入り込んできた。桟橋の入り口、兵士たちの死体を乗り越えて、その場に入り込んできた者たちがいたのだ。もはや封鎖されてはいないのだろう、侵入することだけならば容易だ。
だが彼らの姿を見て、ルーフィスは目を見張った。そこにいないはずの人間まで、そこにいたのだから。
筋骨隆々、天を突くほどの大男、アスラータ。白と黒のコントラスト、ゴシックドレスに身を包んだ少女、トト。そして傷だらけの体でありながら、威風堂々とした佇まいで、まるで二人と同格であるかのように進む少年、花鶏勇吾。
「貴様らぁ……なぜ、私がここにいることが分かったのだ?」
「推測させてもらっただけさ。あんたが考えていることを、あんたがやろうとしていることを。案外予想通りに進んでくれてるな……思ってたほど、凄いやつじゃないんだな」
花鶏のあからさまな挑発。ルーフィスは眉をピクリと動かし、反論しようとしたが、やめた。代わりに手で花鶏たちの方を指した。
《デモニューロ》の集団は反転した。
「死にぞこないの人間如きが……二人を味方につけた程度で、粋がってくれるなよ? だいたい、貴様なんぞにいったい何が出来るというんだ? ええっ!」
「さあな……あんたに負けた俺に、いったい何が出来るかなんてのは分からない」
花鶏は尻のポケットに仕舞っていた携帯を取り出し、掲げた。ルーフィスの顔に、あからさまな動揺が走るのを、花鶏はその目でしっかりと見た。
「それは、まさか……バカな! 私が、真っ二つに破壊してやったはずだ!」
ニヤリと、花鶏は笑った。そして携帯を持ったまま、ルーフィスの方を指さした。
「意外に覚えがいいんだな。ならもう一つ覚えておけ、人間ってのは諦めが悪いのさ!」
『たとえキミに打ち砕かれたとしても、これが私の招いた事態であることに変わりはない! 幾度倒れようとも、私は立ち上がり、そしてこれを終わらせてみせる!』
花鶏は腰に携帯を持って行った。携帯から生じたベルトが、彼の腰にひとりでに巻き付き、バックルを形成した。ディスプレイには変身プロセスの承認を求めるメッセージ。ルーフィスは手を伸ばした。その先端から念力の弾丸が発射されるのを花鶏は見た。大気が歪み、光が歪み、その歪みは花鶏を飲み込もうとする。だがもう遅かった。
「ケリをつけてやるぜ……! 変身ッ!」
花鶏は左手を滑らせるようにして、ディスプレイをタップした。携帯のディスプレイから光り輝く円盤状の物体が現れ、ルーフィスの放った念力弾を受け止めた。続けてもう二つ、円盤が現れ、それが花鶏の肩のあたりで回転しながら止まった。そして三つの光が花鶏の体にまとわりついたと思うと、彼の全身がまばゆく光る。光が治まったかと思うと、そこにはすでに変身を終えた花鶏、すなわちアルケルメスの姿があった。
「いつも思うんだがよ、この変身のエフェクトって毎回違うよな。意味あんのか?」
『特にないね! 強いて言うならば、その日の私の気分によって決まるんだ!』
福留の自信満々な態度に苦笑しながら、花鶏は戦闘態勢を整えた。トトとアスラータもそれぞれ、戦闘態へと変身を遂げ、ルーフィス率いる軍団と対峙した。
「この期に及んで、邪魔などさせんぞ! アスラータ、トト! 福留ぇっ!」
ルーフィスが腕を振るうと、待ち構えていた《デモニューロ》の軍団が一斉に攻撃を仕掛けて来た。車両がすり抜けられるほど広いコンクリート製の桟橋ながら、これだけの人数がいれば自然と狭くなる。下手をすると海に落とされてしまいそうだった。