35 月明かりの下に輝く灰色
役所を出た一行はリシアに連れられて、彼女の率いる兵団が借り入れている宿屋に向かう。気性の荒い少女が率いる一団とはどれほどなのだろうか? 小規模の山賊集団を思い浮かべていた彼らは、その兵団の規模に思わず言葉を失うほど驚いた。そこには大勢の団員が忙しく働き、彼女の存在に一目気付けば、彼らは即座に直立不動の姿勢でその場に立つ。その様は、正しく軍隊とそれを指揮する指揮官の様だった。集合するのをリシアが手で静止しなければ、整然と並んだ様を見れたかもしれなかった。
「――おい! そこの!」
リシアが雑務を言い渡すための一人を呼び出しつつ、周囲には一度だけ手を振り合図を送れば、彼らは一礼と共にそれぞれの作業へ戻った。一行は、閉口すらままならない。 彼女が拠点とする地方に戦力を裂いているような口ぶりだったが、現在二五〇名の兵団が、人通りがなくなり広場と化した表通りへ物資を広げて、慌しく戦闘準備を着々と進めている。その様は、素人集団からすれば圧巻の一言だった。
彼女が伝言を団員に頼んでから程なくして、蒼い月夜を思わせるローブを身にまとった目窪みのある男が呼び出される。彼はこの兵団の副団長 グリドア・レグレプブフ。彼の指揮の下、一組三人に分かれ、監督役にリシアの兵団から二人を組み合わせた五人グループ編成が行われる。
最初は、駄目な相方の風評被害を受けている(とは言いつつ彼自身にも原因がある)久島、松之介、透の三人。由久、スティル、近くに居たので捕まえた女性冒険者 ケイニィ・ツェレイラーグの三人でグループを組んだ。(『プレイヤー』と組むことになったケイニィは、意外にも嬉しそうだった。)
だが、暫くして彼らのところへリシアがやってくる。『プレイヤー』の監視管理をする彼女が監督する必要があるために、『プレイヤー』たち四人と、スティル、ケイニィの二人に分けられてしまった。
そこで組みわけが完了した――かと思われたが、そのすぐ後、今度は後衛側の戦力不足が心配されるとのことで再編成が行われた。彼ら六人も例外ではなく、弓の扱えるケイニィと、具現化系統の魔法を扱うことのできる透、魔導系統の魔法を扱える久島がアーウィンに管理される形として後衛側に組み込まれる。 リシアが監督するグループは由久、松之介、スティルに加えて団員のジェイス・アレストという屈強な男で構成された。ジェイスは先ほどリシアにパシられた団員だった。
その後、一時解散した集団は、自分の分の装備の準備を済ますとまた集合し、グループごとの行動が指示された。アーウィンが監督するグループとなった透は、一度鎧を取りに宿へ戻った後、北西門外壁の屋上へ集まったのだった。 外壁の上に居る透は、お店の制服の上から胴鎧と籠手、脛まで防護する脚鎧を身に着けている。
「……。」
もうどれくらい……この木の空き箱に腰かけ、寝転びながら、空を見上げているのだろうか? すでに日没した追いやられる夕焼けと、迫る夜空のグラデーションを彩っている。 雲の塊が疎らに流れて行く空。衛星軌道を流れて行く無数の岩は太陽の光を受けて、月色と夕焼け色に彩られている。それらを足の速い星空の様だと思いながら見上げていた。
緊張に張りつめた空気。明るく灯がともされるも人通りの見せない静まり返った表通り。北西門周辺は慌ただしく、喧騒とした音が聞こえてくる。
外壁の上にはほとんど誰もいない。アーウィンは、魔撃を使うための魔方陣と、マジックアイテムを配置し終えると、一度役所へ行くと降りて行き、お喋りしていたケイニィ・ツェレイラーグも、少しばかり前に、下が気になったのか降りて行ってしまった。久島も、避難施設に収容された相方が問題を起こしていないか確認しに行ったきりだ。
「……んー」
透は何ともなしに唸った。
由久たちや、オヤジさんなどを訊ねに行こうかとも思ったが、あまり乗り気にもなれなかった透は、そのままここで一眠りつこうかと夜空を見上げている。だけれども、今の内に睡眠を取っておきたいと思う気持ちと逆行するように、頭の中は次第に冴えわたっていくようで、無意識の内に考え事を要求してくる。
透は今、如何にしてこの緊張する気持ちから眠りに付けるかどうか、真剣に考え込んでいた。段々と胸の内がざわざわとしてくる、落ち着かない気分を嫌に思いながらも、大気の色にかすんで見えるほどはるか上空を流れて行く無数の岩の大河をじーっと見つめて、何時しか訪れる眠気を、今か今かと待ちわびていた。
そんな中、不意に透に声を掛ける者が居た。
「――よう」
集中していた透は、一瞬、自分のことだと気付かずに無視したが、直後上からのぞき見る顔を見て眉間に皺を寄せた。
「久島か……」
「なんだ嫌そうな顔して」
起き上がりながら気だるそうに呟いた透に、横へ退いた久島は片眉を吊り上げた憎めない笑顔で肩を竦ませた。
「……真剣振り回されて殺されかけた相手とくれば、嫌な顔の一つにもなるもんでしょ?」
本当は考え込んでいるところを邪魔をされたので、反射的に顔が湯が待ってしまったのだが、考えていたことは取るに足らないことだったので、もっともらしいことを言ってごまかした。
勢いをつけて起き上がってから、彼を振り向くと、彼は「まぁ許せよ」と肩をすくませながらにやりと気楽に言った。つられて透も、仕方なさそうに笑みをこぼした。
「こっちも帰る為の条件をクリアするために歩き回ってたからさぁ」
帽子を取って腰に持ちながら、開いてる片手で髪を撫で付けるようにしながら、彼は話した。
「街で撃退任務を受けろって命令だったから……。てっきり噂になってたあんたを倒すもんだと思ってたんだよ。ほら、丁度いい時期に出てきてたし。――てか、そもそも重傷負ったのこっちだし」
「ああ、そうだ、傷口はどうなった?」
「包帯を魔法書に、傷口をふさいでいる」
ふと、今まで気になっていたことが話題に上がった。思い出したように透が聞くと、彼はサーベルが刺さった個所を、恐ろしいことに手で叩きながら平然と答えた。
「包帯を魔法書……?」
透は怪訝な面持ちで聞き返した。包帯を魔法書に……。それはそのままの意味だろうか? そのままだとしても少し分かりづらい。魔法の一種なのか……。
「――なぁ、横いいか?」
「嫌だ」
「つれねぇな」
腕を組み、眼を瞑って考え込む透の座る木箱をちらちと一瞥しながら彼が聞くと、透は即座に却下した。
「一人で座るに十二分だが、二人は狭い」
「俺、怪我人」
「……、……自業自得だと思うんだけどね」
無言で聞き流そうかと思っていた透だったが、ため息交じり立ち上がると彼を座らせるように促した。彼は、ん? と一瞬不思議そうな表情をしたが、すぐにニヤリと笑んだ。
「お、サンキュー」
透は特に返事をすることもなく、外壁の縁へ歩いていき、膝ほどの高さの縁石の上に腰かけた。石レンガは、一瞬座った事を後悔する程度にはひやりと冷たかった。 眼の前には、現世の満月の夜よりも明るい夜空の下、明かりのない外の風景もはっきりと見渡すことが出来る。世界は蒼い大気の中、銀色ライトに照らされている。
「早くてもあと九時間は待つことになりそうだな」
後ろで久島が言った。透は「んー」と中途半端に相槌を打ちながら、外側へ投げ出していた脚を退き戻して、振り返って座りなおす。
「その待ち時間を仮眠でも取ろうと思った所へ、君が来た次第だよ」
「おお、それは……。なんだか、すまないな」
皮肉に笑う透に、帽子を手に取った久島は手でクルクルといじりながら言う。「別に」透は首を振った。
「ある種、良いタイミングではあった。考えてみれば、寒くなってきているこの時期に、野外で仮眠をとるのは危ないし」
「どうせなら、コートの一つでも持ってこようか? 女性が体を冷やすのは良くない」
「やめとけよ」
久島が気遣うように言うと、透は不機嫌そうに――というよりも忌々しげに顔を顰めながら言った。その様子に、彼は不思議そうな顔をする。いじっていた帽子をカポッと被った。
「……。」
「……? 何か気に障る事を言ったか?」
きょとんとした面持ちで彼は聞く。
「いや」
透は気を落としたように暗い面持ちで首を振った。
「悪いのは俺だ」
「そうか?」
肩を落として呟く様にいう透に、彼は再び帽子を手にとってまわし始めた。
「……。そういえば、久島は俺の名前しっているか?」
「透だったけ? 偽名かもしれないが……」
「――俺、男なんだ。勝手に体作られて、器の性別は女だけども」
「……。」
突然の独白に驚いたのか、指にかけていた帽子が横へ吹っ飛んで行った。
「……わぁお」
暫く固まったまま透をぼんやりと見ていた彼は、ぽかんとして開けたままだった口から最初に出てきた言葉はそれだった。
「あー……、男だったか。それは……、まぁ……、あー……、想定の範囲内だな」
手持無沙汰になった彼は両手を組んでみたりもじもじさせながら、彼は答える。
「ホントかよ」
狼狽する彼に、透は自嘲気味に歪んだ笑みをこぼした。彼は立ち上がり「まー」と言葉を選ぶように言葉尻を間延びさせながら、横に飛んでいった帽子を取りに歩いた。
「姿生成で失敗した奴は結構いるもんでさ。人間じゃない奴を何度か見かけたし」
「そうなのか? 俺みたいに変換失敗した人が他にも?」
久島の言葉に、透は眼を丸くする。帽子を拾い上げた彼は透の驚きようを可笑しそうに笑いながら「けっこーいるんだぜ」と頷いた。
「他にも、女だと思って剥いでみたら男だったってことが有ったな。――嵯峨野が剥いだんだけどな」
「ん? 中身が女で男だったってこと?」
「いや、中身が男で、外見が女で、性別が男」
「……あ~?」
透は今一つ理解できない様子で、腕を組んで片眉を吊り上げながら唸った。彼はため息ひとつ吐くとともに「要するに」と言葉を続けた。
「男の娘ってところか? 本人は望んでそうなったみたいだし。結局、剥いだ嵯峨野も嵯峨野でそのまま喰っちまう辺り、顔が良ければ何でも良いみたいだし。まぁ、あれは双方の利害、需要が一致していたと言うべきか」
「ちょ、喰ったって――え、男を?」
「おっと。嵯峨野はああ見えて二十五歳だぜ。相手方も年齢確認して十九歳だったし」
「……わぁお」
引き攣った表情の透は、聞き返したかった部分と異なる答えが返ってきても、何と言ってよいのか分からず、咄嗟に出た言葉がそれだった。
「まぁ、綺麗なチビ男だと思ったら女だったって言う、逆のパターンもあったし、ゲームだからそういう趣向の奴が居てもおかしくはないさ。自分からなってるやつの共通するところは、性別は変えられなかったってところだな。
その点、女扱いしようとしたら自分から男だって暴露してるあたり、なりすましたいわけじゃなさそうだし」
「……なんか久島って思ってたより大人なんだなぁ」
由久や松之介と合流した時を思い出しながら、久島の冷静な口ぶりを見ていた透は、思わず感嘆の息と共に言うと、彼は「なんかそれ、ガキっぽいって聞こえる」と眉間に皺を寄せた。
「いやだって、行き成りサーベルで切りかかってくるし……」
「知っておいた方が良ーぜ? ゲームとは言えど――いや、ゲームだからこそか。……世界を歩き回って生き残るのに、正々堂々だけじゃ無理だってことをさ」
そう言って彼は少しばかり遠い目をしたかと思うと、一変した彼の雰囲気に透は何と口を開けばいいのか分からず、彼が話し出すのを待ち――はっとして透は後ろへふり返って立ち上がった。
「? どうした――」
「変な音……。なんか嫌な感じが……」
透の右手が魔力を帯び始める。その魔力はやがて明るい球体となって視認できるいようになった。それを見た久島は眉間に皺を寄せた。
「おいおい。やたらに魔法使ったら誤認されるぞ――あ、おい!」
透の意識は、既に森の方へと全神経を集中させていた。風を着る音……、そして微かに大地を踏みならす様な音が聞こえた様な透は、彼の制止する声も聞くこともなく青白い光弾を平原の方へ発射し――目の前に青白い光を掠める大きな影が、大きく風を巻き起こしながら一瞬にして透の前に現れた。
その瞬間、透には静止した写真の中に移したかのように、鮮明に、はっきりとその影の招待を視た。
月明かりに照らされ、光る艶やかな鱗。トカゲに蝙蝠の翼をくっつけた様な灰色の竜が目の前を覆い隠す様に翼を広げているそれは、鳥の脚を象の様に逞しくさせたような豪脚で、差し向けていた。
「――襲撃っー!!」
誰かの叫び声が遠くに聞こえたかと思った次の瞬間、透は激しい衝撃と共に体が宙に浮くのを感じた。 吹き飛ばされたのかと思いきや、透の体は失速して落ちるどころかそのまま上昇していく。透は、衝撃の苦痛に顔を歪ませながら目を開いた。
外壁上から打ち出される攻撃魔法、離れて行く外壁と街の景色、そして自分を掴む巨大な鱗の脚。上空から突然、四メートル程の大きさの竜が、次々と落ちていくる。それは外壁近くだけではなく、街全体に落ちてきているようだった。トカゲに蝙蝠の翼をくっつけた様な灰色の竜は外壁の上に着地すると、甲高い声を上げながら暴れている。
叫ぶ間もなく、突然の圧力に呻く。瞬く間に離れていく外壁と、鼓膜を突き破る様な恐ろしい雄叫び。混乱する頭の中で、竜の右前脚に掴まれたことだけは理解できた。
何とかしないと……!
混乱する透は、体を掴む脚をもがいて引き剥がそうとするも、がっちりと掴む脚はむしろ強く透を締め付ける。自分の体の内側からミシミシと不気味な音が聞え、痛みにぐっと歯を食い縛る青ざめた顔には、脂汗がにじみ出た。
不味い……このままだと握りつぶ――
焦りに不穏な想像をしてしまう中、不意に頭上の方で「ゴッ」と堅い物がぶつかった様な音がした。突然、もがく様に暴れる竜に、揉みくちゃに振り回される透は、続いて灰色の竜の翼、胴体へと青白い光弾が直撃したのを見た。竜の体に直撃した光弾はパキパキと音を発しながら結晶の塊が生まれ――驚きに見上げた透の視線の端で、血に染まる氷の結晶に覆われた長い首が、重たく項垂れていた。竜は動きを止め、浮遊感は突然の急降下へと変わる。
ぬ、抜けだせない……!
絶命した竜の脚は、なおもがっちりと透を掴んでいる。もはや、叫び声さえ出なかった。高い場所から着地の目処も立てぬまま落とされる。竜の脚に掴まれたまま錐揉みに落ちて行く透は、渦巻く景色の中、突然視界をボロボロの黒布が覆い隠し――透の意識は、恐怖のあまり、そのまま遠のいた。




