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暗殺貴族の溺愛ハーレム ~「守られる弱い男」を演じていたら、最強の女たちが忠誠を誓って離れません~  作者: 藤風大地
第2部 竜の女王と、恋の最終戦争(ラグナロク)

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第12章 研ぎ澄まされた刃と、女王の憂鬱

静寂。

世界から音が消え、色彩が褪せ、ただ「自分」という存在だけが闇の中に浮かんでいる。

早朝の自室。

俺――クロノス・ナイトレイは、ベッドの上であぐらをかき、深く瞑想していた。

瞼を閉じ、意識を内側へ、さらに深い深淵へと沈めていく。

吸って。吐いて。

呼吸の一つ一つを意識する。

肺に取り込まれた酸素が血液に溶け込み、全身の細胞に行き渡るイメージ。

それと同時に、大気中の魔素マナを取り込み、体内の魔力回路オドと循環させる。

ドクン。ドクン。

心臓の鼓動が、時計の秒針のように正確にリズムを刻む。

血液の流れ。筋肉の収縮。神経のパルス。

自分の体の全てが、手に取るように分かる。

(……感覚が、鋭くなっている)

一ヶ月前とは違う。

あの頃の俺は、女神から与えられたチートスキル『因果逆転』という強力な武器を持たされただけの、ひ弱な子供だった。

だが今は違う。

ティランとの組手で培った「強靭な肉体」。

ヴネナンとの実験で得た「異常な耐性」と「魔力制御」。

リゼとの空中戦で磨いた「空間把握能力」。

そして、ノクトとレグルとの死闘で叩き込まれた「暗殺者の心構え」。

それらが一つに統合され、俺という器(肉体)を、以前とは比較にならないほど強固なものへと作り変えていた。

(イメージしろ)

脳内でシミュレーションを行う。

対戦相手は、スカーレット・ドラゴニア。

あの規格外の女帝。

彼女の拳、蹴り、魔法、そして竜のブレス。

それらをどう捌き、どういなし、どう反撃するか。

思考の中で、俺は何度も殺され、何度も殺し返す。

『因果逆転』の発動タイミング。魔力の消費量。コンマ一秒の判断ミスが死を招く極限の攻防。

脳が焼き切れるほどの集中。

現実の時間は止まっているかのように感じるが、脳内では数時間分の戦闘が処理されている。

深く。もっと深く。

意識を研ぎ澄ませろ。

刃物になれ。

触れるものすべてを切り裂く、鋭利な刃に。

……その時だった。

「……さま! ご主人様」

背後から、声がした気がした。

だが、俺の意識は深海に沈んでいる。

外界の音は、水面越しの雑音のように遠く、意味を持たない音波として処理される。

俺は無視して、集中を続けた。

脳内のスカーレットが、灼熱のブレスを吐こうとしている。それを回避し、懐に飛び込むイメージ。

不意に。

右肩に、何かが触れた。

温かい感触。

人の手だ。

――殺気エネミー

思考より先に、防衛本能が炸裂した。

脳内のシミュレーションが弾け飛び、現実の肉体が反射的に動く。

思考加速アクセラレート】――強制起動。

世界が停止する。

俺の右肩に置かれた手。その主の気配。背後。距離ゼロ。

迎撃行動開始。

俺は座った体勢のまま、床を腕で弾いた。

重力を無視したような回転。

相手の手首を掴み、関節を極めながら背後へと回り込む。

流れるような動作。思考の介在しない、純粋な反射。

右手には、枕元に隠してあった護身用のナイフが握られていた。

逆手に持ち、相手の頸動脈へ突き立てる。

「――ッ!!」

切っ先が、白い肌に触れる寸前で止まる。

ほんの数ミリ。

皮膚が薄く切れ、赤い血の玉が滲む。

「……ご主人様?」

耳元で、驚きを含んだ、しかし落ち着いた声がした。

その声を聞いた瞬間、俺の意識が急速に浮上した。

深海から水面へ。

色が戻る。音が戻る。時間が動き出す。

「……あ」

俺はハッと我に返った。

目の前にあるのは、敵の首ではない。

黒髪のショートカット。整いすぎた人形のような顔立ち。

そして、驚きに見開かれた黄色い瞳。

ノクトだ。

俺は彼女の背後を取り、腕をねじ上げ、喉元にナイフを突きつけていたのだ。

完全に、殺す体勢で。

「す、すまない!!」

俺は慌ててナイフを引き、彼女の腕を解放した。

カラン、とナイフが床に落ちる。

冷や汗が一気に噴き出した。

もし、止まるのがあと一瞬遅れていたら。

俺は、一番信頼する部下を、この手で殺していたかもしれない。

「……怪我は!? 血が出てるぞ!」

「問題ありません。カスリ傷です」

ノクトは首筋の血を指で拭い、ペロリと舐めた。

そして、なぜか嬉しそうに微笑んだ。

「……さすがです、クロノス様。

今の私は、『ゼツ』を使って気配を完全に消していました。足音も、呼吸音も、心音さえも。

それなのに、肌に触れた瞬間の殺気リアクション……完璧でした」

彼女は俺の手を取り、うっとりと頬ずりをした。

「訓練の賜物が、身についていますね。

無意識下での迎撃。それは、戦士として生存能力が飛躍的に向上した証拠です」

「……褒められるようなことじゃない。味方を殺しかけたんだぞ」

「構いません。クロノス様の刃になら、斬られても本望です」

ノクトは恍惚とした表情だ。

相変わらず愛が重い。だが、その言葉に救われる自分もいる。

「……集中していた。周りが見えなくなるほどにな」

「分かります。部屋に入った瞬間、空気が張り詰めていましたから。……まるで、抜身の刀のようでした」

ノクトは懐からハンカチを取り出し、俺の額の汗を拭ってくれた。

いつもの優しい手つき。

殺伐とした空気が霧散し、日常が戻ってくる。

「本日はどうなさいますか?

ティランたちが、最終調整の組手をしたがっていますが」

「いや、今日は……」

俺は一度言葉を切り、自分の手を見つめた。

震えは止まっている。

今の感覚。無意識に体が動いたあの感覚を、忘れないうちに定着させたい。

「今日は、自主練にするよ。一人で、確認したいことがある」

「承知しました。……場所は、いつもの?」

「ああ。俺とノクトだけが知っている、あそこだ」

俺が言うと、ノクトは嬉しそうに目を細めた。

「二人だけの秘密」という響きが、彼女にとっては特別なのだ。

「では、お供します。……邪魔はしません。ただ、影として見守らせてください」

「頼むよ。お前がいると、安心できる」

俺の言葉に、ノクトの顔がポッと赤くなった。

彼女は小さく咳払いをし、いつもの無表情クールな仮面を被り直す。

「……準備をします。着替えと、タオルと、スポーツドリンクと、あとお弁当も」

「ピクニックじゃないぞ」

「栄養補給は重要。……レグルには内緒で、特製サンドイッチを作りました」

そう言ってウィンクする彼女を見て、俺は苦笑した。

最強への道は険しいが、こんなパートナーがいるなら悪くない。

俺は着替えを済ませ、ノクトと共に部屋を出た。

俺たちが向かったのは、城の地下深くに存在する「旧・儀式の間」だった。

かつてナイトレイ家が怪しげな儀式に使っていたとされる場所だが、今は使われておらず、地図にも載っていない。

分厚い石壁と強力な結界に守られ、どれだけ暴れても音が外に漏れることはない。

俺が『影分身』を使ってこっそり特訓していた場所でもある。

重い石扉を押し開けると、冷やりとした空気が肌を撫でた。

広大な石造りのドーム。

中央には、先日ノクトが掃除してくれたおかげで、塵一つない綺麗な円形闘技場が広がっている。

「……いい場所だ」

俺は深呼吸をした。

静寂。冷気。そして、満ちている魔素。

集中するには最高の環境だ。

ノクトは入り口近くのベンチに荷物を置き、静かに座った。

約束通り、気配を消して「空気」になっている。だが、その視線だけはしっかりと俺を捉えている。

俺は闘技場の中央に立ち、目を閉じた。

再び、瞑想のときと同じ感覚を呼び覚ます。

(……内なる力を、解放しろ)

体の中にあるスイッチを切り替える。

リミッター解除。

抑え込んでいた魔力が、ダムが決壊したように全身を駆け巡る。

身体超強化オーバー・ブースト・フルドライブ】

バヂヂッ!!

全身から青白いスパークが散る。

筋肉が膨張し、血管が浮き出る。骨がきしむ音が体内で響く。

以前なら激痛で動けなくなっていた負荷だ。

だが今は違う。

ヴネナンとの実験で強化された細胞が、暴走する魔力を受け止め、力へと変換している。

「……ふぅーっ」

息を吐く。

吐息が熱を帯び、白い蒸気となって消える。

自分でも分かる。

1ヶ月前とは、段違いだ。

今の俺なら、ティランの剛剣を素手で受け止め、リゼの速度に追いつけるかもしれない。

「……行くぞ」

俺は目を開いた。

瞳孔が収縮し、世界がスローモーションになる。

自主練開始だ。

俺は虚空に向かって拳を突き出した。

ただの正拳突き。

だが、その速度は音速を超えた。

ドォォォンッ!!

衝撃波が発生し、離れた場所にある石壁に亀裂が入る。

空気の壁をぶち抜いた感触。

「……悪くない」

次は蹴り。

回転を加えた回し蹴り。

ヒュンッ!

カマイタチが発生し、床の石畳を切り裂く。

続けて、移動。

影渡シャドウ・ウォーク】。

俺の体が影に溶け、瞬時に十メートル後方へ移動する。

そこから、さらに跳躍。

天井の影へ。壁の影へ。

三次元的な高速移動。

残像が残るほどのスピードで動き回りながら、俺はシャドーボクシングを続けた。

仮想敵イメジは、スカーレット。

彼女の圧倒的なパワーとタフネス。

それをどう崩すか。

(正面からの殴り合いでは勝てない。竜の鱗は硬すぎる)

俺の拳が空を切る。

イメージの中で、スカーレットが笑っている。

『効かないわよ』と。

(なら、内部破壊だ)

俺は拳に特殊な魔力を纏わせた。

浸透撃ペネトレイト・ブロウ】。

衝撃を表面で拡散させず、一点から内部へと浸透させる技術。

ノクトとの組手で学んだ技だ。

ズドンッ!!

俺が床を殴ると、表面は無傷のまま、内部の岩盤だけが粉砕され、陥没した。

これなら、鱗の上からでもダメージを通せる。

(だが、当たらなければ意味がない。彼女の反応速度は異常だ)

リゼとの特訓を思い出す。

風を読む彼女を捉えるために使った、因果への干渉。

【因果逆転・必中】

『攻撃が外れる』未来を消去。

『必ず当たる』結果を強制。

だが、これは魔力消費が激しい。連発はできない。

ここぞという時の一撃必殺フィニッシュ・ブローに温存する必要がある。

(ならば、崩しが必要だ。彼女の体勢を崩し、隙を作るための手数が)

俺は懐から数本のナイフを取り出した。

ヴネナンが調合してくれた、特製の麻痺毒を塗ったナイフだ。

竜に毒は効かないと言っていたが、感覚を鈍らせる程度なら通用するはずだ。

シュッ! シュッ! シュッ!

投擲。

同時に、影魔法でナイフの軌道を曲げる。

ありえない角度から迫る刃。

それを囮にして、本命の攻撃を叩き込む。

汗が飛び散る。

呼吸が荒くなる。

だが、動きは鈍らない。むしろ、動くほどに体が熱くなり、思考が澄み渡っていく。

ランナーズハイのような高揚感。

俺は舞った。

誰もいない闘技場で、最強の幻影と戦い続けた。

一時間、二時間。

時間は濃密に、そして一瞬のように過ぎ去っていく。

やがて、俺は全ての力を出し切り、大の字になって床に倒れ込んだ。

「……はぁ、はぁ、はぁ……ッ!」

全身から湯気が上がっている。

筋肉が痙攣し、魔力回路が焼き切れそうだ。

だが、心地よい。

やりきった。今の俺にできることは、全てやった。

「……お疲れ様です、クロノス様」

すぐにノクトが駆け寄ってきて、冷たいタオルで顔を拭いてくれた。

スポーツドリンクのボトルが差し出される。

「ありがとう……生き返る……」

俺は一気に飲み干した。

ノクトは俺の体を気遣うように見つめ、静かに言った。

「……凄まじい気迫でした。

見ていただけの私でも、肌が切れるかと思うほどの殺気と集中力。

……今の貴方なら、あるいは」

「ああ。……勝てる気がする」

根拠はない。

だが、確信めいた予感があった。

俺は強くなった。

守られるだけの男じゃない。

自分の運命を、自分の手で切り開く力が、今の俺にはある。

「さあ、戻ろう。明日は全員との模擬戦だ。総仕上げといこう」

俺はノクトの手を借りて立ち上がった。

その足取りは、疲労で重かったが、迷いはなかった。


一方、その頃。

ドラゴニア帝国、王立闘技場。

そこは、血と砂塵が舞う修羅場と化していた。

広大なアリーナに、数百人の屈強な兵士たちが転がっている。

帝国が誇る精鋭騎士団。竜殺しの英雄たち。

彼らは皆、鎧を砕かれ、武器を折られ、呻き声を上げて地面を這いずっていた。

その中心に、一人の女性が立っていた。

女帝スカーレット。

彼女は汗ひとつかいていなかった。

真紅のドレス(戦闘用にスリットが入っている)にも、汚れ一つついていない。

手には、何も持っていない。素手だ。

「……弱すぎる」

彼女は吐き捨てるように呟いた。

その声は、失望と退屈に満ちていた。

「立て。立って私を楽しませなさい。

貴方たちは帝国の精鋭でしょう? 私の覇道を守る盾であり、敵を貫く矛でしょう?

それが、たかだか『準備運動』で息を上げているなんて……恥を知りなさい」

彼女の冷徹な視線が、倒れた騎士たちを射抜く。

騎士の一人が、震える手で剣を杖にして立ち上がろうとした。

「へ、陛下……! まだ、我々は……!」

「遅い」

スカーレットが指を振るう。

それだけで、不可視の衝撃波が発生し、騎士は再び吹き飛ばされた。

壁に激突し、気絶する。

「……はぁ。つまらない」

スカーレットはため息をつき、髪をかき上げた。

彼女もまた、この一ヶ月間、自主練に励んでいた。

クロノスとの決戦に備えて。

いや、正確には「クロノスを愛でるための準備」として。

彼女は強くなりすぎていた。

竜の血が覚醒し、魔力も身体能力も、以前とは桁違いに跳ね上がっている。

もはや、国内に彼女の相手ができる者はいない。

伝説のエンシェントドラゴンでさえ、彼女との組手を嫌がって逃げ出す始末だ。

「……クロノス」

彼女は西の空を見上げた。

その瞳に、熱っぽい色が宿る。

「貴方なら、私を満たしてくれるかしら?

この有り余る力、暴力的なまでの愛を……受け止めてくれるかしら?」

彼女は自分の体を抱きしめた。

ゾクゾクと震えが走る。

戦いたい。壊したい。そして、愛したい。

相反する衝動が、彼女の中で渦巻いている。

「……まだまだね。こんなものじゃ足りないわ」

彼女は足元の瓦礫を踏み砕いた。

「もっと激しく。もっと熱く。

世界が壊れるくらいの『愛の交歓ころしあい』をしましょう」

スカーレットは踵を返し、闘技場を後にした。

背後には、動かなくなった数百の騎士たち。

彼女が通った後には、赤い花びらのような魔力の残滓が舞っていた。

強者の余裕。

そして、圧倒的な孤独。

それを埋められるのは、世界でただ一人。

最強の暗殺者フィアンセだけだ。

決戦まで、あと三日。

二つの怪物は、それぞれの場所で、牙を研ぎ澄ませていた。


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