EPISODE 1: SPACE 6174.987135.765
0.5光速への加速。
それは物理法則への挑戦などではない。ただの暴力だ。
高速突撃挺バレット・カノンの慣性緩和装置が限界まで出力を維持し、メーター上の「100%」まで「速度の重圧」を削り取る。
だが、それでも漏れ出した──誤差でしかないはずの5Gが、J.J.の肉体を無慈悲に蹂躙した。
88Kgの筋肉が、1トンの鉛となって耐衝撃シートに沈み込む。
185cmの長身を支える骨格が、船体の鉄鋼と同じ悲鳴を上げた。
肺から空気が搾り取られ、内臓の配置が強制的に書き換えられる感覚。
言葉は肺の奥で潰れ、網膜の裏側で火花が散る。
コックピットには、焼き付いたオゾンとイオン化された大気の、刺すような匂いが充満していた。
船体のフレームが、極限加速の負荷に耐えかねて金属の呻き声を上げる。
『5Gの重圧です、J.J.様。内臓のシェイク加減はいかがですか?』
補助AI「カノン」の冷徹な皮肉が、電子の海から脳内へ直接響く。
J.J.は答えなかった。
唇を噛み切り、鉄の味を飲み込む。
窓の外では、10秒かけて加速する一般船――宇宙の「軽自動車」どもが、時間が止まったように背後に消えていく。
その絶望的な速度差を見せつけながら、J.J.は心の中で渇望する。
……まだ、遅い。
『光速喰い(ライト・イーター)様、お聞きになられてますか?
相棒が横で白目を剥いているのも計算内ですか?』
カノンの声が続く。
『……21世紀の住宅街を、時速450kmで爆走するようなものですよ。
当時の『ウーバーイーツ』も、これほどの無理は通さなかったでしょう』
光年喰らい(ライトイヤー・イーター)。
最短ルートで「荷」を届けるためなら、J.J.は自らの命を火薬にして、銀河の静寂をぶち抜く。
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連邦警察の高速追撃艦「掃除屋」の青白いスキャン・シグナルが、ICゲートの闇を切り裂いた。
「停止せよ!
貴艦は制限速度を百万パーセント超過している。即座にスロットルを戻せ!」
J.J.は無視した。
「殺傷禁止がポリシーだ。
……ヴィカ、起きろ。仕事の時間だ」
助手席で失神していたヴィカが、喘ぐように目覚め、毒づいた。
「……死ぬかと思った。あんた、いつか絶対に殺してやる……!」
「いいからゲートの鍵を外せ」
J.J.の操縦桿が、踊るように繊細な機動を描く。
バレット・カノンから放たれた非致死性の衝撃波が、追撃艦のセンサーを灼いた。
相手を壊さず、ただ衝撃で進路から弾き飛ばす。
それがプロの「手加減」だ。
コックピットは、わずか六畳一間の監獄のような生活空間だった。
無骨な計器類と剥き出しの配線。そこにヴィカが持ち込んだ派手なステッカーと、食べかけの合成ジャンクフードの残骸が散乱している。
焼けた電子基板と、古びた合成油の匂いが入り混じった、密室の生活臭。
モニターの端で、薄ピンク色の凶暴なシグネチャが、デジタル上の捕食者のように明滅した。
『C-CAT』
シーキャット。
銀河のセキュリティ担当者が名前を聞いただけで顔を青くする、伝説のハッカーの署名だ。
ヴィカが電脳の海に指先を沈める。
「プロトコル書き換え完了。……これで文句ないでしょ、この化石野郎」
『化石、ですか』
カノンが応じる。
『27歳のJ.J.様をそう呼ぶのは、若さゆえの無自覚ですね。
21世紀のアーカイブでは、彼はまだ働き盛りの「社畜」と呼ばれる年齢ですよ』
「うるさいわね、どっちも黙ってなさいよ!」
ヴィカの怒声が、鉄と油の匂いが漂う六畳間に、けたたましく響いた。




