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20,XY

 理は眉をひそめて訊いた。

「あなたは僕の父親が誰か知っている。そうですね?」

「まあね」

「それは、馬場忠穂である」

「まあね」

「じゃあ…、どこが間違ってます?」


「質問しよう。君は自分が佐津川辰巳の実の子どもではないかと思ったかね?」

「……いいえ」

「その根拠は?」

「なんとなく……」

 教授は笑ってチッチッチ、と指を振った。

「ごまかすなよ? じゃあわたしから一つ、完璧な君の、明らかに他人より劣った、肉体的弱点を指摘してやろう。

 君は、左右の視界の統合失調がある。簡単に言えば、物を立体的に見るのが苦手だ。違うかい?」

 理は黙って、認めたがらなかった。

「まったく駄目なわけじゃないから日常生活に支障を来すことはないが、速いスピードで目の前に迫ってくるような物を捉えるのは苦手だ。距離感が掴めない。だから、君は人一倍運動神経がいいから経験的な計算で誤魔化しているが、例えば、テニスなどの球技は苦手だ」

 どうだ?と教授は得意そうに笑った。

「それは必ずしも遺伝するものではないが、同じく高い運動能力を持ちながら、元プロテニスプレーヤーが父親とは、君はなかなか思えなかったのじゃないか?」

 理は、ふうっとため息をつき、認めた。

「その通りです。どうやら僕は物を見るのが苦手らしいです。実は球技は大の苦手です。

 どうして分かりました?」

 教授は左右の目に指で作った丸を当て、

「明川君も立体顕微鏡を覗くのが大の苦手でいつも苦労していたよ」

 と、それがヒントだ、と言わんばかりに笑った。

「それは、必ずしも遺伝するものではないんですね?」

「ああ、そうだよ」

 理はなんだか本当に自分の存在が恐ろしくなってきた。


「僕は、いったい誰なんですか?」


 教授はちょっとがっかりしたように頭を振った。

「確かに、君は明川君に比べるとまとも過ぎるなあ。まあ、仕方ない、今後に期待と言うことで教えてあげようか。

 と、偉そうなことを言いながら、我々が君の正体を突き止めたのは割と最近のことだ。明川君の生前は彼女のガードがきつくて君からサンプルを採取することが出来なかったからね。

 君は、98パーセントの明川理花だよ。

 つまり君は、

 男版の、明川理花だ」


「僕は、母さんのクローン?」

 理は考えた。

「まあ、子どもの頃からさんざんお母さんそっくりと言われてきましたからね、僕もそう考えたことはありますが、母さんが僕をそういう風に作ったとは思えませんねえ?」

「何故?」

「第一、僕は男です。母さんのクローンではあり得ません」

「だから98パーセントと言っただろう? 確かに、君は馬場忠穂君の息子だよ。わずか2パーセントだけね」

「それはつまり、Y染色体ということですか?」

「その通り。よく勉強しているね? そもそもY染色体は男性しか持たず、男親からしか遺伝しない。だから男の子の君が女親のクローンではあり得ない。と言うのは既に数十年前の常識だ。やろうと思えば、その程度のこと、机の上のシャーレの中で出来てしまうのだよ」

「出来るとなればやってしまうのが人間でしょう? そういう風にして生まれた人間なんて、聞いたことありませんよ?」

「そうだね。可能ではあるが、精度が著しく低い、と言うのが現在も現状だろう。そもそも人間のクローンを作るのだって、倫理面はさておき、技術的に問題は多い」

「それでも僕は母さんの『ほぼクローン』なんですか?」

「その通り。それは、既に遺伝子検査で確認済みだ。君の遺伝子は98パーセントどころか、99パーセント以上明川理花君と同一だ。Y染色体の遺伝子数はX染色体の遺伝子数のわずか7パーセントに過ぎないからね」

「母さんは『出来損ないの自分』が出来る危険が大きいのを承知の上で自分のクローンを作ったんですか?」

「だから我々は興味深く君を観察している」

 教授は冷徹な研究者の目で理を見て言った。が、すぐにその目を柔和に笑わせた。

「君は君のお母さんが君をそんな出来損ないに生んだと思うかい?」

「いいえ」

「我々もだ。

 我々は明川君の天才性の足元にも及ばない。正直彼女がどのようにして君のような完璧なクローンを作り出したのか?、見当は付いても具体的な方法はさっぱり分からん」

「見当は付くんですか?」

「単なる憶測だ。

 何故、クローン生物は短命なのか?

 理由、と言うか、原因はいろいろあるだろう。原因となるのは単なる技術的洗練が足りないと言うことかも知れない。

 しかしそれ以前に、クローンは長生きしないように『出来ている』、生物の仕組みがあるのだろう。

 クローンを作るのは簡単だ、受精卵から核を抜き取り、クローンの親の体細胞を入れてやればよい。

 動物の設計図が遺伝子であり、細胞は遺伝子によって活動を制御されているのだから、その遺伝子を入れ替えれば細胞はその遺伝子に従って活動するはずだ。が、

 果たして生き物の仕組みというのはそう単純なものだろうか?

 生まれたての赤ん坊の遺伝子と、90過ぎの老人の遺伝子が、はたして、同じなのだろうか?

 生き物の肉体を制御しているのははたして一方的に遺伝子なのだろうか?

 遺伝子は、肉体の影響を受けないのだろうか?

 わたしは遺伝子も制御している肉体=細胞からのフィードバックを受けて何らかの変化を起こしていると考える。

 遺伝子そのものもヒトの生涯において不変ではないのだ。

 年寄りの遺伝子は、やはり年寄りなのだ」

 教授は、おっと、つい講義が過ぎたかなと肩をすくめた。生徒の理が問う。

「その理屈なら、僕は母さんの寿命から僕を作った年齢を引いた寿命しかない、ということになりますか?」

「普通のやり方なら、そういうことになるのじゃないかと思う。

 だが、天才明川君がそんなレベルの低いことをするわけがない。細胞と遺伝子の関係がわたしの推測通りなら、明川君は、遺伝子の年齢をゼロに設定する方法を作り上げたのだろう。

 おそらく明川君はまず自分の遺伝子と子どもの遺伝子を比較検討したと思う。しかしおそらくそこに年齢差の謎を解く鍵は見つけられなかったと思う。受精卵に体細胞を入れ替えると遺伝子のその体細胞の部位特有のコードがクリアされることは分かっている。しかしそれでも動物のクローンは短命に終わり、年齢に関するなんらかの変化はクリアされない。

 そこでおそらく明川君が行ったのは、ゼロから、自分の遺伝子と同じ塩基配列を持つ新しい遺伝子を作ったのだろう」

「人工遺伝子、と言うことですか? 出来るんですかそんなこと?」

「遺伝子を形成する物質はとっくに分かっているのだ、配列コードが決まっていれば、それを機械的に作ることは出来るよ」

「じゃあ…、出来るんですか?」

「いや。これまた複雑な多細胞生物を成長させる事に成功した人工遺伝子は現在も報告されていないよ。せいぜいウイルスやバクテリア程度だ。だが、そんなものでも、可能であることは可能なのだ。

 わたしは、明川君は受精卵の方にもなんらかの手を加えたのではないかと思う。生命発達を円滑に促す、いわばスーパー受精卵とも言うべきものを作り上げたのだろう。

 と、まあ、いかにも大げさな超最新化学を導入して、いかにもまるで生物ロボットを作り上げるような印象だが、肝心なのは、これは彼女自身の遺伝子であり、卵であり、父親由来の精子であると言うことだ」

「さっきは僕の冷凍精子説を否定的に採点したじゃないですか?」

「だって不自然だろう? 彼女は、おそらく、胎児からそれを作ったのだよ。堕胎した胎児の細胞からiPS細胞、つまり人工多能性細胞を作り出し、そこから精子を分化させたのだろう。君の男性たるY染色体の出所もそこだろう」

「……それはまた、ずいぶん悪魔的な考えじゃありませんか?」

「そうだねえ。天才明川理花君と言えども精神的な葛藤がなかったとは思わないよ。これを悪魔の所行と呼ぶか、我が子を生き返らせようとする母親の執念と呼ぶか、人それぞれだろうが、君は、どう思うね?」

「さあ? 僕は自分を否定することは出来ません」

「そう。最終的に彼女も自分を否定しなかった。研究の末、出来る、と自信があったから、実行したのだろう。

 それでだね、結局のところ彼女がやったのは、自分という生物のリフレッシュなのだよ。遺伝子のリフレッシュ、受精卵のリフレッシュ、胚のリフレッシュだ。わたしはいかにもそれらしく彼女のしたことを自分の知識で解説したが、彼女のことだ、我々がまったく思いも寄らない方法でそれを行ったのかも知れない。

 いずれにせよ彼女はこの凄まじい技術を、ひたすら自分のためにだけ作り上げたのだ。そして、最終的に自分の死によって封印してしまった。彼女がカネギ製薬の研究室に残した研究は、今も引き続き行われているはずで、いつか我々もその恩恵に預かれる日が来るとは思うがね。…ちと、時間が掛かりすぎて歯がゆいね。まったく、彼女の死が惜しまれてならないよ」


 理は教授の話を考えてみたが、さすがに高校1年生の知識で検証できるレベルの問題ではなかった。教授もニヤニヤ笑い、

「全てわたしの推測だ。実は君が性別を入れ替えただけの明川君の単なるクローンと考える方がずっと楽だし、もしかしたらその通りかも知れない」

「そう思いながら僕を観察しているんですか? いつおかしくなって死んでしまうだろうか?って」

「可能性としてはあると思うが、そんな残念な結果は期待していないよ。我々は今も明川理花の天才性のファンなのだ」

 と、その作品である理を愛しそうに眺めた。


「さて。第2問の解説はこんなものでいいかい? それでは、

 次の問題が何か、

 分かるかね?」

「僕が何故男なのか?」

「ふむ。何故だろうね?」

「僕が自分と同じ人間では父さんの子として困る。いずれ成長して自分と同じ『女』になってしまったら、父さんが娘をどういう目で見るか心配だ」

「ハハハ。そうだね。他に理由は?」

「遺伝的にもやはり父さんの子にしたかった」

「他には?」

「妊娠した子どもは遺伝的疾患があった。それは母親由来なんですね?」

「うん」

「では、X染色体の遺伝子に問題があったんです。減数分裂で半分になった精子と卵の染色体が合わさって通常の染色体に戻るとき、半分ずつの染色体が単純にくっつくのではなく、遺伝子の交換を行い、2本の染色体の遺伝子の配列が変わり、個体のさらなるバラエティーが増える。だが違う染色体であるX染色体とY染色体の遺伝子は交換が起こりづらく、男性としてY遺伝子の方が優先的に発現する。だから母さんのX遺伝子を発現させないために僕を男にする必要があったんです」

「0点。君らしくもない。それなら君にも前の子と同様の疾患が起きるだろう?」

「あ…、そうか。でも、それじゃあ……」

「悪い。意地悪をした。明川君が君を男の子にした理由は君を馬場忠穂君の子どもにしたかっただけだろう」

「でも、それじゃあ……」

「そうだね。君は遺伝子に、母親の遺伝子の問題点をそのまま受け継いでいることになる。君自身には問題はないが、君の子どもに引き継がれる問題がね。

 事実を教えよう。

 明川君イコール君の遺伝子は、普通の人間の遺伝子と比べ、異常に数が多く、位置にズレが生じているのだ、全般的にね。それが細胞に発現すると、ズレにズレが重なって、体組織になると形質や機能におかしな点が出てきて、ついに重大な疾患を引き起こす、というわけだ。当人はずれているのが当たり前で、それでバランスが取れているが、他の凡人の遺伝子と組み合わさるとそのズレが疾患になってしまうのだよ」

 教授は皮肉に頭を振って言った。

「数世代に渡り天才に天才を掛け合わせた末に誕生したのが明川理花だ。天才の遺伝子というのは、やはりどこかおかしな物なのかねえ? 遺伝子レベルで既に我々凡人とは別物なのだよ。彼女には元々、子どもを作る相手がいなかったのだ」


「では、僕も自分の子どもを作ることは出来ないんですね?」

「第4問。

 そこで、明川君は、どうした?」

「『どうした?』」

 理は怪しみながら教授を見つめた。

「それも調べて『答え』を確認しているんですか?」

「うん。確認済みだ」

 理はじいっと教授の目の奥を見つめた。

「僕と母さんには誰にも秘密の約束があるんです。それが母さんが僕のために用意した『答え』なんですね?」

「君と明川君の約束は知らないが、ま、そうなんだろうね」

 その答えを予想して、理はキイーーンと耳鳴りがした。


「XXXXXは君の母親によってXXXXXされている」


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