第二百十話「銀の巻き髪と、姫殿下の『消えてゆく大切な記憶』」
その日の午後、薔薇の塔の居室は、王族全員による「シャルロッテ姫殿下の記憶の探求」という、極めて厳粛な任務の場となっていた。
シャルロッテ姫殿下は、朝からずっと、銀色の巻き髪の先端を指先でクルクルと巻きながら、うーんと唸り続けている。
「うーん……ねえ、モフモフ。わたし、すごく、すごーく、大切なことを思い出そうとしているんだけど、あと、ちょっと! 何だったかなあ?」
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兄姉たちは、妹のこの「あとちょっと!」の状態が、規格外の知性が、過去の膨大な情報にアクセスしようとしている、重要な局面だと察し、全力を尽くした。
マリアンネ王女は、ペンを手に、姫殿下の魔力波動を解析し始めた。
「シャルロッテ、その波動は、『遠い過去の、水と音と、幾何学的な構造』に集中しているわ! それは、地下水路の謎か、王立学院の標本の記憶かしら?」
アルベルト王子は、執務室から王国の全記録を検索し始めた。
「妹の記憶は、常に『愛の哲学』に関わる。それは、『不完全さの肯定』か、あるいは『富の真の価値』か! はたしてどの概念が、今、最も重要なのか?」
イザベラ王女は、妹の頭を優しく撫でた。
「シャル、リラックスして。貴女が思い出そうとしているのはそ、新しいドレスのデザインかしら? それとも、世界一美味しいマカロンのレシピかしら?」
フリードリヒ王子は、剣を構えるポーズを取り、妹を励ました。
「シャル! 大丈夫だ! 兄ちゃんが、その思い出そうとしているのを邪魔している記憶の敵を、剣でやっつけてやる! だから勇気を出すんだ!」
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シャルロッテ姫殿下は、家族の愛と知的なサポートの渦の中で、ますます混乱した。
「うーん……水とマカロンと勇気……あと少しで思い出せそうなのに……」
彼女は、額に手を当て、懸命に記憶の霧を晴らそうとしたが、その「霧」は、濃くなるばかりだった。
そして、シャルロッテ姫殿下は、ふと、すべての力を抜いた。
「あ……」
彼女は、大きく息を吐いた。王族全員の視線がシャルロッテに集中する。
「ねえ、お兄様たち、お姉様たち」
彼女の銀色の巻き髪は、もうクルクルと巻かれていない。
「わたし、何を思い出そうとしていたんだっけ?」
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その瞬間、王族全員の、真剣な顔が、一斉に、愛に満ちた、脱力した笑顔へと変わった。
マリアンネ王女は、ペンを落として笑い出した。アルベルト王子は、書類の山に顔を埋めた。フリードリヒ王子は、剣を放り投げて大笑いした。
「ああ、シャルロッテ! 君は、本当に……!」
シャルロッテ姫殿下は、自分が家族を笑わせたことに気づき、モフモフを抱きしめて、にっこり微笑んだ。
「えへへ。でもね、みんなが笑ってくれたから、何を思い出そうとしていたかよりも、みんなが笑ってくれたことのほうが、ずっと、すごーく、大切なことになったよ!」
王族の愛と知恵は、妹の「消えてゆく記憶」という、小さな謎に敗北した。しかし、彼らは、愛と幸福感こそが、どんな知識や記憶よりも価値があることを、再認識したのだった。




