表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
厄介な世界。最低な結婚。最高の人生。  作者: 空琴累音


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

15/41

ep.15 家

 気づけば、この部屋には二人の使ったものばかりが残っていた。


「……そろそろ、決めましょうか」


 私が言うと、隣で火を眺めていたレディヴィアが顔を上げる。


「何をですか」


「私たちが、どこで暮らすのかを」


 言いながら、私は部屋の中を見回した。


「毎回その場しのぎで決めていると、あとで面倒です。住む場所、調理する場所、湯を使う場所、物を置く場所。それから、使わない場所も」


 レディヴィアは少しだけ考えるように沈黙してから、静かに頷いた。


「はい。そのほうが、分かりやすいです」


「ええ。迷わなくて済みます」


 私たちは立ち上がる。

 扉を開けると、廊下の冷えた空気がすぐに頬へ触れた。


 最初に見たのは、今いる暖炉の部屋だった。


 いったん廊下へ出てから振り返る。重い扉。小さな窓。奥まった位置。

 レディヴィアが私の隣で、黙って扉の上を見ている。


「どうですか」


 尋ねると、彼女は天井の梁へ一度だけ目をやってから答えた。


「上は大丈夫です。重すぎる音がしません」


「壁は」


「冷たいですが、割れている感じはあまり」


 私は小さく息を吐いた。

 それから、部屋の内側を手で示す。


「では、ここを住む場所にしましょう」


 レディヴィアがこちらを見る。


「住む場所」


「ええ。もう二晩、ここで休んでいます」


 私は暖炉の前の寝床へ視線を落とした。

 レディヴィアも、しばらく黙ってその部屋を見ていた。

 床の寝具。扉の脇に掛けた外套。昨夜の箱から出した厚い布。


「……もう、ここに戻ってきていますから」


 彼女が小さく言う。


「ええ」


「でしたら、住む場所でよいと思います」


 その返答に、私は少しだけ口元を緩めた。


「そうですね」


 次に、私たちは厨房へ向かった。

 扉を開けると、昨夜の豆と燻製肉の匂いがまだ残っていた。


「ここは、もう決まっていますね」


「はい」


 レディヴィアの返事は早かった。


「調理する場所です」


 そこで私は少し考え、作業台の脇の空いた棚を見た。


「乾いた器と、すぐ使う食料はここへ集めましょう。全部を食料庫へ戻さなくても、今夜と明日のぶんくらいなら出しておいていい」


「保存食もですか」


「ええ。あまり湿らないものなら」


 レディヴィアは静かに頷いた。

 私は作業台の上に置かれた乾いた椀をひとつ見てから、扉のほうへ向き直る。次は浴場へ、と言いかけたところで、隣のレディヴィアがふと廊下の奥へ目を向けた。


「水を汲む場所も、必要です」


 珍しく、彼女のほうが先に口を開く。

 私は少しだけ目を瞬かせた。


「水場、ですか」


「はい」


 彼女はもう一度だけ頷く。


「決めておいたほうが、あとで迷わない気がします」


 その言い方が、いつになく整っていて、私は小さく息を吐いた。


「その通りですね」


 レディヴィアはそれ以上言わず、先に歩き出した。

 廊下を折れ、細い通路へ入る。昨日、彼女に導かれるまま水の音を探して来た道だ。けれど今日は迷いがない。石の角を曲がる足取りが、昨日よりずっと確かだった。


 突き当たりの扉を開ける。

 小さな中庭に、薄い冬の光が落ちていた。


 中央の水盤には、今日も細く水が流れ込んでいる。石で囲まれた縁は冷たく、表面だけが銀みたいに静かに光っていた。

 レディヴィアは水盤の前で立ち止まり、流れをしばらく見ていた。

 それから石の縁へ指先を置く。


「たぶん、止まりません」


 私は彼女を見る。


「分かるのですか」


 レディヴィアは少しだけ首を傾げた。


「はい。弱っている水ではありません。通ってくる流れです」


 私は水盤の底を見下ろした。

 細い流れなのに、途切れる様子がない。最初の日からずっと、この城塞の暮らしはここを通っていたのだ。


「……では、ここが水を汲む場所ですね」


 そう言うと、レディヴィアは静かに頷いた。


「ここなら、まだ生きています」


 私は水盤の縁に手を置く。


「いずれは洗濯もしないとですから」


「乾かすのもできます」


「はい。大事なことです」


 あらためて中庭を見回した。

 天井から光が差し込み、微かに風も通る。

 レディヴィアが水盤から少しだけ水を掬った。


「水を汲む場所は、ここです」


 その言葉に、私は頷いた。

 それだけ決めると、小さな中庭が少しだけ違って見えた。


 扉を抜け、廊下へ戻る。

 レディヴィアが振り返る。


「次は、浴場ですね」


 私は頷いた。


「ええ。そうしましょう」


 浴場は、決めるまでもないようでいて、決める必要のある場所だった。


 あの重い扉を開ける。冷えた湿気が流れてくる。けれど、最初に見つけた時のような、ただ古びているだけの空気ではもうなかった。棚には麻布があり、鉢があり、炉の前には昨日の灰が片づけられた跡がある。湯船の底にも、少なくとも人が入るのをためらわぬ程度の清潔さが戻っていた。

 私は湯船の縁へ手を置く。


「湯を使う場所です」


 今度はレディヴィアが、少しだけ目元を和らげた。


「ここは、そのままです」


「はい。ここに来れば湯が使えます」


 レディヴィアは、石槽のほうを見ながら言った。


「昨日、温かかったです」


 私は頷いた。


 続いて決める、物を置く場所は少し迷った。

 住む部屋へ全部を押し込むのは簡単だが、そうするとすぐ手狭になる。厨房へ置けば湿気や匂いが移る。指揮官室は遠い。整った寝室の近くは、なるべく行き来を増やしたくなかった。


 結局、暖炉の部屋からひとつ曲がった先にある、小さな部屋へ入った。

 暖炉は壊れ、床には砕けた石と古い木片が散らばっている。

 日当たりは悪いが、そのぶん乾いていた。

 床もまだ抜けそうにない。


 私は扉の敷居で立ち止まり、レディヴィアを見る。


「どうでしょう」


 彼女は部屋へ半歩だけ入り、しばらく黙って耳を澄ますみたいにしていた。それから、壁際の棚へ手を置き、ゆっくりと視線を巡らせる。


「ここは、大丈夫です」


 私は棚へ近づき、指先で板を押した。

 少し軋むが、すぐ崩れる感じではない。


「物を置くには十分ですね」


 扉の位置を振り返る。

 住む部屋にも厨房にも近い。


「ここを物置にしましょう」


 レディヴィアは少しだけ首を傾げる。


「全部、ここへ?」


「全部ではありません」


 私は棚を指した。


「すぐ使わない布、予備の器、裁縫道具、予備の保存食、開け切っていない箱。そういうものを置きます」


「探しやすくなりますね」


「ええ。整理しておけば」


 そう言うと、レディヴィアがほんの少しだけ口元をやわらげた。


「アルシエラ様は、細かい事がお得意でしたね」


 私は答える前に、床に散らばった石に指を向ける。

 石が浮き上がり、部屋の片隅で山になった。


「散らばっていると、落ち着きません」


 それから二人で部屋の使い方を考え始めた。棚は布と道具。箱は壁際。

 幾つかの服もまとめて置ける。


「たくさん置けますね」


「これからも増えるでしょうから」


 話している間に、少しだけ可笑しくて笑みを溢した。


「そのうち、この部屋だけでは足りなくなるかもしれませんね」


 最後に、整った寝室へ向かった。


 あの部屋の前へ来ると、廊下の空気まで少し違うような気がする。静かすぎて、かえって落ち着かない。扉を押せば相変わらず滑らかに開き、中には整えられたままの形が残っている。寝具は持ち出したが、誰かのために置かれた物はまだ消えていなかった。


 私は敷居を越えず、扉のところで立ち止まる。

 レディヴィアも中へは入らなかった。


「……ここは」


 私が言いかけると、レディヴィアが静かに続けた。


「使わなくて、よいと思います」


 私は彼女を見る。

 彼女は部屋の奥ではなく、空いた寝台の上を見ていた。


「私たちのためではない気がします」


 その言い方に、私は小さく息を吐いた。

 まったく同じことを考えていたからだ。


「ここは、少し息がしにくいですね」


 私は静かに扉を引いた。

 重くも軽くもない音がして、部屋の内側が隠れる。

 最後に細い隙間から見えた寝台の白さが消えると、廊下の冷えた空気のほうがむしろ楽に思えた。

 レディヴィアが扉を見たまま言う。


「ここは、使わない場所にしましょう」


「そうしましょう」


 私は頷いた。

 それから二人で、暖炉の部屋まで戻る。

 廊下を歩くあいだに、頭の中で場所が少しずつ結びついていく。


 住む場所は、暖炉の部屋。

 調理する場所は、厨房。

 水を汲む場所は、中庭。

 湯を使う場所は、浴場。

 物を置く場所は、小さな棚のある部屋。

 使わない場所は、整えられた寝室。


 暖炉の部屋をあらためて見回す。


 昨夜から今朝にかけて使ったものがある。

 これから使うと決めたものがある。

 もう使わないと決めた場所もある。


 私は暖炉の前へ近づき、火掻き棒で薪の位置を少しだけ直す。

 背後には寝床があり、扉の脇には外套が掛かっている。

 もう、ここへ戻ればよいのだと分かる。


 レディヴィアが、隣に並んで火に手をかざす。

 やがて、静かに呟いた。


「私たちの家です」


 同じように、私も火に手をかざす。

 火が鳴り、暖かさが体を包み込んだ。


「はい」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ