10話
風呂上がり。
髪をタオルで拭きながら、なんとなく鏡の前に立った。
Tシャツが少し湿ってて、肩にまとわりつく。
そのまま、腹のあたりに手をやって――ふと、めくってみる。
「…………ぅわ……」
自分でも笑えるくらい、見事に平らだった。
いや、むしろ少し出てる。うっすら。
(腹筋……ないじゃん)
七海の声が、頭の中でリピートされた。
あのとき笑いながら言ってたけど、たぶん、けっこう本気だった。
「腹から支えると違うんだよ」
「全身使って歌うと届くようになる」
その言葉も、思い出す。
いつもなら右から左に受け流してたはずなのに、今回はなぜか引っかかったままだ。
(届かない、か……)
上手いって言われた。
でも「届かない」とも言われた。
それが妙に悔しかった。
せっかく認められたと思ったのに、一歩届いてないって突きつけられた気がして。
「……やるか」
鏡越しに、自分の目を見ながらつぶやいた。
口調は軽くても、本気だった。
部屋に戻って、スマホで「腹筋 初心者 メニュー」と検索する。
出てきたやつをメモに保存して、床にマットを敷いた。
プランク、クランチ、レッグレイズ。
見ただけでうんざりするけど、やるしかない。
プランク、30秒。
簡単そうに見えた。が、それは見えただけだった。
「……っぐ……なっ、が……」
体が震えて、額から汗が垂れた。
時計を見る。10秒しか経ってない。嘘だろ。
腕がぷるぷるしてくる。
腹がジリジリ焼けるみたいに痛い。
呼吸が浅くなって、何がキツいのかもよくわからない。
30秒が永遠に思えた。
ようやく終わったとき、床にへたりこんでそのまま動けなかった。
(腹筋、なめてたわ……)
スマホを見れば、画面には「初心者用」の文字が燦然と輝いていた。
これで初心者……? じゃあこういうメニューを軽々こなしてると言った七海は何者なんだ。
翌朝、起きた瞬間に後悔した。
腹が……笑えない。
いやほんとに、笑うと痛い。くしゃみも痛い。咳も痛い。
何しても痛い。寝返りうつのも一苦労。
(無理じゃね?)
って思った。思ったけど、2日目もやった。
痛くても、回数を少し減らしてやった。
音楽を流しながらやると、ちょっとだけ気が紛れた。
七海の歌を思い出す。
届く声。強くて、芯があって、耳に残る。
(ああなりたい、ってわけじゃないけど……)
比べるつもりはなかった。
でも、比べてしまう。
数日経つと、痛みは少しだけマシになった。
30秒のプランクも、なんとか耐えられるようになった。
調子に乗って回数を増やそうとしたら、翌日またバキバキになった。
学んだ。調子に乗らないこと。
筋トレの後は、歌の練習。
録音アプリを立ち上げて、昨日と同じ曲を歌う。
録って、聞いて、メモする。
どこが外れてるか、ブレスが浅いとこ、語尾が甘いところ。
最初は恥ずかしかった。
自分の声なんて、録音で聞いたら半笑いになるだけだと思ってた。
でも、2週間もやると少しずつ耳が慣れてきた。
そして、気づいた。
ちょっとだけ、変わってきてる、はずだ。
息の流れがスムーズになって、語尾がまっすぐ伸びるようになった。
喉が詰まる感じが減ってきて、声に厚みが出てきたように感じる。。
一曲歌っても、喉の疲れが薄いように感じる。
変化はわずかだけど、自分にはわかる。
録音してるから、わかる。
何も変わってないように見えても、毎日積み重ねた分だけ、確実に違う。
投稿はしていない。
この2週間、一切、アップしてない。
人に聴かせる気持ちにはまだなれなかった。
(今は、まだいい)
ただ、上手くなりたかった。
誰かのためじゃなくて、自分のために。
負けたくないとか、見返したいとか、いろいろあるけど――。
それでも、今はただ、続けたかった。
あのギャルに「届いてない」って言われたのが、ずっと心に残ってた。
どうせやるなら、ちゃんと届く声で歌いたい。
腹の底から出した声で、まっすぐ響かせたい。
歌い終わったあと、スマホの画面を見ながら息をついた。
再生ボタンに指をかける前に、ちょっとだけ笑ってしまった。
(……俺、マジで、頑張ってんな)
そう思えたのは、久しぶりだった。
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