もう一つの運命(フィオーレ&カシアン) 〜書籍化記念SS
あの二人の運命の出会い。
ビター寄りの番外編です。
カラン、と小さくドアベルが鳴った。
「いらっしゃいませ。どんなお花をお探しですか?」――そう、声をかけようとしたフィオーレは、ふわりと香る香水に気づく。
花々の甘い香りを追い越して、初夏の風のような透明な香りが鼻腔をくすぐった。
瑞々しいシトラスを思わせるその香りに触れた瞬間、心臓が跳ねる。
「あの人だ」と、確信が胸を走った。
色とりどりの花が咲き乱れるこの店で、この透明な香りを連れてくるのは――
(……彼だわ!)
どきん、と胸が跳ねる。
届いたばかりのガーベラの下葉を摘み取っていたフィオーレは、そっと顔を上げた。
「――やあ。忙しそうだね」
顔を上げた瞬間、目が合った。
ほんの一拍、時間が止まったような気がして――
そのあとに落ちてきた声に、胸の奥がくすぐられる。
淡い陽射しを背に、長身の青年が立っていた。
やわらかな光を含んだシャンパンゴールドの髪。
上質な上着を軽やかに着こなしているが、隙のない立ち姿には鍛えられた気配があった。
覗き込むように向けられたエメラルドグリーンの瞳が、まっすぐフィオーレをとらえている。
(……やっぱり、綺麗な人)
その視線が、ほんのわずかにやわらいだ気がした。
まるで――フィオーレを見つけてほっとしたみたいに。
(……何を考えているの、私)
あり得ない考えに、フィオーレは軽く頭を振る。
彼が自分に会いに来た――なんて、そんなことはあり得ない。
勘違いも甚だしい。
(だって……彼には、婚約者がいるもの)
以前、店を訪れたとき、彼は「婚約者に贈る花を選んでほしいんだ」と言っていた。
こんなに素敵な彼なのだ。
花屋の店員の自分に、会いにくるはずがない。
たとえどれだけ優しく微笑まれても――
そこに特別な意味など、あるはずがない。
フィオーレは小さく息を吸い込んで、波立つ心を落ち着かせてから、口を開いた。
「いらっしゃいませ。今日はどんなお花をお探しですか?」
「そうだね……明るい花を頼もうかな。――とても頑張っている人なんだ」
つきん、と理由もなく胸が痛む。
「それは素敵な方ですね。では……このオレンジのガーベラはどうですか?」
フィオーレは、手元にあった一番鮮やかな一輪を差し出した。
「花言葉は『冒険心』です。……何かに向かって一生懸命に頑張っている方に、太陽のようなこの色が元気を届けてくれると思うんです。
これに、白いかすみ草を合わせれば、もっと素敵な花束になりますよ。オレンジの強さを、優しく引き立ててくれるんです」
自分の恋心を「冒険」することさえ許されない切なさを隠して、フィオーレは努めて明るく笑った。
「確かに――似合いそうだ。それを包んでもらえるかな?」
差し出した花を見つめ、少し思案した彼は、ふっと表情をやわらげた。
――『とても頑張っている』、その人を思い浮かべているのだろう。
「では、すぐにお包みしますね」
影を差す心に蓋をするように、フィオーレは微笑んだ。
手早く花の長さを切り揃え、保水用のコットンを茎に巻く。
柔らかな薄紙の上にガーベラとかすみ草を横たえ、花の顔が一番美しく見える角度でふんわりと包み込んだ。
「……仕上げに、このリボンを。あなたの髪と同じ色の、柔らかなシャンパンゴールドのリボンを添えれば、きっと喜んでいただけますよ」
丁寧にリボンを絞り、綺麗な蝶結びを作る。
「……はい。お待たせしました」
「ありがとう。――これを、君に」
完成した花束を手渡すと、受け取ってくれた彼が、そのままフィオーレへと差し出した。
「……え?」
思考が、止まる。
「頑張る君に、渡したかったんだ」
フィオーレは、息を呑んだまま彼を見上げる。
「この前、君が話してくれただろう?あの火事のときのこと」
あのとき――
花束を包みながら、ふとしたきっかけで劇場火災の話になった。
「僕もあの場にいたんだ」と笑い合って、気づけば時間を忘れて話し込んでいた。
あの火災でフィオーレは、すぐに街の消防隊員に救助されたこと。
その隊員が避難の途中で、フィオーレをかばって怪我をしてしまったこと。
実は片田舎に住む男爵家の娘だということ。
本当なら領地に戻るはずだったけれど、恩返しに王都に残って、その隊員が営む花屋を手伝っていたこと。
ふわふわした気持ちのまま、たくさんのことを話した。
初めて会った人に、どうしてあんなにも自分のことを話してしまったのだろう。
「私はただ――当たり前のことをしてるだけです」
「いや、誰にでもできることじゃないよ。だって君、貴族のご令嬢だろう?それなのに、平民のために働くなんて、なかなかできることじゃない。君は――とても心の優しい人なんだろうな」
ドキドキと胸が波打つ。
フィオーレは特別なことをしたつもりはない。
けれど、どうして彼の言葉は、こんなにも響くのだろう。
(ダメよ。彼には婚約者がいるのよ。……そんなの、許されないわ。もっと、早く―)
「……僕たちは、もっと早くに出会うべきだった」
ドキン!と胸が大きく高鳴った。
「――そう思えて仕方がないんだ」
「私も……!」
彼も同じことを考えていた。
思わず、同じ想いがこぼれた。
どうしてこんなに彼に惹かれてしまうのだろう。
彼はただのお客さまだと、自分に言い聞かせながらも、いつだって彼のことが頭から離れなかった。
一目見た瞬間から、惹かれていたのだ。
この、強く惹かれる想い。
これは――きっと、運命だ。
その「運命」の裏側で、別の物語が静かに動き出していることなど――
フィオーレには知る由もなかった。
4/1、角川ビーンズ文庫様にて、書籍発売です!
応援してくださった皆様のおかげです。
ありがとうございます!
その「めっちゃありがとう!!」の気持ちをいっぱい込めて、記念のショートストーリーをお届けします。
……記念に、なぜこの二人!?な、そんな二人のストーリー。
『婚約者のいる人を好きになったわけじゃない。
好きになった人に、婚約者がいただけ――
ただ、それだけのことだった。』
あ。でも、なんだろう。
こんなふうに書き足すと、許されちゃう感じ……
いやいや。
私は認めんぞっ!
そして……
書籍版では、マーサやアシュリーの心の揺れや運命を、より深く掘り下げて描きました。
また違う、彼女たちの新しい一面を見届けていただけたら嬉しいです!




