81 国王陛下の甘さ
ヴラドレンは廊下を淡々とした調子で歩いていた。彼の仕事は国王業という訳で多岐にわたり膨大だ。
それらを官僚達を使いながらこなしていく彼は、まさに国王そのものだ。
その彼とてわずかばかりの、心を休める時間が無い訳では無い。国王とて一日完全に仕事漬けという状態では、明日への気力を軒並み無くしてしまう。
ヴラドレンは作業効率という物、そして医学的な観点からの休息の重要性を知っていたからこそ、ほんのわずかながらも、一日の間に数回は休息をとる事を、役人達にも命じている。
休息をとれと言う王は滅多に居ない者だからか、彼を最高の王と慕う役人も多い。
そしてそのわずかな休みの時間がある事により、作業効率が格段に上がる事も調査からわかっている。
それが完全ではないのが、国の財政のために働く経理の者達だが……ヴラドレンは彼等が、壊れない様に微妙な調整をかけている。体と心を壊されて、使い物にならなくなってはたまらない。
使い物になる程度には、休ませる事も必要であり、時折休息をとるようにと、使用人を差し向ける事を、腹心の部下に命じている。
「……」
ヴラドレンはゆったりと歩いている。むかう先は彼以外の何者が入る事を許さない、温室だ。
北の凍る時間の長いこの国で、温室は最高級の贅沢だ。温度を保つために日常的に薪が使用される場所が、贅沢でない訳がない。
だがこの温室は、俗に言うところの訳ありだった温室だ。
ヴラドレンは長い回廊を進み、ガラス張りの外からも、この国の風土とは大違いだとわかる植生の植物が見える温室に到着した。
そこの鍵を開ける。魔法の鍵はこの温室のためだけに作られた物で、もう一つはここの維持管理のために、この温室専用の庭師が持っている。
この庭師はヴラドレンがこの温室の存在を知る前からそうだったと言う事で、彼よりも温室の中の植物を知り抜いている専門家だ。
そう。この、以前老朽化と因縁から取り壊される事になった離宮、の横にある温室は、極めて訳ありの温室だったのだ。
「……」
特別な鍵を開けたヴラドレンは、ガラスの中のきらびやかさに目を細めた。
彼が腕を伸ばすと、一羽の、自然界には存在しないだろうと思えるほどの華やかかつ、光を弾く色彩の羽を持った鳥が舞い降りてきて、彼の来訪を喜ぶように歌を歌った。
「……良い子にしていたか、ベニア」
虹の羽を持つと言われてもおかしくない、その鳥ベニアは彼の腕の上でさえずった。
「スーは麦豊かな国にくれてやったが、お前をよそへやるのはもったいないな」
人語で答えるものはそこには居ない。ここはヴラドレンの癒やしの空間だった。
「……イヴァンの残した物で、この温室ほど価値のある物はないな。こうしてお前も居る」
ヴラドレンはベニアに頬を寄せた。
ベニアは、もうずいぶん前に南国から取り寄せた番の鳥が産んだ、卵の一つから孵った鳥であり、特別な餌を与え続けた結果、この世のどこにも居ない虹のきらめく羽を持った姿に育った、ヴラドレンの愛鳥である。
もう一羽いた愛鳥は、虹ではなく、全ての光を跳ね返し燦然と燃えるように輝く羽の、ベニアの兄弟鳥だった。その名を、スー。
雄のスーは光を跳ね返すまばゆい羽の鳥に。
雌のベニアは虹色の羽できらめくように光を弾く羽の鳥に。
そう育ち、温室の外から偶然、この二羽を垣間見た使用人や貴族達が、この北の国には輝く羽の美しい鳥がいると噂するようになったのである。
その噂は数年かけて、麦豊かな国まで届き、羽を一本求められた故に、ヴラドレンはスーの生え替わりで抜け落ちた尾羽を差し上げた。
すると、麦豊かな国のわがままな王女が鳥ごと欲しがった故に、ヴラドレンは入念に念押しをしてから、スーをそちらにやったのだ。
誤算だったのは、スーが賢く、そして温室の外に出たがらなかった事だろう。
ヴラドレンが抱えて外に出し、ようやく外に出たスーは檻すら抜け出したのだ。普通の檻では簡単に格子を曲げて出て行ってしまい、魔術師達が壊れない檻を探しに探し試行錯誤し、生き黄金の檻にたどり着いたのである。
スーをあちらへやれば、この凍れる北の国では簡単に手に入らない物を、数多に贈るという破格の条件が出されており、そして今年の冬は近年まれに見る厳しさだった。
ゆえに民を救うため、国王たるヴラドレンは愛鳥スーをあちらに送ると決めたのである。
「イヴァンの研究資料が、結果的にこの国を救うのか。……花や草ばかりに興味のあったあれの研究の結果だという事はなんとも言えないが」
あなたは間違っていない、と言うようにベニアがヴラドレンに頭をすり寄せる。
「ああ。あいつは死んだ。馬から落ちて死んだ。不死鳥の系譜の排泄物を肥料とし、研究していたこの温室を残して」
それはヴラドレンとわずかな腹心の部下のみが知る事だった。
ヴラドレンの同年の異母弟であるイヴァンは、植物の研究に熱心な王子であった。この北の国でも育つ穀物をと、長年研究をし続けていた男だった。
その男が作り出した植物が生える場所こそ、このベニアの温室である。
古い神話からイヴァンは、不死鳥の灰から穀物が生まれたという記述に着想を得て、不死鳥の系譜の排泄物や切り落とした髪を燃やして灰にしたものを、肥料として土に混ぜる事で起きる変化を、事細かに記録していた。
イヴァンは不死鳥の一部を混ぜた肥料には、土地への適応能力を強く植物に与える作用がある可能性が高いと記録している。イヴァンは他国からの輸入に頼らずに、国の者達が飢えないための植物を育てられないかと研究してきたのだ。
「比較的雪の深くない南で、イヴァンの雑麦を開墾地で作るように指示を出してある。豊かに育てば、あいつの研究は正しかったという事になり、応用出来る物になる」
故にスヴィエートは……不死鳥の血はよその国にやる訳にはいかない。さらに言えば、不死鳥の系譜が納得して排泄物や涙や髪を渡さなければ、その凶悪なまでの力は恐ろしい呪いとして働く。
これもイヴァンが可能性として記録している事だ。イヴァンは異母弟のスヴィエートを溺愛していたが、かき集めた火の鳥の伝承から、負の思いの残滓が混ざった排泄物や涙が、土地を呪うと言う記述を複数見つけた事で、その可能性が高いと考えていた。
そしてそれはおそらく正しい。
「焼いた町の一角は作り直しだ。公共事業はそれなりに民を飢えさせずに済む政策だ。よく作り上げれば、そこに住みたがる人間が必ず出てくる」
そして南の開墾地に送った元々の住人達も、この都よりも暖かな開墾地を気に入るだろう。誰も損をしない。
「不死鳥の系譜の力は相当だ。スーもお前も、それの混ざった肥料で育った青菜を与えて、こんなに綺麗に育ったわけだ」
ヴラドレンはそう呟き、ベニアの羽をそっと撫でた。麦豊かな国で、スーが死んだ事はもう知っていた。ゆえに国王は一層、自分に懐いたこの鳥を愛しく思っていたのである。




