40話
次の日の朝、ホームルームが始まっても、昨日のことが頭から離れなかった。
玲奈のこと。
結局、何も話さなかった。何か言いたげだったのに、言わなかった。
あの微妙な間。視線を泳がせて、迷って、結局「ありがとう」だけ言って帰った。
なのに、俺の中に残ったのは何もなかったじゃなくて、何かあるって感覚だった。
あの時、俺はただ黙って頷いた。
でも、本当は何かが喉元までこみ上げていた。
……なんで今さら、俺なんだよ。
教科書を開きながらも、全然頭に入ってこない。
視線はページの上をなぞるだけで、内容はまったく理解していなかった。
そういうのって、普通は気にしないはずなんだ。
終わった相手のことなんて。相談されたって、「俺に関係ない」って流せばいいだけ。
なのに、玲奈の声とか、表情とかが、なぜかリピートしてる。
あれはただの思い出話だったのか? それとも、何かを隠していたのか?
わからない。だけど、昨日より確かに気になっている自分が、嫌だった。
もし、あいつが──いや、考えるな。もう終わった話だ。
「智也くん?」
「……え?」
咲に声をかけられて、ようやく現実に引き戻される。
「ボーッとしてたよ。元気ないの?」
「ああ……いや、ちょっと寝不足で」
「そっか。まあ、あんまり無理しないでね」
軽く微笑んでくる咲。
でも、その視線の奥に、ほんのわずかな探るような光があった気がした。
昼休みのチャイムが鳴る。
俺は弁当を持って、なんとなく教室を出る。
窓際の自販機で飲み物を選びながら、思い出したのは、昨日の玲奈の目だった。
「何かを言いかけて、やめた」その一瞬だけこれが震えていた気がする。
……嫌な予感がする。
言葉にできないけど、確かに何かがおかしい。
もし、それが本当に最低な方向の何かだったとしたら。
指先がほんの少し強張る。
思わず目を閉じて、ひとつ息を吐く。
「……関係ない。俺には関係ない」
そう言い聞かせながら、廊下を歩き出した。
放課後、昨日と同じ校舎裏。
夕方の生ぬるい風が肌にまとわりつく。
ベンチの上に落ちた枯れ葉を払いながら腰を下ろすと、少し遅れて玲奈がやってきた。
足取りは重そうで表情も疲れていた。
「……ありがとう。来てくれて」
「話って、昨日の続きか?」
そう尋ねると、玲奈は小さくうなずいた。
「うん。あのとき、言いかけて、やめちゃったんだけど……やっぱり、ちゃんと話しておきたくなっちゃって」
玲奈は一度、言葉を飲み込むように口を閉じ、それから静かに語り始めた。
「この前、彼と……そういうことをしたとき」
少し間を置く。俺は何も言わずにただ聞いていた。
「スマホを……向けられてた気がしたの。こっちに。最初は冗談かと思って、『やめて』って言ったんだけど」
声がわずかに震えていた。
「『誰にも見せない』『消すから』って。そう言ってた。でも……それって、もう撮ったってこと、じゃん」
その瞬間、頭にカーッと血が上るのを感じた。
付き合ってすぐに身体を許すような玲奈へのいらつきと、玲奈をもてあそぶかのような先輩への不快感でごちゃまぜになる。
「……は?」
声が低く漏れた。
こっちを見ようとしない玲奈に、苛立ちが込み上げる。
「本当に撮られてたのか?」
「……わかんない。でも、そうじゃないかって思う瞬間が増えて……先輩、スマホを絶対に手放さないし、私が見せてって言っても、いつもごまかすの」
唇を噛んでいる玲奈。
だけど、なぜかそれを見てる自分に嫌気が差した。
「それ、俺に言ってどうすんだよ。俺にどうしろって?」
「……どうもしなくていい。わかってる。でも……誰にも言えなかったんだよ、こんなこと」
「信じてたんじゃねえかよ。そいつのこと。俺と別れて、そっち選んだのってお前だろ」
言ったあとで、少し後悔した。
でも、口を噤むことはできなかった。
玲奈が小さく目を見開いて、それから、悔しそうに視線をそらす。
「……わかってるよ。そんなの、わかってるんだよ」
そこには、後悔でも懺悔でもない。
ただただ、取り戻せない過去を懐かしむような声音があった。
「今さらどうしろってんだよ」
そう返すと、玲奈は俯いて何も言わなかった。
しばらくの沈黙。遠くでチャイムが鳴る音だけが聞こえていた。
「……ごめん。やっぱり、言うべきじゃなかったよね」
「……」
玲奈は立ち上がった。
だけど、帰ろうとはせずその場に少し立ち尽くしていた。
「それでも……話せてよかった。誰かに聞いてもらえるだけで少し楽になるんだね」
そう言って、玲奈は背を向けて歩き出した。
その背中を俺は追いかけなかった。
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