第二百七十一話「古い塔の望楼と、風に乗る『秘密のささやき』」
その日の午後、王城の最も古い塔の小さな望楼は、風が窓枠を叩く音だけが響く、静かで、秘密めいた空間だった。
シャルロッテ姫殿下は、モフモフを抱き、その望楼の床に座り込んでいた。彼女は、王城の日常から逃れ、「どこか遠い、誰も知らない、自分だけの場所」への、漠然とした憧憬を抱いていた。
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その時、望楼の窓ガラスに、ごく小さな、銀色の鱗を持つ、見たことのない種類の蝶が、舞い降りてきた。その蝶は、王国の生態系には存在しない、「遠い、夢のような世界」からの迷い子だった。
蝶は、羽を動かすことなく、ただ静かに、窓ガラスに貼りついていた。その瞳は、シャルロッテ姫殿下をじっと見つめていた。
「わあ、きれい……ねえ、あなた、どこから来たの?」
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シャルロッテ姫殿下は、蝶に、光属性と共感魔法を融合させた。
彼女の魔法は、蝶の持つ「遠い故郷の風景」と「再び故郷へ帰りたい」という、切ない感情を、シャルロッテの心に、映像として、静かに、しかし鮮明に映し出した。それは、言葉を超えた、魂の交流だった。
蝶は、シャルロッテの「純粋な愛の光」を浴びることで、一時の休息を得ていた。
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その光景を見ていたフリードリヒ王子は、妹を心配して望楼にやってきた。彼は、妹が、誰もいない窓に向かって、真剣に話しかけているのを見て、心を痛めた。
「シャル、こんなところで、何をしているんだ」
フリードリヒ王子が近づいた瞬間、蝶は、別れを惜しむように、一度だけ窓をそっと翅で叩き、風に乗って、遠い空へと舞い上がっていった。
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シャルロッテは、蝶が消えた後、静かに、しかし安堵した表情で微笑んだ。
「ね、兄様。あの子、お家に帰ったよ」
フリードリヒ王子は、妹の寂しさを埋めるため、その望楼を「シャルロッテ姫殿下の秘密の友達の部屋」にすることを誓った。
「シャル。君が寂しくないように、兄ちゃんが、この部屋を、最高の遊び場にしてやる!」
シャルロッテ姫殿下は、兄の温かい献身に、にっこり微笑んだ。
「ううん、兄様。もう寂しくないよ。だって、あの子、私に、また会いに来てくれるって、約束してくれたから!」
シャルロッテ姫殿下の心には、言葉にならない、小さな命との、束の間の出逢いの切なさと、再び会えるという、淡い希望が、温かい光として残された。




