↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
猊下が行く  作者: 魔法使い
第二章 新皇帝
PR
9/20

猊下と陛下、乱心

 ひとまずオルクスをスヴェートに押し付け、ハムは来客用の部屋に隔離した。ピアは長椅子に座ると、ルーシアに再び髪の毛を任せる。これを何とかしなければ客の前にも行けやしない。


「恐れながら、猊下。ローレンツ様ご本人にハムと呼びかけなさるのは如何かと」

「うっかりだ。うっかり。それに見て見ぬふり、聞いて聞かぬふりをするだろう」


 何かと厄介な事が多い己の身分もこういう時には便利だ。多少の奇行も『あのお方は高貴なお方だから』と見て見ぬふりをするだろう。例えば自分の侍女や使用人たちのように。


「それにしても一体兄は何をしにきた。約束もないのに。意味がわからない。それにあの男——将軍はこの地に残ったようだな」

「皇帝陛下がここへ攻め込む際にお連れになった兵たち。その大半が宮殿から姿を消したと報告にありましたね」

「ああ、側近クラスと魔法使いや己の身を守る直属の師団を残して……帰したのだろう」


 彼らの本国へ、とピアは付け加える。


「ただ油断はするなと伝えている。城下を警戒せよ。民の中に紛れ込まれては危険だ。もっとも黒幕が他国ならば、長々とここに自国の戦力を駐在させないだろうが……念のためだ。奴らがどうやって帰国したのかも我々には分からない」

「場合によっては助力のために再度駆けつけることもありましょう」

「その通り。だが迷惑な話だ。兄は皇帝となり、帝国軍を支配下に置いた。だから連中は引き上げたのだろう。私と兄が戦うことになれば帝国軍が使われる……。その結果、失われる人的資源、人命は我が国の国民だ」


 先行きを案じたのだろう。クロイツが黙り込み、沈黙が流れる。背後からルーシアが終わりました、とピアに声をかけた。

 一つ頷くとピアは立ち上がった。

 クロイツだけではない。ルーシアもどこか不安気な表情だ。二人の顔をそれぞれ見て、ピアは少し笑った。


「そのような顔をする必要はない。私が帝国と国民を守る。そなたらはそれを支える。何も不安になることはない」


 悪役になるとまで決意した自分は最強だ。兄よ首を洗って待て、とピアは笑うと踵を返して部屋を出た。

 待ち受ける敵と戦う為に。

 身分を考えれば兄オルクスのもとへ先に行くべきだ。だが、兄は約束もなしに突然現れた。こちらが忙しいのは知っているはずだし、スヴェートならば問題なく時間を稼げるだろう。

 そう考えたピアは先にハムの元へ行く事にした。庭園での自分の振る舞いは褒められたものではない。確かに身分は自分の方が上であるが、相手も有力な貴族の子息である。彼の実家ベーレイニガン家の影響力を考えれば、杜撰な扱いをして良い相手ではない。

 今度こそ、ちゃんと話すべきだ。そしてハム本人の意志も確認しよう。こちらが一方的にハムを婿とすると決めても、彼自身に覚悟がなければいずれ関係は破綻する。庭園での己の振る舞いを反省し、決意も新たにハムの待つ部屋へ向かった。

 ピアは廊下を歩きながら、先ほどの己の乱心を思い出す。我が事ながら呆れる。スヴェートに結婚を迫るなど我ながら血迷っているとしか言えない。

 彼は一級貴族の嫡男であり、婿入りなど出来るわけがない。それだけでなく彼はピアと血が近すぎる。スヴェートの父親はピアの母親の兄であり、母親はピアの父親の異腹とはいえ妹である。ただでさえ皇族は血が濃くなり過ぎ、不妊と短命という問題があるのだ。たとえ彼が長男でなかったとしても、婿候補には挙がらない。


「ローレンツ様はこちらでお待ちです」


 ハムの待つ部屋にまで案内した侍従が恭しく一礼し、扉をひらく。それに頷くと、ピアは覚悟を決めて部屋に入った。

 長椅子に腰掛けていたハムが慌てて立ち上がりピアを迎える。向かいに置かれた椅子に腰掛けて、彼にも座るよう促した。ぎこちなく再度腰掛けたハムの顔は緊張し、強張っている。

 ピアはさりげなく部屋を見渡した。ここには花もなければ、観葉植物もない。あるのは壁にかけられた美しい絵くらいである。ここならばハムがピアの存在を忘れて、植物と対話を始めることもないだろう。

 ピアが口を開くよりも先にハムが謝罪を始めた。


「さ、先ほどの庭園での私の言動をお詫びいたします。大変失礼いたしました」

「よい。気にしていない。むしろ私の言動の方があなたを不快にさせたのではないか、と思っている」

「滅相もないことでございます」


 ハムは慌てて懐から手巾を取り出し、額に浮いた汗を拭っている。


「ところで、一度しっかりあなたと話をしなければならないと思っていた。少し聞いて欲しい」


 ピアの言葉にハムは不安気な様子で頷いた。


「私はあなたが思っているような綺麗な人間ではない、と言うことを先に言っておきましょう。血生臭く、悪意や欲望が渦巻く世界にいる人間。そして私にとっては帝国と国民こそが全て。教皇の立場からすれば、信徒もそこに入るでしょう。それを守るために時に非情な判断や行動もする。必要ならば人の命を奪うことも厭わない」


 一旦言葉をとめ、ハムの顔色を伺った。

 青ざめるか、失望を浮かべるか、ピアは様々なハムの反応を想像していた。だが目の前にいるハムの反応は予想したそのどれとも違うものだった。ハムは瞳を輝かせて、身を乗り出し、うんうんと頷きながら聞いている。

 何かちょっとおかしい。

 ピアはその様子を訝しんだが、とりあえず疑問は置いておくことにした。まずは話を全てして、彼の意志を聞かねばならないのだ。


「つまり……そんな私の婿になるということは、血生臭く平穏とは程遠い世界の住人となると言うこと。勿論、婿となった者には何も政治的な立場は与えない。それでも全く無関係ではいられない。そして私は夫となった者を一番大切な存在とはしない。先ほども言ったが私にとっては国家と国民が一番優先すべきもの。勿論夫も国民であるから、守るべきものの中には入るけれど。あくまでそれだけの話。あなたはもし婿として選ばれたとしたら、それに耐えられ……っ!」


 耐えられるか、と聞こうとしたピアは突然ハムの両手で手を握りしめられた。驚きのあまり、絶句した。

 ハムは庭園での時と同じ様にキラキラした眼差しでピアを見つめている。

 一体ハムはどうしたのだろうか。

 ピアはきっと自分は今、困惑を顔に浮かべているに違いないと思った。だがハムはピアの困惑などどこ吹く風だ。


「猊下。私の気持ちは庭園で申し上げた通りです。猊下に抱くのは尊敬と憧れ。その気持ちに変わりありません。猊下が進まれる道は苦難の多い道であるというのは理解しております。もし猊下がお許しくださるならば、私はそれについて行きたい。向かい風に逆らって進み、時に向かってくる敵をなぎ倒し、血にまみれた猊下の姿はとてもお美しいことでしょう。私は是非そのお姿をそばで拝見したい」


 向かい風に逆らうはとにかくとしても、血にまみれたはどうなのだろう。思わずピアは首を傾げた。

 ちょっとハムは変なのかもしれない。

 目の前にいる陶然とした面持ちのハムの姿と彼が語る内容は、ピアの予想を遥かに越えていた。


「父や兄からも常々猊下のお話を聞いております。これは先ほども申し上げましたが……。腐敗した教会を容赦無く粛清し、血塗られた聖座と呼ばれる猊下。武力行使も問わない武闘派の皇女殿下。私は猊下のお噂を聞くたびに胸踊らせておりました」


 どうやらハムの尊敬と憧れは自分の悪評に向けられたものらしいとピアは理解した。思わず頭を抱えたくなる。この世には様々な者がいるとは知っていたが——。

 ピアは更に熱弁を振るおうとするハムを空いている片手で制した。全て聞くと長そうだ。なんだかハムは異母姉メリュジーヌや侍女ルーシアと似ている気がする。

 これが乙女なのか。ピアは自分には微塵もない乙女的思考を、よりにもよってハムから垂れ流しにされ、酷い頭痛がしてきた。


「な、なるほど。つまりあなたは私の婿に選ばれても平気だと。私の人生に付き合う覚悟があると」

「勿論です。光栄な事と存じます」

「そうか。覚えておきましょう」

「……恐れながら、猊下。猊下は夫となるものを含め、この国を国民を守ると仰いました。もし私が恐れ多くも猊下のご夫君として選ばれるようなことがございましたら……私はこの身にかけても猊下をお守りしましょう」

「……その言葉も覚えておきましょう」


 ピアは頷いて立ち上がる。そろそろ兄の元へ行かねばならない。

 しかしハムがこんな事を言えるとは驚きだ。人は見かけによらないものだ。

 立ち上がったピアを見て、慌ててハムも立ち上がる。ハムは満面の笑みで付け加えてくれた。


「私は武芸に優れているとは言えません。ですが全力でお守り致します。愛の奴隷となり、身を呈して猊下をお守りして、その腕の中で息を引き取るのが夢なのです」


 ——最後の言葉は聞かなかったことにしよう。

 愛の奴隷も彼の乙女的発想も理解出来ないピアはそう心に決めた。



 ***



 ピアはハムと部屋の前で別れ、次は兄オルクスの待つ部屋へと向かった。

 三人がいる部屋へと入ると、和やかに談笑している。遅くなったことを詫びて、スヴェートの隣に座った。ピアと入れ替わりで執務に戻るかと思った彼は意外にも席を立たない。

 どうやら一緒に話を聞くつもりらしい。


「今、スヴェートとお前の昔の話をしていた」


 オルクスはピアに笑顔を向け、教えてくれる。そしてオルクスは次に将軍に顔を向けて言った。


「私の妹は前に話した通りだろう?」

「ええ。陛下が以前仰った通りです」


 ピアは嫌な予感に顔が引きつりそうになるのを堪えた。一体兄は自分の配下にどんな話をしたのだろう。


「皇帝陛下。ちなみにわたくしのどのような話をなされたのです?」

「いや。子どもの頃の話だ。実はかなりのお転婆で闘志に満ち溢れ、ただならぬ根性がある、とか。そう言えば……私に仕返しするために、宮の庭園中からイモムシを集めていたことがあったな。私の靴の中に大量に詰め込まれていたと侍従から聞いた」


 自分でもすっかり忘れていたことを蒸し返され、いたたまれない気持ちになる。オルクスが話すことはピアがまだ三つか四つ位の頃のことだ。自分はよくそういったことにスヴェートを付き合わせていた。


「しかし、それも猊下の魅力の一部でありましょう」

「将軍、お前にもこれの良さが分かるか」

「ええ。猊下には存分に足を踏んで頂いておりますので」

「将軍の足はとても踏み心地が良いのです」


 スヴェートを除く三人は声を上げて笑った。そう、これはもはや笑うしかない。

 ピアは卓の下で将軍の向こう脛を思い切り蹴ってやった。その顔に一瞬痛みを堪えるような表情が浮かんだのを見て、溜飲を下げる。

 それにオルクスは気づいているのかいないのか笑顔でここを訪れた本題とも言える話を切り出した。


「話は変わるが。先日話したお前の婿の件。どうだ?」

「どうだ、とは?」

「私の側近を婿にする話。考えてくれたか?」

「……わたくしの事もですが、陛下のご結婚は如何なのですか?」


 これ以上配下を押し付けられても困るのと、影から聞いた情報を思い出したのもあり兄の結婚について話を向けた。

 影には兄の恋人ディラエについても探らせていた。その報告では、本人の姿を見ることは出来なかったが、ドレスなど女性の身につける物が宮殿の奥へ運び込まれたのを確認出来たという。他にそれらしい女がいないのを考えれば、彼女の為の代物だろう。世話係がいればその者から情報を引き出せる可能性がある。だが彼女のそばにそういった存在はいないらしい。

 しかし、ディラエ=キルシウムが両親とともに亡くなっていること、それも宮に奉公を始めるより前にという情報を得た今となっては、いま兄のそばにいる『ディラエ』にどう接触して良いかも悩みどころだ。

 ディラエ=キルシウムが既に故人であったならば、ピアたち家族の住む宮に奉公に来ていた者は何者なのであろうか。奉公に入る時、身元は調べられるはずだ。だが『ディラエ』はそれに引っかかることなく、宮に勤め始めた。

 ピアは当時の調査結果を確認させている。

 そして兄は『ディラエ』の真実をどこまで知っているのだろうか。


「私の結婚か。まだ早いな。彼女の準備が整っていない」

「準備?」


 問い返したピアにオルクスはそれ以上何も語ろうとしない。じっとその顔を見つめても、その表情からは何も読み取れなかった。諦めたピアがそろそろ時間か、と次の予定のことを考えたその時、おもむろにオルクスが口を開いた。


「お前に頼みがある」

「頼み?」


 雑談から一転し、急に頼み事などと言い出したオルクスの顔をピアは見つめた。彼は一つ小さく頷くと、頼み事とやらを話し始める。


「そう。今ディラエの話が出ただろう。そこで思い出した。彼女は今色々と準備中なのだが、やはり宮殿の奥に一人きりでは寂しかろう。なので会ってやって欲しいんだ。以前にお前から面会を、と言われていたことを思い出して、ちょうど良いと思ってな」

「わたくしがディラエさんに……。それは構いませんが」


 体調不良と理由をつけて会わせなかったものを突然なんだ、と思う。そこに何かしらの企みがあるのかも知れない。だが彼女に会うことで何か見えてくる可能性も否定できないのだ。

 もし何か仕掛けてこられても対処は出来る。常人より遥かに高い魔力の持ち主であるピアに何か出来る者はまずいない。そのような者は返り討ちにされるのがおちである。兄とてそれくらいは分かっているはずだ。


「わたくしの時間が空いているときで良いのならば」

「勿論だ。日程はお前にあわせよう」


 オルクスはそろそろ時間だ、と立ち上がる。ピアもそれを見送る為に立ち上がった。

 立ち去る兄の背中と将軍のそれを交互に見て、首を傾げる。先ほど兄がディラエと会ってやって欲しいと言った時、将軍の表情が僅かに動いた。きっと彼は兄の考えを予め知らされてなかった。だからそれを聞いて驚いたのだろう。

 しかし、とピアは考える。あの胡散臭い笑みに本心を全て包み隠しているような男が動揺するとは——そこに何があるのだろうか。


「猊下」

「何だ?」


 オルクスとその連れの姿が見えなくなった途端、スヴェートが声をかけてきた。


「正気に戻られましたか?」

「何が、正気だ!」

「いや、かなりのご乱心でしたから」

「たまにはそういう時もある。……そんな事よりもどうだった?」

「怪しい事をしてきたりはなかったです。でもまあ、あの陛下はかつてのオルクス殿下とは別人ですね。あとあの将軍は食えない奴かと」

「なるほど」


 二人は教皇執務室へ向けて廊下を歩き始める。廊下には人もまばらだ。午後の祈りの時間だからだろう。


「ところで、猊下。本気で彼女とお会いになるのですか?」

「無論だ。一瞬悩んだが、あの将軍が動揺したのを見て、会ってやろうと決めた。何かあるのだろう」

「危険では?」


 スヴェートの問いにピアはバカバカしいと笑う。


「もし仮に、だ。その女が私に何かしてきたとして、兄側に何の利点がある。兄側の者が私に危害を加えたりすれば、信徒たちの反感を買う。それは貴族にまで及ぶことだろう。確かに彼女は兄の正式な妃ではない。だが、兄が部屋を与え面倒をみている時点で大差ない」

「くれぐれも用心してくださいよ。ちゃんと護衛も連れて行ってください」

「いつも、私は護衛を連れている。なあ、そうだろう?」


 ピアは背後を振り返り、そこにいる聖騎士に同意を求めた。


「御意にございます。ですが、賊が襲ってきた時、手を出して良いものか悩むところですが……」

「何故、悩む?」

「いえ……猊下がご自分の拳で倒すつもりだったのに、とお怒りになるのではないかと。その場合、私が猊下に殴り殺されそうで……って冗談です!」


 拳を握りしめ近づいて来たピアに、彼は青くなりぶんぶん首を横に振る。


「ロンバート、お前……死にたい時はすぐ私に言うがいい」

「御意に」


 不穏な言葉だが、笑いながらピアが言った言葉に聖騎士ロンバートは深く一礼した。

 ロンバートの忠誠が絶対であるというのはピアが一番良く知っている。彼は神と教皇の為に躊躇うことなく命を捨てられる男だ。この男は、かの粛清の時に最も近くでピアの身を守った。

 ピアはロンバートから呆れたように自分たちを見ていたスヴェートへこの後の予定を尋ねた。


「スヴェート、少し時間は?」

「ございます、猊下」

「ならば、話したいことがある」


 ピアは何から話そうか、と頭の中で話すことを整理しながら教皇執務室へ足を踏み入れた。



 ***



 オルクスの訪問から数日。今日は定例公会議が行われる日である。

 教皇庁で行われる公会議は高位の聖職者が参加し、教義の見直しや各教区であったことの報告が行われる。今朝は早くから、各教区にある転移門を使い参加者達が教皇庁を訪れていた。


「やはりココアか……」

「もちろんでしょう、大司教。神より与えられた聖なる飲み物ですよ」

「いや、それは分かっている。だが私は甘い物が苦手なのだ」

「しっ! あまり大きな声で仰いませんよう……」

「そ、そうだな。懲罰ものだ」


 ピアが入室した途端、みな口を噤み部屋は静まり返る。部屋の奥の壁には世界創造を描いた大きな絵が、その下の飴色のキャビネットの上には神より与えられた聖なるハニワ像が置かれていた。

 ピアは己の席に腰掛け、大きな卓を囲む参加者たちを見渡した。空席はない。すでに全員が揃っている。


「それでは始めようか」


 ピアの一言で公会議が幕を開けた。

 まず各教区の報告を聞いていく。ここエテメンアンキは皇帝交代をうけ色々と騒がしかったが、帝都から離れた場所には全く何も影響がないようだ。いつもとさほど変わらない報告を聞きながら、ピアはこれから自分がこの場の者たちにする宣言について思いを巡らせる。

 つい先ほどまでピアは降臨した神に色々と相談をしていた。久々の対話である。

 本音を言えば、神が降臨してくれるだろうかという不安はあった。朝から聖なる食べ物カラアゲとヤキソバを何人分かというような山盛りで作り、教皇庁御用達の菓子屋からチョコレートを取り寄せ、それも祭壇に山積みにした。そして準備が整ったところで、ピアは一人、神に祈ったのだ。神や天使の降臨に立ち会えるのは教皇のみである。

 祈りが通じたのか、ピアの目の前に神は現れた。そしてピアの話を聞いてくれた——供物を食べながら。気づけばあれだけ山盛りの供物が全てなくなっていた。神は大食ら——いや、ピアの祈りを全て受け取って下さったのだ。

 基本的に神は人間の社会へ関与しない姿勢だ。だからピアの相談に頷き、『好きにすればいい』と言ってくださった。

 つまり、新しい魔法技術の開発は神の承認を得たとこの場で発表出来るようになった。これで兄の背後にいるであろう東大陸への対策が可能になった訳だ。

 実はすでに東大陸の関与が疑われ始めた日から研究を始めさせている。つい先ほどもその様子を覗いてきた。聖術師団の中で選ばれた魔法使い達は瞳を輝かせ、新しい魔法技術の開発に取り組んでいた。これならばピアが望む技術を生み出すのもあっという間だろう。

 まずは外敵の侵入を阻むこと。敵がどこから送り込まれたか調べ、こちらからも密偵を送り込みたいが、まずは侵入の阻止からだ。再び大軍を送り込まれては叶わない。

 今まで禁忌であり異端認定を受けていた新技術の開発。それが可能となり喜ぶ魔法使い達を思い出すとピアは笑いそうになった。神からの許可に先立って始められた研究で、クロイツの妻などは家にも帰ってこないらしい。ちなみにクロイツの妻は聖術師団に所属する魔法使いで、ピアの紹介で二人は結婚したのだ。

 魔力の強い者同士の婚姻は、後世に強い魔力を持つ者を残す為に欠かせない。それを怠った北や南の大陸では魔力の強い者が殆どいなくなっている。

 そのような事を考えながら、各教区報告を聞き、報告書に目を走らせる。すでに文書でピアの元にあがってきていたものと大差ない。あっという間に全員の報告が終わった。


「それでは各教区からの報告は以上になります。本日は猊下よりお話がございます」


 司会の声にピアは頷くと一同を見渡し、語り始めた。


「わたくしは本日、降臨した神と対話した。そこで我々に課せられた新しい義務。それを皆へと伝えたいと思う」


 義務ではないが、そう言ったほうが手っ取り早い。何せ相手は頭の固い老人たちだ。

 神との対話の記録は歴代教皇のみが見ることが出来る秘密文書なのだから問題ない。

 ピアは己の罪深さを心の中で嗤った。だが誰よりも深く神を恐れているのは自分である。実際に神と会ったことのある者にしか分かるまい。その強大な力を前にすると本能的な恐怖が込み上げる。神の前で人間は虫ケラ同然だと一番よく知っているのは自分なのだ。



 ***



 予定と予定の間を縫ってピアは宮殿を訪れていた。先日オルクスから頼まれた一件——ディラエに会うためである。

 宮殿を奥へと進む。皇帝の私室のそばに彼女の部屋はあるらしい。皇族が生活する区画の入り口で将軍がピアを迎えた。将軍自ら出迎えとは人手不足なのだろうか、とピアは訝しむ。


「お待ちしておりました。猊下」

「将軍自ら出迎えとはご苦労なこと」


 ピアの言葉に彼は僅かに苦笑した。


「如何せん人手不足でして」

「ならば、彼女を世話する侍女や女官を紹介しよう。陛下のお戻りで失職した者は多い。みな喜ぶことだろう。そうすれば、武官でそれも将の地位にすらある者がこのような事をする必要はない」

「陛下ご自身がそれをお望みではありません」


 何故頑なに兄がそれを拒むのか分からない。やはり平民である彼女自身がそれを拒んでいるのだろうか。

 もしかしたら兄の意図と別に『ディラエ』の意図があるのかもしれない。ピアは兄の訪問後スヴェートと話をし、『ディラエ』はもしかしたら兄の背後にいる者から送り込まれ、恋仲になり駆け落ちという形でオルクスを出奔させる目的で送り込まれた者かもしれないという結論に至った。まだ推測でしかないが、その可能性は高い。出奔させ、いずれ大軍を率いて戻らせ帝位を簒奪させる。その後はオルクスを操り人形にし、帝国を乗っ取るというわけだ。

 もしそうだとしたら、『ディラエ』 は油断ならない人物だとピアは己に言い聞かせる。


 ※※※


 しばらく歩き続け、とある一室の前で将軍は立ち止まった。


「こちらです」


 開かれた扉の中、広々としたその部屋には誰もいない。この奥の間に彼女はいるのだろうか。

 ピアと侍女たち、護衛の騎士達も中へと入る。背後で扉が閉まる音がした。


「奥の部屋でお待ちです。ちなみに奥へは猊下のみお通しするように、と陛下のご命令です」

「何?」


 聞いていなかった話にピアは将軍を睨みつける。きっと護衛の騎士達も同じく睨みつけているだろう。侍女たちは……美男に弱いから期待できない。


「猊下の御身をお守りするのが我々の役目」

「勿論、それは存じている。しかし陛下のご命令だ。——猊下、この奥の部屋にいらっしゃるのはディラエ様だけです。誰もおりません。私も案内をした後、退出いたします」

「——わかった。行こう。お前たちはここで待て」

「しかし……」

「わたくしがここを訪れるのは多くの者が知ること。ここで何かあれば、それも皇帝陛下のご命令の元、一人部屋に入り何かあれば……。将軍、その結果はあなたもわかるだろう?」

「勿論です」

「だ、そうだ。将軍もこう言っている。お前たちはここで待て」


 ピアの言葉に護衛の騎士達は頷いた。その中からロンバートが進み出る。


「猊下、もしもの時はその拳で」

「お前……助けを呼べ、じゃないのはおかしいぞ」

「猊下の拳は最強ですので」

「拳じゃない。最強なのは魔力だ!」


 もういい、とピアはロンバートとの話を打ち切り、奥の部屋へ続く扉の前にいる将軍の元へ歩み寄る。


「よろしいですか?」

「ああ」


 扉が開かれ、中へと入る。だが人の気配がない。

 ぐるりと部屋を見渡し、ベッドの布団に膨らみを見つけた。面会の希望を一度体調不良を原因に断られている。もしかしたらまだ寝込むような状態なのかもしれない。

 天蓋に覆われたベッドは足元の部分しか見えず、枕元の様子は伺えなかった。


「猊下、どうぞこちらに」


 ピアは将軍とともにベッドに近づいた。彼は目隠しの様になっている布をめくり、ピアを促した。ディラエの顔を覗き込もうとしたピアは凍りつく。

 ディラエの顔があると思ったそこには完全に白骨化した人の頭があった。ピアは目の前の頭蓋骨を凝視した。

 そっと指を伸ばしてつつく。扉をノックするようにそれを軽く叩けばコンコンと音がした。

 やはり反応はない。ただの死体である。

 ふと思いついて彼女の身体を覆う布団をめくった。ドレスがその身体を覆っている。これが影からの報告にあった宮殿の奥へ運び込まれたドレスなのだろう。まさかこれも日替わりで替えているのか。訝しみながらドレスをめくるとその下にはやはり白い骨。肉も何も完全に落ち、臭いもない。

 ピアは隣に立つ男の顔を見上げ、睨んだ。だが男は目どころか顔までそらしている。白々しいを通り越して腹立たしい。

 腹が立ったピアは手を伸ばした。背の高い方に入る自分よりずっと長身の男の片耳を掴み、思い切り引っ張ってやる。


「何だ、これは!」

「いて、いてて!」

「答えよ! 一体これは何だ! どう見ても白骨化した死体だろう!」

「ご覧の通り、死体ですよ!」

「そんなことは分かっている」


 ピアは思う存分引っ張った男の耳を解放してやる。男は『ああ、痛かった』と自分の耳を撫でている。


「これは何だ?」

「ディラエという女性の骨だそうです」

「だそうです?」

「ええ、私が陛下と初めてお会いした三年前には既にこの状態でしたよ。こちらのお方は」


 ピアは思わず目の前の頭蓋骨を見下ろした。一体彼女はいつ、何故死んだのか。


「兄は……」

「詳しいことは私も存じません。シュバルツの方が知っているのでは? あれはずっと側にいたそうですし。私が知っているのはこちらの方が陛下にとって大切な方であること、それ位です」


 兄は会ってやって欲しい、と言っていた。この死体にだ。もしかしたら、いや確実に兄には彼女が『死んでいる』という認識はない。

 ピアは思わず笑った。


「狂人の発想は理解できない」

「仰る通りです」


 ぬけぬけと言い放った将軍を睨みつける。その狂人の配下は誰だと問いたい。足を踏んでやろうとしたら、さっと避けられた。


「それで、我が兄は彼女の死体をこんな風にとっておいて何をしている?」

「さあ……私も陛下が私的なお時間に何をなさっているかは存じませんので。夜な夜な怪しげな黒魔術で、彼女を蘇らせようとなさっているかもしれませんね」

「は……死者を蘇らせるなど、馬鹿げている」

「あくまで私の想像です」

「大した想像力だ。この骨が血肉を再び取り戻す。そして彼女の魂を蘇った肉体へ呼び戻すと」


 それを聞いた途端、将軍は困ったような表情を浮かべた。まだ何かあるかというのだろうか。


「それは困りますね。この骨がそのまま蘇るとすれば」

「何故?」


 あまり聞きたくないが聞いておくべきだとピアは思った。


「実は……。こちらをご覧頂けば、お分かり頂けると思います。骨と骨がバラバラにならないように接着剤で繋げているのです」

「それは、まあそうだろうな。それで?」

「しかしこのように繋げていても、長時間の移動などで外れることも多いのです」

「なるほど」


 だから何だと言いたいのを堪え、先を促す。


「そうするとですね、外れた骨がいつの間にやらどこかへ行ってしまうこともあります……。行方不明になったそれを探すのがかなり厄介で。適当に調達してきた別の骨をくっ付けたりしたこともあるのです」


 将軍は布団をめくり、完全に白骨化した右手をピアへ見せる。


「ご覧下さい。左手と微妙に違うでしょう」


 彼は布団を元に戻すと深々とため息をついた。


「これがこのまま蘇れば、困ったことになってしまいます。あ、ちなみにこの件はどうぞご内密に……」

「私にも言うな! 話すな! そんなこと!」

「いえ、やはり秘密を……それも主君に対して秘密を抱えて生きると言うのは辛いことなのです。懺悔も込めて猊下にお聞きして頂いた次第です」


 ピアは怒りのあまりわなわなと震えた。

 勝手な言い分だ。しかも適当に調達してきたとは何だ。一体どこから持って来た骨だろう。墓を掘り返したのだろうか。


「大体、その人様の骨をどこから持って来た? 死者を冒瀆するにも程があるぞ! しかもこんなところまで連れて来られ、夜毎血迷った兄に語りかけられたりしたら……その骨の持ち主は例え死んでいても、いたたまれない!」


 自分がその骨の持ち主ならば、絶対に嫌だ。兄が夜毎に骨を抱きしめ熱心に話しかけている姿が脳裏に浮かび、ピアはぞっとした。そんな兄を持っている自分も嫌だ。血縁者の異常な性癖など知りたくもない。いや、これは性癖などというレベルではないだろう。

 自分を抱きかかえるようにして目の前の頭蓋骨を見下ろす。そんなピアに将軍は言った。


「大丈夫です。こちらの頭はディラエ様ご本人のものですから問題ありません……多分」

「多分とは何だ、多分とは! ちょっと待て、お前どこへ行くつもりだ?」


 はっと顔を上げたら将軍はピアに背を向け、部屋の入り口へと歩いて行っている。


「どこへ、とは? 最初にご説明致しました通り、私は猊下をここへご案内するためだけにお待ちしておりましたので。仕事に戻ります。では」

「私一人でここで何をしろと……。おいて行くな!」

「猊下。まさか猊下が私にそばにいて欲しいと仰る日が来るとは……感無量です。光栄の極みですが、申し訳ありません。仕事に戻らねばならないのです。またゆっくり語り合いましょう」

「違う!」


 ピアは自分を置いて部屋から去ろうとしている男の後ろ姿を睨みつける。そして靴を脱ぎ、扉を開きかけた将軍の頭へと思い切り投げつけた。


「この格好つけの変態顔だけ男が!」


 この私の無念と怨嗟の一撃をくらえ、と投げつけた靴は見事に将軍の頭へと直撃した。細く開けた扉の隙間へと彼はピアの靴とともに姿を消した。

 扉が閉まり、一人部屋に残されたピアは再びベッドの側に寄った。変わり果てた姿になったディラエを見下ろす。彼女の生前の姿を思い出そうとしたが、無理だった。彼女はディラエ=キルシウムの偽物だった上に既に亡くなっていたとは。

 それにしても兄は本当に正気を失ったのだろうか。ディラエの事以外では兄は正常な人間に見える。とても狂人だとは信じがたい。

 だから兄が狂人であることを理由に帝位を剥奪するのは難しい。政務は問題なく行っているようであるし、ディラエに関する事以外ではおかしな言動はないのだから。

 そして帝位剥奪の問題以上にピアの悪役計画が頓挫する事の方が許し難い。二人を引き裂き、絶望の涙を流させようと思いきや、肝心の相手は死んでいる。そもそもスパイの疑いも出てきて、生前に本当に兄を愛していたかどうかも疑わしい。兄が自分の結婚の邪魔をするならば、お一人様の道に道連れしてやろうと思った。だが逆だったのだ。既に兄は一人となり、孤独の沼に沈んでいる。そこから手を伸ばしピアを道連れにしようとしていた。


「何て事……」


 思わず呟き、部屋をぐるぐると歩き始める。

 では別の方法で嫌がらせを、と思っても相手は狂人である。正常な人間が考えうる嫌がらせなどで堪えるとは思えない。

 考えていると嫌になってきた。もう笑うしかない。


「ふ、ふふふふ、ふはははは、はーはっはっは!」


 扉の向こうでピアの供たちが騒いでいるのが聞こえた。きっとこちらの異様な様子に気づいたのだろう。猊下、と呼びかける声が聞こえるが今の自分はそれどころではない。

 悪役失格だ。出だしから転けた。見よ、この無様な姿を。しかしこんな事で自分はめげたりしない。転んでも起き上がり、再び挑むのだ。


「兄め! 兄め! 兄め!」


 ピアはここが出先で己の部屋ではないことも忘れて床で転げ回る。高速回転だ。時折家具にぶつかるがそんなことはどうでも良い。


「婚期を逃すだろうが!」


 そんな事は許すまじ。我が辞書に敗北の文字はない。徹底抗戦だ。


「兄め!」


 決して兄の思う通りにはならないと心に誓う。ピアは決意も新たにゴロゴロと床を転げ回った。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。