第十二話 戻った短刀
刀の柄に触れた指へ、さっきと同じかすかな感触が残っていた。
そこへ、広間の壁際から硬い声が飛んできた。
「陛下。恐れながら、申し上げたいことがございます」
控えていた騎士が一歩進み出る。
「なんだ」
「その武器についてです。先ほどは陛下の御剣と争うように魔力を放っておりました。まだ意思疎通もできぬのであれば、陛下のおそばへ置くのは危険かと」
騎士は俺ではなく、フェリックスへ向かって話していた。
言っていることは分からなくもない。俺だって、刀が勝手に魔力をまとった時は驚いた。
「陛下の御剣は、陛下のお言葉ですぐに静まりました。しかし、そちらは子供が叩いてようやく止まっただけです」
「子供が持ってるんだから、そこは仕方ないと思います」
騎士が初めて俺を見た。
「そういう意味で申し上げたのではない」
「違いましたか」
少しだけ眉間のしわが増えた。話をややこしくしてしまったらしい。
「今は落ち着いてますよ」
そう言って、鞘の上から刀を軽く押さえる。
「危なくなったら、俺が止めます」
「ここは陛下の御前だ。一度、その武器を預けてもらいたい」
「それはできません。俺の武器ですから」
「管理できぬ者が持ち続ける方が危険だと言っている」
「まだ話せないだけで、管理できないと決まったわけじゃないですよ」
騎士の視線が、刀から俺の髪へ移った。
「止められると、どうして言い切れる」
「さっき止まったからです」
「戯れのように柄を叩いただけだろう。次も同じとは限らない」
「その時は、別の方法を考えます」
俺が答えるたび、騎士の顔が険しくなる。
少し心配性な人らしい。王様のすぐ近くを守るなら、そのくらいの方がいいのかもしれない。
けれど、騎士はそこでやめなかった。
「そもそも、白髪の男に神樹の武器を持たせること自体が――」
「お言葉が過ぎます」
カリーナの声が重なった。
いつもの柔らかさはなく、騎士を真っ直ぐ見ている。
「フィル様はレアリード王国の招待を受け、ここへいらしたお客様です」
「だが、伝承では白髪の男が神を殺し、災いを――」
「そこまでだ」
フェリックスの声が落ちた。
同時に、腰の刀が震えた。
柄を押さえた手の下で、魔力が一気に膨れ上がる。
さっき曲剣へ向けていたものとは比べものにならない。鞘に収まったままの刀から、鋭い圧が騎士一人へ叩きつけられた。
騎士の息が止まる。
剣へ伸びかけていた指も、踏み出そうとしていた足も、その場で固まった。何かに縛られているわけではない。それでも、体が命令を聞かないようだった。
広間全体へ向けた威圧ではない。
目の前の騎士だけを狙い、逃げ道まで塞ぐような圧だった。
騎士の額に汗が浮かぶ。顔から血の気が引き、膝までわずかに震え始めた。
「やめろ」
俺は柄を強く握った。
けれど、刀から放たれる圧は消えない。
「聞こえてるだろ。もうやめろ」
さっきは軽く叩けば止まった。今度は、同じようにはいかなかった。
刀が何を考えているのかは分からない。
それでも、騎士はまともに息もできず、立っているのがやっとだ。このまま圧を受け続ければ倒れるかもしれない。
失礼なことを言われたとしても、ここまでやっていい理由にはならない。
俺の刀なら、俺が止めなければならない。
「いい加減にしろ」
止まらない刀へ、少し本気で腹が立った。
今度は軽口ではない。
膨れ上がった魔力へ押し返すように、柄から自分の魔力をぶつける。
刀が手の中で大きく震えた。
騎士へ向かっていた圧はまだ消えない。俺も魔力を強める。
加減を誤れば、今度は俺の魔力が周りへあふれる。
刀の外へ漏らさないよう、柄と鞘の内側だけへ流れを絞った。圧を止めるために必要な分だけを、途切れさせず送り込む。
「止まれ」
短く言うと、刀の魔力が途切れた。
騎士の肩が大きく上下する。止めていた息を吐き、よろめきながらも自分の足で立っていた。
もう危険はない。
それを確かめたところで、俺もすぐに魔力を止めた。
その瞬間、握っていた柄が手の中で動いた。
「え?」
長かった柄が、滑るように縮んでいく。
腰の鞘も同時に形を変え始めた。刀を収めたまま長さを失い、鞘の内側では刀身まで短くなっていく感触がある。
俺は落とさないよう、慌てて両手で抱え直した。
数秒もかからなかった。
腕の中に残ったのは、五歳の誕生日にディアルからもらった時と同じ、短刀と鞘だった。
「戻った?」
柄を握り直す。
長さも重さも、覚えている。初めて魔力を流す前の姿だ。
刀の柄に慣れた手には、ずいぶん短く感じられた。けれど、木目のような模様も指へ返る硬さも、間違えようがない。
鞘の表面を指でなぞる。ひびも欠けもなく、無理に縮められたような歪みもない。中の刃も、収まりが悪くなった様子はなかった。
壊れたのではない。ただ姿が戻った。それだけは分かる。
ごく少しだけ魔力を流してみた。
手の内へ、かすかな感触が返ってくる。
けれど、短い柄も刀身も変わらない。
「魔力を流せば、刀へ戻ると思ってるのか?」
フェリックスに尋ねられ、俺は短刀から顔を上げた。
「分かりません。でも、最初に刀へ変わった時は、魔力を流しました」
「そうか」
フェリックスは短く答えると、ようやく呼吸を整えた騎士へ顔を向けた。
「武器を警戒したところまでは仕事だ。だが、俺が招いた客を白髪だけで侮辱するのは違う。分をわきまえろ」
「……申し訳ございません」
騎士は青い顔のまま、俺とカリーナへ頭を下げた。
「フィル様、カリーナ殿。大変失礼いたしました」
「俺は大丈夫です。それより、どこか痛くないですか?」
「ございません」
声は少しかすれていたけれど、立ち方は戻っていた。
フェリックスが顎で扉を示す。
「今日はもう下がれ。頭を冷やしてこい」
「はっ」
騎士はもう一度深く頭を下げ、広間を出ていった。
扉が閉じると、フェリックスが俺を見る。
「あいつを止めたことは間違ってねえ」
「止めなかったら、騎士の人が倒れていたと思います」
「俺もそう思う。だから、その判断を責めるつもりはねえよ」
先に言い切られて、俺は少しだけ肩の力を抜いた。
フェリックスは俺の手元を指す。
「だが、お前はあいつが怒った理由を分かってるのか?」
短刀を見下ろす。
「分かりません。さっきもフェリックス様の剣に威嚇してましたけど、あれよりずっと強かったです」
「どのくらい怒ったかは分かっても、何に怒ったかは分からねえんだな」
「はい」
「俺にも分からねえ。そいつの声は聞こえねえからな。勝手に答えを決めても意味がねえだろ」
「でも、俺にはまだ聞けません」
「だから、今の騒ぎで全部分かれとは言ってねえ」
「じゃあ、どうすればいいんですか?」
「今後、ちゃんと向き合え」
短い答えだった。
「意思があると知っていながら、どうすれば言うことを聞くか、そればかり考えてなかったか」
「言うことを聞いてもらわないと、武器として使えません」
「武器として使うならな」
フェリックスが短刀を指す。
「そいつが姿を変えた時、お前はまず何をした?」
「壊れていないか見てから、魔力を流しました。刀に戻るかもしれないと思ったので」
「そういうところだ。短刀へ戻ったこと自体も、そいつが何かを伝えようとした結果かもしれねえ。理由は俺にも分からんが、戻し方だけ考えて終わるな」
フェリックスは腰の曲剣の柄へ手を置いた。
「だが、お前はそいつと話したいんだろ。なら、従わせる道具としてだけ見るのはやめろ。何かを伝えようとしたなら、分からなくても受け止めろ。危ねえ時は、今みてえに止めればいい」
「止めることと、認めることは両方できるんですか?」
「できなきゃ、意思のある武器なんか持てねえよ」
フェリックスの曲剣は、今は静かに鞘へ収まっている。
「俺は、この短刀を大切にしてます。ディアルからもらってから、手入れもしてきました」
「大切に扱うことと、ひとつの相手として認めることは同じじゃねえ」
「何が違うんですか?」
「それを自分の武器と向き合って考えろ。俺の答えを真似しても、お前とそいつが認め合ったことにはならねえだろ」
きっぱり言われて、続ける言葉がなくなった。
手の中には、かつての姿へ戻った短刀がある。
刃の拭き方も、鞘の手入れも、魔力の流し方も知っている。
けれど、ひとつの相手として認めるには、何から始めればいいのだろう。
答えの出ないまま、短刀の重さだけが手に残った。




