if:残酷な姿(BADEND)
ちょっとホラーチックなBADENDです。今までで一番酷い終わり方なので嫌な方は見ないことをお勧めします。ハイドリヒがまたもや誰かを好きになったら――ミラはどれほど絶望するだろうか。それを書いた作品でちょっとした狂気も含まれます。
「「「ハイドリヒ殿下、ご結婚おめでとうございま~す!!」」」
その声を皮切りに、一斉に歓声が上がる。
広場に集まった人々の顔には皆笑みが浮かんでいる。理由は知らないが、一時期王籍から外れていた王太子が結婚するのだから当然と言えば当然だが、その吉報に国中がお祭りムードだった。
ただし、それは表向きの話。
ある程度耳があり、情報収集に長けた人物であれば、素直に喜べないのが現状だろう。――参列している貴族たちが社交界で浮かべるような張り付けたような笑みを浮かべているように、国王夫妻が笑みを浮かべながらも内心で息子を見下げ果てているように…。実情を知る者たちからすれば華々しい結婚式がなんと虚しく感じられることか。
幸いにも、民のほとんどが事実を知らないからこそ結婚式らしい雰囲気が保たれているが、もしも民にも事実――この晴れやかな舞台裏で散っていった少女たちについて――が伝わっていれば、さしものハイドリヒであろうとも、満面の笑みで民の声援に応えることは叶わなかっただろう。いやそもそも祝福すらされなかっただろうことは用意に想像がつく。
ハイドリヒは王宮のバルコニー上で集まった民衆へと手を振っている。その姿は結婚式に相応しい白いタキシード。そして、傍らには取り立てて美人というわけではないが、素朴で優しげな雰囲気の女性がこちらは心から今日という日を喜び手を振っていた。
その表情はハイドリヒが王籍を外される原因となった少女アウラとは似ても似つかず、はにかみつつ喜びを表しかと言ってこのような大舞台に慣れていないのか緊張した雰囲気が漂うことからも女性がミラであるとも考えにくい。
――ではこの女性は一体誰なのか?
答えを語るためにはハイドリヒがあの舞踏会の騒動の後でどのような人生を辿っていたかを簡単に説明する必要があるだろう…。
まず、あの騒動で大きな処罰を受けたのは三人いる。一人は当然のことながら騒動を大きくする原因となった少女アウラだ。アウラはあの後すぐに衛兵に取り押さえられ、見苦しい最期を迎えた。
次にハイドリヒについて語ることにしよう。
ハイドリヒは一応騙された被害者であり、騒動については主犯格として上げられている。だが、先も述べたように被害者ということを考慮して精神的に鍛え直す必要があると考えた国王によって三年間最も辺境とされる地での兵役を命じられた。……もちろん、王籍を外された状態で…である。
その方面を預かっている将軍と陛下による直筆のメッセージを受け、兵士たちはハイドリヒを元王太子や王族としては扱わずあくまで自分たちと同等の存在であるように扱っていた。
元からある程度の才能があり、罪の意識から実直な仕事をしていたハイドリヒは初めこそ気に食わないという兵士がいたものの、次第に人心を引き寄せることに成功していた。
その中でハイドリヒは今まで自分が下の生活について知ろうともしていなかったことに衝撃を受けた。自分が生活していたのは彼らの苦渋の上に形成されているのだと改めて王族としての責任を実感したほどだ。
(陛下が定められた期間は三年――長いようで短い。一秒たりとも無駄になどできん!)
決意を改めにしたハイドリヒは罰であるために本来ならばありえないことだが、出世もしていった。これは彼と共に働く兵たちがハイドリヒを主君たる人物だと認めた証拠でもある。
忙しなくも充実した日々を送っていたハイドリヒに変化が訪れたのはもうすぐ一年が経過しようとしていた時期だった。その時期は、奇しくもかつてハイドリヒの暴走によって巻き込まれた少女――ミラの処刑間近だった。
『――ご苦労様です』
いつものように道具の整備をしていたハイドリヒだったが、その日は珍しく労いの言葉をかけられた。それも、今となっては聞くことがない上の身分の者から労いだった。
もはやハイドリヒを罪人として見る者はここにはいない。むしろ、彼らはハイドリヒがいずれは王位に返り咲くべき人物だとみている節が大きい。罪を忘れないために道具の整備などをやっているが、兵士たちはそれも自分たちがやると言うので隠れてやっているのが現状だ。それなのに、かけられた言葉。つまりは、相手がハイドリヒのことを知らない人物であるということだった。そして、その声はむさ苦しい場所には似つかわしくない――女性のものだった。
『あなたは…?』
見たことがない女性だった。
王宮で華にも宝石にも例えられる女性たちを見てきたハイドリヒからすればさして美人でもない至って平凡な顔立ち。だが、どこか安らぎを感じさせる……そんな女性だった。
『ご、ごめんなさいっ…。お仕事のお邪魔でしたか?』
『いや、そんなことはないが…』
ハイドリヒの存在を知らないので正確には勘違いだが、身分が上であるにも関わらず、こちらを気遣うような態度にハイドリヒはますますもって困惑していった。何と声をかけたらよいか。迷い始めた時に彼女を呼ぶ声が聞こえ、ハッとした彼女はそのまま立ち去ってしまった。
『……あっ』
名も聞かずに立ち去ってしまった女性に思わず手を伸ばし、何をしているんだとこのことを忘れるために首を振って作業に戻ったハイドリヒだったが、その日はどこか落ち着かないままだった。
そして、後日。
『――この間は申し訳ありませんでした!!』
先日の女性がハイドリヒの前で跪かんばかりの勢いで頭を下げていた。
『父から話を伺いました!あなた様の身分も!――本来ならば私のような下等貴族の娘が話しかけてはならぬ尊きお方であるあなた様に私はなんて失礼な態度をっ…』
『……いや、顔を上げてく……ください。私はあなた様に頭を下げられる身分ではありません』
うっかり『くれ』と言いそうになったのを寸前で言い直し、彼女の前で跪いて見せる。本来の身分はともかく、今は王籍を剥奪され平民である自分が貴族の令嬢に頭を下げさせているわけにはいかない――ハイドリヒはそう考えていた。
だが、この状況でハイドリヒがそのような行動を取ればどうなるか…。
答えはよりパニックになるだけだった。
令嬢は何とかハイドリヒよりも頭を低くしようとドレスが汚れるのも気にする余裕すらなく身を投げ出し、それにギョッとしたハイドリヒがなんとか起き上がらせようとすれば泣き喚く。結局のところ騒動を聞きつけた部下が責任者を呼んで来るまで二人の不毛な攻防が繰り広げられた。
『ハイドリヒ様、こちらをどうぞ』
『ありがとうターニャ。……それと、『様』はやめてくれ』
『そうはいきません!』
あれからハイドリヒとこの地方の貴族コッチネル子爵令嬢ターニャは交流を深めていた。
初めこそ互いに身分のことで対応に困っていたが、今ではちょっとしたネタみたいになっている。今だって断固として拒否するターニャの様子に二人は笑みを浮かべているのだから。
ハイドリヒは自分が罪人であると自覚しつつも、この癒しの時間に身を委ね始めていることも知っていた。だが、心の傷がある分彼女に本当に心を開くとは思っていなかった。
そんなハイドリヒが憔悴する事件があった。
それまで一度もここまで弱ったハイドリヒを見たことがなかった同僚たちはあまりの落ち込み様にかけることが出て来ず、遠巻きに見守るだけだった。
ターニャは今にも死んでしまいそうなハイドリヒを放っておくことなどできなかった。それまでは親しくなっても一定の距離を保っていた――少なくとも本人はそう思っていた――それでもこの日だけは違った。今にも消えてしまいそうなハイドリヒに抱き着き、何も映していない瞳に強引に自分を映させた。
『……タ、……ター、ニャ…』
徐々に焦点が定まったハイドリヒは気付けば零れ落ちる涙を止められなかった。ターニャはターニャでそんなハイドリヒを見て胸が締め付けられるのを感じ、思わず彼を胸に抱き寄せた。
――それからハイドリヒは人目を憚らず泣いた。涙が枯れても、声が枯れても泣き続けた。
泣き止んだハイドリヒはどうしてそこまで憔悴していたのか、その理由を話すべきか迷っていた。だが、ターニャはあえて触れなかった。心が受け付けないほどの傷を負っている彼から聞き出すべきではない。離したくなるまで待つべきだと思っていたのだ。
ターニャの好意に甘える形で関係を続け、次第に元気を取り戻していったハイドリヒが事実を語ったのはそれから一年後のことだった。
『実は、あの時――』
それからハイドリヒはかつて自分が犯した罪を語り、憔悴の原因を語った。
ハイドリヒはあの時、王都からの手紙を受け取っていたのだ。
内容はミラの処刑日が決定したというもの。手紙が届いてから一週間後ミラは処刑された。ミラはもうこの世にはいない。その事実を思い出した時、また胸に空洞が開いたような感覚を覚えたが敏感に察したターニャがそっと背中を撫でてくれる。
『俺は許されないことをした!それなのに、彼女を救うことができなかった…!』
『……あなたが悔やんでどうなるの?その人はもういないの。残されたあなたが出来るのはその人に恥じ入ることがないように精一杯立派になる事じゃないの?』
ターニャの励ましを受けて、立ち直ったハイドリヒは兵役が終わる時、ターニャに告白し国内で貴族の嫁を取ることが難しいと考えていた国王夫妻はこれを承諾したのだった。
そして、今日晴れの舞台となっている。
だが、彼らの頭の中にはある光景が刻まれていた。
「それでは、誓いの口づけを」
司祭からの言葉でハイドリヒはターニャの肩をそっと抱き寄せ、顔を近付ける。幸せ満杯の胸中でターニャも幸せを感じている。
《――さない》
(……んっ?)
何か聞こえた気がして動きを止める。きょろきょろと見渡してみたが、やはり誰もいない。
「…?如何なされましたか?」
「あっ、いや……何でもない」
気のせいだったのだろうか?気を取り直して再び顔を近付ける。だが、またしても何かが聞こえた。
《許さない!あんたはまた裏切った!!》
「っ!!誰だっ!?」
今度はハッキリと聞こえた。ハイドリヒはターニャから手を離し、周囲を見渡す。だが、誰も騒いでいないことに疑問を覚える。
(何だ?何故誰も騒がない!?)
不審な視線を向けられるハイドリヒは狼狽えながらも周囲を見渡す。だが、おかしいのはハイドリヒなのか誰もハイドリヒに賛同する様子を見せない。
《私たちを殺したくせに、幸せになんてなるなーーー!!》
「……私、たち…?」
そう聞いて、ようやくその声に心当たりがあった。その声は三年前に聞いた、声だった。アウラとミラ――二人の声が混ざったような感じでいまいちよく聞き取れなかったが、間違いない。自分に向けられた怨嗟の声はアウラが連行される時に聞いた恨みがましい声によく似ていた。
(――お父様、今日あなた様の下へ入ります。共に、地獄で罪を償いましょう)
処刑の日であっても私は最後までウェラー家としての誇りを忘れるわけにはいかなかった。
あの騒動から、約一年。本日は私の処刑日となっております。あの日からどれほど後悔していたか。もう少しうまくやれていればウェラー侯爵家を貶めることはなく、弟までも煽りを受けなかったのに…。
陛下の温情で私の処刑を間近で見守るニコライに申し訳なく思いながら、その横を通り過ぎる。
公開処刑ということもあり、処刑場には多くの野次馬が。それも私の罪だということで受け入れるしかない。せめて散り際は美しく――。
ちなみに、私の罪は禁止されている術を使用したとだけ世間には説明されている。術の詳しい内容については再び使用されないようにというお題目で秘匿されたようだ。
「それでは禁術使用の容疑で元ウェラー侯爵令嬢ミラの処刑を始める」
発せられた声に合わせて両膝を付けるように押さえつけられた。
刃が目の前で交差され、顔が上げられる。最期に罪人の顔をハッキリと見せるためだ。その時、私の耳は確かにざわめきを捉えていた。
(……おかしいですわね。私はおかしくなったのかしら?もしかして、既に死んでしまったのかしら?)
痛みなく首は飛ぶものなのかしら?そう思って視線を下に向けると、やはり慣れ親しんだ体はまだあった。どうやら勘違いではないらしい。
だとしたらどうしてこんなに…?今更、若い女性が死ぬことに罪悪感でもあったのかしら?
しかし、この時私はとてつもない勘違いをしていたことに気付く――気付いてしまった。
ふと眼を動かすとそこには鼻がある。
当たり前なのだが、それはマズイものだった。アウラの顔になってから幾度もチェックした。その鼻はもはや自分のものと断ずるに及ばないその鼻が――変わっていた。
少し低く、そして丸みを帯びた形。幼少の頃の記憶で定かではないが、自分の本来のものとも違う。
そこから導き出される答えは一つだった。
「うがああああああああああっ!!!!!!」
怒りで頭が真っ白になり、無意識のうちに絶叫していた。
「!!」
「…お、おいっ!暴れるな!!」
暴れだした私を抑えようとする兵士。私は男性に抑えられても力の限り暴れた。
(イヤッ!今、死ぬわけにはいかない!こんなっ、こんな惨めな死に方はしたくない!!)
状況が理解できない野次馬が恐怖で逃げ出していく。だが、お前たちが気付かなければ、悟らせなければ平穏に逝けたのに――恨まずにはいられない。
《――じゃあ、私と復讐しましょ?》
「!?」
今の声は…!
その瞬間、視界がひっくり返った。見れば悲鳴をあげてこちらに来るニコライがいる。
「忘れない。この怨みは決して忘れないっ!!」
生首となって転がった後でもまるで生きているかのように叫んだ。首だけになってもしばらく意識があったが、黒い何かに塗りつぶされるように自分の意思だけが消えていくのを感じていた。
「あ、姉う――ひぃっぃぃっ!」
「――!!」
駆け付けたニコライをはじめとしたミラの顔を見た者たちはその顔を見て慄いてしまった。彼女の顔は民衆が驚いたように確かに変わっていた。だが、その顔はまるでバラバラのパズルを組み合わせたかのように二人の女性の顔が入り混じっていた。
――そして、転がったミラは顔を歪めて……嗤っていた。
《許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない》
「や、やめろぉぉっ!!」
聞こえて続ける怨嗟の声に耳を塞いだハイドリヒ。子どものように蹲って何もかも拒む姿勢を見せるハイドリヒにターニャも、列席者も何が起こっているのかわからない民衆もどうしていいのかわからず動くことができない。
(忘れたわけじゃない!お前たちのことを忘れたわけじゃないんだ!!)
心の中でどれほど謝っても鳴り止まない声。
誰かに助けてほしい――そう思っていると、いつものように優しくターニャが手を差し出しているのに気付く。
(――そうだ。俺にはターニャが……)
だが、そんなハイドリヒの心をさらに壊す出来事が起こるのだった。
《駄目よ。誰かに縋っちゃ》
《そうよ。私たちのことを忘れてはいけないわ》
それまで重なっていた二人の声が別々に聞こえた。
ビクッとしながらも顔を上げたハイドリヒは顔を上げたことを後悔することになる。
「う、うわああああああああああああああああああああああっ!!!!!!」
絶叫。
これから妻になる人物を見てする反応ではない。心からの絶叫だった。この世のものではない。真恐ろしい存在を見たかのように叫び、後ずさる。
戸惑いを隠せないターニャ。王太子の反応にどうすべきかわからなくなる衛兵。ここまで怯えるのならばターニャが何かしたのかと捕縛すべきかどうかを窺う彼らだが、あまりにも原因がわからない。
そんな中、近衛隊の隊長が動き出した。
「…ハイドリヒ王太子殿下?如何なさいましたか?ターニャ様に何か問題でも?」
この時、隊長は別に間違った行動をしているわけではない。
彼は職務に忠実だっただけだ。
だが、今のハイドリヒの状態を見誤っていたのは否めない。
「……えっ??」
「「「隊長!?」」」
崩れ落ちていく隊長に駆け寄っていく部下たち。
駆け寄った部下は首から血を流し、目が虚ろになる隊長の様子から助からないと察すると隊長をこのような目に遭わせた張本人へと怒りの視線を向ける。
「――王太子殿下!!いったい、何をなさる!?」
そこには血に塗れた剣を持つハイドリヒの姿があった。
王族の婚姻の際、使用するための祭具である剣。本来ならば神にこの婚姻が正式なものであると宣言するためだけに使われるはずのそれが今は血で汚れてしまった。
先程、隊長はハイドリヒが何かぶつぶつ言っているので聞き取るために耳を近付けた。だが、近付いてきた隊長の顔を見たハイドリヒは瞠目し、その首へと剣を突き刺したのだ。如何に鍛えていようとも、そして祭具として危険の少ない剣であろうとも油断していたところに首を刺されれば耐えられようはずがなかった。
その後、暴れるハイドリヒは取り押さえられ――隔離された。
それは王太子であるハイドリヒに取る対応ではなかったが、彼が誰も近付けないほど――近付けば誰彼かまわずに暴れることからそうするより他がなかった。
「なんということだっ……!」
自室へと軟禁状態となったハイドリヒ。その部屋の扉越しに事情を聞いた国王はあまりの出来事に慄いたという。
そして、何も対策をしてこなかった自分を恨み、それでも息子を救うためにすぐさま手の者に命じて資料を集めさせた。
「ハイドリヒが言うには、婚儀の最中にミラ嬢とアウラ嬢この二人の声が聞こえて来たそうだ」
国王は集まった者たち――それも国を代表する者たちに今後の対応を話し合うためにハイドリヒとの会話を一言一句正確に伝えた。その中には、王妃とターニャの姿もあった。
そして、何故ターニャの顔を見て悲鳴を上げたのか…。
「…今、ハイドリヒの眼にはすべての人間が同じ顔に見えているそうだ」
その顔というのは、半分がアウラ。そして、もう半分は見たこともない女性の顔だったそうだ。だが、国王もハイドリヒもその女性が誰なのかはおおよその見当が付いている。
ハイドリヒはその素顔を知らないので困惑だけだったが、国王や王妃はその顔に直に会ったことがある。確認した特徴を考慮すると間違いなくミラ本人の顔だろうという結論に至ったのだ。
自分が命を奪った二人の少女の顔が張り付いている。それはどんな強靭な精神力を持っていようとも逃れられない恐怖――ましてや、ハイドリヒはそのことを悔やんでいたのだからより一層だろう。
その話を聞いて、国王たちが真っ先に思い浮かんだのは処刑の時だ。ミラの顔はハイドリヒが言うように半分はアウラそして、半分は見知らぬ女性の顔になっていた。
いや、今となればあれが誰だったのかはわかる。歪んでいたがあれはターニャの顔だったのだ。
ミラはだからこそ怨んだ。
罪の意識がある。そして、それがあるからこそ死を受け入れた。なのに、相手は何を悔いることもなく新たな恋をした。せめて自分が処刑されるまで我慢できなかったのか!?そう思いたくなるのも無理はない。
実際は、人の心など移ろいやすいものであり御することの方が難しい。弱っていたところに声をかけられたハイドリヒがそれに縋ってしまうのも無理はないことだった。
「…っ!!」
その話を聞いて居ても立ってもいられなかったのがターニャだ。愛する人のため、これから夫婦になる者の下へと駆け出していった。
その背中を見つめながら、集まった者たちは彼女以外にハイドリヒを鎮められる者はいないだろうとその背中を追うでもなく黙って見送った。
それが最後の過ちだとも気付かずに――
「ハイドリヒ!」
扉の外から聞こえてくるターニャの声にハイドリヒはビクッと肩を大きく震わせた。今、最も聞くのが怖い人物の声だ。
「ハイドリヒ、いるんでしょう?」
「…………」
ハイドリヒは堪えることができない。
答えて軽蔑されるのが怖い。愛した女性の顔が見れないこともつらい。何よりも自分が命を奪った女性たちが怖い。
「……理由は陛下から窺ったわ。だから聞いて!」
ターニャはハイドリヒが聞いていると信じて語りかける。
「確かに、あなたの心がお二人を裏切ったのは事実だわ。婚約者だと思っていたのならばミラ様について真摯であるべきだったと思うし、アウラ様の言葉を盲信するのではなく真偽を確かめるべきだったと思う」
そうすれば少なくとも二人が死ぬことはなかった。
改めて突きつけられる真実にハイドリヒはますます耐えられなくなる。
「――だけど」
だが、そんな彼を救うのはやはり彼女なのだろう。
「だけど、私はそれでもあなたと会えて嬉しかったわ!」
「!!」
「お二人にはなんと言ってお詫びしたらいいかわからない。お二人の犠牲の上に私の――私たちの幸せがあるのは知っている!だけど、私はそれでもあなたを愛したのっ!あなたの罪を知っても、あなたを愛する心は変わらなかった。
あなたが、悔いている姿を見て、あなたを支えたいと本当に思った!
だから、恐怖に負けないで!!
あなたの罪だというのならば、私も同じものを背負うから!!」
「……ター、ニャ」
「ハイドリヒッ!」
ようやく返ってきた反応にターニャは喜びの声を上げる。そして、しばらくすると鍵が開く音が聞こえ……ゆっくりとハイドリヒが姿を現した。
「……ターニャ、すまない。すまなかった」
数時間ぶりに見たハイドリヒの顔はやつれており、疲労の色が見て取れた。
愛した人が出てきてくれたことに感極まってターニャは抱き着いた。
「ハイドリヒッ!!よかった。…本当に、よかった」
背中に回される腕の温もりに包まれ、彼がここにいることに幸せを感じる。
「……がっ、あががっ―――」
「……?ハイドリヒ、どうかし……キャアアアッ!!!」
呻くような声を出したハイドリヒの様子を訝しんだターニャはそっと顔を上げる。そこには顔を青白く変色させたハイドリヒがいた。そして、その首には――ターニャの手がかけられていた。
「なっ、何っ!?何なのっ!!」
慌てて手を離そうとするが、まるで鋼鉄留められているかのように腕の自由が利かない。
困惑しているところにドタバタと足音が聞こえてくる。
先程の悲鳴を聞きつけた者たちがやって来ていた。
(助かった!)
そう思い、早くハイドリヒを助けてもらおうと声を上げようとした――
「ぐ、ぐご……っ!?」
だが、声が出せないことに気付く。
そこでようやく彼女は自分の首にハイドリヒの手が添えられ、自分がしているようにハイドリヒが首を絞めているのだということに気付いた。
気付いたら途端に苦しさが来た。
意識が飛ぶ。痛い。そんな感情を抱く余裕すらなくなっていた。
《――さあ、一緒に逝きましょう?》
死が近づき、幻聴が聞こえたのかどうかはわからない。だが、薄れゆく意識の中で聞こえた見知らぬ女性の声がターニャの魂を永劫の地獄へと誘っていったのだった。
駆け付けた兵士たちが発見したのは首を絞めあうハイドリヒとターニャの姿だった。
明らかに尋常ならざる様子の二人だったが、傍から見る分には笑みを浮かべており咄嗟の対応に困った。それでも、かなりの力で首を絞めつけているらしく首付近は紫色に変色し、顔色も悪い。声をかけるが、反応もない。
そして、近付いたことで彼らは気付いたのだ。
笑っていると思われた両名の彼らからは見えない反対側の顔はそれぞれ別の女性の顔であり、見ただけで恐怖を抱くような表情を浮かべていた。
これは尋常ならざる事態と判断した兵士たちはなんとか二人を引き剥がそうとするが引き剥がせず、このままではと思った兵士の機転により腕を切り落とした。
だが、それでも互いに手の力が緩まることはなく為す術もないままに二人は命を落としたのだった。
愛する者の顔になる禁術。他人の心を惑わせる術だが、何故必要以上に厳重に封印されていたのか。その理由を国王が知ったのはハイドリヒたちが死んでから半月以上が経過した時だった。
誇り被った書物。まるで呪うように書かれたおどろおどろしい文字。
そこには『愛する者の裏切りを知る時、愛する者は永劫の苦しみを受けるべし』と書かれていた。
これは愛する者の顔になることで好みの顔が二人存在する。だが、見抜くことが出来ずに両方に愛を囁けばいずれは真実の顔となり、裏切られた者は怒りで呪われる――そんな内容が書かれていた。
本来は二人を同時に愛するべきではないという呪いだったが、今回はアウラが死に死の直前にミラはハイドリヒに別の恋心が芽生えたことを知ってしまった。
それが、彼らを狂わせたのだ。
この後、禁術は記された書物の破棄が行われた。また、この事実は二度と引き起こされないように王族にだけ伝わることとなり、王族は戒めとして忘れないように心がけた。
そして、しばらくの間同じ顔を持つ者は不吉の象徴とされ、以後数百年双子が生まれることは凶事の前触れとされ双子狩りが行われるまでに至ったのだった。
考えていた話のストックもなくなったのでとりあえずこれで完結とさせていただきます。もしも、また話を思い付いてもこの話が最終話であることは変えないのでその時は割り込み投稿したことを活動報告にてあげさせていただきます。
それではまた別の作品でお会いできることを心より願っております。
2016年1月8日あなぐらグラム