35.聖女にとっての説明。
『ニーロさん……?』
エルサさんと出会ったのは、私達が旅を始めて一年くらい経ってからのことだった。
聖典の手がかりを探して色々な地を巡っていた中で経由したその町は、帝都から直通経路なら荷馬車で半月かければ辿り着ける場所だった。町に着いて早速宿を探そうと話していた私達に、渡しかけてきた女の子にニーロも最初は誰かわからなかった。
だけど『マリウスの娘です』と言われてようやく気が付いた。ニーロは闘技場の戦士同士でも仲良くて、仲間の家に招待されることも珍しくないから、マリウスの家にも招かれて奥さんと娘さんも紹介されていた。
久々だな、元気かと珍しく楽しそうに話すニーロの表情が強ばるのは、エルサさんからご両親を亡くしたという話を聞いた瞬間だった。詳しく話を聞かせて欲しいと言うニーロに、エルサさんは自分を引き取ってくれた叔母さん夫婦の宿屋を紹介してくれた。
ニーロのお陰で宿でも手厚く歓迎してもらえた私達は、宿の部屋ではなく宿屋のご家族の使っている居間で話を聞かせて貰えた。
『ニーロさんが旅に出て、一週間くらいしてからでした……』
そう話すエルサさんは目を伏せながらとても哀しそうで、でも同じくらいニーロも苦しそうな表情だったことを覚えている。
ニーロとマリウスは仲の良い剣闘士仲間で、剣闘士の下積み時期も近いから長い付き合いだった。マリウスはニーロみたいに目立つ戦闘方法じゃないけれど手堅くいく戦法で、ニーロが不敗記録を重ねている間にも順調に勝数を重ねていた。
〝来たる脅威〟を払いのける聖典を得る為、聖女の同行者として選ばれたことが発表される前日が事実上ニーロにとっての引退試合になった。
まだ使命公表前だったから、あくまでニーロの中での引退試合で、他の人はまだニーロが引退を決めていたなんて知らなかった。だけど、定期的にある闘技場の試合の中でもまさにニーロの引退試合に相応しい大会だった。
そこで決勝に残ったのがニーロとマリウス。優勝したのはニーロだったけれど、マリウスもすごい健闘した良い試合だったとニーロも話していた。
『お父さんも良い試合で、最後に戦えて良かったって。ニーロさんが旅に出てからも毎日自慢していました。……〝一角獣の蹄〟も、家宝にするって話していて……』
試合で闘技場側から用意された優勝賞品、それこそが〝一角獣の蹄〟だった。本来は賞金だけが支払われる形式だけれど、特別な大会を盛り上げる為に特別賞品として用意された貴重な鉱石だった。話を聞いたラウナも「一角獣の蹄?!!」って目の色を変えて叫んでいて、魔道具素材としてもすごく稀少な物だとそこで私も知った。
当時、引退試合を最後に不敗記録を更新して満足したニーロは、その優勝賞品をマリウスに譲っていた。ニーロは皇子で不敗続きでお金に困っていなかったし魔法も不得意だったから、最後に良い試合をしてくれたマリウスへの感謝の気持ちだったんだと思う。…………まさか、あんなことになるとは思わないで。
『夜中にっ……強盗が、押し入って……』
エルサさんが部屋で寝ている間だった。
物音や悲鳴が聞こえても怖くてすぐには部屋から出れなくて、ようやく静まってから様子を見に行ったらマリウスとお母さんが殺されていたらしい。
夫婦の部屋に大事に保管されていた一角獣の蹄が消えていて、エルサさんが悲鳴を上げた時にはもう犯人は逃げた後だった。
一角獣の蹄は貴重な品で売れば十年は遊んでいられるくらいの価値があるから狙われたんだろうと、わかったのはそれだけで犯人も結局見つからなかった。
闘技場の勝利決定後にニーロが堂々とマリウスに優勝賞品を譲ったのは観衆全員が目撃しているし話題にもなった。マリウスも盗まれるのは恐れていたから、大事に家に保管して見せびらかさないようにしていたのに、そのせいで押し入り強盗に殺されてしまった。
それを聞いた時の、ニーロの落ち込んだ姿は普段以上に険しかった。
自分が余計な物を贈ったせいでマリウスが狙われてしまって、奥さんまで殺されてしまった。本当に申し訳ないと、何度も何度もエルサさんに頭を下げていた。エルサさんも、引き取った夫婦もニーロのことは恨んでいないと最後まで優しかったけれど、町を出た後も一週間以上ニーロの表情は思い詰めたままだった。…………野営の夜に、火の番をしながら一人で泣いていたのも知っている。
『あのっ……ニーロ……』
『!っ……聖女か?ちゃんと寝とけ。体力保たねぇぞ』
目を腕で擦って、鼻を啜った音も微かに聞こえたのに、声だけはいつものニーロの声色だった。
私が一人で聖典の旅を任せられるくらいの実力があったら、ニーロも皇帝陛下に命じられて巻き込まれることもなかった。もしかしたら、マリウスのことも助けられたかもしれない。間に合わなくても、犯人は見つけられたかもしれない。引退試合でさえなければ、一角獣の蹄もマリウスにあげないで自分が持っていたかもしれない。そしてニーロなら絶対、強盗なんかに殺されたりはしなかった。
考えれば考える程、マリウスが死んじゃったのが私のせいに思えて、たった一言呼びかけても顔すら向けないニーロにそれ以上何も言えなくて「うん」の一言しか返せなかった。足手まといで役立たずの私にそれ以上の掛ける言葉なんて思いつかなくて、最後はただ寝たふりしかできなかった。
ニーロはいつだって羨ましいくらい強くて優しくて、最後まで弱いところを見せない人だからきっと私みたいな泣き虫に何も言われたくなかった。だけどあの時のニーロは本当に辛そうで苦しそうで、…………自分一人で乗り越えた。
だから今度こそ、ニーロが少しでも泣かなくて良いように私は私ができることならなんでもするよ。
「……で?事情は大体わかったが、優勝賞品を盗むだけじゃ駄目なのか」
「大会前にそんなことしたら大事件になっちゃいますし、マリウスが優勝した後に盗んでもその強盗が盗まれたことを知らないと意味がありません」
ハァァァ……と疲れたように溜息を吐いて猫背をもっと平らにするアクセルは、選手用の腰掛けに座りながらも首を捻った。
アクセルのお陰でひとまず選手登録まではできて、ここから試合開始までは時間もできた。他にも選手がぎっしり詰まって控えているけれど、アクセルの自然魔法と私の無音魔法で無事マリウスの事情を説明することはできた。
目眩ましのできるアクセルの自然魔法なら、確かにこの闘技場から泥棒も難しくはないだろうけれど、……ラウナも目の色を変えるほどの賞品が盗まれたなんて城の兵も動くような大騒動になってしまう。闘技場の警備も国が担っている以上、皇帝陛下への支持にも影響するかもしれない。ニーロのお父さんだし皇帝陛下にできるだけご迷惑はかけたくない。
「たかが一角獣の、しかも蹄だろ?角ならまだしもたかが蹄で……」
「私もよくは知らないんですけど、多分我が国では一角獣の名を冠する鉱石はどれも稀少なんだと思います。蹄は大きさも申し分ないし、一山掘っても四つしか採れないと言われているとかラウナが……」
もちろん回帰する前のラウナが。そう、話していた。
〝一角獣〟というのはあくまで比喩で鉱石の名称だけど、その中でも形や大きさが綺麗にまとまった状態は魔力もたくさん秘めているとか。もともとエルフの住んでいるハルティアがそういう魔力的影響の濃い地だから、エルフの王子様のアクセルにとってはあまり珍しいものじゃないのかもしれないけれど、この国ではとっても貴重で、魔導師なら誰でも欲しがる素材らしい。…………と、それも全部ラウナの受け売りだ。「こんなことも知らないの?」って怒りながら説明してくれた。
その時も妹さん達のこと思い出させちゃったのかなと思うと、胸がまた痛む。
「ですからアクセルが優勝して、そのまま私達が旅に出て持ち去るのが一番安全だと思うんです。どこか他の街で換金すれば旅の費用にもなりますし、アクセルにとっても悪い話ではないと思います……」
「一緒に旅するからか?」
ニヤッとそこで牙を見せて笑うアクセルに、私はむぎゅりと唇を絞る。
言葉にできない代わりに頷いて返した。それだけでアクセルからキシシシッと楽しげな笑い声が漏れ聞こえる。……その笑い声が聞けただけでちょっと嬉しくなってしまう。アクセルのその笑い方、可愛くて好きだよ。
アクセルのことも巻き込みたくないのは今も変わらないけれど、でもアクセルなら故郷に戻ってみたら留まりたいと気が変わるかもしれない。少なくとも一角獣の鉱石を売れば、アクセルの故郷に着くまでの間はアクセルにも満足な生活を保障しやすくなる。アクセルと故郷でお別れした後なら、私は野宿でもパンと干し肉生活でも全然大丈夫。
「!そうだ、アクセル。弓矢借りに行きましょう。防具は借りれませんけど、武器なら今日は借り放題なので……」
「あーそういやぁ、大会規則は?百年前からどう変わった??」
「えっと、闘技場規則自体は長年変わっていないんですけれど……、今日の大会はちょっと特殊で……でも!だからこそアクセルにも有利です!」
「特殊??」
そうだ、アクセルはまず闘技場のこと自体詳しくない。百年前の知識もあくまでこの国の常識程度だ。
アクセルの手を引き、一緒に選手用の武器貸し出し庫に向かいながら私は簡単に闘技場の試合規則について説明する。闘技場についてはニーロから話を聞いたり、私も何度かニーロを応援に闘技場に行っているからわかる。
基本的にどの試合も生死問わずで、相手を戦闘不能にするか相手の降参を受け入れたら勝利が決まる。武器の使用も自由だけど、大会によっては使用武器が指定されている場合もある。〝剣闘士〟という名前の通り剣や持参の武器しか使用不可の試合もあれば、ニーロの得意な槍しか使用不可の試合もある。今日の試合は武器の指定制限はないし、闘技場側からも希望者は無料で武器を貸して貰える。
「あと、今日は魔法も使用可能です。召喚魔や使い魔とかあと大会が終わるまで回復魔法の使用も禁止ですけど自由度が一番高い大会です!なのでアクセルも」
「闘技場剣闘士に魔法は邪道じゃなかったか?」
「この大会だけは良いんです!!純粋に戦闘技術を極めるもので!!そもそもこの試合そのものが……」
ああもう良いもう良い、と。途中でアクセルが遮った。
分厚い扉をギギギと鳴らして武器庫に入ったところで、並べられた弓を真剣な目で選ぶ。逆行前に出会った時に使った弓は特別なものだけど、アクセルなら闘技場の弓でも充分な筈だ。アクセルが矢の質にまで拘ったの見たことないし!!どっちかというとエルフ関連の品か植物かの方を気にしてた。アクセルはずっと自分の国大好きだから。
「ちなみに、俺が死なないかとかは考えたか?手合わせどころか弓だって百年ぶりだぞ俺」
「?アクセルが負けるわけないですよ」
まさかアクセルから弱気に聞こえる言葉に、思わず小首を傾げてしまう。弱気というよりも愚痴っぽい言い方だったけど、アクセルが負けるなんて有り得ない。今回はニーロが出場しないんだからアクセルに勝てる人はいない絶対に。
それなのにアクセルは訝しむように眉を曲げる。黄金の目を見開いて、弓の棚から顔ごとこっちに向けた。何か変な案を出した人に向ける表情に見えるけど、今だけは私も自信があるからどうしてそんな顔かわからない。だって
「アクセルは強くて力持ちで、弓なんて才能の固まりどころか芸術でまさに弓の名手ですもん!神様に愛されてるとしか言えない武芸の才ですから久々でも絶対身体が覚えてますし寧ろ弓が無くてもアクセルなら勝てますっ!」
アクセルの実力はちゃんと知ってる。
私達に出会うのはもっと後だけど、アクセルにとってはそれこそ誤差だ。アクセルは格好良くて最強のエルフなんだから、闘技場の大会で負けるわけがない。
もう確信を持って胸を張り宣言してみせれば自然に顔まで自信そのものに笑った。グッと拳まで握ってしまう。……なのに、何故かアクセルの方は縮んでいった。
「〜〜〜ックソっ……」
猫背をさらに丸めて弓を選んでいた右手で宵闇色の頭を、押さえるように掴む。もしかして頭痛とか体調でも悪いのかなと思いながら心配になってアクセルの俯けた顔を覗き込んだ途端、今度は私の顔がわし掴まれた。
アクセルの手のひらが両目も覆って見えなくなる。真っ黒の視界で、アクセルの手が微弱にわなわな震えてるのが肌に伝わってわかった。そんなに試合怖い?!!
どうしようアクセルなら人間相手に絶対怖がらないと思ったのにそんなに怖いならやっぱり今からでも辞退した方が良い??でも辞退したら今度はニーロが
「……約束。わかってんだろぉなあ?!優勝したら覚悟しとけ!!あのクソジジイにも皇帝にも剣闘士の前でも宣言させるからなあ?!」
「えっ。あっはい!」
あれ?やってくれる?!
手も冷えるどころか寧ろポカポカあったかい気がするし、怖くて震えてたとは違うみたいでほっとする。怒鳴るアクセルに返事をしながら、背筋を正す。「ありがとうございます!」と遅れてお礼を言えば、そこで圧迫されることなく手を離された。
たくっ、と悪態を吐きながら再び弓を選ぶアクセルの横顔はほとんど髪に隠れている。黒澄んだ青髪が、暗い武器庫の中だと黒髪に見えるけど灯りの反射できらっと見えて、これはこれで綺麗だなぁとまた思う。
「私はニーロ杯には出られませんけど、選手口から見てますから!もし本当に大変なことになったら何がなんでも」
「おい待て」
はい?と、気合いいっぱいに言葉にしたところで、止められてまた首を捻る。弓を決めたアクセルはまた怪訝な顔をこっちに向けた。なにかまた変なこといったかな。
「……〝ニーロ杯〟って……なんだそれ」
「?この大会です。ニーロが大会の提唱者なので」
〝ニーロ杯〟……不敗記録を残すニーロが、初めて優勝した日を記念して闘技場側が決めた大会だ。だからこの大会規則を決めたのもニーロで、武器と魔法の使用可能も、武器の貸し出しが無料なのも全部、国中の腕自慢達と全力で闘いたいニーロの希望だった。
だからニーロは自分の名前を冠したこの大会を本来の引退試合にするつもりだったし、賞品も不敗記録を持つ皇子ニーロの名に相応しい豪華賞品が用意された。
「どこの悪趣味バカが考えやがったかと思ったら。……なんか、優勝欲しくねぇな……」
「え!!でも!それでは賞品がッッもぶっ?!」
またわし掴まれた。今度は口を中心に覆われて、目は見える。左脇に弓を持ち替えたアクセルは、そのまま今度は矢を人かご分大きな手で掴み取った。すごく知ってるアクセルの戦闘態勢が、暗い部屋で眩しく見えて心臓が高鳴る。
「負けたくもなくなった」
しゅるり、と。矢の籠を肩に掛けたアクセルに、また見惚れた。




