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八十一話 花見酒

 星貴妃の風呂場は御湯殿『桃の湯』と呼ばれ、独立した離れにある。

 紺々、麗美を含めた女官達を十名ほど引き連れて星貴妃と珊瑚は移動した。

 風呂の世話をさせないと言ったのは本当のようで、女官達は膝を折って星貴妃を見送る姿勢を取る。たぬきは紺々の隣で、キリッとした顔でお座りをしていた。

 顔を上げると、嫣然えんぜんと微笑む星貴妃と目が合う。手を振り、共に来るように命じられた。

 珊瑚は覚悟を決めて、湯殿の中へと足を踏み入れる。

 脱衣所は火鉢が焚かれ、暖かい。

 内部は白亜の大理石で、女官達の風呂場とは違い贅が尽くされていた。

 星貴妃は迷いのない足取りで進み、服を脱いで用意されていた籠に入れる。

 ここで、珊瑚は毎回紺々が脱衣を手伝ってくれたことを思い出す。


「ひ、妃嬪様、お手伝いを」

「よい。お主も脱いで、私について来い」

「は、はい」


 ひと時も傍を離れてはいけない。そう思い羞恥心を捨てて珊瑚は帯に手をかける。


 一糸まとわぬ姿となったが、手にはしっかりと三日月刀を握る。

 そんな珊瑚を見た星貴妃は、くすりと笑った。


「お主は、そんな状態でも勇ましい」


 珊瑚はどういう反応を示していいのかわからず、顔を真っ赤にさせながら消え入るような声で「ありがとうございます」と言葉を返した。


 刺客が潜んでいる可能性もあるので、珊瑚が先に入る。

 星貴妃専用の風呂場は、薬草の匂いが立ち込めていた。


「この湯は――」


 緑がかった白濁の湯を見て驚く。匂いも、漢方のような独特のものであった。


「薬湯だ。地方の湯守に頼んで、特別な湯の素を作ってもらっておる」

「そう、なのですね」


 保湿、保温、発汗、美肌の効果があるらしい。


「神経痛や、肩凝り、腰痛にも効くぞ」

「素晴らしいです」


 星貴妃の行う、ささやかな贅沢らしい。


「今まで誰も入れたことがなかったが、珠珊瑚、お主は特別だ」

「ありがたき、幸せでございます」


 星貴妃は体を布で隠すことなく、ズンズンと大股で浴槽へと進んで行く。


「まずは、体を温めよ」


 桃の湯は、湯船までも大理石であった。壁も天井も床も、真っ白である。

 浴槽は地面を掘って作られており、階段を下って湯に浸かる。

 星貴妃一人のものだからか、そこまで大きくない。

 大人二人がゆっくり浸かれる程度だ。薬湯を楽しむために、大きく造らなかったようだ。

 珊瑚は三日月刀を床に置き、桶に湯を掬って星貴妃の背中を流す。

 星貴妃は階段を降り、湯に浸かる。珊瑚もあとに続いた。


「ふむ、よい湯だ」

「はい。とても、気持ちがいいですね」


 温かな湯に浸かり、珊瑚の緊張もいくらか解れる。ただし、護衛としてこの場にいるので、気を引き締めることは忘れない。


「珊瑚よ、すまない」

「え?」


 星貴妃の突然の謝罪に、珊瑚は目を丸くする。


「汪家の者のいる前で、お主を女だと言えなかった」

「それは――」


 もしも、女だと露見したらどういう扱いを受けるかわからない。

 だから、その点は気にしていなかった。

 星貴妃は珊瑚が女であると言わなかった理由を語る。


「汪紘宇がいなくなった今、牡丹宮の女官達は、珊瑚が男であるほうが安心できるだろうと思ったのだ。もちろん、女であるお主が頼りないと言っているわけではない」


 この国では、男が女を守ることが自然の摂理となっている。

 それは、簡単に覆ることではない。女官達を思って、このような判断をしたようのだと星貴妃は言う。


「たしかに、私の女である部分は、とても弱いです」

「その弱さが、お主の可愛いところではあるのだが」


 またもや、反応に困ることを言われた。

 どう答えようか迷っている間に、星貴妃はザバリと湯から上がる。

 白い肌は湯に浸かって火照っていた。十分体は温まった状態にある。


「あの、星貴妃、お世話を――」


 断られると思ったが、振り返った星貴妃は「好きにせよ」と言葉を返した。


 他人の世話をすることは、初めてである。

 星貴妃の白い肌は、白磁の陶器のようであった。珊瑚が触れたら壊れてしまいそうな、そんな繊細さがある。


 紺々にしてもらっていた世話を思い出しながら、慎重な手つきで星貴妃の髪に触れた。

 まずは、粉末の洗髪剤を湯で溶き、濡羽ぬれば色の髪を洗う。

 仕上げは櫛を使い、椿油を揉み込む。

 緊張でドキドキと胸が高鳴った。

 体は絹の垢すりを使う。恐々(こわごわ)と、星貴妃の腕を洗った。


「――ふっ」


 笑われたので、珊瑚はぎょっとしてしまう。何か、失敗をしてしまったか。


「す、すみません! 何か、失敗を?」

「いいや、あまりにも真剣だから笑っただけだ。よい、そのまま進めよ」

「はい」


 星貴妃の体が冷える前に、なんとかお世話を終えることができた。ホッと息を吐く。


「では、私は湯に浸かっているから、お主も体を洗え」

「はっ!」


 星貴妃はどこからか細長い壺を持ち出し、湯船の縁に置く。

 開けた蓋に注いで、チロリと舐めた。


「妃嬪様、それは?」

「隠し酒だ」


 桃の湯は寝屋同様に脱出口があるらしい。そこに、酒を置いていたのだとか。


「ここで酒を飲むのが、私の楽しみなのだ」

「それはそれは……」


 危ないのではと思ったが、いつもは女官を脱衣所に置いているらしい。物音がしなくなったら、声をかけにくるのだとか。


「今日は花見をしながら、酒が飲める。贅沢だ」

「花、ですか? 花はどこに……」


 大理石に花の意匠が彫られているのかと思っていたら違った。


「花は珊瑚、お主の背中に」


 星貴妃の言う花とは、珊瑚の背中に刺された庚申薔薇ロサ・キネンシスである。


「美しく、見事な花だ。酒も美味くなる」


 そんなことを言いながら、星貴妃は花見を楽しんでいた。

 珊瑚を連れてきた理由はこれが目的だったのだと、気付き脱力することになる。


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