第274話 元・スルラの影から見るエインヘリア:弐
View of ペペル 元スルラの影頭領 外交官見習い
磨き抜かれた芸術品のような王城の廊下を歩きながら思う。
このエインヘリアに於いて密偵……外交官見習いや情報部の地位は決して低くない。
いや、寧ろ相当優遇されている。
他国であれば、正直諜報員は使い捨て……一般の兵にも劣る扱いを受けるのが普通だ。
情報を盗み取る卑しき者……その程度の認識だろう。
情報の大切さを理解している者は多くないし、理解しているものであってもぞんざいには扱わないが尊重もしない。
オロ神教の教皇はそれなりに重宝してくれていたし、理解もあった。
そうでなければ一族全てを個人で抱えるなどはできないだろう……勿論、尊重されていたわけではなく、便利な道具といった程度の扱いだったが。
しかしこのエインヘリアでは情報の大切さを誰よりも理解していながら、諜報員に自身の命を優先するように心と体と頭に叩きこまれる。
それを十分理解出来るように、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も自身の死を認識することになるのだが……。
……うっ、身震いが。
何にしても、情報を得るために命を賭すことは強く禁じられている。
諜報員の命を軽んじるつもりはなく、命を優先しろと厳命されているのだ。
確かに情報を追うがあまり深入りして、手にした情報を持ち帰ることができずに死んでしまってはこれ以上ないくらい無駄死にだろう。
その愚を犯さぬように、諜報に携わるものはチームで動き、誰か一人でも情報を持ち帰ることができるように保険をかけておくのだが。
無論エインヘリアもチームを組んでことに当たるが、それは互いを助ける為であり、犠牲を出すことを前提とした作戦は立案時点で却下されてしまう。
人を育てるのもただではないとクーガー様は言うが、確かに密偵を一人を育てるコストを考えれば、使い捨てというのは非常に費用対効果が悪いと言える。
今まで気にしたこともなかったが……。
そんなことを考えながらエインヘリア王城内を歩いていると、前方でメイドの方が掃除をしているのが目に入った。
俺は立ち止まり深く頭を下げてから再び歩き始める。
これもエインヘリアが他の国と大きく異なる点だろう。
エインヘリアの王城に居るメイドは非常に地位が高い。
彼女たちが偉ぶったりこちらを見下して来たりすることは決してないが、敬意を持って接しないと外交官見習いの先輩方だけではなく、ウルル様やクーガー様といった外交官の方々からも相当厳しい叱責を受けるらしい。
エインヘリアのメイドの方々は、下働きではなく大臣格の方々や英雄の方々に準じる立場であり、陛下の御心次第ですぐに一線級の文官や武官になれる存在……それがエインヘリアのメイドという職だ。
勿論、この城の中で働くメイドに限定される話ではある。
実際……メイドの方々が訓練しているところを見かけたことがあるのだが、正直メイドにそこまで戦闘能力が必要なのだろうか?というくらい強かった。
俺は英雄としてそこまで正面戦闘を得意としてきたわけではないが、メイド相手に勝てないかもしれないと考えるのは初めての経験だったな。
まぁ、これだけ広大な城を数十人しかいないメイドでこれ程完璧に維持しているのだから、あらゆる意味で規格外なのは当然か。
そんな事を考えつつ頭を上げると、掃除の手を止めたメイドの方が柔らかく微笑みながらこちらに正対し軽く会釈をしてきた。
この方は……確か剣聖ジョウセン様の妹君であるイズミ様だな。
身体能力も非常に高いが、それ以上に凄まじいのはその技の冴え。
年齢に見合わない熟達の剣技は、さすがはジョウセン様の妹君だと納得できるものだ。
最近は良く、エインヘリア王と共に向こうの大陸に召喚されたプレア様と訓練所で稽古をしているようだが……攻める方も守る方も技量が凄まじい。
純粋な技量だけで考えれば、恐らく俺では彼女たちに勝てないだろう。
なんとなく気まずさを覚えた俺は、もう一度目礼だけをしてから歩き出す。
指定された部屋はもうすぐそこだ。
誰にも会わずに辿り着きたいものだが……そんなことを考えたのが悪かったのか、廊下の向こうから歩いてくるのは……エインヘリア王陛下!?
俺は内心緊張しながらも、不自然にならない程度に素早く廊下の端に移動して頭を下げる。
俺のことに気付いていない訳ではないだろうが、エインヘリア王陛下は気にした様子もなく、隣にいる巨漢のゴブリンと機嫌よさげに話をしながらこちらに近づいてくる。
巨漢のゴブリン……バンガゴンガ様は、エインヘリア王に重用されている臣下の一人だ。
ゴブリン族は向こうの大陸に存在しなかった為、初めて見た時はいたく驚いたのだが、話をしてみれば見た目が違うだけで我々と何ら変わりのない存在だと理解出来た。
しかし、役職が両手でも数えきれないくらいあるってのは、色々とおかしくないか?
誰かが呼びかけるたびに呼んでいる役職名が違うし、俺もなんと呼ぶべきか毎回悩むのだが……。
そんな事を考えながら頭を下げていると、俺のすぐ傍でお二人が足を止める。
「お前は確か……元『スルラの影』の頭領だったな」
「はっ」
エインヘリア王陛下のお声掛けに、俺は頭を上げずに応える。
「元『スルラの影』の者たちは中々筋がいいとウルルたちが褒めていた。危険の多い仕事ではあるが、これからもよろしく頼む」
王自らいち諜報員に声をかけたことに少なからず衝撃を受けたが、当然その驚きを外に出すわけにはいかない。
「はっ。ご評価頂けたこと、一族を代表して感謝申し上げます。これからも身命を賭してエインヘリアに尽くしたく存じます」
「くくっ……真面目なのはいいが、命は大事にしてくれ。命あっての物種だからな。まぁ、俺が言わずともウルルたちから叩きこまれているだろうがな」
苦笑するような声音でエインヘリア王陛下が言う。
やはりエインヘリア王陛下がこういう考えだからこそ、ウルル様方もそれを厳命するし、諜報員を侮る者もいないのだろう。
「あぁ、それといつまでも頭を下げていなくていいぞ?最低限、周りが問題視しない程度に礼を見せてくれればとやかくは言わんからな」
「はっ、承知いたしました」
嫌味のない声音……おそらく本心だろう。
俺はゆっくりと頭を上げてエインヘリア王陛下を正面から見る。
口元に皮肉気な笑みを浮かべながら自然体で立っているエインヘリア王陛下……その目にこちらを蔑むような色は一切見えず、寧ろこちらを労わる様な色が見える。
「外交官見習いの仕事は、向こうの大陸で働いていた時と勝手が違って大変ではないか?」
「おっしゃる通り色々な違いに戸惑ってはいますが、非常に充実した日々を送らせて頂いております」
「そうか。危険は多いだろうが……生を楽しんでくれ。エインヘリアの民になったのだからな、そうしてくれないと折角この国に来て貰った意味がないというものだ」
そう言って肩を竦めるエインヘリア王陛下……こちらが想像していたよりも遥かに闊達な方のようだ。
それに自国の民を非常に大切にしている……自身の権力を最優先で考え、その為に謀略を巡らせる教皇とは全く異なる為政者。
いや、世話になった教皇には悪いが、在り方が違い過ぎて比較対象になり得ないな。
「バンガゴンガは、彼のことは知っているのか?」
「あぁ。何度か仕事を手伝ってもらったことがあるからな」
そんなエインヘリア王陛下と気安く話をするバンガゴンガ様……お二人が友人というのは本当のようだ。
「ほう?バンガゴンガの仕事で外交官見習いの手が必要だったのか?」
「帝国で作っている畑の方でな」
バンガゴンガ様がおっしゃっているのは、先日アプルソン子爵領での後処理のことだろう。
その時のバンガゴンガ様の役職は……農業指導員……だった筈。
その前の仕事でお会いした時は別の役職で呼ばれていたし、更にその前も別の役職だった。
……エインヘリアという国は本当に信じられないことばかりだな。
「それよりフェルズ。ペペル殿は用事があるんじゃないか?」
「む……そうだな。ペペル、引き留めて悪かった」
「いえ、問題ありません。ですがそろそろ指定された時間なので御前失礼します」
指定された時間までは多少余裕はあるが、このままここで話をしていれば間に合わない可能性が高い。
俺は再び頭を下げた後、心持ち足早に陛下たちから離れる。
急いだ様子を見せる訳にはいかないが……ウルル様を待たせるわけにはいかないからな。




