第28話 もふもふ領地、交易を始める
朝、ダンジョンの外縁から荷が戻ってきた。
先頭を歩いていたのは、魔狼族の護衛たちだった。その後ろに、木の荷車が一台。
車輪には、まだ地上の泥がこびりついている。
荷台には、清泉村の小さな布旗が結ばれていた。
水瓶が三つ。
泥を落とした野菜。
それから、やたら分厚い書状。
それを見た瞬間、胸の奥が少しだけ軽くなった。
取引が、成立したのだ。
昨日、沈みかけた村から。
昨日まで、俺たちを疑っていた人間の村から。
カゲツが、書状の封を開けた。
一行読んで、眉間を押さえる。
「……ルビがうるさい」
それから、読み上げる。
『この選ばれし水守り(みずにえらばれてない)バルグレイ・カイゼルは、ここに清泉村ともふもふ領地との友好なる流れ(ちゃんとした取引)を認め、以下の誓約(内容は後述)を結ぶものとする』
「うるさいけど、内容はまともだ」
カゲツが続きを読んだ。水の量、納期、対価、証言協力の条件。全部きちんと書いてある。
「文字から胸を張ってる気配がする」
「ああ。紙の上でもいつもの調子だ」
書状の束の一番下に、小さな紙が挟まっていた。
『わんちゃんへ。ぼーろ、おいしかったです。おひめさまにも、ありがとうっていってください。ニナより』
くーちゃんが、その紙に鼻を近づけた。
「きゅーん」
「……わかるのか?」
尻尾が振られた。
ヴァルフェリアが、横から紙を覗き込んだ。
「ニナ。覚えてる」
「……意外と、見てるんだな」
「ボーロを食べて、笑った子。私に、すごいって言った」
ヴァルフェリアは、少しだけ紙を見つめた。
「友だちになった」
「いつの間に」
「一緒にボーロ食べた」
理由は雑だった。
でも、ヴァルフェリアの声は真剣だった。
「何かあったら、守りに行く」
届いたのは、水と野菜だけじゃなかった。
小さな手紙と、次の約束が届いた。
***
ボーロ工房は、朝から忙しかった。
ミルナが作業台に向かっている。
ガルド爺が窯の火加減を確認している。
小麦粉の袋が、一週間前より少し多い。その横には、試験区画で採れた早生小麦の束が、少しだけ置かれていた。
壁のもふもふボードも、少し賑やかになっている。
【入荷】
・清泉水 三瓶
・泥落とし野菜
・清泉村の書状
【収穫】
・試験区画の早生小麦 少し
【試作】
・子ども用ボーロ
・老人用ボーロ
・月灯草茶
・薄焼きパン
【今後ほしいもの】
・パンに入れる具
・肉の代わりになるもの
【未処理】
・バルグレイ様の書状 長い
「未処理の理由が正直すぎる」
「要点をまとめるのに時間がかかるんです」
「たしかに、あれは長いからな」
工房の奥には、見慣れない小さな炉も置かれていた。
「……工房、昨日より設備が増えてないか?」
カゲツが肩をすくめた。
「洗浄済み魔石を使った簡易コンロだ。アークレイン財団製だ」
「アークレイン財団製?」
「ああ。火力が安定する。高いが、焦げにくい」
ガルド爺が、珍しく頷いた。
「火が荒れん。悪くない」
「爺さんに褒められるとは、アークレイン財団も出世したな」
カゲツが笑った。
「道具を褒めただけだ」
その横に、小さな机が置かれていた。
椅子が三つ。清泉水の入った水差し。湯気の立つ小さなポット。
皿には、焼きたての試作ボーロが少し。
「……これは?」
ミルナが、少し照れたように耳を伏せた。
「休憩スペースです」
「……椅子まで増えてる」
「はい。あと、清泉村のお水が届いたので。それと、調達組の魔狼がダンジョンで香りのいい葉を採ってきてくれて」
「お茶か」
「はい。月灯草茶、というそうです」
カップから、ほんのり甘い草の香りがした。
「火の前に立つ者は、水を飲まねば倒れる」
ガルド爺が、窯を見ながら言った。
「……ガルド爺が休憩を勧めてくれたんです」
ミルナは、嬉しそうだった。
カゲツが、休憩スペースの机で、手帳を広げた。
「先生。領地っぽくなってきたぞ」
「まだボーロ工房と畑だけだぞ」
「違う。畑から小麦が出て、水が入り、火が安定し、座る場所ができた」
「座る場所が領地になるのか?」
「人が座れば、話が生まれる。話が生まれれば、約束が生まれる。約束が続けば、領地になる」
カゲツが、清泉水の瓶を指で叩いた。
「川の流れを変えたら、交易の流れも変わった。領地ってのは、まず流れだ」
くーちゃんが、カゲツの手帳を覗いた。
「きゅーん!」
なぜか得意げだった。
「……そうだな。お前も参加してるよな」
尻尾が、ふわりと揺れる。
「というか、だいたいお前のボーロから始まってるか」
「きゅ」
くーちゃんは、満足そうに胸を張った。
そのとき、リュシアが、配信端末を持って俺の横に来た。
「先生、次の配信の方針を相談したいんだけど」
「その声、相談じゃなくて決定事項の時の声だな」
「よく分かったわね」
「最近、学習してきた」
「ボーロ工房を配信するのはどうかしら。水害を助けた後、何を作っているかを見せるのは大事よ」
「また、にゃんって言うのか」
「先生が望むなら、耳元で言ってあげてもいいわよ」
「……いや、配信の話だろ」
リュシアが、くすっと笑ってから真顔に戻った。
「顔は映さない。材料と工程だけ見せる。くーちゃんの試食も映す。衛生管理が見えれば、神獣ボーロへの信用が作れる」
「くーちゃんの試食が信用保証になる世界、だいぶ来るところまで来たな」
「一番分かりやすいでしょう?」
「まあ、嘘はつかなそうだ」
リュシアが、端末の画面をいくつか確認した。
「掲示板も動いてる。ルナファング・インパクトの切り抜き、かなり伸びてるわ」
「あれ、川に撃つ技じゃないからな」
「土木系姫、って呼ばれてるわ」
ヴァルフェリアが、清泉水で作った試作ボーロを食べていた。
「うん、水が違う」
「分かるのか?」
「丸い。喉を通る時、怒ってない」
ヴァルフェリアが、もう一個つまんだ。
「これは、村に持っていける。ニナにあげよう」
「ずいぶん気にかけてるんだな」
「友だちだから」
ヴァルフェリアは、真顔で頷いた。
少し前まで、ここには焦げた石みたいな試作品と、空の棚しかなかった。
今は、水がある。
火がある。
座る場所がある。
誰かに食べてもらうためのボーロがある。
久しぶりに、ゆっくり時間が過ごせている。
そう思った、その時。
リュシアの端末が震えた。
「先生!」
いつもの声じゃなかった。
「どうした?」
「……動画が出たわ」
端末を見た。
映っているのは、泥道だった。
清泉村に似せた、赤土の道。背景には水害の跡。
そこで、子どもが泣いていた。
口元に、白い丸いものが押しつけられていた。
神獣ボーロに似た、何かだった。
画面の端に、もふもふ領地の紋章に似せた印がある。
文字が流れた。
『魔物領地の洗脳食。子どもに強制給餌』
ヴァルフェリアの手が、試作ボーロを持ったまま止まった。
くーちゃんが、端末を覗き込んだ。
首を傾げた。
「きゅ……?」
「……俺たちじゃない」
「フェイク動画よ」
リュシアが、画面を閉じた。
「でも、もう拡散してるわ」
カゲツが、手帳を閉じた。
「ついに、来たな」
「アイズのやり口か」
「だろうな。善行を疑わせに来た」
さっきまで湯気と焼き菓子の匂いで満ちていた休憩スペースが、急に静かになった。
リュシアは、何も言わなかった。
いつもの余裕のある笑みは消えていた。
端末を握る指先が、かすかに震えている。
怒りだけじゃない。
何かを、思い出しているように見えた。
川の流れを変えた翌日。
今度は、噂の流れが濁り始めていた。
次回、神獣ボーロをめぐる疑惑に、もふもふ領地が向き合います。
リュシアの過去に少し触れつつ、
くーちゃんにも大事なお仕事があります。
くーちゃん「……ボーロ、待ってるワン」




