第二百十七話「銀髪の朝の迷宮と、姫殿下の『しっくりこない可愛さ』」
その日の朝、薔薇の塔の居室は、柔らかな朝の光に満ちていた。シャルロッテは、ふわふわのベッドから身を起こしたが、まだ瞳の奥に深い眠りの残滓を宿している。要するに寝起きだった。
モフモフは、姫殿下の頭の上で丸くなって眠っていたが、姫殿下の身動きで目を覚まし、「ミィ」と鳴いて心配そうに見上げた。
「んー、モフモフ、エマ……おはよう……ふわあぁ……」
シャルロッテ姫殿下は、エマに抱きかかえられ、パジャマから着替えを始めたが、今日は、いつにも増して「可愛い」の調和がとれず、悩み始めた。
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エマは、いつものように三着ほどのドレスを選んだ。しかし、シャルロッテは、どれも「しっくりこない」「なんかちがう」と首を横に振る。
「うーん。水色のドレスは、今日の空の色とちょっと違うの。ピンクのフリルは、わたしの今日の心より、ちょっと元気すぎる……」
姫殿下は、クローゼット全体を解放し、ドレスの海に飛び込んだ。
ライラック色のドレスを着てみる。
「うーん、これは『哲学を語る時』のドレスだわ。今日は、そういう日じゃないの!」
ミントグリーンのドレスを着てみる。
「これは『自然を探検する時』のドレスだ。今日は、もっと、部屋の中で完結する可愛さが欲しいの!」
いつかイザベラも着ていた漆黒のモノトーンのドレスを手に取る。
「わあ、冷たい美しさが素敵! でも、今日は、もっと温かい可愛さが欲しい……!」
居室の床は、試着されたドレスのパステルカラーの布の波に覆われ、エマもモフモフも、姫殿下の飽くなき追求に、困り果てていた。
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ドレスが決まらないまま、アクセサリーに移る。
シャルロッテは、宝石箱から、真珠の首飾り、エメラルドのブローチ、金のティアラを次々と手に取る。
「この真珠は、お姉様みたいに優雅すぎる……。このティアラは、ママみたいに、真面目すぎる……」
「しっくりこないの! 今日のわたしに、ぴったりの可愛いが見つからない!」
シャルロッテ姫殿下は、焦りと、眠気と、こだわりが混ざり合い、本当に泣きそうになってしまった。モフモフは、シャルの足元で、心配そうに体を震わせた。
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その時、シャルロッテは、ふと、あるものに気づいた。
彼女は、床に散乱した、何の装飾もない、ただの小さくてシンプルなピンを拾い上げた。それは、エマがドレスの応急処置のために使っていた、地味で、機能的な道具だ。
シャルロッテ姫殿下は、そのピンを、自分の銀色の巻き髪に一本だけ、留めた。
そして、鏡を見た。
「わあ!」
シャルロッテは、フリルやレースの派手さを、すべて捨てた、最もシンプルな姿になっていた。その姿は、「私は、道具の可愛さに頼らない。私自身が、一番可愛い」という、究極の自己肯定に満ちていた。
「エマ! 決めた! 今日は、このピンが、アクセサリー!」
「ええっ、それでいいんですか、シャル様!?」
「うんっ!」
そして、彼女は、最終的に、一番最初にエマが選んでくれた、シンプルな水色のドレスを着た。
エマは、感動で涙ぐんだ。
「シャル様……究極のエレガンスは、道具ではなく、ご自身の純粋な存在にあるのですね」
シャルロッテは、モフモフを抱き、にっこり微笑んだ。
「えへへ。だって、『しっくりこない可愛さ』の答えはね、『道具に頼らない、ありのままの自分』だったんだよ!」
その日の朝、姫殿下の純粋な美学が、王城のファッションに、究極のシンプルさという、新しい哲学をもたらしたのだった。




