栄美の提案
「ねえ、真実ちゃんってラノベ作家志望なのに1行も書いてないって本当?」
またその話か。
おれの事を好きであった子、素城栄美はおれに内緒話でもするかのように身を乗り出してゴニョゴニョ言った。
季節は初夏だ。
栄美が大好きな厚手のパーカーから、かなり大きな胸が目立ってしまう服装に衣替えする季節である。
そういう胸を強調する格好をしているからそこここから注目を集めるんだぞ、と注意したくなるが。
セクハラじみているのでやめておく。
「1行も書いてないというのは本当だ。でも彼女にだって理由がある」
「どんな理由?」
まさか、おれの動向が気になり過ぎて執筆が手に付かないんだとは言えない。
栄美は元々、おれの事が好きだったんだから。
いや、今もそうなのかもしれない。
そんな彼女にノロケめいた事なんて言えやしない。
「……まあ、どんな理由があろうと彼女ってそろそろ就活する時期でしょ? 時間無いじゃん」
「おれもそれは言ったけどな。でも今頃は仕事しながらラノベ書いてる人なんて沢山いそうだし」
その点、元々自宅警備員であったおれはラノベ作家として理想的な環境にあったと言えよう。
栄美はアイスレモンティーを飲みながら何事かを考えている様子だ。
「祐樹にいは、彼女の書いた文章、読んだ事あるの?」
「いや、無いな」
「実際、ラノベより童話とか絵本の方が向いてそうだけどねえ、真実ちゃん」
うーん、と栄美はストローをキセルのように咥えて腕組みをする。
「祐樹にいには言ってなかったかもだけどさ、私イラストだけじゃなくてクレヨンとか水彩画とかもイケるんだよー」
「そうなのか?」
さすが美大出だな。
「だからって言うんじゃないけど。真実ちゃんが童話とか絵本をかいたら私がそれに絵を付けさせて貰うってのは、彼女の文章を書くモチベーションにならないかな」
栄美は重ねて言う。
「勿論、ラノベでもいいけど」
栄美……コイツは本当に良いヤツだな。
恋敵たる真実ちゃんの心配までしてくれるなんて。
「ーーその代わり」
栄美がニヤリと笑う。
「絵1枚につき、祐樹にいを1時間貸して貰う! ってのはどう?」
「どう? じゃない!!」
コイツは真実ちゃんのヤンデレっぷりの事は知っている。
引いていた。
だが真実ちゃんがどこまでも束縛心が強いかまでは知らないんだ。
そんな事をしたら、正直栄美の身が危ないんじゃないかとすら思う。
……でも、アレだな。
真実ちゃんは栄美のファンでもあるし、絵を付けてくれると聞いたらそれ自体には大喜びするかもしれない。
「栄美、ありがとうな。でも絵と言っても本格的なやつじゃなくていいよ。クロッキー程度でも真実ちゃんは嬉しがると思う」
「はあ、本当に大好きなんだねー。真実ちゃんの事」
栄美はストローを咥えて物憂げに窓の外を眺める。
高い鼻の目立つ整った横顔に見惚れてしまいそうになる。
が、どこで真実ちゃんが見ているか分からないからそっと目を伏せる。
別に彼女は(ネット上以外では)神出鬼没って訳じゃないんだけど。
「『剣士なおれ』の2巻が出るんだったら、ヒロインのビジュアルを真実ちゃんに寄せて描いた方がいい?」
栄美は気を使ってくれた。
「……いや、彼女はヒロインのモデルになるのが嫌みたいなんだ。これまでと一緒でいい」
「ヒロインのモデルになるのが嫌!?
彼女なのに!?」
栄美が驚くのは最もだが、それに関しては、真実ちゃんの微妙なプライドが関係しているのだ。
その辺りはまだ栄美には黙っておく事にした。
夜、電話で真実ちゃんに栄美の提案を話した。
案の定、凄い喜びようである。
「素城先生がそこまで考えてくださってたなんて、本当に感激です〜!!」
「うん。アイツは気前が良いんだ。……だから真実ちゃん、本当に執筆活動頑張らなきゃ駄目だよ」
「はい!! 所で祐樹さん、今日素城さん以外の女の人とは会いました?」
うん? 栄美以外には会ってないけど?
そう伝えると、真実ちゃんの口から衝撃的な言葉が飛び出した。
「良かった〜!! 祐樹さんが私の知らない女の人と会ってたら、私その場に乗り込んで行っちゃいたい所でした〜!!」
「…………」
……し〜ん〜じ〜つ〜ちゃ〜ん〜!!!!
改めて、真実ちゃんと栄美を事前に会わせておいて正解だったと、ホッとした。
「おやすみ真実ちゃん。良い夢見てね」
「はい、あの、祐樹さんも……あ、ところで祐樹さん、今度の日曜日空いてますか?」
日曜日。
おれの場合は毎日が日曜日ではある。
が、ラノベの仕事は毎日しなければならない。
でも真実ちゃんのお願いであるなら話は別だ。
「勿論、空いてるよ。いや、空かす」
「良かった!! 友達から遊園地のチケット2枚貰ってるんです」
遊園地か。
そう言えば、そんなふうにわざわざどこかに出掛けるようなデートってした事無いな。
おれは二つ返事でOKした。
真実ちゃんのお誘いだ。
断る理由は無い。