36.半魔にとっては予定外。
「旅の間もアクセルはその名前を使っていました」
「あーまぁ、実名なんか使っても面倒が増えるだけだからな……」
出場者が一人また一人と呼ばれる中、とうとう順番が回ってきたアクセルと聖女は出場者の中でも特に目立っていた。
闘技場で容姿の目立つ人間は珍しくない。身体に古傷を持つ者もいれば、亜人のようにただの人間ではない異種族もいる。明らかに訳ありの身体を持つ、まさにアクセルのように〝呪われている〟と判断されるような容姿も闘技場の常連は見慣れている。
しかし、身体付きもしっかりとしたエルフの男の隣にちょこんと並ぶ聖女の姿は誰もが二度見する存在感だった。国で認可し経営された闘技場ではあるものの、人間同士の争いや殺し合いを行う闘技場は教会の教義に反する残虐な道楽だ。たとえ人の目を忍んで見学に来ていても、教会関係者だとひと目でわかる聖衣を身に纏う人間などいない。しかも今回その教会関係者の少女がいるのは安全な観衆席ですらない、これから殺し合いを行う身である選手達の控え室だ。
さらに話している相手が異種族ともなれば、アクセルの自然魔法と聖女の無音魔法を解いた瞬間に注目を浴びるのは当然だった。しかも、その教会関係者の少女はその姿から見てもただの修道女ではなく
「おい。あれ、聖女じゃねぇか……?トロールの軍団全滅させたって噂の」
「いつから死人の為にわざわざ教会関係者を呼ぶようになったんだ闘技場は」
「ニーロ杯だからじゃねぇか?確かニーロと聖女は昔馴染みって噂だ」
「手出すなよ。ニーロにバレたらこっちが殺られるぞ」
ぼそぼそと、常連選手同士はその背中を見つめながら語り合う。
本来、教会関係者が闘技場に訪問することはない。そんな中、聖女の姿は半魔のエルフよりも遙かに目立っていた。しかも振り向き顔を見れば、うら若き少女だ。本来ならばこんな血の気が多い催しに来て良いような人間ではない。
今も平然と出場選手と共に闘技場も会場へと選手口から向かう姿に、何人もが目を疑い注視した。
「……どうやら、エルフの俺より教会関係者の方が目立つみてぇだが」
「!確かにそうかもしれませんね。教皇様を始めに教会は正式には闘技場の存在を認めていないので」
「それにしちゃあお前は闘技場に詳しいじゃねぇか」
「私はニーロからも何度も聞いていますし、旅でも異国の闘技場とか……こちらの闘技場にも、何度かこっそり」
教皇の言う通りに生きて来ていた聖女だが、闘技場には姿を隠してこっそり観衆として通っていた時期もある。
ニーロのデビュー戦や大事な試合ほど、心配で観に行かずにはいられなかった。ニーロが選手控え室は一度も同行を許してくれなかった分、せめて観衆の一人として密かに応援にも通った。きっと教会関係者の自分に来られるのはニーロも迷惑だったのだろうと聖女は思う。だから観客席でもローブを被り、立場を知られないように気をつけた。
一度教皇に知られ、もう二度と行ってはならないと指導されてからは控えていたが、今はもうそんなことを遠慮する必要もない。人間の争いは好まない聖女だが、子どもの頃からニーロに闘技場の剣闘士の誇り高さを聞いていた為、闘技場に関しては抵抗感も少ない。死んだり怪我する人は少ない方が良いとは思うが、それでも今はアクセルさえ怪我しなければ良いと思う。
最後は白状するように困り笑いで返す聖女に、アクセルはげんなりと息を吐く。〝また〟その名が出たことに胸底の虫が煩くなるのを感じつつ、歯を食い縛りそっぽを向いた。
「ニメトン選手、前へ!!」
命令に近い声の張りで、とうとうアクセルの偽名が呼ばれる。
前の選手試合が終わり、早々に片付けが行われる。「頑張ってください!」と聖女も拳を握って鼓舞をする中、アクセルは聖女と殆ど目も合わせずに会場へと出た。苛立ちを引き摺ったせいもあるが、それ以上に今聖女の目を見ればどんな顔をしているかが予想できたから余計に直視し辛かった。
選手に同行者は一名までは許されるが、それもここまでだ。
兵士達が各所で見張る中、試合会場である広場に出ることが許されるのは試合を行う選手のみ。選手出入り口の前でぴょんぴょんと跳ねながらアクセルの背中に手を振り続ける聖女は、その場でアクセルの試合を見守る。兵士に観衆席への通路も教えられたが、断った。聖女の恰好のまま来てしまった自分が観衆席に行けば、目立ってしまう。アクセルの試合を落ち着いて見れないどころか、試合の邪魔もしてしまう。何よりも、今自分がいるこの選手出入り口こそが尤もアクセルの姿を近くで見られる場所だ。
指を組み祈りの手を強くしながら、聖女は瞬き一瞬すら惜しみアクセルを注視し続ける。その構えに、警備で傍に立っていた兵士は神に祈るほどにあの選手は弱いのかとも思ったが、それも聖女の顔色を見ればすぐに改まった。か弱い少女の表情には、心配の色など欠片もない。
勝敗など、彼女の中では最初から決まっている。
─ 闘技場好きの聖女なんか聞いたこともねぇ……。
審判による合図と共に、楽器が高々と吹き鳴らされる。一定距離を空けて向かい合う選手を前にしながら、ゆらりゆらりと左右に上体を揺らし立つアクセルは全く別のことを考えた。
目の前に立つ選手が観衆の声援から判断しても人気が高く、そして剣と盾を構える落ち着きと威圧的な覇気から判断しても歴戦の剣闘士としての実力者だとひと目で判断したものの、それ以外は何も感想がない。
筋肉で太い手足をする男が、弓を警戒しつつじわじわと距離を詰めてくる間、手に持つ弓を構えるどころか背負う籠から矢を抜く素振りもまだ見せなかった。
戦う気があるのかと血気盛んな観衆から早くも野次を飛ばされるがそれも聞こえない。
昨日から会話の端々に存在こそほのめかされていたものの、今日は特に目障りに思うほど名前も姿も現れる剣闘士についてのことの方が遙かにアクセルにとっては指に刺さった棘のように煩わしくチクついたままだった。ニーロニーロニーロと、聖女が話していた〝仲間〟にあんなのがいるとは思わなかった。しかも昔馴染みで馴れ馴れしい。
剣を両手に踏み込んできた相手選手に、アクセルはひと踏みで後方へと更に距離を取る。試合前の一定距離よりも大きく離され、相手選手は魔法を使ったのかと目を見張る。見覚えのない選手に何者かと思った観衆達も、魔導師が来たのだと思えばまた期待に声を上げた。しかし、逃げるだけでは楽しくも何もない。
改めて相手選手を見据える。選手名が掲げられる前から相手が聖女が話していた〝マリウス〟ではないことは最初からわかっていた。初の飛び入り出場の自分と違い、マリウスというのは聖女の話では優勝常連のニーロに続く実力者なのだから。試合を盛り上げる為にもシード扱いであることは想定も容易い。
─ ……マリウス倒しても結局は優勝しねぇと俺に得もねぇが。
そう思いながら、アクセルはゴキュリ、ゴキリと首を捻り鳴らした。
決勝まで行かずともマリウスと戦い勝てば、優勝させることは防げる。しかしそれでは結局は優勝賞品を得た何者かが強盗に狙われるだけだ。更には、自分は〝優勝〟しないと聖女との交換条件を満たせない。聖女と違い、自分が動くのは別にマリウスの為でもニーロの為でもない。
別の未来ではニーロが仲間だと言われても、今の自分にはどちらも他人だ。そんな他人の為に、こんな悪趣味な殺し合いの見世物に誇り高きエルフの王子の自分が参加などするわけもない。全ては聖女に流されて仕方なくだ。
大体、この試合も魔法使用可能だから自分の優位というのも納得いかない。自分が使用可能だからといって、それが優位とはまた違う。大会の規約である以上、当然相手も魔法を使える。そしてこの百年である程度魔法も魔導具開発も進んでいることも、アクセルは想定できた。
百年ぶりの戦いで、腕が鈍っている可能性も考えないほど自分に甘くも、自信過剰でもない。
─ なのに。…………あのクソ雑魚聖女。
チッと、舌打ちを溢す。そのアクセルの小さな変化も相手選手は見逃さず、緊張感を張り詰めた。
弓を、構える。たったそれだけの動作でも、相手選手は警戒を強める。剣闘士として主流の一つとされる剣だが、近接武器である為遠距離武器の弓とはただでさえ相性が悪い。
しかし、たかが武器の違いだけで負けが決まるような戦士は今大会に出場もしない。大会での栄誉と賞品を得る為に、魔道武器の扱いも身につけてここにいる。
距離を空けられようとも、一気に詰める方法も魔道具に頼れば可能である。微弱な己の魔力だけで、靴の魔道具を発動させる。自力では当然人間に可能な跳躍しか叶わない選手も、その瞬間一気に長距離離れたアクセルの懐まで飛び込めた。
目を見張る一瞬で、観衆にはまるで転移したかのようにも錯覚した。半魔のアクセルも、その一瞬には目を見張る。弓を構えていたところだが、その弓よりも更に懐に近い至近距離に入り込まれれば矢も当たらない。剣こそ手に馴染みのある武器に拘る剣闘士でも、魔道具も武器の使用もやりようはいくらでもある。
まだ一戦目、試合によっては観衆を楽しませる為に演じることも長引かせることもあるが、今はそういう試合ではない。次の試合の為にも短期決戦を狙うべく、相手選手は屈強なその腕で剣を振るった。生死も問わない試合でその首へ躊躇いなく狙う。
鋭いその剣筋をアクセルは目で追う、どころではなかった。
「やべっ」
ぼそっと思わず溢れた呟きの直後、初めて俊敏にアクセルは動いた。
やはり手合わせの感覚が鈍っていると自覚する。構えから弓をぐるりと片手で回転させた。長い弓が自分の首を狙っていた選手の手元を弾く。
ガキィンッ!と短い音の直後、剣が首から逸れた一瞬にアクセル自身も至近距離から振られた剣を避けるべく身体の軸ごと傾け避けた。相手選手の刃が顔のすぐ横を通り過ぎたところで、今度は空いている手で拳を振るう。
そして切り返しが早いのもまた、相手も同じ。むしろアクセルよりも戦闘経験も多い選手の方が、反射に近い切り返しで逸らされた剣を素早く身体と重心を利用することで再び斬り込んだ。体重も腕の太さもアクセルから遙かに上回る男は鋼鉄の鎧も身につけ、拳一つで蹌踉めかない自信がある。ここは拳程度堪えてその分刃で斬り込む方が勝利である。選手の狙い通り向けられた拳は身体ではなく鎧に、同時に選手の刃はアクセルの腹へと斬り込
ガゴンッ、と。
振動だけを脳に残し、選手の意識が飛んだ。
アクセルの拳が鎧に減り込み、そのまま選手の強固な肉体まで届き打ちつけた。体重のある身体が数秒宙に浮き、そして地面を勢いのまま吹き飛ぶ。ズザァァァと土埃をあげ、無抵抗に転がり動かなくなれば、観衆の声援も大きく薙いだ。
誰もが吹き飛ばされた選手の方に注目する中、アクセルは気づかれないようにそっと刃を弾いた腹を撫でる。ほんの一瞬で、自分が殴り飛ばしたから気付かれてない筈と思いながらも、視線だけを周囲に巡らせ顔を顰めた。危なかったと、そう思う。
─ 物理効かねぇのがバレたら面倒過ぎる。
最初の剣撃を受けた時に、気がついた。うっかり〝通らないから〟と回避を横着しかけたアクセルだったが、魔導具も仕掛けられていない肌が露わになった首への一撃を弾いたらその瞬間に騒ぎになるところだった。
防御系の魔導具はあくまで盾や鎧であって、装備されてない部分は守らない。それなのに刃物で斬りかかられて結界も無しに肌を通さないなど、魔法でも魔導具でもありえない。そんなことができる存在はアクセル自身が知る限り
魔物しか有り得ない。
半魔のアクセルは、魔物と同じように〝魔力の込められた攻撃〟でないと効きにくい。単なる物理攻撃は殆ど効かず、また拳を含めた身体能力も魔の影響を強く受けている。
種族は問わずとも、魔物だと疑われれば討伐対象だ。優勝どころの話ではなくなる上、今は本当に魔物の血が半分も流れていることを知ってしまった。話せば、呪いによる半魔である程度は説得できる自信もあるが、そんな騒ぎに巻き込まれたくない。今も、拳があと一瞬遅れたら鎧も着ていない腹が剣を弾くのを選手にも観衆にも気付かれていた。
ここは他の選手と同じように身体に向けられる攻撃をきちんと避け、防ぐしかない。そう考えれば、実際の戦闘よりも面倒なことになると息を吐いたところで審判による勝敗が下された。
観衆の手のひらを返した爆発的な歓声と拍手を受けながら、アクセルは踵を返す。うっかり最初に気長に考えすぎたせいで、弓を引く間もなかったことに顔を苦くした。本当は距離を取りながら何度か弓の感覚を練習と調整をしたかったのに、魔道具の俊足に調子を崩された。
観衆の称賛を全身で文字通り浴びながら、再び選手通用口へと戻ったアクセルは不意にそこで足が止まりかけた。反省点を考え過ぎたせいで、うっかりその存在を忘れて視界に入れてしまった。自分を迎え、どの観衆よりもはしゃぎ、ぴょんぴょん跳ねながら拍手を鳴らす聖女の
きらきらとした満面の笑顔に。
「アクセル!おかえりなさいっ!!やっぱりアクセルすごいです!」
「……大したことしてねぇだろ、まだ」
どけ、と。跳ねる聖女を腕でゆるやかに押し退けながら、控え室へと戻る。
「あっという間で」「速くて」「格好良くて!」とはしゃいだ口調で続ける聖女に、顔ごと背けながら奥歯を噛み締めた。
─ そういう顔だと思った。
むしろそういう顔だとわかったからこそ、試合前にうっかり直視しないように避けた。
肌がむず痒く、首筋から心臓部にかけて熱を帯びていく感覚と、そして自分でも呆れるほどに苛立ちが止んだ感覚に顔を顰めながらアクセルは首を掻き誤魔化した。




