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氷姫の結婚  作者: 黒瀬 かすみ
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30/36

一

 すみれは、はっきりと言い切った。

「わたくしが行きましょう」

 十人以上いる獣人の鋭い視線が、一斉にすみれに突き刺さった。

 皆、耳がぴんと立ち、呆気にとられているのが分かる。


 最初に立ち直ったのは、副隊長だというケイリュウだった。

 ギーと並ぶほどの体格、焦げた土色の毛皮に、耳には傷が入っている。

「いやいや、隊長の嫁を、そんな危険な目には合わせられない」

 半笑いで腰に手を当て、すみれを見下ろしている。

 周りの護警官達も、戸惑いと共に頷き合う。


 雄狼である彼らは皆、体が大きく背も高い。

 すみれなど軽く小突かれただけで、地面に倒れ伏してしまうだろう。

 でも彼らは、すみれに危害を加えない。


 暴力的で恐ろしい生き物はいるけれど、それは人間だろうと獣人だろうと関係ない。

 人間だって獣人を差別し、傷つける。

 人間が噂をしていた尻尾は警戒の証ではないし、彼らの知能は人間と同等だ。むしろ、職務に忠実で怪我をするのもいとわない危うささえある。


 要は相手を知らないだけ。

 そのことに気づいて、彼らのことを知りたいと思うから、彼らのことが怖くない。


「隊長の嫁だから、ということは関係ありません」

 すみれはぎゅっとギーの上着を掻き合わせながら、顎を上げた。

 堂々と。

 自分が教えてきた生徒達に、胸を張れる人間でいられるように。


「相手は人間の女性に食事を運ぶように要望しているのですよね。ならば、わたくしが行くのが、わざわざ人を探しに行く時間の無駄がなくてよろしいでしょう」

 凛とした顔立ち。

 毅然とした立ち姿。

 肩や背に流れる艶やかな黒髪。

 ただ立っているだけなのに、すみれという清涼な存在に狼達は目を惹かれた。


 黒と灰色が混ざった毛並の護警官の一人が、軽く手を上げてギーに発言の許可を取る。

「一之瀬隊長、どうぞ」

 頷くギーに目礼し、一之瀬がすみれを見る。

「あなたは一般人だ。護身術などの身を守るすべも知らないだろう。こちらとしては何かあったときに、あなたを護りきれないのは非常に困る」

 ここにいる護警官にとっては、すみれはさっきまで小屋の隅で小さく震えていたか弱い存在だ。

 それがギーと共にすっきりした顔で戻ってきたからといって、対応が変わるわけではない。


「では、代替案がありますか」

 静かにそう尋ねられて、一之瀬はうっと詰まった。

 本音では、すみれ自ら言い出してくれてラッキーだと思っているだろう。

 護警官にも女性はいる。だが、すべて獣人だ。

 人間の女性で、ここにすぐ連れてこられそうな相手などいないはずだ。


 近くで聞いていた新人護警官のジンレイが、弱々しく手を上げる。

「そ、そもそも、三森の言うことを聞いてやる義理はないんじゃない、すか」

「ですが、条件と引き換えに、あのお家にいるおばあさんを解放してもらえるのでしょう。ならば一般人の人命が最優先のはずです」

 冷静なすみれに、護警官達が顔を見合わせて低く唸る。


 人間の女性など、彼らからすれば庇護の対象以外の何者でもない。

 狼よりもずっと力が弱く、小さく、瞬発力もない。

 川辺に生えた葦と同じ扱いでちょうどいいと思う者もいる。

 その人間の女性が、自ら志願して犯罪者のもとに行くなど驚くべきことだ。


「諦めろ。彼女はやる気だ」

 すみれの横に立ったギーが、苦笑しながらすみれの肩にその大きな手を置いた。

 その温かさと力強さに、知らずすみれはほっと息を吐く。


 大丈夫だと思う。

 不安と猜疑心でいっぱいだった心が、今は澄んだ湖面のように穏やかだ。

 ギーがすみれのことを好きだと言って、ギーの屋敷に居場所をくれたから。

 その心に、恩返しがしたい。


 一之瀬が頭を下げて引き下がり、テーブルに手をついていたケイリュウはぺろりと鼻先を舐め、唸った。

「筆頭はそれでいいのか? 大事な嫁さんだろう」

「よくはないが……いざとなれば、息の根を止めるのもやぶさかではない」

 誰の、と言わないところが真剣みを感じさせる。

 口調は笑っているが目は笑っていない筆頭に、護警官達はごくりと唾を飲み込んだ。


「獣人が人間を私情で殺すと、一発で刑務所行きだぞ」

 ケイリュウはため息をつきつつ、親友をたしなめる。

 すみれが生真面目に頭を下げた。

「そうならないように、気を付けます」

「そうか、頼む」

 毒気を抜かれたように苦笑したケイリュウが、後ろにいた護警官に合図をした。

 書類の束を手にしていた護警官は、すぐに意図を察して紙をめくる。


 説明は、家に立てこもっている漉防隊の幹部、三森豊についてだった。

「三森豊。四十二歳。母親は三森を出産後に死亡。大工の息子だったが仕事に馴染めず、職を転々とした後、物事が上手くいかないのは世の中のせいだという思想に染まる。二十八歳のとき、反政府組織である漉防隊の岩永の誘いを受け、入隊。六年目に幹部として取り立てられ、いっそう過激思想に染まるようになりました。小茂田邸の爆発事件の主犯は三森です」

 立てこもり犯のおさらいとして、狼達は皆、耳を傾けている。


 じっと聞いていたすみれは、ギーを見上げた。

「小茂田邸の爆発事件というと、あの?」

「新聞にも載っただろう。中央政府からの派遣で、永崎県庁で働いていた若手官僚とその妻、使用人含め全員を屋敷に閉じ込め、その屋敷を爆破した事件だ」

 幸い、隠し通路を通って住人は無事だったらしいが、消火活動を行っていた消防士が後発の爆発で一人死亡。歴史的建造物として登録有形文化財に指定されていた屋敷は全焼して、今もまだ焼け焦げた木材が積み上がっている。


「奴らに襲撃され、今までに傷を負った護警官も一人や二人ではない。奴らは絶対に捕まえて、罪を償わせなければならない」

 ギーの喉の奥から唸り声が聞こえる。

 その低い声は背筋が冷たくなるような、頭を垂れ、無条件に従いたくなるような厳しさを含んでいた。

 急に感じた威圧感に、震えが来るのを誤魔化すべく、すみれは生唾を飲み込んだ。


 ぐるりと護警官を見回したギーの視線が、最後にすみれに向けられる。

「すみれさんは食事を運ぶだけでいい。相手を倒したり、捕まえたりという荒事はこちらの領分だ」

 その、琥珀色の瞳に宿る鋭さに、すみれは胸に手を当てて目礼する。

「もとより、そのつもりです……必ず、迎えに来てくださいね」


 彼を信じると決めた。

 だから、すみれはできることをする。

 ギーならば。

 彼ならばきっと、すみれに傷一つつけることを許さないだろう。


「もちろんだ」

 ギーは力強く、頷いた。

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