第1話
ヴォイドはドアを押し開け、バッグをソファに放り投げた。鈍い音を立てて落ちたそれは、そのまま横へ滑っていく。窓の外では夕日が沈みかけ、オレンジ色の光が部屋の中に長く差し込んでいた。
「……また一日か」
しばらく立ち尽くしたまま、やがてテーブルへと歩き出す。
そこで、気づいた。
テーブルの中央に、封筒が置かれていた。やけに綺麗で、この雑然とした部屋の中では妙に浮いて見える。封には見覚えのない紋章が刻まれていた。
ヴォイドは眉をひそめる。
「……こんなの頼んだ覚えねえけどな」
封筒を手に取り、開く。
中の紙は厚く、妙に高級感があった。書かれた文章を追っていくうちに、彼の表情は困惑から、じわじわと疑問へ変わっていく。
宛先:ヴォイド・カズキ
本校、青空高校への入学が承認されましたことをお知らせいたします。
次学期より転入が認められました。青空高校では、学業のみならず人格と規律の育成にも力を入れております。すべての生徒が秘めた可能性を持つと信じ、その成長を全力で支援いたします。
星川蓮司 校長
「空を越えて、明日へ」
ヴォイドはしばらくそれを見つめた。
「……ア、オ……ゾラ?」
小さく呟く。
「なんだこの名前……」
裏返す。何もない。
「……俺、こんなの応募した覚えねえけどな」
視線がスローガンに戻る。
「空を越えて、明日へ」
「……聞くだけで疲れそうだな」
「チッ。安っぽいポスターかよ」
手紙を放り投げ、そのままベッドに倒れ込む。
「新しい学校か……新しい連中」
天井を見つめたまま、しばらく動かなかった。
翌日
朝の光がブラインドの隙間から差し込み、部屋に薄い影を落としていた。ヴォイドは低く唸りながら体を起こし——止まる。
「……ああ、あの学校か」
手紙を掴み、今度は住所を確認する。
「待てよ」
目がわずかに開く。
「これ、遠くないか?」
もう一度見る。
「東京……?」
部屋を見渡す。積み上がったカップ麺。安い布団。ぐらつく机。
大した場所じゃない。
でも、慣れた場所だった。
ヴォイドは頭をかき乱す。
「ダサい名前の学校に行くだけじゃなくて、引っ越しまで確定かよ……」
封の紋章が光を反射する。
まるでこちらを見ているようだった。
「秘めた可能性、ね」
小さく吐き捨てる。
「……都合いい言葉だな」
息を吐いた。
「まあ、仕方ないか」
その日の夕方。
ヴォイドは古びたスーツケースを引き、リュックを片方の肩にかけて、アパートの外に立っていた。大家は気のない様子で手を振るだけ。
「豪華な寮か、知らない奴らと詰むか……どっちかだな」
歩き出し、ふと振り返る。
その瞬間。
窓の隅に、何かが立っていた。
動かない。
ただ、そこにあるだけの影。
ヴォイドは瞬きをする。
消えていた。
「……」
背を向ける。
足取りは、少しだけ速くなっていた。
川崎駅に着くと、人混みの音が一気に押し寄せる。そのまま流れに乗り、ホームへ。
東京行きの電車が到着し、ドアが開く。
迷わず乗り込んだ。
車内。
ヴォイドは席にもたれ、流れる景色をぼんやり眺めていた。
周囲の乗客は静かで、それぞれ自分の世界にいる。
普通の光景。
そのはずだった。
――不意に。
背筋に冷たいものが走った。
ヴォイドは眉をひそめる。
顔を上げ、周囲を見る。
変わらない。
同じ乗客。
同じ空気。
同じ静けさ。
……静かすぎる。
「……何だ?」
小さく呟く。
向かいの男が一瞬こちらを見るが、すぐに視線を戻した。
ヴォイドは舌打ちして、目を逸らす。
「……」
東京。
駅を出た瞬間、音が押し寄せた。
人の流れ、重なる声、遠くの車の音。
騒がしい。眩しい。生きている街。
だが——
青空高校へ向かう道に入った頃には、それは消えていた。
歩くほどに、静かになる。
街の音が遠ざかり、代わりに風と葉の音だけが残る。
何かがおかしい。
理由はわからない。
だが、無視できない。
ヴォイドは足を緩める。
背後に気配を感じた。
止まる。
振り返る。
誰もいない。
「ちっ」
首の後ろを掻き、歩き出す。
それでも消えない。
歩く速度が上がる。
やがて。
門が見えた。
青空高校。
一歩、踏み込む。
その瞬間——
違和感が消えた。
あっさりと。
何事もなかったかのように。
ヴォイドはわずかに足を止める。
「へえ」
肩をすくめ、中へ入る。
紙を開く。
「ア……オ……ゾロ? やっぱ言いにくいな、この名前」
「誰だよ、こんな名前考えたやつ」
視線を下げる。
「寮……3-Bか」
小さく息を吐く。
「これで割に合えばいいけどな」
青空高校。
開かれた門の先には、整った広い敷地が広がっていた。近代的な校舎が並び、どれも手入れが行き届いている。
一目で分かる。
金がかかっている。
制服姿の生徒たちがグループで横を通り過ぎていく。笑いながら授業のこと、部活のこと、週末の予定について話している。何人かがヴォイドの方をちらりと見た。
ほんの少しだけ長い視線。
すぐに逸らされる。
ヴォイドは小さく息を吐いた。
「……さすが名門って感じか」
スーツケースの取っ手を握り直して、門をくぐった。
本館近くの看板が目に入る。
青空高校――事務室
「さっさと済ませるか」
事務室は落ち着いた空気が漂っていた。大きな窓から差し込む陽光が、磨かれた床に白く反射している。近づくと、受付の女性が顔を上げた。
「ヴォイド・カズキさんですね?」
「ああ」
「星川校長がお待ちです。どうぞ中へ」
ヴォイドは頷き、一度ノックしてから扉を開けた。
校長室は広かったが、質素な造りだった。壁沿いには本棚が並び、学術書ときっちり額装された賞状が収まっている。机の向こうには、落ち着いた雰囲気の中年男性が立っていた。
星川蓮司校長。
「ヴォイド・カズキ君。青空高校へようこそ」
ヴォイドは軽く頭を下げた。
「ありがとうございます」
「座りなさい」
ヴォイドは腰を下ろす。
特別目立つわけでもない少年だ。乱れた黒髪に、茶色の瞳。どこにでもいそうな、ごく普通の見た目。
「道中は大変じゃなかったか?」
「問題なかったです。……思ったより遠かったですけど」
星川は微笑んだ。
「街から少し離れている。集中するにはいい環境だ」
「……なるほど」
書類に目を落とす。
「なぜ呼ばれたのか、不思議に思っているだろう」
「応募した記憶はないので」
「推薦も受け付けている。君は——強く推薦された」
「誰にですか?」
「君の能力を信じている人物だ」
わずかな間。
「家族は心配するものだろう」
ヴォイドは少しだけ眉をひそめた。
「……そうですか」
「ここは厳しい。だが機会は用意している」
紙を差し出す。
「3-B号室だ」
ヴォイドは受け取った。
「ありがとうございます」
「改めて、ようこそ」
廊下に出て、息を吐く。
「……推薦、か」
3-B号室。
「まあ、そのうち分かるだろ」
この場所は——清潔で、明るくて、ごく普通に見える。
なのに。
説明のつかない何かが、すでにずれている。
ヴォイドは、まだそれに気づいていなかった。
作者より:
日本語は母語ではありません。勉強しながら書いているため、不自然な表現があるかもしれません。気になる点があれば、コメントで教えていただけると嬉しいです。




