37.剣闘士にとっては最優先。
「あークソッもう準決勝か!」
ガチャンと、顔部分を隠し守る全面の兜を被る珍妙な男が闘技場へと駆け込んだのも、大会が開始してからのことだった。
無言で入場料を払い、軽やかな足取りで闘技場の広大な観衆席を歩き巡ったが、何周しても目当ての人物は見つからない。間違いなくこの闘技場に入った筈にも関わらず見つからないのが、もう既にこの場を後にしているからなのか上手く隠れられているのか、それとも自分の兜の視界が狭い所為なのかもわからない。
人相を見られないように兜を被る青年は、外したくてもこの観衆の中では間違ってもそれを外すわけにはいかなかった。わざわざ一度武器屋で買い付けた品だ。狭い視界の中で周囲を見回しても大勢が集う雑踏の中で見つけるのは難しい。そして自分もまた時々知り合いの選手の名前が聞こえる度に、会場へ余所見してしまうことも多かった。
闘技場の観衆席にいる以上は大会に注目することが当然である。しかも今大会は、青年にとっても尤も特別なものになる筈だった。しかし、今の彼の優先順位は違う。
「ヴィーの奴どこに行った……?!」
兜で顔をまるごと隠すニーロは、一人呟きながら周囲を顔ごと動かし見回した。会場に入ってから広い闘技場内を歩き回った彼は、いまだ聖女が見つからない。
会場付近までは追ってきた以上、彼女とエルフが闘技場に入ったことは間違いない。闘技場関係者に見つかり、引退取り消しをしろと追いかけ回されたニーロだったが、大会開始時間と共にようやく追っ手を振り切ることができた。顔さえ隠せば、身体は闘技場内では珍しくもない剣闘士の衣装だ。
「今すぐ闘技場に戻れ」「引退を撤回しろ」と目を血走られた彼等が自分を追いかけるのも仕方ないことだと理解している分、ニーロも逃げる以外の抵抗はできなかった。
〝ニーロ杯〟
自分が大会優勝成をきっかけに作り上げた大会だ。本来はこの大会に自分も出場する予定だった。提唱者本人の大会出場、しかも魔法も武器もなんでも使用可能の大会は設立から注目を浴びており、その大会に自分が出ることも観客からの期待値が高かった。当然、その期待値は観客動員数とそして闘技場の売り上げにも比例する。
ただ売り上げだけの問題でもない。闘技場にとっても記念すべき日になる筈だった。本当なら今日はニーロ杯で城下中が大賑わいとなる筈だったのに、突如と放たれた引退宣言のせいで話題が二分し、常連優勝者の引退と欠場というケチが大会と闘技場にもついてしまった。
まだ皇帝から来たる脅威と聖典の捜索も公表されておらず、しかも自分は聖女に同行者として認められていない以上、ただ「引退する」としか宣言できなかったニーロには言い訳も思いつかなかった。せめて明日までの辛抱だと、それまでに聖女から同行を認めさせることさえできればと考えていたニーロだが、その聖女に逃げられた。
何故、聖女がここまで嫌がり逃げるのか理由がわからない。決闘では負けたものの、実際は決して聖女に敗北してはいないのだから。
「大体なんで俺が引退した途端来るんだよ……最近顔見せなかったくせに」
ぶつぶつと、聖女が見つからない苛立ちに押され、観衆の歓声に紛れて愚痴めいたことまで溢してしまう。頭を掻こうとすれば、ガチャンと兜に指先がぶつかった。
少し前までは身分を隠してこっそり応援に来てくれていた聖女だが、ここ最近は教会に籠もりきりで来なくなったこともニーロは知っている。いつも立っていた観衆席の位置も大体は把握しているから、自分が試合中でも遠目で把握するのは難しくなかった。神聖魔法の勉強や練習が忙しいとは聞いていたが、たまに教会に行っても修道女や兵士に追い返されたことも多い。
試合に応援に来てくれなくなったのは、もう自分が負けたり怪我をする心配がないからの信頼の証拠でもあると受け止めて気にしなかったニーロだが、自分が引退した途端に来られるのは複雑だった。しかも、自分ではない旅の同行者の手を引いていたのも気に食わない。
国最強の剣闘士だと、その自負がニーロにはある。ただの自信過剰ではない自他共に認める真実だ。それなのに自分を選ばないで、あんな正体不明のエルフを選ぶなんてわけがわからない。
聖女のことは昔から知っているニーロだが、アクセルは今日初めて見た顔だった。あんな皇帝に選ばれたわけでもない、闘技場の試合でも討伐隊でも城の中でも見たいことのない男を信用できるかと、それは本心からニーロは思う。
「ほんっとに、いい加減認めてくんねぇと勝手に付いていっちまうぞ~……うおッと!」
ドン、と。兜の下から遠目に見晴らしていたところで、すれ違いの客にぶつかった。
「悪いね」となるべく低めた声で一声掛けたが、ぶつかってきた方からは返事はなかった。フードを頭から被ったままの男に、態度悪いなとは思うが闘技場では珍しくもない。選手だけでなく観衆も荒くれ者が多いのが闘技場だ。
しかし自分ほどではないにしろ、フードを被り背中を丸めながら試合を見ずに歩く相手を不審に思うニーロは振り返ったままその背中を注視した。二人組ではなく、さらにはエンヴィーよりも身体が広く、そしてアクセルよりも小さい人物だ。
なら、あいつらじゃないかとは考えながら、それでも顔も声も隠す怪しさからそっと足音を消して追いかけた。
その背にぴったりと近づき、顔だけでも確認しようとその手を肩へと伸ばした時だった。
おおおおおおおおおおおっっ!!!と、会場中の歓声が爆発的に膨らんだ。
「おおおお!!すげぇぞニメトン!!一体何者だあ!?」
「とうとう決勝を決めちまった!!!!」
観衆の野太い声の響きに、ニーロも思わず手を引っ込め振り返る。会場を見れば、ちょうど準決勝の一戦目が終わってしまったところだった。残るはもう一つの準決勝と決勝だけだ。それまでにエンヴィーを見つけないとと、焦る気持ちもはやりながら同時にニーロに興味も沸く。
ニメトン、と。そう呼ばれる選手。さっきから聖女を探している間に何度か聞こえた名前だが、自分の知り合いではなかった為大して気にしなかった。しかしこうして準決勝まで進むなら、結構な腕自慢かと試合会場に目を向ける。初めてニメトンと呼ばれる選手を注視すべく兜の下から目を凝らせば。
「ッあッいッつ!!!ヴィー?!!」
思わず上げてしまった大声も、歓声に紛れ誰も気付かない。
兜の下で目を剥くニーロは階段を纏めて飛び降り、最前席の手すりにまで飛び込み更に前のめる。準決勝で手練の剣闘士を倒したのは間違いない、エンヴィーに手を引かれていたエルフの男だった。
しかも、弓を片手に彼が戻る選手通用口の前にはエンヴィーの姿もあった。観衆席からは目立ちにくい位置だったが、見慣れた聖衣を見れば間違いない。アクセルへ向けてぴょんぴょんと跳ねながら拍手をする姿と笑顔まではっきりとニーロの視力は捉えられた。
「なんでそんなとこで楽しんでんだよ!!」
意味わかんねぇ!!とニーロは怒鳴り、歯を食い縛る。
会場に限界まで身を乗り出せば、他の観衆達に邪魔だと声をあげられ苦情と共にゴミを投げられた。それも気にせず睨むニーロは、歯を食縛らなければ今にも呼びかけそうだった。カンッガゴンッと兜に投下物が当たり音を立てる。その間にもエンヴィーはアクセルと共に選手控え室へと去っていく。
「選手控え室あっぶねぇだろヴィーには!!!仮にも聖女だぞ!!」
だから自分の時も控え室には来るなと言い聞かせていた。
選手控え室は荒くれ者が集っている。控え室内で試合前から因縁をつけられることも、揉め事が起こることも珍しくない。特に若い女性であれば必ずと言っても良いほど狙われる。
もともと自分も若いことも含めて絡まれ、皇子であることから逆恨みも受けていた。そこに正体を隠し応援に来た少女など、格好の的である。試合中は自分が守ってやることもできないし、自分より強い相手に絡まれる可能性もあった。
更には試合で負傷した重傷者や死者も運ばれてくる。通常は条件付きで貸し出される武器庫も、結局は人殺しの道具だ。怪我人さえ見る機会のない、大聖堂で大事に大事に育てられているエンヴィーを連れて来られるわけがない。
「……っ。……俺がっ……なんの為にっ……」
手すりを掴む手が震え、僅かに砕く。食いしばった口の中の呟きは、自分の中にしか残らなかった。
そうしている間にも、もう一つの準決勝へ移るべく片付けが行われていく。次の準決勝は、一人は大きな大会にだけ闘技場に現れる戦士で、もう一人はマリウスだ。本来なら、自分がどちらかの準決勝にいる筈だった。
聖典の旅同行はエンヴィー本人の希望で反故にされ、それでも覚悟を見せたというのに返事は得られず自分がいた場所には見知らぬエルフが立っている。そして今、そのエルフに自分の引退試合になる筈だった自分の名前を冠した大会の優勝すら奪われかかっている。そう思えば冷静でなどいられない。自分が怒ろうと悔しがろうと憤ろうと、時間は淡々と進んでいく。
「ッだあああああ!!クッソ!こうなったら!!」
兜ごと頭を抱え、空に吠える。
観衆の騒めきや視界妨害の苦情をも上回る叫びに、大勢の視線が集まる中、ニーロはとうとう決意し、駆け出した。凄まじい速度と、すれ違う雑踏も声を掛けるまでもなく避け進み、焦燥と本来持つ熱量で汗が吹き出した。とうとう顔に被っていた邪魔物をどければ、途端に今まで気にしなかった観衆達も大きく波打つようにざわついた。
カランカランッと兜が転がり落ちる音すら飲み込む大きな騒ぎに、準決勝を行う筈だった会場も一度停止した。




