第26話【配信】魔狼姫、川の流れを変える
「魔狼姫ヴァルフェリアを呼ぶ」
カゲツがそう言った瞬間、村の空気が凍った。
「魔狼姫を……?」
「本当に呼ぶのか」
「村を壊す気か」
沈みかけた畑の前で、村人たちが一斉にざわつく。
無理もない。邪魔な岩盤を抜き、川の流れを変える。
それは、人力でできる仕事じゃなかった。王国の土木隊を待っている時間もない。
なら、呼ぶしかない。
ドラゴンを噛み消した、あの腹ペコ姫を。
***
ヴァルフェリアを待つ間に、俺たちは村人を高台へ移した。
子ども。老人。家畜。
橋の近くには、誰も近づけない。
「きゃん!」
くーちゃんが、泥の一角に向かって鳴いた。
見ると、土が内側から膨れていた。
水が抜けず、地面が浮いている。
「そこも危ない。離れてくれ」
村人たちは半信半疑だった。それでも、ニナが母親の手を引いて走ると、少しずつ動き始めた。
あとは、川の逃げ道を作るだけだ。
「じゃあ、記録を始めるわ」
リュシアが配信端末を起動した。
「こんにちは〜、闇猫ちゃんねる。今日は、もふもふ領地が水害で困っている村のお手伝いにゃん」
《昼枠珍しい》
《水浸しじゃない?》
「村人の顔は映しません。でも、何が起きているかは見せるにゃん」
リュシアが、沈んだ畑を映した。
水に浸かった畑。傾いた橋。止まった水車。
《畑沈んでるじゃん》
《顔映してないの誠実》
《犬はいるの》
「きゅーん」
くーちゃんが、カメラに向かって鳴いた。
《現場監督犬だ》
《かわいいw》
その時、地面がわずかに揺れた。
村人たちが、一斉に森の方を見た。
灰銀の髪の少女が、歩いてくる。
背後に魔狼たちを連れて。
「呼ばれた。お腹も空いた」
ヴァルフェリアだった。
村人が後ずさる。
「魔狼姫だ……」
「本当に来た」
「村を壊す気か」
ヴァルフェリアは、いつも通りだった。
「川を食べればいい?」
「食べるな」
「じゃあ、殴る?」
「殴る前に説明を聞け」
リュシアがカメラに向かって言った。
「これが、もふもふ領地の魔狼姫ヴァルフェリア様にゃん!」
コメントが爆発した。
《魔狼姫きたああああ》
《川を食べるなw》
《灰銀の髪、映える》
《村人逃げてええ》
《いや助けに来たんだよな?》
カゲツが岩盤の前に立った。
「姫さん、適当に撃つなよ」
「適当じゃない。お腹の向く方に撃つ」
「それが一番怖いんだよ」
カゲツが指を立てた。
「撃つのはここだ」
カゲツが、村の北側にある川沿いの岩盤の一点を指した。
「ただし、砕くな」
「砕かない?」
ヴァルフェリアが首を傾けた。
「岩盤を大きく崩せば、水は村側へ暴れる。必要なのは谷へ抜ける細い逃げ道だ」
カゲツは指を少し斜めに動かした。
「この角度で、岩盤を貫通させる。村側を崩さず、谷側へ水を逃がす」
ヴァルフェリアが、鼻をひくひくさせた。
「……少し斜め。感じる」
「分かるのか?」
「水が、そっちへ行きたがってる」
バルグレイが水路図を持ったまま前に出た。
「待て」
村人たちが息を呑む。
泥まみれの村長は、沈みかけた畑を見た。
それから、岩盤の前に立つヴァルフェリアを見た。
「……村の水を預ける」
「この選ばれし水守り(みずにえらばれてない)の名において」
《水守りくん、覚悟決めた》
《村長、かっこいいぞ》
ヴァルフェリアが、こくりと頷いた。
「預かった」
岩盤の前に立つ。
灰銀の髪が、湿った風に揺れた。
コメントが止まった。
村人も、画面の向こうの視聴者も、息を呑んでいた。
細い腕が、ゆっくりと引かれる。
爪先に、白い魔力が集まった。月の光みたいに冷たい輝きだった。
ヴァルフェリアの瞳が、金色に変わる。
銀の爪が伸びる。
地面が震えた。
「月狼爆衝」
囁くような声だった。
次の瞬間、白い牙が走った。
轟音は、広がらなかった。
本来なら村ごと揺らすはずの破壊が、牙の先だけに押し込められていた。
岩盤の一点が、噛み抜かれる。
細く。
深く。
斜めに。
カゲツが示した角度のまま、亀裂は岩の奥へ走った。
村側の土手は崩れない。
谷側へ向かって、逃げ道だけが貫かれていく。
ゴリ、と。
岩の腹に、穴が開く音がした。
粉塵が舞う。けれど、崩れた岩は最小限だった。
岩盤には、牙の形をした細い裂け目だけが残っている。深く、鋭く、向こう側まで抜けていた。
次の瞬間。
水が、そこへ吸い込まれた。
せき止められていた濁流が、新しい逃げ道を見つける。
村側へは溢れない。
谷の方へ。
カゲツが示した角度のまま、流れていく。
畑の水位が、下がり始めた。
水の下に隠れていた土が、少しずつ顔を出す。
配信コメントが、崩壊した。
《うわあああああ》
《ルナファング・インパクト!?》
《川に撃つ技じゃないああ》
《これ魔狼姫の必殺か》
《火力より制御がヤバい》
《王国の土木部隊より早くない?》
《土木系姫爆誕》
コメントに混じって、投げ銭の通知音が鳴り始めた。
カゲツが静かに息を吐いた。
「……注文通りだ。恐ろしい精度だな」
ヴァルフェリアが、岩盤の跡を見た。
「川、食べてない」
「えらいぞ」
「先生に褒められた」
その横で、くーちゃんが胸を張っていた。
「きゅーん!」
尻尾をぶんぶん振っている。
完全に、自分もやった顔だった。
「お前は見守ってただけだろ」
「きゅ!」
違う、と言いたげに前足で地面をちょんと叩く。
「現場監督、お疲れさま」
「きゅーん」
くーちゃんは満足そうに鼻を鳴らした。
《犬も誇らしそう》
《現場監督OK出した》
バルグレイが、膝をついていた。
泥の中に。
声が震えていた。
「これぞ、我が村の治水奥義である!」
バルグレイが立ち上がった。
泥まみれのまま、村人たちを振り返った。
「見たか村人たちよ! 我が宿命の水門(ただの岩盤)が開かれた!」
「畑が……」
「戻ってきた」
「水が引いていく」
誰かが泣いた。
ニナが、ヴァルフェリアを見た。
「お姫様、すごい!」
ヴァルフェリアが、ニナに聞いた。
「美味しいもの、食べられそう?」
「……うん」
「良かった」
ヴァルフェリアが、真顔で頷いた。
《魔物領地、本当に助けたじゃん》
《ルナファング記念投げ銭》
《姫様かっこいい》
リュシアが端末を確認した。
「先生。投げ銭、かなり入ってるわ」
カゲツが覗き込んだ。
「水瓶と輸送費、村への初回支援分くらいは出るな」
「使い道は記録しておくわ。復旧支援、水瓶代、ボーロ材料費」
リュシアが、カメラに向き直った。
「今日はここまでにゃん。水を奪いに来たんじゃない。ただ、困っているなら助けたかっただけにゃ」
「くーちゃんも、見逃さないでにゃ」
「きゅーん!」
ランプが、消えた。
***
バルグレイは、泥だらけのまま俺たちに向き直った。
「清泉村は、もふもふ領地との取引に応じる」
胸を張った。
「この選ばれし水守り(みずにえらばれてない)の名において」
「水の定期供給と、交易の窓口。それから証言だ」
カゲツが確認する。
「顔を出せとは言わない。事実だけ残せば十分だ」
バルグレイが、今度はちゃんと頷いた。
「我が誓約(ちゃんとした契約書)を交わそう」
カゲツが、薄く笑う。
「初めてまともなルビが出たな」
その言葉に、バルグレイが少しだけ笑った。
***
村外れの丘で、灰色の外套の治水監査官が配信端末を閉じた。
「……あり得ない」
沈むはずだった。
清泉村は限界だった。水路は詰まり、畑は沈み、王国の救援を待てば間に合わない。
だから、利用できるはずだった。
魔物領地が接触した直後に村が沈む。
あとは噂を整えればいい。
魔物領地が水を奪った。
魔物領地に関わったせいで、清泉村は失われた。
そういう話になるはずだった。
だが。
魔狼姫が、川を変えた。
治水監査官は、震える指で通信符を飛ばした。
『アイズ様へ。清泉村、沈下せず。もふもふ領地が水害を解決。配信により、王国側の噂と矛盾が発生』
返答は、すぐに来た。
『なぜ止めなかった』
答えられなかった。
止められるはずがない。
魔狼姫の一撃も、村人の歓声も、配信に残った事実も。
何一つ、止められなかった。
次の通信が届いた。
『帰還次第、処置室へ』
治水監査官の指が止まった。
処置室。
その三文字を見た瞬間、顔から血の気が引いた。
「……お待ちください。私は、監査を——」
通信符は、もう沈黙していた。
遠くで、村人たちの歓声が上がっている。
川の新しい流れが、夕日を受けて光っていた。
次回は掲示板回です。
魔狼姫が川を変えた日、世界は何を見て、何を疑ったのか。
掲示板で、その反応を追っていきます。
そして裏では、黒幕サイドが“偽りの犬”を使って動き出します。
ここまで読んで「続きも追ってみようかな」と思っていただけたら、
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くーちゃん「……ボーロ、待ってるワン」




