第64話「電卓」
時事ネタ?社会風刺?いずれにしろ、この作品はフィクションであり、実在の企業・団体・個人とは一切関係ありません。キリッ
2026年8月下旬。東京。JDETA事務局。
永井が資料を持って入ってきた。「新規引き合いをまとめました」
城島と牧野が座っていた。「英国40両、フランス80両、イタリア40両——」と永井は続けた。「サウジ60両、UAE40両、カタール15両、バーレーン15両、キプロス5両、エジプト30両です」
「合計は?」と牧野が聞いた。
「325両です。トルコから50両の引き合いもありますが——」
城島が口を開いた。「トルコは継続交渉中にしておけ。S-400の件がある。技術流出のリスクが高すぎる」
「了解です」
牧野が計算しながら言った。「325両×20億円で6500億円の見込み収入か——」
「見込みだけどな」と城島が返した。「でも大きい。片貝財務相に報告が必要だな」
霞が関・財務省。
片貝かつきの執務室に橘慎一郎が呼ばれた。珍しいことだった。片貝から呼ばれるのは。
「座ってください」と片貝は言い、机の上に積み上がったFMS特会の収支一覧を電卓と並べて置いた。
「確認させてください」
「どうぞ」
「FMS特会の収入側から整理します」と片貝が電卓を叩きながら続けた。「米国向け700両は対米投資枠での処理中でまだ回収が始まっていない。ウクライナ向け100両は戦時なので後払い交渉中。NATO既存7カ国105両は一部回収中。新規引き合い325両はまだ引き合い段階——つまり実際の回収額は1兆4000億円にも達していません」
「まあそうですね」
片貝がため息をついた。「一方、支出側はどうか。PMCへの出資2600億円、USCの構築5000億円、Highlandersへの投資3000億円、ジブチの建設費——格納庫の追加やら滑走路やらで概算5000億円超。合計1兆4000億円近い支出が先行しています。FMS特会は現時点でほぼトントンか、場合によってはマイナスです」
「そうですね」
「それで——」と片貝が橘を見た。「今日も何か追加の支出を頼みに来たんですか?」
橘が少し間を置いた。「09式の新規引き合いが325両来ています」
「——それは収入側ですね」
「そうです」
「見込みですね?」
「そうです」
「確定ではない?」
「まだです」
片貝が再び電卓を叩いた。「全部回収できれば——米国700両、ウクライナ100両、NATO105両、新規325両、中東500両で合計1730両。2兆6000億円の収入になります。支出の1兆4000億円を引いても1兆2000億円の黒字ですね」
「そうなります」
「全部回収できれば」
「そうなります」
片貝が電卓を置いた。「橘さん、これ以上FMS特会の支出を増やす場合は事前に私に報告してください」
「——努力します」
「努力では困ります」
「承知しました」
片貝がしばらく橘を見た後に続けた。「あなたは本当に怖いわね。でも——数字は間違っていない。それだけは認めます」
橘は答えなかった。
「1兆2000億円の黒字見込み——本当になったら財務省として鼻が高いわ」
「なりますよ」と橘は静かに言った。
「根拠は?」
「見えないとこで動いてる人間がいるからです」
片貝が少し笑った。「——それは掲示板の言葉ですよ」
「よく出来た言葉だと思っています」
橘が部屋を出ると、廊下で城島が待っていた。「どうだった?」
「怒られた」
「追加支出は承認されたか?」
「聞かれませんでした」
城島が止まった。「——聞かれなかったのか?」
「そうだ」
「それは暗黙の承認か?」
「そう解釈しています」
城島がため息をついた。「片貝さんも怖いな」
橘は答えなかった。廊下の窓から霞が関の夏の空が見えた。コーヒーに手を伸ばそうとして——廊下だった。コーヒーがなかった。珍しく、コーヒーなしで歩いた。
同じ頃。ジブチ。FEPA基地。
黒田PMC代表の執務室に来客があった。三十代前半の女性で、細身で目が鋭く、スーツをきっちり着ていた。
「アレッサンドラ・マリーニです。ミラノのCMBキャピタルのファンドマネージャーをしています」と名刺を差し出した。
「どのようなご用件ですか?」
「FEPAの上場を検討されたことはありますか?」
黒田が少し間を置いた。「——続けてください」
マリーニが資料を出した。「FEPAの財務規模と事業内容を拝見しました。ジブチを拠点とした海上警備、掃海作業、輸送——これだけの事業規模であれば上場による資金調達が可能です。しかも上場することで——」
「多国籍企業としての色が出る」と黒田が静かに言った。
マリーニが少し驚いた顔をした。「——そうです。日本のPMCというイメージが薄まります。欧州の投資家にも受け入れられやすくなります」
「保留します。上司に確認が必要です」と黒田は言い、「ただし話を進める場合、NDAが必要です」と付け加えた。
「もちろんです」とマリーニが頷いた。
翌日、黒田は橘にメッセージを打った。「イタリアのファンドマネージャーがFEPAの上場を提案してきた。保留している。判断を仰ぎたい」
橘からすぐに返信が来た。「上場か——日本PMCの色が微妙に薄まるな」
「まずいか?」
しばらく間があった後に橘が返信した。「いや——むしろいい。FEPAが多国籍の上場企業になれば日本政府との関係が表向き薄まる。そのマネージャーを引き抜いて財務を見てもらえ。話す前にNDA必須だぞ。部下にも東洋のサルに使われてる感を薄められるだろうよ」
「——了解した」
三日後。NDA締結後、黒田はマリーニを会議室に通して資料を広げた。
「FEPAの財務状況を正直にお伝えします。現時点のFEPAの収入は——ゼロです」
マリーニが止まった。「ゼロ?」
「そうです。FMS特会からの出資金2600億円と、日本政府からの雇用費年間192億円で約2465名を養っています。FEPAのビジネスは三本柱ですが、全部これからです」
「順番に聞かせてください」
「一本目は掃海業務です。ホルムズ海峡の機雷除去を行います。サウジアラビア、UAE、クウェートから徴収します。日本の掃海技術は世界最高水準で、湾岸戦争後のペルシャ湾掃海の実績もあります」
マリーニが電卓を取り出した。「収支モデルは?」
「2艦隊編成です。第一艦隊が405名で1日1.2億円、第二艦隊が475名で1日1.5億円のチャージです。艦艇の取得費はFMS特会で損金処理済みですので、実質コストは人件費と燃料代だけになります」
マリーニが計算した。「第一艦隊が月コスト約4億1000万円に対してチャージが月36億円——利益率約89%?」
「そうなります」
マリーニがしばらく計算を止めた。「——吹っ掛けてますね」
「そうです」と黒田は静かに答えた。
「二本目は?」
「海上護衛業務です。はやぶさ改5隻セットで1日1000万円のレンタルモデルです。月3億円、利益率30%で月9000万円の利益見込みです。将来的に最大30セット展開できれば年間約330億円のポテンシャルがあります」
「三本目は?」
「空輸業務です。C-2を10機保有していて、稼働率50%——5機稼働で週3便運航します。月60便で片道チャーター料5000万円、月30億円の売上です。コストを引いて月16億円——年間約192億円の利益です」
マリーニが計算を続けた。「掃海、護衛、空輸——全部合わせれば年間500億円以上の利益ポテンシャル。でも現時点はゼロ」
「そうです」
マリーニが資料を閉じた。「上場は確かに早すぎます。USCが稼働して収益が安定してから——最低3年は必要ですね」
「そう思っています」
「CFOとして雇ってください」
「条件は?」
「市場相場で構いません。日本語も教えてください」
黒田が少し笑った。「——橘に確認します」
翌日、黒田は橘にメッセージを打った。「マリーニ、上場提案を撤回した。CFOとして雇ってほしいと言っている」
橘から返信が来た。「——鼻が利くな。雇え。市場相場で払え。上場の件は3年後に改めて相談しろと伝えてくれ」
数日後、マリーニがCFOとして着任すると、最初の週から小言が始まった。
「黒田PMC代表、先月の食費が予算を8%オーバーしています」
「そうか」
「原因を教えてください」
「田中現場所長の工事が延びて人員が増えた」
「——それは想定外の支出です。次回からは事前報告をお願いします」
黒田が頷いた後に続けた。「それと——回転寿司、ラーメン、海老かつ丼屋、牛丼屋、焼き鳥屋、居酒屋を基地内に開業させてくれ。米軍と仏軍、自衛隊にも開放するから儲かるぞ。海老はアデン湾で取れるから現地調達で仕入れが安い」
マリーニが少し間を置いた後に続けた。「牛丼屋と居酒屋、焼き鳥屋はイスラム教の土地ですので、現地人には開放しない方が良いです。完全な基地要員専用エリアとして宿舎側に隔離しましょう。回転寿司、ラーメン、海老かつ丼は全員開放で問題ありません」
「そうだな。現地採用の職員もいるもんな。宿舎側に隔離してくれ」
「承知しました」とマリーニが答えた後に電卓を取り出した。「米軍・仏軍・自衛隊・FEPA隊員合わせて6500人以上——1人1日1000円として月約1億9500万円の売上見込みですね。設備・輸送・人件費はFEPAの経費として計上するとしても十分ペイします」
「だろう」
「でも報告は事前にお願いします」
「分かった」とマリーニが資料を閉じた後、「次はどんな店を出すつもりですか?」
黒田が少し間を置いた。「まだ考えていない」
「——嘘ですね」
黒田は答えなかった。
「たこ焼き屋ですか?」
「……良いかもしれない」
マリーニがため息をついた。「——CFOの仕事が増えますね」
東京・内閣官房。城島が橘に報告した。「マリーニ、着任早々に黒田から飲食店街の開業提案を受けたそうだ」
「マリーニの反応は?」
「即座に収支計算して承認したそうだ。しかも牛丼屋と居酒屋は現地人に開放しない方が良いと自分から言い出して、宿舎側に隔離することも提案した」
橘は窓の外を見た。「鼻が利く上に判断が早い。歴史に残る仕事をしたかったと言ったそうだが——」
「そうだ」
「本当になるかもしれないな」
城島が頷いた。橘は冷めたコーヒーに手を伸ばして飲んだ。やはり冷めていた。




