歴史から消えた名
2人の兵士は身構える。非合法だと思ったのだ。即、治世はそれを察して訴える。
「法務大臣代理にかけあいました。今すぐ止めたいんです」
「では早く!」
治世は兵士に馬を預け、自らの足で走り出す。遥前方に黒山の人だかり。どよめく喧騒。息を荒げ進んでいくと山の陰で見えなかった左前方にも群衆が現れる。走りながら、群衆の中、治世は、どこに取り仕切る役人がいるのか懸命に探す。
カチャ
左前方から、冷たい金属音が響いた。焼き切れそうな喉のまま、治世はその方向に視線をやり、目を見開く。
「やめろぉぉぉ!」
何人もの兵士が銃を構える。銃口が向く先に杭に縛り付けられた碧の姿があった。目隠しの白い布。土色の唇。風にそよぐ髪。
治世は叫びながら竹筒から紙を出し、赤い官印が見えるよう頭の上に高く掲げる。
牛金星と目が合う。治世は祈るような思いでその姿を見る。同時に安堵があった。これで助かる。
が。牛金星は治世に驚いた顔をしたものの、次の瞬間、号令を出す。
「構えて!」
遠く群衆の前に立つ牛金星に、書状の意味は伝わらない。彼は、感情的になった治世を危険視した。
──あまりに脆く危うい。
乱世のカリスマの傍に、これ以上、碧を置いてはいけない、と判断する。
「やめろっ、中止だ、法務大臣代、、」
届かぬ声で叫ぶ治世から、牛金星は視線を逸らし、碧を向く。瞬間、治世の顔に凍りつく。言葉を発する手前、口の形から次の言葉が分かったのだ。治世は全速力で飛び出す。
「撃て!」
牛金星の号令と同時に10の銃口から放たれる弾丸。
それを治世が浴びながら崩れ、残りの銃弾が真っ直ぐに碧へと飛翔する。
被弾する直前、碧の鼓膜を揺らす治世の声と喧騒が止んだ。もう死んだのかと閉じていた目を開けると、白い靄があった。体を縛られている感覚はない。タイヤがアスファルトの上を転がる音、風が木々を揺らす音、「赤信号です。下がってください」という機械的な警告アナウンスが聞こえる。
碧は刮目した。
そこは競技場前。
現代の17歳の高校生に戻っている。
大盟帝国時代の7歳の少女として生まれ変わる前の、あの瞬間に。
信じられない面持ちで、碧は競技場エリアのコンクリートを過ぎ、アスファルトの歩道へ歩く。歩道の前、片側3車線の大通りには、多くの車が行き交っていた。
「碧碧、なんか、あの子、こっち見てるよ」
「知り合いなの?」
一緒に競技場へ来た友達が、赤信号の横断歩道前で立ち止まり、不思議そうに碧に尋ねる。
「!」
競技場前の横断歩道、広い道路を挟んで正面に治世がいる。5人の男子の中、紺と白の揃いのジャージに1人だけ鮮やかな橙色のタオルを首に下げて。
信号が青になると、治世は碧に一直線に走る。横断歩道の真ん中で泣きそうな顔で笑う。
「オレ、李治世。その……碧?」
同じ声、同じ佇まい、同じ。碧にとっては全てが同じだった。
「うん。治世?」
「はは。マジで。碧。家に、蘭蘭いるよ」
その日、碧と治世は競技場近くのファーストフード店で落ち合った。
一日続いた大会の後、外はすっかり夜。人通りの多い大通りのファストフード店。ガラス越しに道行く人々を眺めながら2人で並ぶ。碧は久しぶりの人工的な光の数々に目を細めた。
連絡先を交換しながら、互いの高校名などを言い合う。
「オレ、陸上でハードルやってる」
「えー。見たかったな」
「これからいくらでも」
治世は照れくさそうに笑った。その視線の逸らし方は、21歳の牢獄の房の前にいるときと少しも変わらない。
「私ね、今日、処刑されたの。そしたら、戻ってた」
「ああ……あの日」
碧は現代から過去へ転生して戻った。治世は過去の人生が終わってから、全ての記憶を持って現代に生まれていた。
治世を店で待つ間、碧は一国についてネットで調べた。一国は、第一次世界大戦ごろまで存在していた。碧の「一国を44日で終わらせない」という望みは見事に達成されていたのである。
碧がスマホに表示した地図には、現代のこの国があった。碧が転生する前よりも、ずっと領土が狭い。
「治世、これ」
碧が画面を見せると、治世はポテトを口にくわえたまま、にぱっと笑う。
「ん? ああ。一国って続いたんだよな」
治世にとっては、表示されている領土が当然らしい。
碧は自分が転生する前、大水青帝国が君臨した後の領土を引き継ぎ、とてつもなく広い国だったことを治世に話す。
「はああああ?」
「だったの。ここもここも、この国の領土で。世界で4番目くらいに広かったんだよ」
「北方民族んとこが全部? 硝石とペストのタイミングで、そんなにちげーの?」
北方民族の国は、現在の国とは別に北東にある。そして、大南国の部分が少し縦長に広がり、かつての大盟帝国唯一の港である湾の周りに鎮座していた。
「あれ? 大南国んとこ、どーなってんの? 私が見た歴史では、ここも同じ国だったよ?」
碧は指差しながら首を傾げる。
「ずーっと大南国のまんま。ちょい広がった。すごい都会で、カジノがあってマフィアがいて、海にヨットがいいーっぱいある」
治世は、現在の大南国がセレブリティな高級リゾート地を数多く有し、タックスヘイブンで成る国であることを説明する。
碧が気になったのはアヘン戦争である。アヘンの人的被害は大南国内に止まった。一国は、侵入を防ぐことができたのである。壁となったのは、一国に根付くの法、クリーンな政治、国民の道徳心だった。
一方、一国の西にあった大張国は、建国約100年後、国民投票と一国との協議を経て、一国に併合された。
碧の知る一国にはなかった、地下資源の宝庫である西方が現在の国に組み込まれている。その部分は、世界大戦などがあった新しい時代に併合されたと分かった。
「すごいことンなってるね」
2人が駆け抜けた歴史は、現代をも変えてしまっていた。
碧は、「橙巾党」を検索する。
「リストラされた元駅卒メンバー、田小四などによって結成された反乱軍が始まり。民衆の支持を受けて一国を立国し、大盟帝国を滅亡へ追い込んだ」とある。
「田さん!」
思わず碧は声を上げる。田さんは「一国」の国名を発表した声の大きな男である。
「オレもびっくりした。田さんが教科書に載っててさ」
「代表者みたいんなってる」
橙巾党は、民衆の意見によって政治を運営する先駆的な国を作ったとして、歴史上で大きな功績を残していた。
ネットで詳しく調べると、橙巾党幹部の面々の名があった。じーさん、ダーリン、碧、治世はない。牛金星と西安の司法長官の名がブレーンとして残っている。他に査察部3名の知った名。それは、碧と治世の死後に、政治の円熟期を迎えたことを示していた。
こぼれ話として「橙巾党は足が臭いと言われていたが、それは、メンバーの1人が草鞋を履いていたことに由来するという」とあった。
法治国家を謳う一国は、「脱獄共犯」という創始者達の過去を、治世と碧の死によって、自然に葬ることになったのだった。
李治世、呉三魁、陳円円の名は、歴史に残っていない。かろうじて、呉三魁の名が名将としてネットの海から探せる程度だった。
歴史は変わった。しかし変わらなかったこともある。1930年の同姓不婚廃止の法改正である。
「碧」
「ん?」
外の景色からふと顔を碧に向けた治世が、まっすぐに碧を見つめる。
「好き」
「私も」
「ぜったい結婚しよ」
「まだ高校生だよ」
◇
「蘭蘭!」
後日、碧は蘭と再会した。白っぽいウルフドッグで、治世の家で暮らしている。犬の中でも野生に近いウルフドッグは警戒心が強い。にも関わらず、碧には最初から懐いた。首の傾げ方、ぐーぐー体を擦りつける甘え方、返事をするタイミング、ジャンプして正面から突進してくるところ、全てが蘭と同じだった。
「すっごくすっごく会いたかったよ。蘭蘭。西安で寂しかった?」
この数年後、碧、唐茉莉、紫苑の3人はアルバイト先で揃うことになるのだった。
*長い間おつきあいくださり、ありがとうございました。
ハッピーエンドだと軽く考えていたのですが、書きながら「これってバッドエンドでは?」とちょっと思いました。




