第四百四十七話「沈まぬ太陽と、銀髪の姫の『黄昏の遊び場』」
それは、王国の歴史書に「黄金の停滞」として記されることとなる、奇妙な一日のことである。
夕刻が訪れるはずの刻限になっても、太陽は西の空に釘付けにされたかのように留まり、沈もうとしなかった。
空は、永遠に続く黄昏の茜色に染め上げられ、影は長く伸びたまま、時間という概念を拒絶して静止していた。
王城の天文学者たちは、天球儀を回し、古代の予言書を紐解いては、顔面を蒼白にさせていた。
「天の車輪が止まった! 太陽神が、地上の何かに魅入られ、帰還の道を忘れたに違いない!」
人々は、終わらない昼に畏れを抱き、神殿に祈りを捧げた。
しかし、薔薇の塔のテラスには、その「太陽を足止めした原因」が、無邪気に存在していた。
シャルロッテである。
彼女は、モフモフを抱き、燃えるような空に向かって、楽しげに手を振っていた。
「ねえ、お日様! まだ遊ぶの? いいよ、鬼ごっこをしましょう!」
シャルロッテの目には、太陽が巨大な天体ではなく、「まだ帰りたくないと駄々をこねる、真っ赤な顔をした大きな子供」として映っていた。
彼女は、この超自然的な現象を、問題や危機としてではなく、単なる「遊びの延長」として受け入れていたのだ。
シャルロッテは、テラスを駆け出した。
彼女が走ると、太陽の光もまた、彼女を追いかけるように、影の角度を変えた。
「こっちだよ! 捕まえてごらん!」
アルベルト王子やフリードリヒ王子が、心配してテラスへ駆けつけた時、彼らが目撃したのは、神話的な光景だった。
幼い姫君が笑い声を上げると、太陽のフレアが呼応するように揺らめく。
彼女が隠れようと柱の陰に入ると、太陽は光を強めて、その影を消し去ろうとする。
まるで、天体そのものが、一人の幼女と戯れているかのようだった。
「……信じられん。太陽が、シャルロッテの遊び相手になっているというのか」
「天体の運行すら、彼女の『遊びの時間』には逆らえないということか……」
兄たちは、ただ呆然と、その壮大な「鬼ごっこ」を見守るしかなかった。
永遠に続くかと思われた黄昏の中で、シャルロッテは遊び続けた。
シャボン玉を飛ばせば、それは割れることなく空へ昇り、新しい星になった。
お菓子を投げれば、それは空中で光の粒子となり、雲を甘い色に染めた。
しかし、やがてシャルロッテの動きが緩慢になった。
彼女は、大きなあくびを一つした。
「ふわぁ……。お日様、わたし、もう眠くなっちゃった」
シャルロッテは、その場にモフモフを枕にして横になった。
彼女の瞼が、ゆっくりと下りていく。
その、まつ毛が重なり合った、まさにその瞬間。
空に釘付けにされていた太陽が、急速に、しかし静かに、地平線へと沈み始めた。
世界を覆っていた茜色は、シャルロッテの眠りに合わせるように、深い群青色へと吸い込まれていく。
夜が来たのではない。
シャルロッテが眠ったから、世界が目を閉じたのだ。
ルードヴィヒ国王は、バルコニーからその光景を見て、震える声で側近に告げた。
「記録せよ。太陽が沈むのは、時が来たからではない。我が宝、我が娘が、夢の世界へ旅立つ準備が整ったからである、と」
星々が、シャルロッテの寝息に合わせて、一つ、また一つと瞬き始めた。
それは、宇宙全体が、一人の幼女の安眠を守るための、揺りかごへと変貌した夜であった。
この日、エルデンベルク王国には、新しい神話が生まれた。
『世界の光は、姫君の瞳が開いている間だけ、輝くことを許される』
それは、誰も解決しなかったが、誰もが納得した、美しくも恐ろしい愛の真理であった。




