第二百三十八話「静かな足音と、夕暮れの廊下での『役割の交換』」
その日の夕暮れ時、王城の廊下は、西日が差し込み、長く、曖昧な影を作り出していた。一日の公務と職務を終えた王族と側近たちが、それぞれの部屋へと戻る、最も静かで、最も内省的な時間だった。
シャルロッテは、モフモフを抱き、絨毯の上を、「柔らかい影」のように、音もなく歩いていた。
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廊下の先で、執事のオスカーが、疲れた様子で立ち止まっていた。彼は、今日も完璧に職務を遂行したが、年齢を重ねた体には、微かな疲労が重くのしかかっていた。
オスカーは、無意識に、王妃の寝室の扉に触れた。それは、彼が「誰かに、無条件で労ってほしい」という、大人の男性が最も隠したい、無意識の小さな弱音の表れだった。
そこに、シャルロッテが、音もなくやってきた。
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シャルロッテ姫殿下は、オスカーの「隠された疲労」を察知した。彼女は、オスカーの肩を揉んだり、治癒魔法を施したりはしなかった。彼女は、「役割の交換」という、詩的な愛の行為を選んだのだ。
シャルロッテ姫殿下は、オスカーのネクタイの結び目を、そっと、優しく触れて直した。それは、普段、オスカーが国王やアルベルト王子に行う、「支える者」の献身的な行為だ。
そして、姫殿下は、彼の口元に、小さな声でささやいた。
「オスカー。今日のオスカーの役割は、もうおしまいだよ」
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そして、シャルロッテ姫殿下は、オスカーの大きな手のひらに、自分の銀色の巻き髪を、束ねて乗せた。
「これからのオスカーの役割は、『このふわふわの髪の毛を守ること』だよ。世界で一番、簡単で、でも一番可愛いお仕事だよ」
オスカーは、自分の手のひらに乗せられた、姫殿下の柔らかい髪の重みを感じた。その髪の重さは、彼が一日背負っていた「王城の重責」とは全く異なり、「純粋な愛と、信頼」という、温かく、軽やかな重みだった。それがオスカーの心に心地良い軽やかさをもたらした。
彼は、自分の役割が、一瞬で「献身的な執事」から「愛しい姫の髪を守る守護者」へと、美しく転換したのを感じたのだ。
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オスカーは、その場で涙ぐんだ。彼は、姫殿下の純粋な知恵によって、「休息とは、何もしないことではなく、愛に満ちた、新しい役割に移行することである」という、深い真理を悟った。
「姫殿下……あなたの愛は、最も繊細で、最も尊い労いでございます」
シャルロッテ姫殿下は、にっこり微笑んだ。
「えへへ。だって、疲れた人には、『優しい役割』をしてもらうのが、一番可愛いんだもん!」
夕暮れの廊下は、二人の間に交わされた、無言の役割交換という、最も優しく、そして深い愛の機微に満ちていた。
 




