第七百五話「どこまでも伸びる蔦と、姫殿下の『お空への水飲み競争』」
王城の裏庭にある、誰も使っていない古い井戸のほとりで、シャルロッテは小さな一粒の種を手のひらに転がしていました。その種は、マリアンネの実験室の隅で拾った、強い生命力を持つ魔導植物の欠片でした。
「ねえ、モフモフ。この子、とっても喉が渇いているんだって。お空の一番高いところにある、美味しいソーダ水を飲みに行きたいんだって!」
「みぃ~?」
モフモフは、興味深そうに首を傾げました。
シャルロッテはにっこりと笑うと、井戸の湿った土の中にその種をそっと埋めました。植物が巨大な高さを維持するためには、導管の中の水を表面張力によって引き上げる毛細管現象と、葉の裏から水分を逃がして気圧の差を作る蒸散の力が必要です。
「よし! 魔法のストローを、いっぱいつなげてあげるね!」
シャルロッテは水属性と土属性の魔法を指先から注ぎ込みました。彼女の魔力は、種の内部にある導管の組織を、鏡のように滑らかで強靭な超極細の管へと変質させ、水の引き上げ効率を物理的な限界まで引き上げました。
その瞬間、地面が小さく震えました。
土を割って飛び出した緑色の芽は、瞬きをする間にシャルロッテの背を追い越し、井戸の石枠を螺旋状に巻き込みながら、猛烈な勢いで空へと伸び始めました。それは垂直に突き進む、緑色の彗星のようでした。
「わあ! すごい、すごい! 頑張れ、お水さん! もっと高く、お日様を追い越して!」
騒ぎを聞きつけてやってきたアルベルト王子は、中庭の中央に突如として現れた「緑の塔」を見上げて絶句しました。蔦はすでに城の最も高い尖塔を越え、雲の合間へと消えていこうとしています。
「シャル! これは一体……。……。驚いたな、この高さで水を供給し続けるには、導管内の表面張力だけでは足りないはずだ。君は、大気との浸透圧の均衡さえも書き換えてしまうのかい?」
「兄様、難しい計算はいいの! 見て、葉っぱさんが『ぷはーっ!』てお空気を吐き出しているでしょう? あれが合図になって、お地面から新しいお水がどんどん駆け上がっていくんだよ!」
シャルロッテは光属性の魔法を蔦に纏わせました。
すると、巨大な蔦の内部を流れる水の動きが、透き通った光の線として浮かび上がりました。地下深くから汲み上げられた冷たい水が、重力という鎖を軽やかに笑い飛ばしながら、天空を目指して一直線に昇っていく。それは、命が持つ「上を向く力」の結晶でした。
蔦の最上部が雲を突き抜け、見えなくなったところで、成長は穏やかに止まりました。雲の上からは、水分をたっぷり吸い込んだ葉が太陽を浴びて発する、清々しい酸素の香りが、霧のように降ってきました。
「……。圧巻だ。私たちは、大地に根を張るものは静止していると思い込んでいた。だが、これほどの動的なエネルギーを秘めていたとはな」
アルベルトは、自分の顔の横を駆け抜けていった命の躍動に、ただ圧倒されていました。
「えへへ。だって、じっとしているよりも、お空のてっぺんまで駆けっこして遊ぶほうが、絶対可愛いんだもん!」
中庭には、天まで届く緑の階段が一本、堂々とそびえ立っていました。それはただ一人の少女が「命のストロー」を面白がったことで生まれた、世界で一番贅沢な風景となったのでした。




