第56話「隼、ジブチへ」
時事ネタ?社会風刺?いずれにしろ、この作品はフィクションであり、実在の企業・団体・個人とは一切関係ありません。キリッ
2026年7月下旬。ジブチ。
城島哲也は一人だった。
橘は東京で別の案件を抱えていた。
今回は城島の単独視察だった。
U-4でジブチに入った。
タラップを降りると、熱気が体を包んだ。
七月のジブチは五十度近かった。
黒田康介が待っていた。
「城島さん、よく来た」
「橘は来られなかった。私一人だ」
「分かっている。案内する」
浮き桟橋。
はやぶさ改が五隻、係留されていた。
初期ロットだった。
城島は桟橋に立った。
500トンの艦体が並んでいた。
低く、細長く、速そうだった。
「いつ着いた」
「先週だ。フィリピン沖とスリランカ沖で補給して七日かかった」
「状態は」
「問題ない。LM2500は回航中もずっと回っていた」
城島が頷いた。
「訓練は始まっているか」
「始めている。今日は港外でLink 22の統合訓練をやっている。五隻揃わないとできない訓練だ」
城島が頷いた。
「09式と同じ思想だな」
「そうだ」黒田は静かに言った。「五隻でひとつの広域レーダー網になる」
城島は海を見た。
アデン湾の水平線の向こうに、白い航跡が五本見えた。
はやぶさ改が50ノットで走っていた。
「速いな」
「そうだ」黒田が静かに言った。「初めて見た時、みんな声を上げた」
基地の中を歩いた。
訓練場で、乗組員たちが整列していた。
多国籍だった。
ケイラ・ドナヒューが前に立っていた。
「アテンション!」
全員が姿勢を正した。
城島が黒田に言った。
「ケイラが中隊長か」
「そうだ。統率力がある。言葉が違っても動かせる」
城島がケイラを見た。
三十八歳。元米海軍。
日本を好きになって、娘二人のために来た。
「日本語の習得は」
「個人差がある。でも——」黒田が建物を指した。「見てくれ」
日本語学校。
プレハブの建物だった。
中に入ると、二十人ほどが座っていた。
教壇に立っているのは日本人の教師だった。
「みなさん、今日は数字を覚えましょう。いち、に、さん——」
「いち、に、さん——」
多国籍の声が揃った。
片隅でミハイロが真剣にノートを取っていた。
城島は窓の外を見た。
日本語学校の隣に、奇妙な施設があった。
「あれは何だ」
黒田が少し笑った。
「見てのお楽しみだ」
右ハンドル・左側通行の自動車練習コースだった。
ウクライナ人の隊員が恐る恐るハンドルを握っていた。
教官が助手席から指示を出していた。
「もっと左!左!」
「左?これが左?」
「そうそう!上手い!」
城島が黒田を見た。
「なぜ自動車の練習を」
「永住権をやると言った。日本で生活できなければ意味がない。日本は左側通行だ。慣れておかないと」
城島がしばらく練習コースを見ていた。
「橘が指示したのか」
「ジブチ視察の時に『必要なものを全部入れてくれ』と言った。これも必要なものだ」
城島は練習コースを見たままだった。
ウクライナ人の隊員が、恐る恐る左カーブを曲がっていた。
「上手い!」教官が叫んだ。
隊員が嬉しそうに笑った。
基地の端。
建設現場だった。
鹿島建設の旗がはためいていた。
複数の重機が動いていた。
クレーンが10台以上林立してミキサー車が並んでいた。
基地の横には、生コンプラントまであった。
「何を建てているんだ」城島が聞いた。
「掃海部隊の宿舎と係留地の拡張だ。それと地下給油タンク。橘さんがジブチ視察の時に要請していた件だ」
城島が頷いた。
「鹿島の現場所長は」
「今、本国とビデオ会議中だ——」
現場事務所のプレハブ。
現場所長の田中——53歳——がモニターを前に叫んでいた。
「JDETA拠点って何ですか!聞いてませんよ!」
モニターの向こうで本社の取締役が苦笑していた。
「まあまあ、田中くん——」
「無理ですよ!今の体制じゃ!別班入れてください。工場システムでしょ?大林と東芝プラントも呼んでくださいよ!正直、現地労働者の教育も限界です。国内かヨーロッパの建設会社を会社ごと投入してくれなきゃ無理ですって!」
「わかったわかった。何とかする」取締役が言った。「道路の連中は支店丸ごと送ったから使ってくれ」
田中が止まった。
「はぁ?道路の連中なんて今更ですよ?何させるんですか!」
「あ、言ってなかったか?」取締役が笑った。
「そこの空港の横に専用滑走路引くんだよ。3500メートル級を2本な。C-17とE-767も使える強度らしいからよろしくな~」
田中が絶句した。
「む、無茶ぶりにもほどがある!無理ですよ!3500メートルを2本て!ジブチの砂漠で!」
「道路の工事本部長送ったから、空港はそっちに任せていい。君は建屋と設備を頼む。とりあえず宿舎何とかしないと、みんな暑さで後送だぞw」
「他人事みたいに——」田中は頭を抱えた。
「帰国したら支店長の椅子もらいますよ。それと部下をローテーションでイタリアで静養させるんで、経費と拠点お願いしますよ!ったく」
「イタリアはアンコーナに拠点できるから使っていい。片桐さんが話をつけてる」
「アンコーナ?どこですかそれ」
「アドリア海側の——まあ後で調べてくれ。とにかく頼む」
通話が切れた。
田中がモニターを睨んだ。
「支店長じゃなくて本社取締役の椅子もらわないと割に合わないな——」
独り言だった。
そこに城島が現場事務所に入ってきた。
「すまん。防衛省の審議官なんだが——」
田中が振り返った。
「どなたですか」
「城島だ。さっきのビデオ会議、聞こえていた。IHIのIM400を10基用意させて送るから、東芝プラントに簡易発電所を作らせてくれ。帰国したら発注書も切る」
田中が目を丸くした。
「IM400を10基——」
「そうだ」
田中が少し間を置いた。
「それ、稼働したら使っていいですか?」
「ああ。IM400は単機で使用できるから使っていいぞ。1週間以内に入れさせるよ」
田中が息を吐いた。
「助かります。もう冷房稼働制限してるんで——どのくらい使えるんですか?」
「確か1基で4MWだな」
田中が止まった。
「へ?」田中が計算した。「合計40MWって——ここにデータセンターでも作るんですか?」苦笑した。
城島が少し間を置いた。
「よく知らんが——なんかもっと増やすかもしれないって聞いたがな」苦笑した。「いずれにしろ工場の冷房とかいろいろ使うんだろうよ」
田中がしばらく城島を見た。
「防衛省の審議官が『よく知らん』はないでしょう——」
「本当によく知らんのだ。決めてるのは別の人間だ」
田中がため息をついた。
「その別の人間に怒鳴り込んでいいですか?」
「絶対にやめておいた方がいい」城島は静かに言った。「怖い人間だからな」
城島は現場事務所を出た。
黒田が苦笑していた。
「聞こえていたか」
「全部聞こえた」
城島が空を見た。
青い空だった。
3500メートルの滑走路が2本。
C-17が降りられる。E-767が降りられる。
40MWの発電設備。
「橘はここを何にするつもりだ」
「分からない」黒田は静かに言った。
「でも——最初から設計してあるんだろう」
城島が頷いた。
「そうだな」
夕方。
機関室のハッチが開いていた。
はやぶさ改の一隻だった。
城島は桟橋から覗き込んだ。
機関室の中に、一人の男がいた。
大柄な男だった。
左足をわずかに引きずりながら、LM2500のエンジンカバーを触っていた。
「あれは」
「ディミトリ・ヴォルコフだ」黒田が静かに言った。「ウクライナ人の機関長候補だ」
城島はしばらく見ていた。
ディミトリは誰とも話していなかった。
ただ、エンジンカバーに手を当てていた。
「エンジンは動いているのか?」
「アイドリングだ」
微かな音が聞こえた。
LM2500の低いタービン音だった。
ディミトリが目を閉じた。
城島には見えなかった。
でも——ディミトリの表情が、少し変わったような気がした。
「あの男の志望動機を知っているか?」黒田が言った。
「知っている」城島は静かに言った。「『LM2500の音を、もう一度聞きたい』だろう?」
「そうだ」
二人はしばらく黙って見ていた。
ディミトリは動かなかった。
エンジンカバーに手を当てたまま、目を閉じたままだった。
LM2500の音が、機関室から静かに響いていた。
夜。
城島は宿舎の窓から外を見ていた。
アデン湾が暗く広がっていた。
スマートフォンが震えた。
橘からだった。
「どうだった」
城島は少し間を置いた。
「ディミトリがLM2500の音を聞いていた」
「そうか」
「目を閉じて、エンジンカバーに手を当てて——」
「城島」
「なんだ」
「ここからが本番だ」
城島がしばらく橘のメッセージを見ていた。
「分かった」
スマートフォンをしまった。
窓の外でアデン湾の波が光っていた。
はやぶさ改の艦影が、暗い海に浮かんでいた。
LM2500の音が、どこかから聞こえてくるような気がした。
冷めたコーヒーに手を伸ばした。
飲んだ。
やはり冷めていた。




