29話
文化祭当日の朝。
いつもの校舎が、少しだけ違って見えた。
飾り付けられた廊下、教室から漏れてくる音楽、駆け足で走る実行委員。
そんな喧噪のなか、俺はギターも何も持たず、空っぽの手で校門をくぐっていた。
周囲からの視線が、なんとなく痛い気がする。
気のせいだと思いたかった。けど──
「……あれ、本人じゃね?」
「マジで? うわー、声そのまんまじゃん」
耳に入ってきた声は、はっきりと俺の名前を出したわけじゃない。
けど、俺のことを言ってるのはわかった。
心臓が跳ねた。
逃げたくなった。
でも、立ち止まりはしなかった。
「よっ、朝倉」
校内ステージの裏口で、七海が手を振って待っていた。
ケーブルの束を肩にかけて、軽く汗をにじませてる。
今日の七海は、昨日までよりちょっとだけ真面目な顔をしていた。
「……おはよう」
「おはようございます、主役さま。ご機嫌いかが?」
「うるせぇ」
からかうような口調に救われた。
この緊張感をほぐせるのは、こいつくらいかもしれない。
「なに? 顔バレ怖い? だったらスモークでも焚く?」
「それはやめてくれ」
「ふふっ」
七海は笑って、控え室の中に戻っていった。
俺も深呼吸して、その後を追う。
リハーサルは、予想以上に本物だった。
スピーカー、マイク、モニター、ステージ照明。
目の前にあるのは、家で歌っていた時の比じゃない装備。
俺の声が、教室の壁に反響して返ってくる。
何人かの生徒が音合わせを見ていた。
そのなかには、知った顔もいくつかあった。
咲は、入り口近くの壁にもたれてこっちを見ていた。
いつもと同じ制服。いつもと同じ髪型。
でも、少しだけ表情が硬い気がした。
七海はPA卓の前に立って、音量を調整していた。
「ボーカル上げた。モニター返してみて。どう?」
「……あ、うん。聴きやすい」
「いいね。じゃ、次ギター音源流すよ」
七海はいつものように軽口を交えながら、でも手際は本気だった。
ケーブルの接続も、レベルの調整も、ミスひとつなくこなしていく。
「……ほんと、すげーな」
思わずつぶやいた言葉は、誰にも聞かれなかったと思ってた。
けど、咲がこちらに歩いてきて、小さな飴をそっと差し出してきた。
「喉、大事にしてね」
「……ありがとう」
俺は受け取りながら、その指先の揺れに気づいた。
咲は優しく微笑んでいたけど、どこか遠慮がちに見えた。
さっきの飴も、気遣いなのはわかってる。
でもどこか、自分を無理に落ち着けようとしてるように見えた。
七海みたいに機材を触ったり、佐原みたいにサムネを描いたり、
そういうはっきりした形じゃなくて。
咲は、ただ俺を見てくれてる。
それが嬉しい反面、少しだけ申し訳なくもなった。
もしかしたら咲は、俺の考えすぎかもしれないが。自分だけ取り残されてるように感じてるのかもしれなかった。
控え室を出て、廊下を歩くと、また耳に飛び込んでくる声があった。
「え、やっぱ朝倉ってsakuraAだったんだ」
「てか動画のやつより声よくね?」
「イケボすぎてビビった……」
笑い声、囁き声、驚きの声。
すべてが俺の存在を肯定する音に聞こえて。
でも、同時に、背中がひりつくような不安もあった。
知らない誰かの前じゃない。
ここは、俺を知ってる人たちの世界だ。
そんな場所で、俺は。
それでも。
その視線を、全部正面から受け止めてやりたいと思った。
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