第一話 オケアノス星系にて
短くアラームが鳴り、オケアノス星系のワープゲートを通過してから3時間が経過したことを告げた。マレリオ・セブランは計器の数値を一瞥して、船が低速航行エリアを抜けたことを確認した。
彼は船載AIに船の加速シークエンスへ移行を命じるコマンドを打ち込み、視線を外部カメラ映像に移した。そこには宇宙貨物船ツァリーナ・キャザリン号が通過したばかりの巨大なワープゲートが漆黒の背景へ遠ざかっていく光景が映し出されていた。
それは六角形の断面を持つ金属とセラミックでできた3つの巨大なチューブを無造作に束ねたような異形の構造物だった。
無秩序な増築を繰り返し、それぞれのパーツが癒着したようにいびつに絡み合うそのシルエットは50キロメートル以上ある全長と相まって他の星系では類を見ない。マレリオはその生物的な造形にある種の生理的な嫌悪感を覚えた。その姿を多くの宇宙船乗りは彼と同様の嫌悪と揶揄を込めてこう呼んだ。『蜂の巣』と。
他の星系のそれとは異なり、『蜂の巣』がこのような醜悪な姿を取るのには理由があった。オケアノスが他の3つの星系とほぼ等距離に位置していたためだ。これにより最辺境でありながらも、オケアノスは巨大なジャンクションとして共和国における交通の要衝と位置付けられた。
このことは『蜂の巣』に慢性的な大渋滞を引き起こし、先を急ぐマレリオの神経をすり減らす結果をもたらしていた。
小さくため息を吐いてからマレリオは航行プログラムを呼び出して目的地の座標を入力した。モニターに数パターンの航路候補とそれぞれの所要時間がリストアップされる。
案の定、まともな航路では時間が足りなかった。
セブラン商会の所有するツァリーナ・キャザリン号は足の速さには定評のある軽貨物船だった。彼が10年前に独立した時に契約した中古品だが、常にカタログ値以上の速度を叩き出し、よく期待に応えてくれたものだった。
それでも今回の目的地である第2惑星タラッサまでの航程には最低でも2週間を要する。それでは10日後にやってくる借金の返済期限には間に合わなかった。
マレリオは焦燥感を抑えつつ、眉間にしわを寄せてモニターに齧り付いた。検索フィルターを切り換え、より早く到達する航路を探し続けた。多少危険なルートをたどっても最短でタラッサにたどり着く必要が彼にはあった。
やがて画面に1つの候補が上がった。第3惑星テティスの重力井戸を利用したスイングバイによる加速を利用したプランだった。
「またまた、冗談きついぜ」
マレリオは即座にこのプランの危険性に気づいた。スイングバイ自体は宇宙船がその能力以上に加速を行う方法としてよく使われる方法である。もちろん進入角度と加速の計算を間違えれば一瞬で重力井戸に捉われお陀仏だが、そこでへまをする宇宙船乗りはこの世には存在しないだろう。
このプランで問題なのは、あまりにも惑星に近づきすぎるためヘリウム3の採集プラントやコロニーから延びる『蜘蛛の糸』つまり無数のダクトやケーブルをかいくぐらなければならない可能性が高いということだった。
これらの行為は共和国の航行安全基準に抵触するし、プラントやコロニーを運営する大企業群に目を付けられでもしたら、零細企業のセブラン商会などはひとたまりもないだろう。
しかし、メリットも大きかった。通常のルートと比較して大幅な時間の短縮が見込まれるのだ。この危険なルートを使用した場合の所要時間は7日間と8時間。正規のものと比較して約半分の時間でタラッサまで到達することができると船載AIは計算した。
巨大ガス惑星の重力井戸を利用した加速と物理的な最短距離を駆け抜けるこのルートは惑星周辺に到達した時の減速のタイミングや使用される推進剤の残量もギリギリに設定されていた。
マレリオは一呼吸おいてから画面を凝視した。そして頭の中で算盤を弾く。そもそもこの借金を返済できなければ彼は破滅だ。彼の信用スコアは暴落し、二度と這い上がれない最下層へ叩き落とされることになるだろう。この先の一生を報われない過酷な労働で過ごすことを想像して彼は背筋に悪寒を感じた。
タラッサまでの道程が約7日、商談と入金で2日を見る。即金での取引は積荷を買叩かれる可能性が高いが、それでも借金を返済して経費を差し引いても、赤字になることはないだろう。
トラブルにさえ遭わなければ現状の問題を解決するのに必要な時間を十分に確保できる。
もちろん不安材料はいくつもある。航路の難易度が高いうえに現在のツァリーナ・キャザリン号の乗組員は、事情によりマレリオ1人のみだった。
だが操船の方はまだ何とかなる。技術と経験、そしてテクノロジーがこれらの不足分を埋め合わせてくれるだろう。より深刻なのがもう一方のリスクだ。航行安全基準違反で訴えられた場合、罰金どころかライセンスの剥奪さえありうるのだ。
マレリオはシートにもたれかかって大きく息を吸い込んだ。人工睡眠装置であるクレイドルによって肉体の疲労は解消されるとはいえ、連日の操船やメンテナンスに費やされる精神的疲労は如何ともしがたい。特に40代を迎えてからは疲労の蓄積具合も変わってきた。
彼は頭にかかった疲労の靄を払うように、これだけは毎日欠かさず整えているあごひげに指先をなぞらせながら息を吐く。
肺を満たしていた船内循環システム特有の冷たく乾燥した空気が、呼気と共に余分な迷いを体の中から放出していくのが感じられた。
マレリオは上体を起こし、もう一度モニターを見据えた。そしておもむろに指先をコンソールに走らせ、第3惑星テティスへの詳細なアプローチ軌道の計算を船載AIに指示した。スイングバイの突入ポイントに至るには、現在の外縁軌道をあと20時間ほど航行する必要があった。彼は操船モードをフルオートに切り替えると操舵席から立ち上がった。
異変を告げるアラームが船内で鳴り響いたのは、突入ポイントに到達する13時間ほど前のことだった。マレリオはクレイドルによる短縮睡眠に入ったところで叩き起こされる羽目になった。
苛立ちと共に、覚醒タブレットを噛み砕き、眠気を一気に頭から追い出した彼は速足でコックピットに向かった。人工重力と慣性制御のおかげで宇宙船の中でも地上とほぼ同じように活動できるようになっていたが、狭い船内では滑るように移動できる無重力の方が楽に感じるくらいだ。
コックピットにたどり着いた彼を待っていたのは、航路情報には存在しない正体不明の構造体を発見したという、船載AIからの報告だった。その構造体は突如、ツァリーナ・キャザリン号の進行ルート上に現れ、約8時間後には最接近するという計算結果だった。
マレリオはその構造体の詳細な情報をモニターに呼び出し、船載AIに分析をさせた。
「全長24キロメートル? 小惑星にしては質量が少なすぎるが……」




