やめろ!! おれの可愛い彼女を顔しか取り柄がないみたいな目で見るのはやめろ!!
「なあなあ亜流タイル、お前の彼女って可愛いけど相当残念だよな?」
そう言いつつコーヒーをグビリと飲んでフハーと深呼吸したのは、おれと同期のラノベ作家である渡ツネオである。
コイツはまだ2度目の駆け出しと言ってもいいおれとは違って作品がアニメ化された売れっ子作家だ。
『2度目の駆け出し』というのは、おれが昔1度プロ作家をクビになって、最近2度目のデビューを果たした事を示す(お陰様でそれ以降は順調だ)。
そんな苦悩の只中にいたおれの心を支えてくれた大切な存在が、さっきそれこそこの空気の読めない残念男渡ツネオに『残念だよな』と言わしめたおれの初彼女、時任真実ちゃんだ。
『真実』と書いて、『まみ』ではなく『しんじつ』と読む。
本人はこの名前を嫌っているようだが、おれにしてみれば彼女の性格や特性を象徴している良い名前だと思う。
「……人の彼女を残念扱いして只で済むと思ってんのか」
「いや、直截過ぎたな、悪い悪い。でもなー……」
渡は再度コーヒーをグビリと飲む。
「でもな、ラノベ作家志望なのに1行も書いた事が無いと言われたらな〜」
渡はニヤリと笑う。
痛い所を突かれた。
そう、真実ちゃんはラノベ作家志望の女子大生だ。
そしてそう聞かされてから数ヶ月経ったが彼女はまだ1行も書いてない。
真実ちゃんは、おれの事が好き過ぎて執筆の方まで手が回らないと言うのだ。
これは大袈裟な言い方ではない。
彼女はおれの作家としてアカウントを取っている活動ツイッターに分刻みで反応を示す。
必ずいいねやリツイートをする。
おれが何時何分にツイートしようと。
それが夜中だろうと。
その数分後にはいいねを付ける。
メールだってそうだ。
「返事は急がなくても大丈夫だからね」と書いても、分単位で返信を送ってくれる。
学校の授業はどうなってるんだ。
そして寝る時間は。
あんまり酷いから、おれは彼女の身体を心配して夜中にはツイートをしないようにした程だ。
「愛されているのは結構だけどな、物事には限度って物があるだろ」
「うぐ、確かに……」
でも、でもな、彼女兼おれの作品のファンである真実ちゃんは、ああ見えて情熱的で一途で、純粋な子なんだ。
それに料理が上手。
特にお菓子作りなんかプロ級だ。
……駄目だ、『小説家志望として残念』のフォローになってない。
大体コイツ、渡ツネオは、おれに彼女が出来た事をあまり良く思っていないからどうにかして真実ちゃんの欠点を見つけようと必死なのだ。
うん、そうに違いあるまい。だ。
「まあ亜流タイル、出来の悪い弟子を彼女にして大変だろうが……」
「え、亜流さん、弟子が出来たんですか」
透明な声を聞かせながら、おれの彼女、時任真実ちゃんがいつの間にかテーブルに戻って来た。
お化粧を直したらしく、小さな唇には控えめなオレンジのグロスが光っている。
「え、いやまあ、そういう事ではなくですね……」
さっきまで真実ちゃんに散々毒付いていた渡ツネオがアタフタと緊張し出す。
今日の真実ちゃんは薄いグリーンの地に細かい花柄模様が散っているひらひらのワンピースだ。
彼女はひらひらのスカートを好んで身に付ける。
それがまた、よく似合ってる。
アーモンド型の大きな目と白い肌、ほっそりとした体躯。それでいて出る所は出ている。ふっくらとしたほっぺも可愛い。
渡は真実ちゃんとの初対面の時、彼女の美少女と呼んでいい可憐で美しいかんばせに圧倒され、歯噛みをして悔しがっていた。
だから、彼女の『残念な部分』を知ってからは鬼の首を取ったかのように元気になったのだ。
「えーと、まあ、亜流タイルがラノベ作家としてどれだけ上に行けるか話してたんですよ」
渡はその場を誤魔化し、コーヒーカップのソーサーを意味も無くガチャガチャさせている。
「そうなんですか。でも、亜流さんの天才性をもってすれば、この先アニメ化ドラマ化も夢ではないですよね」
真実ちゃんは、何も疑う所は無いとでも言うような真っ直ぐな眼を向け、そしてフンワリと笑う。
おれへのこの過大評価。
ここではっきり言っておこう。
彼女、時任真実ちゃんは、ヤンデレだ。
それも、重度の。
憎たらしい渡ツネオと駅で別れてからは、甘い2人の時間だ。
「真実ちゃん、今日の洋服もセンス良いよ。可愛い」
「え、そんな……そうですか……。嬉しいです! ありがとうございます!」
付き合って3ヶ月。
俺達はまだ、手しか繋いだ事がない。
お互いに初めての彼氏彼女なのだ。仕方ない。
ーーそれにしてもーー。
渡ツネオの言い様は腹が立つ。
こんなに可愛い真実ちゃんを残念呼ばわりするとは。
こうなったら、必ずや彼女をいっぱしのライトノベル作家にしてみせる。
おれは誓った。
まあその前におれ自身がいっぱしの作家にならねばいけないのだが。
「ねえ、真実ちゃんはラノベ作家になりたいとは今でも思ってるんだよね?」
「あ、はい。でも今は、亜流さんとこうして手を繋いで歩いているだけでも幸せだから、もう少しだけこのままで……」
「駄目だよ、真実ちゃん!!」
図らずも大声を出してしまった。
「真実ちゃんは、今は学生でももう3年生だし、自由に出来る時間も限られてくると思うんだ」
コクコク、と頷く真実ちゃん。
「何行でもいいよ。何分でもいいよ。とにかく、書こう。明日からとかじゃない、今から書こう!」
真実ちゃんはおれの真剣な表情に気圧され、ついでに感動してしまったようだ。
瞳がキラキラしている。
「……はい!!」
良いお返事。
これはもう、彼女のやる気に火が付いたと考えてよかろう。
きっと彼女は今夜、スマホを放り出して執筆活動に入るはずだ。
勿論、おれのツイッターに張り付いていいねを送るなど執筆中なのだから言語道断だ。
「じゃあ、今日は執筆の日だ。どんな物を書いたか、処女作をおれに1番に読ませてよ」
「はい! 勿論です!!」
真実ちゃんは一応、良い学校に入って論文なんかも書いてるから文章の基礎は出来てる筈なんだ。
あとは、想像力という翼をはためかせればいい。
大丈夫、彼女には才能がある。……多分。知らないけど。
何しろ読んだ事ないからな。
彼女の住むマンションのエントランスで別れ、おれは帰り道の電車であれこれ考える。
一体彼女はどんな小説を書いてくるだろう。
お伽話?
童話?
それともラブストーリー?
別にラノベじゃなくても構わないんだ、処女作だからな。
とにかく、彼女の名誉の為にも「1行も書いていない」という壁だけでも打破しなければならない。
何度も言うが、今日は彼女の執筆の日。
真実ちゃんはスマホを放り出して、今頃は机に向かっている事だろう。
と、そこでおれは担当さんに言われた事を思い出した。
「……あっと。重版のお知らせをしないとだな」
おれのカムバック作品『剣士なおれとウィザードな彼女』は売れ行きが好評で、もう第3版だそうだ。
担当さんには、「そろそろ続きを」なんて言われてて有難い限りだ。
しかしおれも最近真実ちゃんとのデート三昧で仕事が出来ていない。
あまり良い兆候とは言えないな。
ともあれ、部屋にたどり着いたおれはスマホを取り出してツイート画面を開く。
「『剣士なおれとウィザードな彼女』3版かかりました。ありがとうございます!!」
それだけ打ってスマホを充電機に挿そうとしたおれだったが……。
なんか、嫌な予感がする。
いやまさかそんな事が、と思いつつ、再度スマホのツイッター画面を覗くと。
「shinjitsuさんがいいねをしました。」
「……し〜ん〜じ〜つ〜ちゃ〜ん〜!!!!」
おれの危惧した通り、彼女は小説を書かずにいつものようにスマホでおれを監視していた……。
どんだけおれを好きなんだ真実ちゃん。