30話
控室の中は、少し肌寒かった。
ステージに近いせいか、空調が強めに効いている。
壁際の長机には、出演者用の名札と飲み物。
プラスチックの椅子が並ぶその中で、俺は、深く息を吐いた。
あと十五分。
机に手をついたまま、ぐっと指先に力を込める。
喉の奥がきゅっと締まる感覚。慣れているはずなのに、今日は違った。
七海は部屋の隅で、PA卓の最終チェックをしている。
機材の接続、音量バランス、モニターの返し。
手慣れた動きに無駄がなく、何度も確認しては頷いていた。
「朝倉、リバーブ多かったら手ぇ挙げて。即下げるから」
「了解」
「緊張したら言えよ。観客ミュートしてやる」
「それはダメだろ」
軽口を交わすことで、かろうじて平常心を保つ。
七海の存在は、やっぱりありがたかった。
そのとき、背後から優しい声がした。
「……がんばってね」
振り返ると、咲が立っていた。
制服の袖を軽く握っていて、少しだけ不安そうに見えた。
「ありがとう」
それだけしか言えなかった。
でも、それだけで十分だった。
Side:Other
一方その頃。
会場の後方、出入り口近くの柱にもたれて、玲奈は立っていた。
周囲は、開演を待つ生徒たちのざわつきで満ちている。
プログラムに目を落とす者。ステージ前の空席を巡って動く者。
そのなかで──玲奈の耳に、断片的な会話が次々と流れ込んできた。
「え、やっぱ本人なの?」
「sakuraAって朝倉だったんだよね?」
「白川さんの元カレだったって、マジで……?」
ざわ……ざわ……と、空気が変わっていくのがわかった。
智也の名前が、噂話から現実の誰かへと形を持ちはじめる。
数人の女子が、ステージの裏手を指差して小声で笑っている。
「かっこよかったよね、動画より」
「てかあんな声で告白されたら死ぬ」
玲奈は、言葉を飲み込んだ。
否定する隙もなく、状況は動いていく。
心の中で誰かが囁く。
(そんなわけ、ない。……でも、)
遠くのステージ裏に目をやる。
暗幕の隙間。そこに、一瞬だけ智也の姿が見えた。
誰かに背中を押されるように歩いていく、その姿。
(知らなかった。こんなことができるやつだったなんて)
喉の奥がきゅっと締まった。
息がうまく入ってこない。
玲奈は思わず、近くの壁に手をついた。
誰かが「大丈夫ですか?」と声をかけたけれど、
それにも応えず、ただステージの方を見つめていた。
「次、行きます。朝倉さん、スタンバイお願いします」
スタッフの声に呼ばれて、俺は立ち上がった。
全身の血がざわつくような感覚。
でも、足はちゃんと前に出た。
七海が親指を立てて見送ってくる。
咲は、静かに微笑んで頷いた。
幕の裏で、立ち止まる。
ステージの向こうから、ざわめきとライトの熱が伝わってくる。
ここから先は、逃げられない場所だ。
だけど、今は。
(……行ける)
手のひらに残った飴の包みを、そっとポケットにしまって、俺は前を向いた。
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