第二百五十三話「秘蔵の抽斗と、銀髪に宿る『過去の野心』」
その日の午後、薔薇の塔の王妃の私室は、厳粛な雰囲気を失い、親密な静寂に包まれていた。エレオノーラ王妃と三人の娘たち、シャルロッテ、イザベラ、マリアンネが、祖母から伝わる古い鏡台の、開かれた抽斗の前に集まっていた。
抽斗の中には、若き日の王妃が閉じ込めた「過去の情熱」が、そのままの姿で眠っていた。
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イザベラ王女が、最初に、色褪せたスケッチの束を手に取った。それは、王妃が王族の妻となる前に描いた、数々のデザイン画だった。
描かれているのは、王城の公式なドレスとはかけ離れたものだった。空を舞う鳥の翼をモチーフにした、風のような軽やかなシルエット。優雅な宮廷靴でありながら、秘密の場所に隠された、小さな遊牧民の刺繍。そして、全てのデザインに、大胆に描かれた、『自由』という、力強いサイン。
「まあ……ママ。この翼のモチーフ、なんて情熱的なの! これこそ、私の目指す『解放されたエレガンス』だわ」
イザベラ王女は、母の若き日の「個人の夢」の大きさに驚愕した。彼女が社交界で抱える「王族の美しさ」の追求という悩みは、母の過去の情熱と繋がり、「美の追求は、自由であるべき」という、新たな視点を与えられた。
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次に、マリアンネ王女が、古びた小さな詩集を手に取った。詩集の表紙は、簡素な羊皮紙で、タイトルもない。
マリアンネ王女は、そこに綴られた、若き日の母の詩を、静かに読み上げた。
「『……私を呼ぶ声は、城壁の向こう側から来る。私は、この絹のドレスを、砂と風で汚したい。論理の終わりに、一輪の真実の薔薇を、ただ見つけたい。……』」
マリアンネ王女の瞳は、この詩の行間に、「秩序への反抗」と、「真理への孤独な探求」という、研究者としての自身と共通する激しい魂の叫びを見出した。
「ママ……。ママは、王妃になる前から、私と同じ、孤独な探求者だったのね。この『論理の終わり』という表現……とても素敵だわ……」
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エレオノーラ王妃は、娘たちの熱い視線と、過去の自分自身が目の前で蘇ったことに、静かに微笑んだ。
「ええ。あの頃、私は、王妃という役割と、一人の女性としての自由の間で、激しく揺れていたわ。あの詩は、私自身の孤独な戦いの記録です」
王妃は、シャルロッテの手を握った。
「でもね、シャル。この抽斗を閉じ込めたのは、誰の強制でもない。私自身の、王妃になるという『覚悟』だったのよ。私は、あの夢を『忘れる』のではなく、『役割を果たすために、静かに封印する』ことを選んだ。それが、王国の平和を守るための、私なりの『愛の代償』だった」
その言葉は、王妃の義務と愛という、深い精神的な葛藤を物語っていた。
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シャルロッテ姫は、その重い真実を、純粋な愛で受け止めた。
「ママ。でもね、あの夢は、どこにも行ってないよ」
シャルロッテは静かに微笑んだ。
「なぜなら、ママのその、湖水を湛えたような深淵な瞳が、その『自由』の光を、私に、今、見せてくれているから」
三姉妹と王妃の親密な時間は、過去の夢と現在の役割、そして未来の愛へと静かに繋がっていくのだった。しかしこの深遠な語らいは、まだ終わりではなかった。




