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第30話【配信】くーちゃん、ただ寝る

翌日、俺たちは清泉村に来ていた。


反論するためではない。


リュシアの言った通り、ただ日常を映すために。


清泉村の広場は、昨日より静かだった。


水は引き始めている。畑の泥も、少しずつ乾いている。


けれど、村人たちの目には、まだ迷いが残っていた。

昨日の偽動画が、届いているのだろう。


リュシアは、配信端末を抱えたまま、広場をしばらく見ていた。

いつもの闇猫ちゃんの声はない。にゃん、と笑う気配もない。


「リュシア」


「大丈夫よ」


俺が聞く前に、リュシアは言った。


「怒っている時ほど、ちゃんと映すわ」


そのとき、ミルナが小さな籠を抱え直した。


「無理して付いてこなくてもよかったんだぞ」


「見たいんです」


ミルナは、広場の子どもたちを見た。


「私の作ったものが、ちゃんと届いているところを」


籠の中には、清泉村の子ども向けに焼いた柔らかめのボーロが入っていた。


子どもが親の後ろからこちらを覗いている。

誰かが水桶を運んでいる。

風で草が揺れている。


偽動画みたいに、泣き声も、大げさな字幕もない。


「……ここね」


「何をするんだ?」


リュシアは、広場の端を指した。


「こっちは、動かない日常を映す」


「具体的には?」


「くーちゃんに、お昼寝してもらいましょう」


「……は?」

「きゅ?」


俺とくーちゃんが同時に聞き返した。


***


配信端末を広場の端に固定した。


リュシアが端末に向かった。

いつもより声が低い。にゃん、はなかった。


「こんにちは、闇猫ちゃんねるです。今日は、ほとんど喋りません」


「村人の顔は映しません。映すのは、神獣様のお昼寝と、ボーロを受け取る手元だけです」


リュシアは、静かに言った。


「今は、見てください」


コメントが流れた。


《いつもと違う》

《例の動画の件か》


くーちゃんは、広場の端に置かれた毛布の上へ歩いていった。


「きゅーん」


ひと鳴きして、丸くなった。


「本当に寝るのか」


寝た。


《神獣様、職務放棄》

《癒される》


ニナが、遠くから覗いていた。


くーちゃんは目を開けたが、立ち上がらなかった。

尻尾だけ、ふわりと動いた。


ニナが、そっと近づく。


「触ってもいい?」


「きゅーん」


ニナが、そっと撫でた。

くーちゃんが目を細めた。


《強制どこ?》

《子ども自分から来てる》

《犬、動かない》


くーちゃんが寝ている横を、風が抜けた。


「お腹すいた」


その風景に、なぜかヴァルフェリアの声が混ざった。


静かな広場に、魔狼姫が普通に立っている。


子どもたちは少しだけ身を固くした。

でも、逃げなかった。


この姫が、川を変えて村を助けたことを知っているからだ。


「お前、さっき神獣ボーロを食べてただろ」


「品質確認してた」


「何個食べたんだ?」


「数えてない」


ミルナが震えた声で言った。


「二十七個です」


食べすぎだろ。


《二十七個w》

《ボーロ消費量やば》


ヴァルフェリアが、子どもたちの少し離れたところに座った。


手には、小さな紙包みがあった。


「それ、まだ食べるのか?」


「違う」


ヴァルフェリアは、ニナを見た。


「持ってきた」


「わたしに?」


「うん」


ニナが、そっと近づく。


「どうして?」


「前に、言ったから」


ヴァルフェリアは、少しだけ首を傾けた。


「美味しいもの、食べられそう? って」


ニナの目が、大きくなった。


「あの時の?」


「うん。だから」


ヴァルフェリアは、紙包みを差し出した。


「でも、食べるかは、自分で決めて」


ニナは、母親を見た。


母親が、少し迷ってから頷いた。


ニナは、両手で紙包みを受け取った。


「ありがとう、お姫様」


「どういたしまして」


ニナが、紙包みを開けた。


小さな神獣ボーロを一つ、口に入れる。


「……おいしい」


ミルナの肩が、小さく揺れた。


「前より、おいしい!」


その一言で、ミルナの目に涙が浮かんだ。


それから、ミルナは抱えていた籠をそっと前に出した。


「まだ、あります」


声は少し震えていた。

でも、昨日のように怯えた声ではなかった。


「よかったら。食べたい人だけで、大丈夫です」


子どもたちは、一度親を見た。

親たちが、少しずつ頷く。


一人。

また一人。


小さな手が、籠へ伸びた。


《これで強制は、無理あるな》

《親も確認してる》

《ボーロうまそうw》


しばらく、何もしなかった。


くーちゃんが寝る。

子どもたちが小声で笑う。

ボーロを食べる。

風で草が揺れる。


それだけだった。


最近、こんな時間はなかった気がする。


隣でリュシアが端末を確認している。

肩が、少し近い。


出発前のことを思い出して、余計なことまで意識しそうになった。


「先生、顔が赤いわ」


「配信中だぞ」


「顔は映してないわ」


「そういう問題じゃない」


リュシアが小さく笑った。


今度は、目も笑っていた。


気づくと、接続数が増えていた。


派手なことは、何も起きていない。

くーちゃんが寝て、子どもが笑って、誰かが自分でボーロを受け取っているだけだ。


それなのに、数字が伸びていく。


《これ、例の洗脳食動画と同じ村?》

《虐待どこ?》

《犬寝てるだけ》

《むしろ癒し》

《反論してないのに反証になってる》


最初は、ボーロを疑うために見ていた視線が、少しずつ、別のものを見比べ始めていた。


《同じ村って言われても、なんか変だぞ》

《犬も……これ、同じ犬か?》


リュシアが端末を見た。


何か言いかけて、止めた。


《Dog_Niki呼べ》

《背景も違う気がする》

《誰か比較画像作って》


くーちゃんが、寝ぼけた顔で起きた。


「きゅ……」


そのまま、ニナの膝に顎を乗せた。


ニナが笑った。

母親も笑った。

ミルナが、泣きそうな顔で笑った。


《いいなあ》

《なんか泣けてくる》


「今日は、ここまでです」


リュシアが静かに言った。


「見てくれて、ありがとう。判断は、見た人に任せます」


少し間を置いた。


「ただ、私たちは、これを日常と呼んでいます」


赤いランプが消えた。


***


帰り道、リュシアが端末を見た。


「先生」


「どうした?」


「……掲示板が、妙な方向に動いているわ」


「また炎上か?」


「違うの」


リュシアは画面を向けた。

配信の切り抜きと、フェイク動画を並べた検証画像が流れていた。


「特定班が、動き始めたみたいね」


くーちゃんが、寝ぼけた顔で鳴いた。


「きゅ……?」


その夜。


ただ寝ていた神獣様の映像が、

偽りの犬を、掲示板で追い詰めていった。

次回、まさかの掲示板回。


くーちゃんがただ寝ていただけの配信から、

偽動画のほころびが見え始めます。


――ドッグニキ、偽りの犬を暴く。


くーちゃん「……気持ちよく寝れたワン」

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