第39話 北の地へ
マルマラを出発してから、丸2日。
ガラガラと車輪が音を上げて、2頭立ての馬車が街道を北上していく。御者台のエレナが、少し寒そうにローブのフードを被った。
南方の大街道を旅していた時と比べて、明らかに肌寒くなり、レオンはくしゃみを連発していた。空は灰色の厚い雲で覆われ、日光を遮っている。
「雨にならないといいんだけど……」
馬の手綱を握りながら、レオンが空模様を気にし始めた。
西の大陸で各地を放浪していたリディアは何ともないが、温暖な地方で生活していたレオンとエレナは、寒いのは苦手であった。
「あ~ら、この程度の寒さで風邪をひいたの? そんなんじゃ北部の寒冷地帯は旅出来ないわよ。そろそろ防寒具買わないとね」
荷台から顔を出したリディアが、レオンとエレナ両名の後頭部を、ポンポンと軽く叩いた。
時を置かず、雨となった。荷台の幌に降り注ぐ雨が、ポツポツと音を立てる。レオンに促されて、エレナが荷台へと移った。
「ちょうどいい。あそこで雨宿りしながら、食事にしよう」
道端に荒れ果てた廃屋があった。どうやら、旅人相手に食事を提供していた店だったらしい。看板の文字はかすれて判読出来ないが、グラスと料理を象った鉄製の飾りが、その名残を留めていた。
かろうじて屋根が残っている納屋へ馬車を停めると、レオンたちは中へ入った。
屋内は埃まみれで、およそ20席ほどの椅子やテーブルもそのまま放置されていたが、一時雨を凌ぐには十分であった。
床板が腐って地面が露出している所で、油を染み込ませたぼろ切れとエレナの呪文で火を起こし、暖を取る。薪が足りないので、シャドウが手近な椅子を破壊して、火にくべていく。
「屋内で焚き火とか、変な感じね」
「普通はだめですけど、これだけすきま風が吹くんですから、煙が充満する事はないですよ」
簡単な食事を終えると、リディアが切り出した。
「これからどうするの? 地図によると、このまま北上したら、白銀山脈に沿って北東部に行く事になるけど」
白銀山脈とは、中央大陸北端の国アキシスとエリクセンの境に連なる山々である。山頂部は1年中、雪と氷に覆われているのが名前の由来で、人を寄せ付けぬ峻険さで知られていた。
両国を繋ぐのは、1本の細い山道のみであり、近年はそれさえもアキシス側が封鎖していた。ほぼ鎖国状態で情報の少ない、謎に満ちた国である。
「……まさか、アキシスに乗り込むのですか? ボルダンとは比較にならないくらい、国境を越えるのは難しいと思います」
エレナが不安を吐露すると、レオンはしばしの沈黙の後、口を開いた。
「……2人には黙っていたけど、実はあの死霊使いとの戦いの後、シャドウが最終的な目的地を教えてくれたんだ」
「えっ、どこなんですか」
レオンはシャドウをチラッと見やったが、特に反応は無かった。
「……鉱山都市グリムガル」
「え~っと……どこ? この地図には載ってないみたいだよ」
目を凝らして地図を調べたリディアが、諦めて首を傾げた。そこでエレナが、以前エステル大橋を渡った先でレオンとシャドウに語った、グリムガルと魔唱石戦争について説明した。
「ふ~ん、そんな事があったんだ。高位魔術師数百人の合体呪文とか、さぞ凄まじかったんだろうね。この空白地帯がそうか。で、そこを目指す理由は? 王国がそこへ至る唯一の道を閉鎖してるんでしょ」
「それは……。僕も聞いてないから、答えようがないんだ」
「フフッ……。来るべき時が来れば、教えますよ。まだグリムガルへ向かうつもりはありません」
「…………」
(数日前、まだ機が熟してない、と話してたけど……。)
レオンはシャドウとの会話を思い返していたが、結局、シャドウにそう言われると、全員それきり静かになった。
雨が止むとすぐに廃屋を後にし、しばらく道なりに進んでいると、草地に森が点在する場所で、突如モンスターの襲撃を受けた。
老婆のごとき顔を持つ、醜悪な怪鳥ハーピーと、犬のような外見で、粗末な革の鎧と幅広のブロードソードを装備した、コボルトの群れである。それぞれ十数匹ずつは確認できる。
道端には、運悪く襲われたのであろう、旅人らしき数人がズタズタに切り刻まれ、惨殺されていた。レオンたちも、これまでに何度かモンスターに襲撃されたり、追い回されている旅人を救った事はあったが、これほどの惨状は初めてだった。
新たな獲物の出現に、モンスターが驚喜の叫び声を上げる。しかし、相手が悪かった。
レオンたちが一斉に馬車から飛び出る。空を舞うハーピーはエレナの呪文“疾風の刃”で撃ち落とされ、地表で悶えている所を、シャドウが鋼鉄のメイスで叩き潰し、止めを刺していく。
コボルトは、レオンとリディアが魔法を使うまでもなく、次々と斬られあっという間に蹴散らされた。逃走を図った数匹は、リディアが飛ばした電撃で斃れた。
「ふんっ、竜神の祠にいた連中に比べたら、ザコよ。ザコ!」
おーっ! と槍を突き上げ、リディアは高らかに勝鬨を上げた。
モンスターを苦もなく全滅させたものの、レオンの気は晴れなかった。
「もう少し早く到着していれば、あの人たちを助けられたのに」
「気に病む必要はありません。運命だったのでしょう」
シャドウは通行の邪魔になるモンスターの死体を、道端に放り投げながら、レオンを慰めた。
「炸裂!」
ドンッ、という爆発音と共に、土砂が舞い上がった。草地が抉られ、ぽっかりと穴が空いている。
「どう? アースドラゴンから授かった地系呪文は、迷宮脱出だけじゃないのよ」
「レオ様、この人たちをこの穴に葬ってあげたいと思います」
リディアが作った穴に、埋葬をするという。正視に堪えない無惨な旅人の死体を、エレナは健気にも、自らの手で運ぼうとした。
「エレナ、私がやりましょう」
シャドウが申し出て、代わりに運んだ。作業を終えると変身し直して、血が付いた体は綺麗になっていた。
「つくづく便利な能力ね……。ん? 誰か来るよ」
リディアが指差した方を見ると、南から冒険者の一行がやって来た。リーダーらしき青年が、驚いて声を掛けてきた。
「このモンスターは、あなたたちが倒したのですか?」
「そうですが」
「我々は冒険者ギルドの依頼で、街道筋に巣食うモンスター退治を請け負ったのですが……。まさか倒されているとは」
「では、あなた方が討伐した事にすればよろしいでしょう」
「えっ、それは……。金貨30枚の依頼ですよ。我々に譲ると?」
冒険者たち5人組が、ざわざわとしている。
「構いません。私たちはギルドに登録もしていませんし。遠慮せずにどうぞ」
困惑する冒険者たちをよそに、レオンたちは馬車に乗り込むと去っていった。
森を抜けると視界が開け、見渡す限り畑であった。右手に川が流れており、水車小屋がいくつもある。川沿いに進んでいると、集落が見えてきた。
「今日はあそこに泊まろうか。……? 様子がおかしい。急ごう」
主人の意を汲んだのか、2頭の馬が急に駆け足になり、馬車の速度が上がった。
集落が近付くと、あちこちから黒煙が立ち上り、女子供が逃げ惑っている。どうやら、火を点けて回る不届き者がいるらしい。
「エレナ、馬を頼む!」
手綱をエレナに託すと、レオンは御者台から飛び降りて、川辺で精神を集中した。
「……水を司どるアクアドラゴンよ、その清浄なる力を示せ!」
レオンは川の水を使って水竜アクアドラゴンを召喚すると、大量の水を広範囲に放射して、瞬く間に鎮火した。
村人の中には、呆気に取られて立ち止まり、ずぶ濡れになる者や、水流に吹き飛ばされて多少擦り傷を負った者もいたが、思わぬ救世主の登場に歓声を上げた。
「精霊術って、こんな使い方もあるんですね。さすがレオ様です」
術の影響で少しよろめいたレオンを、シャドウが支え、エレナが抱き付いた。
西の方角へ、10人前後の男たちが逃げ去っていく。
「ん~? 放火はあいつらの仕業なのかな」
リディアが民家の屋根にフワリと跳び、その光景を眺めた。
レオンたちが少し先で馬車を停めると、村人が集まってきた。
「今のはあんた方がやったのかい?」
「あんなすげぇ魔法があるんだな」
「助かったよ」
レオンは治癒魔法で軽い火傷や擦り傷を負った者の治療も行った。村人たちがますます感激し、お礼の言葉を述べていると、リディアが気絶した少女を背負ってきた。
「物陰に倒れてたの。この娘も診てあげて」
びしょ濡れの少女を下ろすと、村人たちが騒ぎだした。
「誰だ? この娘は」
「知らねぇな」
「ひょっとして、あいつらの仲間か?」
殺気立つ村人を、レオンが抑える。
「待ってください。どういう事ですか?」
「何ヵ月か前から、西の廃城に盗賊団が住み着いたんだよ。危害を加えない約束で何度も食料や金品を渡してたんだ」
「そうそう。で、数日前にもう差し出す物が無いと言ったら、焼き払いに来やがった。あんまりだ。その頭領っていうのが……」
「やめておくれ!」
その声の主は、70歳ほどの老婆のものであった。
「名前なんか出すんじゃないよ。聞きたくもない」
そこへ、村長がやって来た。
「皆の衆、鎮まりなさい。フロイ婆さんも。旅の御方、冒険者かな? 村を救って下さり有り難うございます。今夜は我が家へご逗留くだされ」
「村長、この娘はどうしたものだろう」
「盗賊団の一味だとしたら、対応を考えねばなるまい。とりあえずワシが預かる」
(また面倒な事に巻き込まれたかな……。)
気絶した少女を馬車の荷台に横たえると、レオンたちは村長の後を付いていった。




