32.魔導師は苛立ち、
─ 私は、何の為に歩いているんだろう。
「おい!お前らちゃんと付いて来い!!ヴィ……聖女!それに女魔……!ラウナ!!今日中に山越えねぇとテントも張れねぇぞ!」
「はっ……はい……!ごめんなさいニーロっ……」
先を行く剣闘士に、私の隣に歩く聖女が声を上げる。
山越えを始めて三日、ようやく私の名前を剣闘士も出てくるようになってきた。……どうせ、私のことなんか知らなかったんだけど。
〝来たる脅威〟に対抗する唯一の手段である伝説の聖典。それを見つけ出す為の旅に選ばれた私達を先導するのは、使命を受けた聖女本人ではなく、私と同じ護衛任務の剣闘士だった。
なんで世界を救う任務の同行者に選ばれていながら、また男の言うことを聞かないといけないの。大体、私一人ならこんな山、歩かなくても超えられる。元素魔法の権威なんだから、風魔法でも飛行魔法でもやりようはある。それをこの剣闘士が「魔力を無駄遣いするな」とか言うから、こうして天才魔導師である私まで地を歩かされている。
女二人を引き摺って自分だけ得意げに偉そうにする剣闘士とは一生仲良くなれそうにない。
〝ニーロ・ヘンリ・エルヴァスティ〟剣闘士の常連優勝者なのは噂で聞いていた。しかも皇族で、第四皇子。
世界の命運がかかっている重要な旅だというのに、聖女の体力も考えずにただただ進め進めといい加減鬱陶しい。剣闘士の体力と私達の体力を一緒にするんじゃないわよと、何度言っても理解しない。「ちゃんと足並みもお前らに合わせてる」?合わせていれば、こんなにこっちは息が切れたりしない。
遙か前方を常に進んで、こっちが追いつけないほどの先にいる。こっちが息が切れても靴擦れが痛んでも回復魔法を掛ける暇もくれない。恵まれた皇子様が、道楽で剣闘士で一番をとって、今度は世界を救う冒険ごっこなんて考えるだけで吐き気がする。それに付き合わされるこっちの身になって欲しい。
─ 世界の為?
「あのっ……ら、ラウナ……様は大丈夫、ですか?疲れてるならニーロに……」
「ハァ?疲れてるのはアンタでしょ??ッちょっと剣闘士!!聖女が疲れたんだけど!!?アンタ!魔力温存しろとか!急げとか!!そんなに言うなら聖女の一人ぐらいおぶれば?!」
「ええ?!あああごめんなさいごめんなさいそんなつもりじゃっ……!!に、ニーロ!大丈夫ですごめんなさい私ちゃんと歩けますから!!」
あああもう苛々する。まさか「世界を救う使命」を請け負った聖女がこんなにもか弱い子どもだなんて思わなかった。教皇も皇帝も馬鹿じゃないの?どいつもこいつも狂ってる。こんな子のどこに世界を救う力がある??
神聖魔法も神官と変わらないどころか寧ろ未熟なくらい。箱入り娘で戦闘どころか体力もない。盗賊どころか獣一匹にすら勝てない。幼馴染みだかなんだか知らないけれど最初からずっと剣闘士の言うことを聞いてばかりでそのくせ頼らない。自分の意思では何も決められないで、疲れても休もうなんて自分の為には絶対言わない。剣闘士に付いていくどころか、私の隣に歩くだけでも顔色を悪くして息を切らせてるほどに旅に慣れていない。こんな、こんな!!
普通の女の子に、なにさせてんの??
「これくらいで楽してどうする!もう山に入って三日だぞ。この先もっと過酷な場所だってあるのに慣れねぇとやっていけねぇだろ!」
「う、うんそうだよねごめんなさいニーロ!私がんばるから!!……ラウナ様もごめんなさい。余計なこと言っちゃって……」
そんな可愛い声で、……泣きそうな声で話しかけないで。
別にアンタに怒ったわけじゃないと、言いたくても言葉が出ない。顔どころか聖女に目も向けられないで、自分でも眉間にばかり力が入っていくのがわかる。きっとまた怖い、目つきの悪い顔をしているだろう。
視界の端で聖女がビクッと肩を揺らすのが見えた。また視界の後方に消えて、すぐにまたパタパタと早足で視界に入ってくる。本当に嫌。言いたいことがあるなら文句でもなんでも言えば良いのに。これじゃあ私が虐めているみたいじゃない。
『お姉ちゃん聞いてっ!私結婚するの!!』
お願いだから今出てこないで。歩いている間、一番この時間が嫌。
空すらまともに見えない鬱蒼とした森の中で、前に進むことしかやることがない時に限って嫌なことばかり思い出す。聖女の声を聞く度にあの子が浮かぶ。世界で一番幸せな笑顔を浮かべていた顔が浮かんで歪む。あの子は、ミリルは、今の聖女と同じ十六歳の時に結婚が決まった。
スヴィなんて聖女と同い年で、ヴィリヤだって最後に会った時は聖女と同じくらいの身長だった。私が天才だっただけで、妹達も本当に普通の女の子だったのに。……どうして、あんな死に方をしないいけなかったのだろう。
ミリル、スヴィ、ヴィリヤ。父さんも母さんも町の人間も誰一人特別じゃない、平凡な生き方をしていた。なのに、ただの魔物発生で、全員があんな原型も留めない死に方で村中に散らばった。
父さんと母さんは、お隣の家ごと下敷きになって潰れていた。多分またお茶でも招かれてたんだろう。そして、避難用地下に逃げるのが間に合わず潰された。
家の跡地から、その地下倉庫の扉すら人間じゃない力でこじ開けられていた。きっとそこに避難した妹達も引き摺り出されたんだろう、抵抗したらしい血の跡や剥がれた爪まで残っていた。
何十メートルも離れた倒木にヴィリヤのお気に入りだった靴と潰れた顔と離れた胴体が転がっていた。きっと家のあった場所からトロールの腕力で放り投げられたんだと、痕跡でわかった。
スヴィは家の傍で右手と左足を千切られて、使い捨てのように地面に転がされていた。
次女のミリルは、新居の前で大きなお腹をトロールの足形に潰されていた。
全身の骨も砕けていて、握り潰された後、雑草のように踏まれたのだとわかった。踏み潰された時、死んでいたか虫の息だったかもわからない。
私が駆けつけた時にはまだ誰の死体も回収されずに野晒しのままだった。城からの討伐隊も、私が駆けつけるほんの五分前に結界の中に入れたばかりでトロールの討伐を始めたばかりだった。
避難完了をする前に結界装置が〝誤作動〟で町まるごとがトロールごと閉じ込められた。そのせいで、残された人は誰も逃げられずにトロールに殺された。目撃者も証言者もいない中じゃ、真実なんて何もわからない。
……真実なんて、どうでも良い。ただ、魔物だろうと人間だろうと、あんな普通の平凡に生きていたあの子達にあんな死に方をさせた奴らは全員許さない。
─ もう二度と、あんな悲劇は許さない。
『聞いたよお姉ちゃん、元素魔法の権威ラウナだって!本当にすごい!』
来たる脅威なんて知らない。どんなものかも、魔物なのか人間なのか災害なのかも判明していないあんなもの。でも、それでまた私の家族や町の人達みたいな犠牲を出すなら、たとえ神でも許さない。……嗚呼そうだ。だから、この旅を断行したんだ。
家族を弔ったらもう、どうせ帰る場所もない。家ごとトロールに踏み潰されてまともな遺品も残らなかった。研究室もこの使命の為に手放した。もう、引き返せない。
「あ、あのラウナ様、お水飲みますか?私まだ口つけてないので……」
「ッ余計なお世話はやめて。水なんていくらでも私は魔法で出せるって言ってるでしょ!」
弱音なんか吐けない。私は故郷も家も捨てて来たんだから。
あんな中途半端な覚悟の男とこんな何もできない普通の女の子に、泣き言なんか言えるわけがない。
水筒を差し出してくる聖女に、目を向けても睨んでしまいそうで。ゼェハァと険しい顔のまま言葉だけ返して歯を食いしばる。なんでこの子はこんなに人のことばっかり気にするんだろう。こんな私のことなんて放っておいてくれれば良いのに。
家族ももういない。故郷もない。帰る場所もない。私にはもうこの使命と元素魔法しかない。
「ごごごめんなさい……。私にはこれしかできないから……旅が始まってからラウナ様とニーロにばかり負担をかけてしまって……」
「ッそのラウナ〝様〟って呼び方。落ち着かないからやめてって言ったわよね?私に構わなくて良いから呼び方くらい覚えて!」
ー お願いだから思い出させないで。気を遣われる度に泣きたくなる。
『ごめんね。この子ができてからお姉ちゃんにばかり頼っちゃって……』
重ねさせないで。
貴方は私の妹じゃない。そんな当たり前のことを自分に言い聞かさせないで。自分の心が狭すぎて嫌になる。あんなにミリル達にはいつでも頼りなさいとか言ったのに、こんな女の子一人にそれを言えないなんて。
目を見るだけで、あの子達を思い出す。話そうとするだけで、あの子達に話しているような気分になる。
あり得ない。あの子達は皆死んだ。父さんも、母さんも、村の人間も。いくら重ねたってそれであの子達が返ってくるわけじゃない。
ー 優しくできなくてごめんなさい。
だけど、まだ向き合えない。妹達を重ねてしまって仕方がない。この子を見るだけで涙が出そうになる。家族を守りたかった気持ちを全部、この子に押し付ける。……もうこれ以上ないくらい、その小さい背中に重い責任を押し付けられているのに。
泣いて縋って家族のことを吐き出して、この子に死んだ妹達を重ねて「ごめんね」と謝れたらどんなに楽かと、疲労で目眩を覚える度に思う。
虚勢を張らないと、真っ直ぐ歩くことすらできない。張り詰めたものが全部溢れてしまう。命をかけた世界の命運を背負った使命なのに、私一人が打ちひしがれてなんていられない。
ガン、と地面を噛む足を踏み鳴らす。ア゛ァ゛ッ!!と意味もなく叫び地面に当たる。剣闘士が何か言ったけど無視をしてただ怒りをぶつけるように地面を蹴る足に力を込めた。こんな、こんな弱くて女々しい人間、私じゃない。
元素魔法の権威で、天才魔導師で、男魔導士の妨害にも嘲笑にも負けないでここまで成り上がってきた。強くて、毅然として冷静で天才なのが私で、それ以外は要らない。魔物被害で故郷を失った魔導士なんて掃いて捨てるほどいる!ただ故郷を失ったくらい!家族を失ったくらい!!そんなこと乗り越えられるに決まって
「大丈夫ですか……?」
『お姉ちゃん大丈夫?』
息が、止まる。
ラウナ、ラウナ、と。何度も横で呼ばれていたのも、遅れて頭に届いた。急に霧がかかったような思考の中で、眉を垂らしていたあの子達と今目の前で覗き込んでくる聖女が重なった。ああああ、なんで、なんでこんなことでっ……!!
「ーーーーーーっっ!!気安く話しかけないで!!!」
喉が痛むほどの、声が出た。
ビクッと激しく身体を震わせた聖女が背中を大きく反らす。隣から一気に後方に後ろ足で下がっていく。
フーフーッと食いしばった口で無様に息を乱しながら聖女を睨む。この子は悪くないと頭ではわかっているのに、心配してくれただけだと頭でわかっているのに苛立ちが堪らない。
泣きそうな顔をして下唇を噛む聖女から、消え入りそうな声で「ごめんなさい……」と聞こえた。慰めないといけないのに謝らないといけないのに、もう涙が目の手前まで込み上げてだめだった。背中を向けて、服の乱れもかまわずとにかく聖女から距離を取りたくて逃げるように急ぐ。聖女と離れたら守れないのに離れたら危険なのに、聖女から離れたくて視界から消したくて胸が苦しい。
「!おいラウナ!!お前まで聖女置いて行ってどうすんだ!弱いの知ってんだろ離れるなよ!!」
「ッうるさい!!聖女が心配ならアンタが面倒みなさいよ!!!」
胸の澱みを吐き出すように、剣闘士にぶつける。怒鳴りながら、お陰で泣くのを堪えられたと思う。
剣闘士が「仕方ねぇなあ!」と呆れと苛立ちがまじった声をあげ、聖女の方へ駆け戻っていく。そもそもアイツが足が速いのが悪い。先頭を歩くのも、一番危険な場所に立つのも私一人で良い。
─ 守るから。
妹もその子どもも家族も町も守れなかった分、今度こそ命に変えてでも。
聖女で、聖典の封印を解ける唯一の力で、……弱くて、優しいだけの小さな女の子を今度こそ。
「っ…………お姉……が……」
自分が何を溢したのかもわからない。
ただ必死に、仲間である筈の二人に追いつかれないように足を回しながら息を切らす。聖女の調子を気にするどころか、目すらまともに見れない私が「守る」なんて笑わせる。
……ふと、いつも歩くのが遅い聖女がどうして、私の背後でも前でもなく隣を歩いていたのかに今気がついた。私がこんなに苛立つ原因の、何度も何度も話しかけて来た理由も、全部。
『あのっ……ら、ラウナ……様は大丈夫、ですか?疲れてるならニーロに』
『お水飲みますか?私まだ口つけてないので……』
『大丈夫ですか……?』
「……っ……最低っ……」
ギリッ、と歯を食い縛り過ぎて、顎まで痛んだ。
剣闘士が聖女の腕を引っ張ってくる前に、滲んだ視界を裾で拭った。
……
「……………………らうな」
ぱちりと、瞼を開いた拍子に涙粒が目尻から頬へと落ちた。




